67. ハーベイとオリバーの訪問
*センシティブな内容が含まれますので、ご注意ください……!
「ほ、ほんじつはお日柄も良く……その、り、領主様に於かれましてはご機嫌うるわしく……」
頭の中の敬語を総動員して、平身低頭で挨拶するハーベイの額がテーブルに激突する前に、ヒューイットは冷や汗をかきながら押しとどめた。
「ハーベイという名の、ガイル領から来た流民だな。君の事はフェリシテ嬢から聞いている。そうかしこまらずに楽にしてくれ」
ガチガチに緊張した様子のハーベイの隣で、オリバーが声を掛ける。
「うちの領主様は優しいから、大丈夫ですよ!いつも視察で領民とお話されてるんです。奥様のフェリ様も親切でしょう?顔を上げて下さい」
「はあ」とハーベイが恐る恐るソファに座り直す。
「――まさかフェリシテ様が領主様の奥方とは……ラザフォード領は違うんですねぇ。うちの領主様なんか声を掛けるのも許されないわ、奥様なんか俺達をゴミ扱いだわ、同じテーブルに着いて、こんな上等なお茶とお菓子でもてなされるなんて、太陽が西から登ってもあり得ねぇですよ」
一般的には貴族が平民とお茶をするのはまず無いから恐縮するのは分かるが、領主の奥様にゴミ扱いとは……こんなに怯えて、故郷でどんな待遇をされているんだ……とフェリシテとヒューイットは固まった。
「ガラス工房のお仕事はどうです?ご紹介したままで見に行けてませんでしたが、問題などはありませんか?」
いきなり仕事場に連れて行った自覚があるフェリシテが、ドキドキしながら尋ねると、ハーベイとオリバーはニッコリ笑って口を開く。
「お陰さまで、皆で働けて楽しいし、住むとこも用意してもらって、まさか身分証も無いのにこんなにしてもらえるとは思ってもみませんでした。他の皆も感謝してます。領主様も奥様も有難うございます……!」
「今日はガラス瓶を搬入がてら、ハーベイがお礼がしたいと、ガラス工房で働く流民を代表して来たんです。皆、領主様とフェリシテ様に感謝しています。ガラス工房の方も民宿の方も良い方達で、流民の方ともすっかり馴染んで仲良く仕事しているんですよ」
「それは良かった」
思いがけずもたらされた良い報告に、ヒューイットの表情も緩む。
フェリシテがお菓子を勧めると、オリバーとハーベイは喜んでお皿に盛られたお菓子を頬張った。
「これは他の者には内密にして欲しいのだが、君の故郷のガイル領について調べていた。今はコレラの流行で調査がストップしているが、コレラが流行する直前の調査では、君の故郷のカディフ村に人の気配があったそうだ」
「えっ⁈」
ヒューイットが言うと、ハーベイが驚いて目を見開く。
「――もしかして、誰かが村に戻って来たのかも……⁈」
喜色を浮かべるハーベイに、ヒューイットは続けた。
「少なくとも5軒の家で、人が生活している様だ。だが、声を掛けようとすると逃げるらしく、誰がいるのかまで分からないらしい。かなり他人を警戒して生活している、との事だ」
「……領主の奥様からのお金の取り立てを警戒しているんでしょうか?でも、良かったですね、ハーベイ。村に戻れたら、また知り合いに会えますよ!」
オリバーが自分の事の様に喜び、その場は明るい雰囲気に包まれたが、ヒューイットは冷静な態度を崩さなかった。
良いニュースだが、根本的な問題である、ハーベイ達が故郷に無事帰れる未来が不透明なせいだ。
「――何か気掛かりでも?」
考え込んでいるように見えるヒューイットに、フェリシテが声を掛ける。
「……ああ。流民のこの先について考えていた。リュドミル領も調査したが、流民が出ているルアーブル町の海辺の地域では傭兵がうろついていて、領民から話を聞けない状態らしい。誰かが傭兵を雇って町を監視している様だ。——今は良いが、コレラで封鎖が解かれた後の流民たちの処遇をどうするか考えている」
「……俺達はエインワースに流れ着いたから幸運に恵まれたが、本来は強制送還になるはずだからなあ」
ハーベイが諦め混じりに苦笑する。
「仕方ありませんよ。身分証の再発行に行けば領主に捕まるが、ここに居残ってもガイル領の追っ手が来るだろうし、送還後に何とか身分証を回収して逃げて、各地を転々として暮らすだけでさ」
恐らくそうするしか無いのだろうが、犯罪者でもないのにガイル領主から逃げ回るなんて、と理不尽な気持ちになる。
――切ない空気が流れた時だ。
「君達の為に、ガイル領主やリュドミル領内の不審な動きを国王に伝えることは出来るが、過去の事例を調べたら、国の対応は領主には厳重注意が下されるのみ。領民は結局、故郷へ強制送還されてしまい、領主や周囲から嫌がらせされて再び流民になっていた。状況の悪化を招くだけで改善には程遠いらしい。何とかしたかったが、力になれなくて済まない」
突然、真面目腐った顔でヒューイットが謝罪し、場が凍りついた。
「――――この方は、神か⁈」
一瞬の間のあと、感激した様に叫んだハーベイがヒューイットに向かって手を合わせて拝み、オリバーも「お調べ下さったのですね……」と瞳をキラキラさせる。
フェリシテも思わず手を合わせようとして、慌てたヒューイットに制止された。
「寄ってたかって拝むのは止めろ。何も解決していないんだぞ」
……まあ、災害の救済金を領民の負債にするガイル領主と比べたら、拝みたくもなる。
先日デビットに聞いたが、ヒューイットは農民の小麦収入が増加したが、今年は税金を据え置いてくれたのだと言う。もちろん、もれなく領民からも拝まれている。ラザフォードではヒューイット様崇拝が、今熱い。
「大丈夫です、国の対応がポンコツなのは、みんな知ってますから!」
――――それもどうかと思う。
しかし、全てを受けとめたハーベイは力強く言い切った。
「偶然こちらに来れて、世の中捨てたもんじゃないと思えた事を感謝してます。このご恩は決して忘れませんよ……!」
「ハーベイ……」
大変な運命に巻き込まれている、彼の幸運を祈らずにいられない。
――だが、次の瞬間、ハーベイからとんでもないセリフが繰り出される。
「それに、もっと大変なのは俺より領主様やフェリシテ様ですよ。コレラが収まって封鎖が解除されたら、ラザフォード領にコレラ被災領からどっと人が押し寄せますよ。覚悟してた方が良いです」
「――――は?」
ハーベイ以外が話を飲み込めずに瞬きする。
すると、ハーベイは「気付いてないんですかい?」と首を傾げた。
「コレラを早々に鎮静化し、小麦価格は上昇。ミョウバン水の評判も広まって、今やラザフォード領は周囲から注目の的ですぜ。今回コレラが流行した地域は、長期の封鎖で経済的ダメージを受けてる。そうなりゃ、好調なラザフォード領へ人が押し寄せます。ローゼル商会がガラス瓶の注文をしに来た時に聞いたが、王都でミョウバン水がかなり話題だそうですよ。何でも止血剤として使うからと騎士団の医療班が買い求めたり、庶民の間では自分で作る服の染め物に使えるからと、相当な注文が舞い込んでるそうで」
予想外だった指摘に、ヒューイットとフェリシテが硬直する。
――これまで、ラザフォード領だけがコレラの流行を免れたことなど無かったので、ヒューイットですら、そんな可能性があると思い至っていなかった。
「ミョウバン水は確かに売れ行きがすごいと聞きました。しかし、染め物?にも使えるんですか」
オリバーが疑問符を浮かべたので、フェリシテが説明する。
「ミョウバンは染料の色を鮮やかに定着させる性質があるんですよ。庶民は普通、木の灰で染めたりするんですが、色がくすんだり暗い色になりやすいんです」
「そう。仕立てた服を購入する貴族の方達は知らんでしょうが、平民は自力で仕立てます。俺の服は母親が作ったんですよ。多分、若い女性たちはミョウバン水でスカーフを自分の好きな色や綺麗な色に染めてお洒落したいんじゃないですかね」
ハーベイが同意し、オリバーは感心した様子でしきりに頷いた。
「あと、騎士の方なんかだと蒸れますからねぇ。サラッとして臭い対策にもなるとすりゃ、そりゃあ使いますよ」
「水虫の方ですか?革のブーツだと、どうしてもね」
もう臭い話に慣れて来たフェリシテが余裕でニッコリすると、ハーベイも笑顔を返した。
「いや、馬に長時間乗る騎士様にゃ救世主ですよ。蒸れると地獄らしいですからね!尻のインキ○タム……」
「――――ッ⁈」
「は、ハーベイ……!それ言っちゃダメなやつですよおおお…………‼」
紅茶にむせるフェリシテとヒューイットの前で、オリバーが悲鳴を上げる。
――そしてまた一つ、騎士たちの真実を知ってしまったフェリシテは、そっと遠征用のミョウバン水・携帯サイズ120ml 400ディールを販売し、さらに売り上げを伸ばしたのだった。
* ミョウバンについては通説を用いています。
他には食品にも使われていて、漬物の色を鮮やかに保ったり、煮物の
の崩れ防止にも使われています。
医療以外にも色々使える、お役立ち品。現在はお手ごろな値段ですが、
中世には高価だったそうです。
実際に利用される時は安全性を確保するため、販売メーカーの説明書を
よく確認し、医師、薬剤師等へご相談下さい。




