91. 病の救世主
「ヴァルニア卿は医学知識があるみたいで話が早い。壊血病や栄養という概念の説明は必要無さそうですね」
フェリシテが意外そうにエリオットを見て言う。
「エリオットと呼んで頂いて構いません。上司の夫君に敬称をつけさせては失礼に当たります」
眼鏡を押し上げながら、エリオットは不機嫌そうに眉を寄せた。
「簡単な医学知識くらい持ち合わせていますので解説など必要ありません。それより貴方に知識がある事の方が驚きなんですが」
壊血病やペラグラ、栄養学などを知っている令嬢は相当珍しい。
看護師や薬師でもない限り、通常は知らないのではないか?
女性は基本的に結婚してすぐ家庭に入るから勉強する必要が無いと言う風潮のため、貴族であっても学校に行かない女性は多い。
本も読むのは恋愛小説やミステリー、冒険譚くらいで学問の専門書を読む女性は極端に少ないと思う。
アカデミーで勉強のできる令嬢達と肩を並べたこともあるが、何らかの職業に就きたいと目標がある場合か、家門の関係で必要に駆られて……という令嬢ばかりだった。
エリオットは疑問があると解明せずにいられない性分な為、つい専門書を読み漁ってしまうのだが、フェリシテこそ一体どこでこんな知識をつけたのだろう。
――それにしても、世間で噂されていたフェリシテの評判と実際の本人のギャップが激し過ぎる。
フェリシテに取り得が無いと言う噂は誇張された噂だったのかと、エリオットは改めて考えさせられていた。
「まあ、私の知識の話は後でするとして、この状況は恐らくエインワースだけでなく、ラザフォードの地方全体の問題だと思われると言うのが医師の見解なんです」
「…………確かに貧しい地域で病気が蔓延しているのは事実です。ヒューイット様も何とかしようと努めておられるが、予算の関係で支援が十分でない事は承知しています」
貧困層は病気に罹りやすいので、働けず、更に経済的に悪化すると言う悪循環が生じている。
対策を取ろうにも医師の派遣や薬代などが莫大な額になる為、手をこまねいている状態だったのだが――――
「それが何とか出来そうなんですよ。要は栄養を摂れればいいんです」
したり顔で頷くフェリシテに、エリオットは慌てて釘を刺した。
「……まさか、貧困層の領民にオレンジやレモンを支給するとか言いませんよね⁈オレンジとレモンは壊血病に有効と言われていますが、輸入品なので十分な量を購入するとなると、とんでもない予算になりますよ!」
オレンジとレモンは国内で栽培されてはいるが少量で、ほとんど南方の国から輸入している。
ラザフォードで良く採れるリンゴや梨の約3~4倍の値段なので、気軽に買える果物ではない。
だが、フェリシテがしでかす事はいつも予想を超えて来る。
王から貰った褒賞金で豪快に大量輸入すると言い出しそうでエリオットがハラハラしていると、フェリシテは「そんな事したら、予算がいくらあっても足りませんよ」と常識的な事を口にしてエリオットを安心させた。
「ですよね、オレンジとレモンの大量輸入は現実的ではありません」
ラザフォード領がオレンジとレモンまみれになるのを阻止出来て胸を撫で下ろすエリオットだったが、フェリシテに常識が通用するはずが無かった。
「干しリンゴを普及させるんですよ」
「――――――は???」
「ラザフォード領で簡単に手に入る物でなければ病気の皆さん全員に提供できませんからね。そこで参考にさせていただいたのが、以前読んだ栄養学に関する大変マッドな博士の論文なのです」
カバンから新たな分厚い手紙の束を取り出したフェリシテが、しゅばっ、とエリオットの目の前に優に30枚はあろうかと言う手紙を差し出す。
チラッと見えた便箋はびっしり文字で埋め尽くされていて、一目で読む気が失せるシロモノに思わずエリオットは一歩引いてのけぞった。
「その博士はバルトロメオ・アレッキ博士と言うのですが、ベルディーニ領の港町に約20年滞在し、出航する商船の船員に頼み込んで壊血病に有効な食材の調査をした方なのです。博士はビタミンと言う栄養素が壊血病予防に有効だと気付き、ビタミンが多く含まれる食材の特定に尽力されている方なのですが、私この度、手紙に領民達の現状をしたためて助言を頂きまして。その博士の助言がこちらの手紙となっております」
「…………これを読んだんですか?」
「ええ。博士の熱意が詰まった傑作ですよ……!壊血病とペラグラに有効な栄養素と食物が最後の1枚に記されています。あとの29枚は、博士の血と汗と涙の研究記録で、帰国した船員が健康診断に来なかった時に家まで押し掛けた話や、探偵の様に酒場まで船員の足取りを追う迫力の話が盛り沢山。博士の追跡能力がどんどん向上していく様は圧巻ですよ!」
博士と言う人種のイメージが崩壊するアグレッシブさである。
長期航海を終えて浮かれて繰り出した酒場で博士に待ち伏せられたり、壊血病になりかけて帰って来た船員が博士の実験台(餌食)になったり、無駄に臨場感あふれる描写で追跡される船員たちの阿鼻叫喚が聞こえてきそうな文章に、エリオットは無言でそっと手紙を閉じ、最後の1枚だけ抜き出して目を通した。
船員達の尊い犠牲が集約された1枚には、博士お勧めのビタミンが多く含まれる食品が並んでいた。壊血病にはビタミンCで主にフルーツが。ペラグラにはビタミンBでナッツや魚類が多く書かれている。
これまでにビタミンが多いと知られていなかった食材が並んだリストは驚くほど詳細で、大変に貴重な物だったが、船員をストーカーしたものだと思うと有難みが薄れる。
エリオットの中で、この国の知を代表する博士達は素晴らしく聡明でエリートな紳士だと思っていたのだが、フェリシテと関わると何故こうも怪しさ満載の愉快な人達になってしまうのかが解せない。
「……このリストが本当なら、全粒粉の小麦や干しリンゴで対応出来ますね。わざわざ高価な食材を取り寄せずに済みます」
フェリシテの話はさらに検証してみないと分からないので、領民に壊血病やペラグラが本当に蔓延しているのかも含めて調査するつもりだ。これらの食材が病気からの回復に利用できるのか試すにしても、身近な小麦やリンゴの加工をするだけなので試し易いのが有難い。
「はい。博士からは、今回、私が使用人のご家族へ提供したベリーにもビタミンが含まれていたので偶然にも病気回復に役立ったのだろうと言うご意見を頂きました。ベリー類はビタミンが多いそうなんですよ。こんな丁寧で詳細なお手紙を返して下さったアレッキ博士には感謝しかありません」
フェリシテの話にジェシカが頷く。
「――本当に干しリンゴで病気が良くなるなら、みんな喜びます。レモンやオレンジには手が出ませんけど、ラザフォードはリンゴが名産で私達でも買えますもの」
ラザフォードではリンゴの木が一般家庭の庭に植えられている事が多いので、干しリンゴを普及させるのは簡単だろう。
「リンゴを薄く切って乾かせばいいんだって!僕とショーンも作るよ!そんでね、メリッサお姉ちゃんと、お母さんと、ジェシカお姉ちゃんと、皆で食べるんだ!」
マーカスがやる気に満ちた顔で胸を張るのに、エリオットがちょっと感動する。
まだ小さいのに家族思いの良い子だ――と思うと同時に、やはり領民全員に十分な食料が行き渡る様に努めなければ、と決意を新たにしたのだった。
*こちらはフィクションですので、病気の際は医師の診断と指示を仰いで下さるようお願い
致します*
*壊血病はビタミンC、ペラグラはビタミンB3が不足して起きる病気です。
歴史的に壊血病予防にレモン等の柑橘類が摂取されていました。
ビタミンC含有量を比較すると、レモン100g当たり100㎎。干しリンゴは214㎎です。
実際に干しリンゴはビタミンC豊富なんですよ!リンゴ凄い*
*ビタミンB3は舞茸やマグロなどに多く含有されていますが、作中では毎日食べられる物と
言う事で全粒粉パンを取り上げています。




