69.
玄関の扉を開けると、右手にキッチン、中央にそう大きくない木製のダイニングテーブルがすぐさま目に飛び込んで来る。
薄暗い室内は通りに面した窓から少々光が差し込んでいるだけで、天井にぶら下がったランプに明かりは灯っていなかった。
キッチンの脇に2階へ昇る階段があり、ダイニングテーブルの奥に扉がある。
古びてはいるが、掃除の行き届いた室内は清潔だ。
ただ、余計な物が無く、少々寂しくがらんとした印象を受ける。
――これは、とフェリシテは部屋を見回して思った。
視察で見て来たノアゼット領の農家より、暮らし向きはやはり厳しそうだ。
ラザフォードの方が冬は寒いのに、床にカーペットは無いし、壁は漆喰で塗られておらず、むき出しの煉瓦だ。
ここは木材が豊富で薪には困らないだろうが、冷気を遮るものが無くて暖かい空気が逃げてしまうだろう。
「狭くて驚かれたでしょう?ソファがありませんので、すみませんがイスへどうぞ」
ジェシカにダイニングのイスを勧められ、フェリシテは抱えていたベリーの木箱をテーブルに置き、イスに腰掛ける。
ジェシカがやかんに水を入れてかまどの火を起こしていると、2階からドタドタと駆け下りて来る小さな足音が聞こえて来た。
「おねーちゃん帰って来た?おかえり!今日は何買って来たの?」
はしゃいだ元気な声が響いて、階段の所にちびっ子ふたりが姿を現す。
ジェシカの弟らしき子供達を見上げていると、ふたりは見慣れない人物のフェリシテと目が合ったとたん、がちっとその場に固まった。
「こら!いつも静かにって言ってるでしょ?お客様がいらしてるのよ。ご挨拶なさい!」
お姉さんらしく、腰に手を当てたジェシカが叱ると、ちびっ子たちは目を真ん丸に見開いた。
「――お、お客様って、女騎士様⁈何でここにいんの?」
「うわあ、騎士様!カッコイイ!剣見せてくれるかな⁈」
ふたりの年は7~8歳前後か。まごつく少年の後ろで、年下らしき少年が目を輝かせて前のめりになる。
「うわっ、押すなよバカ!」
「僕、ごあいさつしたい、兄ちゃん、早く早く!」
「……もう、ふたりとも危ないじゃない……!」
階段でわちゃわちゃもみ合い始めたのをハラハラして見ていると、慌てたジェシカがすっ飛んで行き、猫の子みたいにふたりの首根っこを掴んで階段を降りて来る。
大人しくぶら下げられたままの子供達を見たフェリシテは、つい笑いそうになって、急いで顔を引き締めた。
「奥様、こちらが10歳の上の弟のマーカスで、こちらが8歳の下の弟のショーンです。ほら、ふたりとも、お行儀よく『こんにちは』のご挨拶は?」
10歳と8歳?と、フェリシテは床に降ろされたふたりを見返した。
体が小さくて、もう2~3歳は年下に見える。
デビットや小姓のロビンもだが、ラザフォード領の子供は総じて小柄だ。
「「騎士様、こんにちは!」」
ジェシカに言われた通り、声を揃えて、行儀よくぺこりと頭を下げる男の子達が微笑ましい。
「こんにちは。お姉さんのお友達でフェリと言います。お邪魔しますね」
「お、奥様……⁉」
"友達"の言葉に反応して青褪めるジェシカだったが、「この子達に奥様って呼ばれると目立つので、ちょっと……ジェシカもフェリでお願いします」と小声でお願いすると、少々悩んだ末に頷いてくれた。
一応、街の人達にはギリギリまで領主の妻だとバラしたくない。
せっかく皆と馴染んだのに、距離が出来たら切な過ぎる。
一方、ジェシカの戸惑いを知らないマーカスとショーンは、興味津々でイスに座るフェリシテを取り囲み、遠慮なく上から下までフェリシテの恰好を見回した。
「フェリさん、どうやって騎士になったの?」
「女騎士様!うわあ本物の剣だ‼すげえ、触って良い?」
大興奮ではしゃぐふたりを再び捕まえようとするジェシカを、笑いながらフェリシテは制した。
「残念ながら、私は正式な騎士じゃなくて、ただの剣士ですね。剣は危ないので、鞘に触るのは良いですよ」
フェリシテが携帯しているのは、扱いやすい片手剣のスモールソードで、鞘は木と革で出来ている。
鞘の一部に補強のため、アラベスク文様を打ち出した金属をつけており、その優美な装飾が騎士っぽく見えるかもしれない。
――実は、各地に配属された警ら隊の方々はラザフォード騎士団所属なので、彼らこそ本物の騎士なのだが、地域に馴染むために私服なうえ、実用重視で鞘に装飾を入れている人は滅多にいない。
そして本人が好きな武器を携帯しており、ダガー(短剣)の二刀流や、サーベル、ファルシオン(幅広の剣)、はてはハルバード(槍斧)を使う者もいる。
多分、この子達の中では、古典的な童話に出て来る様な剣を持つ人が騎士様で、フェリシテが丁度イメージに合ったのだろう。
フェリシテに許可されて恐る恐る鞘に手を触れた小さな兄弟は、ひんやりと硬い感触に感動した様子で溜息を吐いた。
「かっこいい……!」
「近くで見たら、剣ってすごく大きい……凄いね!カッコイイね!」
男の子たちの琴線に触れたのか、瞳を輝かせながら二人はしきりに鞘を触っていたが、何かしでかすんじゃないかと、不安で顔を強張らせているジェシカの限界が来る前にフェリシテは二人の関心を逸らすことにした。
「あ。そういえば、病気の妹さんがいるんですよね? お見舞いに来たんですが、調子はどうなんですか?」
お湯が沸いたので、ジェシカがいそいそと皆の分のお茶を淹れて来る。
カモミールの甘い香りがする木製のマグカップをテーブルに置いたジェシカが「妹は――」と口を開こうとした瞬間、フェリシテは男の子たち二人にグイッと手を引かれ、焦ってイスから立ち上がった。
「メリッサお姉ちゃんはこっちだよ!」
「今日はお熱で寝てるの。フェリさん、こっちこっち!」
「ひっ、ひえぇ!あんた達……奥様になんて事をーー‼」
フェリシテの手を掴んで引っ張る兄弟を目にして、ジェシカが卒倒しそうになる。
冷や汗をかいて追いかけるが、兄弟たちの方が早かった。
やんちゃな二人はそのまま奥に見えていた扉を押し開け、フェリシテは引っ張られるまま、勢いよく奥の部屋に転がり込んだ。
――部屋に入った兄弟たちは、ぱっとフェリシテの手を離して窓際のベッドに横たわる小さな女の子に駆け寄った。
見回す部屋は、奥に小さな窓があり、窓際にふたつベッドが並んでいる。
ベッドの枕元には水差しと、たらいが置かれたサイドテーブルがあるだけで他には何もなく、その殺風景な室内の二つのベッドの片方に、薄い毛布を掛けた少女が額に濡れタオルをのせてひっそり横になっていた。
「お、奥様、申し訳ありません……!お怪我はありませんか⁈」
青い顔をしたジェシカがすぐさまやって来たが、フェリシテは「大丈夫ですよ」と苦笑した。
突然、手を引かれて驚いたが、それだけで何事も無い。
「それより、妹さんを起こしてしまったのでは……」
蒼白い頬に汗で濡れた髪がはり付いた少女がベッドの上で苦しそうに咳き込んだ後、ぱちりと目を開け、周囲を見回す。
枕元に兄弟が群がって見つめる中、少女はゆるゆると頭を動かし、囁くような声を発した。
「いえ……先ほどから声が聞こえていたので起きていました……。お客様、こんな格好で済みません。ジェシカの妹のメリッサと言います」
年のころは10歳くらいに見えるが、言葉使いから、もう2~3歳上だろう。
それにしても小柄過ぎるし、あまりにか細い。
「ジェシカの友人のフェリです。今日は体調が悪いところ、お邪魔してすみません」
挨拶をすると、メリッサは微笑んで「いいえ、ありがとうございます」と答えた。
喋るのも億劫そうで、フェリシテは大人しくタオルを濡らしてメリッサの額にのせる兄弟の姿を見ながら、ジェシカに話し掛けた。
「何の病気なんですか?」
「……お医者様の話では、心臓だと。他には貧血も酷くて。去年まではちょっと体が弱くて時々寝込む程度だったんですが、冬頃からベッドから降りれなくなって、最近、頻繁に熱が出る様になった様です」
――そうなのか。
何かを堪えた様子のジェシカが、ぎゅっとエプロンを握りしめた。
確か、ジェシカの家は4年前にコレラで父親を亡くしてから母子家庭になっている。
ジェシカは今、16歳なので、12歳で父親を亡くした事になる。
幼い子供を4人抱え、女手一つで育てて来たジェシカの母の苦労が忍ばれる。
ラザフォード領ではコレラで家族を亡くした人が多く、親を亡くした家庭では、ほとんどが経済的に厳しい生活を強いられいるのを、フェリシテは嫁いできて初めて知った。
「でも、おくさ……いえ、フェリ様のお陰でお給料が増えたので、お医者さんに診てもらえたんです。薬ももらえましたし、本当に感謝しています」
ジュールのアドバイスを聞いて良かった、とフェリシテは思った。
医者の診察はかなり高額で、余裕のない暮らしをしている人達は医者に滅多にかかれない。
バイト代がメリッサの役に立っているのは喜ばしい事だった。
「さ、マーカスにショーン。メリッサのお休みの邪魔しちゃダメよ」
「……うん。でも、もうちょっとお姉ちゃんと一緒に居ちゃダメ?」
「静かにしてるから、もうちょっとだけ!」
気を取り直したジェシカが声を掛けると、メリッサの枕元から離れない兄弟達は、名残惜しそうにぐずりだした。
この様子だと、メリッサを休ませるために兄弟は部屋の外に追い出されていたらしい。
「……お姉ちゃん、私は大丈夫だから、フェリさんとゆっくりしていて。私、昨日より大分楽になったの……お薬が効いてるんだわ」
健気に微笑むメリッサと、子犬の様な瞳で懇願して来る兄弟に負けたジェシカが、仕方なさそうに溜息を吐く。
「分かったわ。うるさくしたら、直ぐに追い出すからね!いい子にしてるのよ?」
「はーい!」
念を押すと、男の子たちが嬉しそうに返事を返す。
心なしかメリッサも嬉しそうで、本当に家族仲が良いのだなとフェリシテは微笑んだ。




