77. 博士が増えました
千客万来とはこの事かもしれない――ローレンスが出発した翌々日。
入れ替わりにやって来たのはヒューイットと、そして久しぶりの――
「お久しぶりです、フェリシテ嬢!シンクレアでございますよ。いやーお会いしたかった! そうそう、こちらは友人のパトリックです。彼もブルーポピーを見たいと言うので連れてきちゃいました!」
――相変わらず声が大きい。
約2カ月ぶりに、またまた先触れなしにやって来た植物学者のドナヒュー・シンクレア博士に、フェリシテと使用人達はすでに懐かしささえ覚えていた。
2か月前に一泊していっただけだが、インパクトが強烈過ぎて脳に刷り込まれている。門番のベンジャミンも、もはや顔パスで通しているのだから、その存在感は抜群だ。
「お久しぶりです、シンクレア博士。無事にお手紙が届いた様ですね」
ジャスミンが満開になり、蓮とブルーポピーが数輪開花したので、先日フェリシテは約束通りにシンクレアに開花を知らせたのだ。
多分、博士は大喜びで手紙の到着と同時に王都を出発したのだろう。
先触れなしに来るとは思っていたが、まさか連れがいるとは思わなかった。
「ええ、丁度アカデミーは休暇に入った所でしたので、急いでやって来ました!おお、こちらはラザフォード伯爵では?お久しぶりですね、卒業以来です!」
「伯爵のご活躍は度々耳にしておりました。久しぶりにお会いできて光栄です。ご夫人におかれましては、初めまして――王立アカデミーで地質学教授をしております、パトリック・イルサンです。突然お邪魔しまして申し訳ありません。シンクレアから珍しい植物の話を聞いて、図々しくも彼に同行しました事をお許しください」
自己紹介したイルサン博士が丁寧に頭を下げる。
グレーの髪に優し気な琥珀色の瞳。シンクレアと同じ壮年のイルサンは、シンクレアと違っていかにも教授、と言ったインテリな雰囲気を纏い、紳士然としてフェリシテとヒューイットに微笑んだ。
博士二人がヒューイットに挨拶しているのを見て、そういえば、ヒューイットが王立アカデミーの学生で、かつて博士達の教え子だった事を思い出す。
「こちらこそ、よくお出で下さいました。もしかして蓮やブルーポピーをご覧になりにいらしたんですか?」
さすがヒューイット様。
先程別荘に到着してフェリシテの案内で庭を回っていた所へ、突然、学生時代の恩師に突撃されて度肝を抜かれたものの、動揺を綺麗に隠して何事も無かったように応対する。
フェリシテが感心していると、シンクレアが「そうなんですよ!」と興奮してまくし立てた。
「この2カ月、楽しみで楽しみで開花が待ち遠しくて、指折り数えていましたからね……!あっ、あれは噂の蓮じゃありませんか⁈何という芳醇な香り!凛としつつも艶やかなマゼンダ色の罪な姿!女神にも例えられる蓮のお姿ですよ!しかも何ですか、あの青い池⁉ここが西方の“あの世”と言うやつですか……⁈」
――あの世だと、我々はお亡くなりになっている事になる。
「その……あの世ではなく、“浄土”と言う場所かと思われますが」
フェリシテが訂正したが、シンクレアは聞いていない。
池の縁から蓮へ手を伸ばして池に落ち、危うく本当にあの世行きになりかけ、ヒューイットやジュールに救出される。
しかも救出されている間、水をはじく蓮の葉の撥水性に目を輝かせ、試験管で池の水をサンプル採取しているあたりがプロフェッショナルだ。
「ほう。青い池を個人のお宅で見られるとは珍しい。失礼ですが、僕も水や土を採取してもよろしいですかな?」
「は、はい。どうぞ、お気の済むまで調査頂いて結構ですので」
博士と言う人種は、試験管とシャーレが標準装備らしい。
シンクレアの騒ぎに動じず、マイペースに懐から試験管を取り出してサンプル採取の許可を取るイルサン博士にヒューイットは面食らっているが、フェリシテ達は慣れたものだ。
温室に案内すると、無数の花が甘い香りを漂わせるマツリカとブルーポピーを目にしたシンクレアが、言葉にならない雄叫びをあげて天へ両手を突き出し祈りをささげた後、がっくりと地面に跪いて土下座する。
「……芳しい香り。天使の羽のごとき純白のマツリカ。……そして、まさに……まさに神秘のブルー!ああっ、原産地以外でお目にかかれようとは……!何と美しい!このなめらかな曲線美。宝石に例えられるモルフォ蝶のごとき触れると壊れそうな儚げな花弁!今日と言う日をどんなに夢見た事か……ああ、瞬きするのも惜しいくらい、この姿を網膜に焼き付けておきたい‼」
「ははは、相変わらずシンクレアは感激屋だね」
シンクレアが感極まっているのと対照的に、呑気にイルサンは温室内を見学している。
池に落ちたシンクレアは入浴と着替えをした方が良いと思うのだが「ショクダイオオコンニャクの雌花にダイブした時より無害ですよ!」と笑顔で斜め上の答えが返ってきたので、よく分からないがそっとしておく事にした。
「以前、突如シンクレアの姿が一週間ばかりアカデミーから消えたので、どうしたのかと思っていたんですが、これは楽しいですねえ」
「あっ。……その節はどうも。心配していたんですが、生徒さん達の授業は大丈夫だったんでしょうか?」
ニコニコしてイルサンが言う話は、2カ月前にシンクレアがアカデミーの授業をうっちゃってやって来た時の事だろう。
冷や汗をかいてフェリシテが尋ねると、イルサンは朗らかに笑った。
「大丈夫ですよ。皆、シンクレアをよく理解してくれていますし、優秀ですから」
――何となく、生徒たちの苦労が忍ばれる。
いつもフェリシテの予想外のやらかしに対応しているヒューイットが、密かに生徒達に同情した。
「まあ、今回は学会をサボって来ちゃいましたけど、こちらに来て正解ですよ」
楽しそうに問題発言を口にしたイルサンに、フェリシテとヒューイットはお茶も飲んでいないのに吹き出しかけた。
「がっ、学会があったんですか……⁈」
聞き間違いであってくれ!との願い虚しく、イルサンと、話を聞いていたらしいシンクレアが平然と頷く。
「大した事ありませんよ。今回は国際学会じゃなくヴェルファイン国王主催の学会で、王族や貴族の後援者探しに有利だってだけですから。過去の論文を再編して発表する人もいて、あくびを堪えるのが辛いんですよね」
「そうそう。利益になるかどうかにしか興味ない人達なんです……!利益が出る研究だけが優れているわけではない。学問は知識の探究であって、人々の無明を照らす光ですよ。無駄な研究など一つも在りはしないというのに――」
イルサンが肩を竦める脇で、シンクレアがクッ、と悔しそうに顔を顰める。
成る程、二人は学者として純粋に学問と向き合い、真摯に知識を追い求めているのだろう。世俗的な価値観に従う事を良しとしない、立派な学者の鑑なのだと感心する。
「学問はね、浪漫なんですよ……!」
感心していたフェリシテとヒューイットの前で、くいっと眼鏡を押し上げ、シンクレアが力説した。
「我々は未知を開拓してゆく孤独な先駆者であらねば。誰かの追随者ではいけないのだ!……私はね、学会よりラザフォード領の方が面白いと見込んだのですよ! そしてその判断は正しかった。ラザフォード領は、ヴェルファイン王国の最後のフロンティアなのです!」
「あっ、あの裏山に伸びた水道管が温泉の輸送管じゃありませんか?後で裏山も拝見して宜しいですか⁈」
――純粋な知識の探究とは。
博士二人が探検したくてワクワクして瞳を輝かせているのを見て、ヒューイットが額を押さえる。
「……我が領は秘境ではないはずだが」
「ヒューイット様。お弁当と水筒はいかがなさいますか?」
同行する前提で尋ねてきたフェリシテの瞳が眩しい。
もはや裏山探検がピクニックと同列のお手軽さになっている。
ヒューイットは一瞬迷ったものの「……頼む」と答えた。
今日は贈られたジュエリーのお返しは何が良いかと話をしに来たはずのヒューイットの予定が、予想の上を行く裏山探検に変更されてしまった事に戸惑いを隠せない。
「――実は、使用人から宝の地図を貰ったんですよ……!なので、裏山に宝探しに行きましょう‼」
フェリシテの提案に、おお!と博士達がどよめく。
初耳の話にヒューイットは再び額を押さえてよろめいた。
――――聞いてない。ラザフォード領は本当に秘境だったのか⁈と軽く衝撃を受ける。
……まあ秘境だとしても、取り敢えずこれ以上、博士が増えなければ問題ないだろう。
国王主催の学会をサボってやって来る博士はそうそう居ないと思うが、サボった理由が裏山探検…………とてもでないが、万が一ラザフォード領に来ている訳を王に尋ねられて真顔で返答できる気がしない。
*
そんなヒューイットの苦悩をよそに、早速シンクレアとイルサンを伴ったフェリシテ達4人は先日登った屋敷の裏側でなく、山裾をたどって人気の無い草原をひたすら歩いていた。
もともと別荘は町から離れていて、周囲は草原ばかり。
手入れされていない荒野が広がっているだけなのだが、土壌に肥料分が少ないためか雑草は膝を少し超えた位の丈しかなく、石や岩がゴロゴロしているのに気を付ければ意外と歩き易かった。
「先日、レオンと言う使用人のご家族が病気なのでお見舞いに行ったんです。そうしたらレオンから、亡くなった祖父から聞いた“宝の渓谷”の話を教わったんですよ。どうも昔から別荘の裏山には不思議な言い伝えがあったらしく、宝が眠っていると言われていた様です。その言い伝えと言うのが――
『イルマリネーを称えよ。日の出にセイティヤの山が緑に輝き、アハティアは金と黒に染まる。ロヒカールの息を免れたティエタヤよ。ハルティヤーに導かれた者よ。ロヴィアタールに歓迎された者だけに門は開かれるであろう』
――と言うものらしいんです。これはもう血が騒ぎますよね⁈かなり古い伝承だそうで、祖父の祖父の時代からあり、少なくとも100年近く前からエインワースに伝わっていたそうなんですよ……!」
*ショクダイオオコンニャク:熱帯雨林で育つ巨大植物で大変臭い。




