90. 病の正体
「…………ここは庶民の家じゃありませんか?何故私がこんな所へ……?」
午後になり、伯爵家から馬車を出してエリオットと共に到着したのは、エインワースの町中にあるジェシカの家であった。
年季が入ってボロボロの家を見たエリオットが「うっ」と呻いて、嫌そうなのを隠す素振りも無く引いている。もちろんジェシカの家に行くのだから午後から半休を取ったジェシカが同行しているのだが、潔癖症らしいエリオットはジェシカにお構いなしで遠慮がない。
「ジェシカ、彼が失礼な態度で申し訳ありません。ヴァルニア卿、いい加減にその態度を改めてもらえますか?領地視察で領民の家を訪問する事もあるでしょうに、その態度はいただけませんね」
「領地視察は部下達が巡回するので監督するだけです。私が全ての地域に足を運ぶより、大勢いる部下を使ったほうが効率的なので。担当地域全てを自分で回るのはローレンスくらいですよ。彼は動いている方が性に合うそうですからね。まあ、そのお陰で第二騎士団と鉢合わせずにすんだのはラッキーでしたが」
ローレンスは王宮第一騎士団団長の次男なのだが、第一騎士団と第二騎士団は犬猿の仲らしいのだ。
とばっちりで息子のローレンスも目の敵にされているらしい。
どうも第二騎士団が近衛騎士である第一騎士団を一方的にライバル視しているらしく、「いつも王宮で女官たちにちやほやされやがって……!」と、外回りばかりで夏は日焼けとヤブ蚊と戦い、冬は吹雪と戦い、風呂に入れなかったり、食事も満足に食べれない事もしばしばある第二騎士団が僻んでいるのだと言う。
――第二騎士団の方々と面識のあるフェリシテは、その気持ちが痛い程理解出来て、そっと涙を拭った。今頃彼らが美味しくご飯を食べていて欲しいと、心の底から祈る。
フェリシテの隣に並んだジェシカは「庶民に対する貴族の方は大体こんな感じです。奥様やヒューイット様が特別なんだと思いますよ」と、無の境地で家の扉を開け、ふたりを家の中に招いた。
「ただいまーお客様よー!」と家の奥へジェシカが叫ぶと、キャーと明るい叫び声と共に奥の部屋から子供達が飛び出して来る。
「お姉ちゃん、おかえりなさい!」と、目にも止まらぬ速さでジェシカに突進するマーカスとショーンにエリオットがギョッとし、フェリシテはつい苦笑してしまった。
エリオットは侯爵家の次男なので、幼い頃から厳しくマナーを身につけさせられていた事だろう。
高位貴族ほど子供でも品よく振る舞うよう躾られているので、やんちゃなマーカスとショーンに驚いているらしい。
「フェリ様、いらっしゃいませ!」
「メリッサ、元気そうですね。あれから調子はいかがですか?」
少し遅れてメリッサが奥からにこやかに歩いて来て、エリオットがホッとした様子で息を吐く。
やっと普通の挨拶ができる、と安堵しながらエリオットは、フェリシテが挨拶した後に続けてメリッサに向かって一礼した。
「初めまして、ヒューイット様の補佐官のヴァルニアと申します。本日はフェリシテ様と共にお邪魔させて頂いております。どうぞ、お見知りおきを」
真面目なエリオットらしく、胸元に手を当て、姿勢を正して騎士のお辞儀をする。
失礼な態度もそれくらい改めてくれればいいものを……と思っていたら、エリオットの挨拶を目の当たりにしたメリッサがキラキラした瞳を向け、「王子様みたい……!」と頬を押さえ、真っ赤になって呟いた。
「は?私が王子?」
憧れの混じった眼差しで見られて、エリオットが当惑する。
「本当だ……!お兄ちゃんは王子様なの⁈すげー!カッコイイね!」
マーカスとショーンも、いつの間にかエリオットの目の前まで来て感動して瞳を煌めかせており、エリオットは子供たちの反応に困って狼狽えた。
今日のエリオットはラザフォード騎士団のネイビーブルーの正装を着用していて、黙っていれば乱れなく整えられた艶のある黒髪と、眼鏡の奥の極上のサファイアに似た透明なコーンフラワーブルーの瞳が冴えた、理知的なクールビューティ―なのである。
直に王族を見た事が無い一般庶民からしたら、マントを外しているもののコートの肩に金の肩章と飾緒を着け、白い手袋をしたスタイルの良い優雅な美青年は王子様を連想させるのだろう。
小動物に逃げられがちなエリオットは、向こうから近寄って来られる事に慣れていなかった。
よく見ると、小さな子供達はかなり痩せており、栄養状態が良くないのが見て取れる。
ラザフォード内でもエインワースは田舎で貧しい地域の一つだと認識しており、実際に目の当たりにすると粗末さに引いたが、切ない気持ちも同時に湧いた。
「私は王子様ではありません。どちらかと言うと、従者ですね」
「ジューシャ?」
訂正し、キョトンとしながらエリオットを見上げるマーカスの頭を恐る恐る撫でると、マーカスが嬉しそうに笑顔を全開にさせる。
その笑顔にキュンときたエリオットは、次に撫でて欲しそうにしているショーンの頭も撫でてみた。
ふわふわのくせ毛が柔らかくて、野良猫を彷彿とさせる小ささである。
ショーンも目を細めて嬉しそうにしているのを見て、小さきものに逃げられない喜びを嚙みしめたエリオットだったが、冷静を装いつつ「それで?」とフェリシテを振り返った。
「私をこちらに連れて来て、何をしようとしてるんですか?そろそろ本題に入って下さい」
「ええ。本日用があるのは、こちらのメリッサなんです」
ジェシカに勧められるままキッチンの椅子に座ったフェリシテとエリオットの前に、はにかみながらメリッサが立つ。
フェリシテは医者から送られて来た手紙をカバンから取り出して、確認しながらエリオットに説明した。
「メリッサはここ数年、貧血や息苦しさ、倦怠感や歩行困難などの症状が出ており、約半月前にはベッドから起き上がるのも苦労する程に体調が悪く、寝たり起きたりの状態が続いていたんです。ところが先日、ベリーの酢漬けを食べた後にそれらの症状が軽快し、元気に動き回れるまでに回復しました」
ん?とエリオットは目を瞬かせた。
「……聞き違いですか?ベリーの酢漬けで回復したように聞こえたのですが……」
「聞き違いではありません。それだけと言うと語弊がありますが、ベリーの酢漬けが一因であることは確かな様です」
頷いたフェリシテは、手元の手紙をエリオットへ見せた。
「メリッサと他2名、使用人の身内で体調不良者がおり、試しにベリーの酢漬けを約2週間毎日摂取してもらってお医者様に経過観察と診察をしてもらう事にしたのですよ。するとですね、何と皆さん症状が軽快してしまいまして。こちらお医者様の診断書です。いやー、お医者様もビックリで大変でした。――で、お医者様の見立てだと、どうも皆さん、壊血病とペラグラと言う病気に罹っていた様でして」
今度はまた何をしているんだと呆れていたエリオットが、話の内容を聞いてギョッとする。
「――――壊血病とペラグラ⁈」
「はい。患者の話の聞き取りから、4年前のコレラの流行で家族が亡くなった等で経済状況が悪化した家庭が多く、またコレラの大流行で物資が不足しているまま冬に突入。翌年以降も経済状況が改善しないため食糧が十分摂れない家庭が多くあり、そこへ来て去年のコレラ流行が重なって、またも物資不足が追い打ちをかけ……栄養不足が限界に達して発病者が多発した様ですね。この3人以外にも近隣で似た症状を呈する人々が多いので、同じ病気が蔓延していると考えられるそうです。軽症の段階だと初期症状が他の病気と似ているので判断が難しく、貧血などの病気と混同されていた可能性があります。他の合併症だけが気付かれていた場合もある様です。貧しい家庭の発症が多いために医師を呼べず、医師もこの状況を把握出来ていなかったみたいですね」
壊血病は、海外への長期航路を渡る商船の船員や海軍の海兵がよく罹る病気である。
そしてペラグラは農奴や開拓団の人々がかかる病気で、どちらも一般的には聞かない珍しい病気だ。
エリオットは知っていたが、勉強が嫌いなガブリエルやローレンスなら『壊血病とペラグラ??何それ?』という反応になっただろう。
”栄養”と言う概念も近年提唱され始めたものなので、知っているのは医学関係者くらいだ。
最近の研究で食べ物に含まれる栄養分が足りなくなると病気になる事があると分かり、研究者達が海軍などの協力で調査をして壊血病の予防にレモンやオレンジが良いと、長期航海では食事に取り入れるのが推奨されている。
ペラグラはパンが買えない貧困層が、トウモロコシの粉をお粥にして食べて発症する事例が多い。通常は未開地域の開拓団に発症するもので、普通に野菜や肉を食べていると罹らないとされている病気だ。
「…………つまり、領民達に栄養不足が蔓延していると言う事ですか――――」
どちらも国内ではまず聞かない病気だ。
エリオットは一瞬、「まさか!」と思ったが、目の前にいるマーカスやショーンの小ささや痩せた体、住居の粗末さから経済的な困窮がひしひしと感じられて、反論する言葉が出なくなった。




