68. 使用人ジェシカ
ヒューイット達の訪問の翌日。
フェリシテはエインワースの市場を歩いていた。
とんぼ返りで帰ったヒューイットに大量のお菓子をお土産にしたものの、まだ沢山あった牛乳と卵を消費するため、今日は流民の件でお世話になっているパスキン・ガラス工房と民宿、警ら隊にもお菓子を差し入れしに来たのだ。
渡して帰るついでに市場の様子を見ようと思ったのだが、コレラの不安が払拭された人々は一様に明るい表情で買い物を楽しんでおり、どの店も経済損失を取り戻す勢いで活気に満ち溢れていた。
――良かったと嬉しくなる一方、今朝の新聞記事を思い出して複雑になる。
久しぶりに今朝届いた新聞には、コレラがラザフォード領以外の北部の領地に拡大しており、南部へ広がらないで済んだのはラザフォードの街道封鎖が早かったからだと、ヒューイットの判断を賞賛する記事が掲載されていた。
ヴェルファイン王国では、過去の歴史によると、おおよそ10年周期で大規模な伝染病に見舞われており、以前のコレラの大流行がちょうど10年前。
今回も、実は王国全域を襲う災禍になるはずだったのでは……と推測されていた。
つまり、大災害になるのをラザフォード領が防いだ、と指摘したのだ。
これは大袈裟な話では無く、フェリシテが9歳の時に王国中にコレラが蔓延し、5人に一人が感染。死者は約8万人と言う未曽有の大災害となり、連日、火葬の煙が空を鉛色に染めた。
――しかもこの国難に乗じて、隣国のリーデルハイト王国が国境へ攻め込んで来て危うく突破されかけたという苦い経験があり、この時の話は、決して警戒を怠らない様に、との戒めとして今も語り継がれている。
今回、ラザフォード以外の北部の領地でコレラの死者数が膨れ上がっており、一歩間違えば大災害だったと言う指摘はあながち間違いではなさそうだった。
イメージアップは嬉しいのだが、ハーベイが言っていた通り、ラザフォード領に期待して大勢の人が流入してくると困る。
実際のラザフォードはまだ生活が安定していない領民が多く、仕事も豊富にあるわけではないから、移動してきた人たちが生活に行き詰まる恐れがあり、人口が増えても手放しで喜べないのだ。
人々の雇用を生む産業が必要だと思うが、なかなか良いアイディアが浮かばない。
――いつもの屋台の商品を買い込みながら市場の通りを馬を引いて歩いていたフェリシテは、前方の、とある店の前で立ち止まっている、見覚えある少女に気付いて足を止めた。
少女は屋敷の使用人で、雑役女中をしているジェシカだった。
ジェシカの家はこの市場の近辺で、昨日から3日間、妹の病気が悪化したとかで休日となっていたはずだ。
彼女はいつものメイド服のお仕着せでなく、青灰色のカートル(ワンピースに似た服)にエプロン姿で八百屋の屋台の店先を、一心不乱に凝視している。
手にカブや玉ねぎが入った手提げカゴを持っているので買い物中なのだろうが、行こうとして戻り、迷った様に立ちすくんで……を繰り返しており、気になったフェリシテはそのままジェシカへ近付いた。
「ジェシカじゃありませんか、どうしました?」
声を掛けると、「ヒャッ⁈」と妙な声を出したジェシカが飛びすさる。
胸元を押さえて慌てるジェシカだったが、近付いて来たのがフェリシテだと気付いてホッと息を吐いた。
「お、奥様……どうしてここに……?」
「もちろん買い物ですよ。ジェシカはお休みですよね?妹さんの調子はいかがですか?」
「買い物?」とジェシカが唖然とする。
これまでフェリシテを、気さくで少々変わった方だな、と思っていたジェシカだったが、ここまで気ままに市場をぶらついて買い物する貴族夫人は聞いた事も見たことも無かった。
騎士服の女性は珍しいはずだが、市場の人達が誰もフェリシテを気に留めていない事から、普段から市場に買い物に来ているのだと察するのに時間はかからなかった。
「よく来るんですよ。こちらの屋台にはナッツを買いに来ます。種類が豊富で、良い物を仕入れているんですよね。今年の秋には栗を大量予約してるんです」
マロングラッセを作るつもりなのだが、それを知らないジェシカは、栗を大量購入する貴族夫人って一体……と開いた口が塞がらない。
そのうち別の客の接待が終わった店員の中年女性が、二人の姿に気付いて声を掛けてきた。
「あら、フェリさんじゃない、いらっしゃい!ジェシカもどうしたの?やっぱりベリー買ってく?」
「あっ……いえ、私は……」
ジェシカがチラリと困った様に見た視線の先には、カゴに盛られたラズベリーやストロベリーが並んでいる。
この屋台は八百屋で、ジェシカが持っている買い物カゴには野菜が入っており、店員の言葉からみて、野菜を購入したものの、ベリーを買うか迷っていたのだろう。
「そうだ。ここで会ったのも縁だし、病気の妹さんのお見舞いをさせてもらっていいですか?」
「え?あ、はい⁉あの……構いませんが、うちは狭くて汚いですよ……⁈」
突然の申し出に驚くジェシカに、フェリシテはニッコリ笑った。
「ジェシカがよろしければ、お見舞いしたいんですが。あっ、ベリンダさん、ここにあるベリー類をひと山ください!」
「ひとやま⁉」
「ははは、相変わらず豪快だねえ!プラムをオマケしたげるよ。毎度あり!」
慣れっこの店員が大笑いして、小ぶりな木箱にベリーを詰め込む。
あんなに沢山、一体どうするんだ⁈と見守るジェシカの前で、フェリシテはひょいと馬に木箱をくくりつけ、ジェシカの家に向かった。
*
「凄い量のベリーを買われましたね……ジャムにでもするんですか?」
「いえ、妹さんのお見舞いのお土産にしようかと思ったんですが。多いですか?」
ひとかかえはある木箱を、物珍しそうに見ていたジェシカが動揺する。
「お、お土産ですか⁈ここまで大量だと、うちの3、4年分くらいになりますよ……⁉貴族の方は、これが普通なんですか?凄いですねえ」
――ジェシカに、間違った貴族の常識が植え付けられる。
世の中広しと言えど、木箱でベリーを買い込んでお見舞いのお土産にするのはフェリシテくらいのものだが、大雑把なフェリシテは「ええ、これが普通なんです」といかにも当然のような顔で頷いた。
引きこもりで友人が皆無なフェリシテは、マナーブックに書いてあった、
『病気の方のお見舞いには、手土産を持参しましょう。さり気ない気遣いでお相手を労わりましょう』
……と言うのを参考にしたのだが、加減が分かっていなかった。
「3,4年分ですか?……ジャムやビネガーにすると、あっという間に消費しますよ」
以前から、ラザフォード領民の人達の生活がどうなっているのか実態が知りたかったフェリシテは、ジェシカの言うベリーの消費の少なさに目を丸くした。
ベリーの価格はそう高くないのだが、庶民の視点からだと贅沢品になるのかもしれない。
ジャムだと砂糖も使うからだろうか?
そう思っていると、ジェシカが恥ずかしそうにもごもご言った。
「あの……多分、うちは奥様が思ってらっしゃるよりも貧しいんです。恥ずかしながら家はボロボロで、ろくにおもてなしもできませんが……その、ここが私の家です。よろしければ、どうぞ」
同じような家が隙間なく立ち並ぶ、通りの一軒の家を、ジェシカが指差す。
そこはひと際古びて年季の入った木造二階建ての家で、軋む扉を押し開け、ジェシカはフェリシテを中に招き入れ、「ただいま!」と家の奥に声を掛けた。




