1日目
私は子どもの頃から爪を噛む癖がある。
自分の手を見るたびに我ながら清潔感がないな、とげんなりする。
その時の人間の心理はストレスなどのネガティブな感情を解消しようとしているらしい。
私は今まで、たしかに嫌なことだったり辛い思いをしたことは何度もあるが今のところ自分の人生にはとても満足している。
では何が私をそうさせているのか。
自分で言うのもなんだが、私のことを完璧に理解してくれる人はいないし、この先もいないだろう。
しかし毎日の出来事をここに綴り、私の感情に共感してくれる人がいたなら嬉しいし
そんな人を探してみようと思う。
また、私には1つ大きな夢と2つの難しい目標がある。
夢は死ぬまでにまずは日本の全都道府県、そして世界中の全ての国に訪れ、その国の歴史や文化、食、人に触れることだ。
先ほど書いたとおり、私は今の人生が楽しくてたまらない。
そして私は欲張りだ。
世界に80億もの人間がいるなら、80億通りの人生の楽しみ方があるはずで、その全部の楽しみ方を味わいたいのだ。
もちろん国によっては想像もできないほどに困窮し、飢えている人もいるわけで楽しむ暇もないという人たちも何億、何十億といるだろう。
しかしそんな生活や現状を知ることは豊かな国に生まれ何不自由ない毎日を送っている我々の義務であると思うし、なによりそんな生活でも楽しめる自負があるし、そうでなくとも僕の目標に繋がるので必ず夢を叶えてやろうと思う。
さて、その目標を言う前に1つ質問をしようと思う。
眼前に広がる絶景を目の当たりにしたとき、あなたはどんな感情を抱くのか。
今の私は自分の抱いた感情を綺麗、すごい、やばい、エモいと言った単純で浅い言葉でしか言い表せないが、
実はもっと深く、それらの単純な感情が混ざりあった複雑な何かだと思う。
なので各国の絶景を見たり、生活をすることで
そんな複雑な感情の正体を突き止めたい。
これが1つの目標だ。
もう1つは走馬灯を濃くすることだ。
最近はアニメなんかでもこの言葉を耳にする機会が多くなった。
走馬灯とは人が死ぬ間際に頭の中で
自分の人生がまるで映画のエンドロールかのように映し出されるものののことだ。
しかし映画のエンドロールと言っても東京大学の教授によると数十秒にすぎないらしい。
せっかく自分の人生のハイライトを見れるというのに数十秒では味気なく、どこか寂しい。
そこで私は世界中を旅して回り、様々な経験をすることで走馬灯に残さないといけない大きな場面を何回もつくることで走馬灯を何時間、いや何年にも渡るものにしようと考えた。
そして実際に自分が死ぬとき、ゆっくり走馬灯を見ながら自分の人生を振り返りながら点数でもつけようかと思う。
そうすれば満足して死ぬことができるだろう。
とまあ、こんな感じで、自己満で10年後にこれを見たら当時の自分が痛くて悶えるかもしれないが、そんな日記でも見てくれる人がいるのなら今の私にとっては幸いだ。
黒歴史だと自覚し消去する前にだれかしらに見つかることを期待しようと思う。