72. 奥様は魔法使い⁈
休暇の休み明け。早朝に実家から辻馬車で屋敷へ戻って来たジェシカから、朝食後、突撃されたフェリシテは目を白黒させていた。
ちょうど執務室で開封せずに貯めていた手紙を読んでいた所で、執事のジュールから早く返事を書くよう小言を言われていたタイミングの出来事だった。
「奥様、有難うございます。お陰でメリッサの熱が下がり、今朝はテーブルで朝食を食べられるまでに回復しました……!」
ノックをして入室したジェシカが、瞳をウルウルさせてフェリシテに駆け寄り、興奮しながら口を開く。
え?とキョトンとしたフェリシテだったが、同じように驚いてポカンとしていたジュールに「……奥様、今度は何をされたんですか?」と、胡散臭そうに言われ、心当たりのないフェリシテはブンブン首を振った。
「何もしてませんよ⁈ だって、病気が治るなんて、お医者様じゃあるまいし……」
むしろ、どういう事かとこっちが聞きたい。
何か勘違いしてるんじゃないかと思ったフェリシテは、取り敢えずジェシカをデスクの前にある来客用ソファに座らせ、ジュールにお茶を淹れてもらい、詳しく話を聞く事にした。
「……先日、奥様からいただいたイチゴをメリッサに食べさせたんです。そうしたら、ポリッジ(オートミールのお粥)すら食べられなかったのに、美味しいって、たくさん食べたんですよ。それで、もしかしたらと思って、奥様に作っていただいたピクルスやビネガーを食べさせたり飲ませてみたら、全部食べれたんです……!お腹が空いているのかもと思って好きなだけ食べさせたら、その日の夜に熱が下がって、翌日には咳が止まって、今朝は調子がいいって起き上がれるようになったんです……!本当にびっくりしました……!」
「…………保存食で病気が治った、と?」
ジュールが戸惑いつつ、フェリシテをまじまじ見つめる。
「はい!」と迷いなくジェシカが頷き、フェリシテはキラキラ輝くジェシカの尊敬のまなざしが眩し過ぎて目が眩みそうになった。
ジェシカから説明されたが、調子が良くなった原因が保存食とは、にわかに信じられない。
風邪の時など熱がある時にピクルスやビネガーを食べて熱が下がるとか、そんな話は聞いた事が無いし、フェリシテも栄養補給にはなったが、食べて治った!と言い切れるような記憶はない。
「私が作ったのは、ビーツにブルーベリーとブラックカラントを入れたピクルスと、ラズベリーとローズヒップのビネガーです。ジュールは、それで熱が下がると思いますか?」
「いえ……。そこまでベリーだらけの物は食べた事はありませんが、それで治るなら民間療法として知れ渡っているはずです。聞いた事が無いので気のせいではとしか……」
「いえっ、奥様は魔法使いだと聞きました……!」
疑いにかかっているジュールが慎重な意見を口にすると、ジェシカがとんでもない事を言い出し、フェリシテとジュールはその場に固まった。
「――――ええと、その魔法使いと言うのは、一体どこから――――」
――そんな世にも珍しい絶滅危惧種になった覚えはない。
ヴェルファイン王国、特にラザフォード領では精霊信仰が根強く残っているせいか、はるか昔に滅んだと言われる魔法使いは、賢者と並んで良いイメージで捉えられている。
童話や絵本で好んで語られるせいか、大人も子供も魔法使いは今もどこかに存在すると信じている人が割と多いのだが――
「ロビンから聞きました……!奥様が青色のお茶をピンク色に変えたんですよね? 私がメリッサが元気になったって皆に話したら、教えてくれたんです」
――――心当たりがあった。
「……いえ、ジェシカ。それは誤解でですね――」
ロビンのは可愛い誤解だが、ジェシカのはシャレにならない。
早く訂正せねば、と思ったのだが、ジェシカが期待に満ちた目で追い打ちをかけた。
「実は、レオンとローリーも家族が病気なので、ぜひ奥様にご相談したいと言っているんです……!必ずお礼を致しますから、お願いできませんか……⁈」
「――――奥様、また水の色を変えたんですか⁈」
雷に打たれたように衝撃を受け、ジュールが食い気味に質問して来る。
ジェシカへの対応でいっぱいいっぱいになっている所へ、ジュールが興奮気味に参戦してきて話がややこしくなる。
何故水の色が変わるとテンションが上がるのか、ジュールのはまるツボがよく分からないが、妙な流れになってきた。
「……あの、メリッサが回復したのは、お医者様からもらった薬のお陰なのでは……?」
盛り上がっている所を悪いが、ごく当たり前の指摘をすると、ジェシカが「いいえ」と食い下がる。
「薬は先週から飲んでましたが、実は薬を飲んでも、あまり効果が無かったんです。それに、皆で作ったタルトやビスケットを食べた時は何ともなかったのに、奥様が作ったピクルスで元気になったんです。メリッサを直接ご覧いただければ、きっとビックリなさいますよ!」
力説するジェシカに押されていると、ジュールがスタスタと歩いて行って、おもむろに廊下に通じるドアを引き開けた。
「――――うわっ⁈」
「ひゃあっ⁉」
とたんに悲鳴が上がり、ドアの外側で話を立ち聞きしていた使用人達がなだれ込んで来て、フェリシテは全員が揃って立ち聞きしていた事におののいた。
「ジュールさん、突然開けるのは反則っすよお……!」
笑って誤魔化すレオンと、瞳をウルウルさせているローリーを先頭に、他の使用人達が瞳を潤ませ、両手を組み合わせたお願いのポーズをする。
「――奥様、お願いします!レオンとローリーの家族も助けて下さい……!ピクルスとビネガーの代金ぶんは皆でお支払いしますので……‼」
何という団結心か。
――これを断るのは勇気がいる。
「…………先にお断りしておきますけど、私は魔法使いではありませんよ。きっとメリッサの件は、何かの偶然で良くなったんだと思います。ピクルスとビネガーで回復しなくても、ガッカリしないで下さいね」
ピクルスとビネガーは、薬にならなくとも栄養補給にはなるだろう。
病気の家族のために何かしたいと言う気持ちは分かるから、断り切れなくなってしまった。
フェリシテの了承に、使用人達がレオンとローリーの肩を叩いて喜び、友情と思いやりで溢れる優しい空気にフェリシテが目を細める。
まあ、領民の生活実態を詳しく見る機会だと思えばいい。
これも領主の妻の役目かな、とフェリシテは苦笑して、さっそく出掛ける用意を始めたのだった。




