62. ブルーウォーター
ーー10日後。
無事、ミョウバン水2万本を汲み終わり、ローゼル商会へ引き渡した屋敷は閑散としていた。
ミョウバン水の引き渡し後、屋敷を大掃除してからバイト料を支払い、使用人全員を丸一日の休日としたからだ。
バイト料を手にした使用人達は、大喜びで実家に渡しに行ったり、街に買い物に出かけた。
屋敷に残っているのは、フェリシテとウォルター、執事のジュールくらいだ。
ちょうど使用人用入浴所と、ついでに庭に造ってもらった池が出来上がったので、フェリシテは発芽してからかなり大きく育った蓮を鉢から池に移し替えた。
それから水を入れて様子を見ていたのだが、そこへ暇そうなウォルターとジュールがやって来た。
「良いですね、水漏れもなさそうだし」
睡蓮の池と隣接した場所なので、順調に水が溜まる。土質は問題なかったようだ。
蓮池周りに設置した岩の周囲に、ホスタやアジュガ、ヒューケラと言ったカラーリーフを植えて完成させた頃、良い感じに水が満杯になる。
フェリシテが作業する間、ウォルターとジュールには池におかしい所は無いか確認してもらっていたのだが、いつの間にか二人共、じっと池の中を覗き込んで動かなくなっていた。
「? どうかしましたか、何か問題が?」
立ち上がり、急いで二人の元へ駆け寄ったフェリシテは、目をキラキラさせている二人に気付いてギョッとした。
「奥様、これってどうやったんですか⁈」
「何だこりゃ、何でこうなるんだ? いやあ、びっくりしたわ‼」
何のことやら分からず、首を捻ったフェリシテは、二人に言われるまま池を覗いて飛び上がった。
「ーーあ、青い! 水が青くなってる⁈」
しゃがんで作業していたから気付かなかったが、池に満杯に溜まった水が、まるで今日の晴れた空を映し取ったように淡く明るいブルーに染まり、日の光を浴びて煌めいている。
絵具を溶かし込んだような透明で綺麗なブルーの色は目が醒めるほど美しく、神秘的だった。
「これ、皆が帰ってきたら驚きますよ!観光地になったら、どうしましょう⁈」
「奥様、ちょうどいいから、池の脇にシートを敷いてお茶にしようや!俺、ビスケット持ってくる!」
盛り上がる二人のテンションに巻き込まれ、少々早いお茶会に突入したフェリシテだったが、お茶と言うのは何だったのかーー何故かワインとチーズが用意され、そのまま宴会に突入してしまった。
*
「ーー恐らく、ミョウバンが存在している事からも、このあたりの土壌に含まれたり、水中に溶けているアルミニウム等の粒子に光が反射した結果、水が青く見えているんだと思うんですよ」
「ほう、フェリシテ様は博識ですね。いやあ、フェリシテ様はいつも楽しい事をされてますね!」
ーーまるでフェリシテがやらかしている様な発言だが、全くの誤解である。
池の水が青くなって、多分、一番動揺しているのはフェリシテだと思う。
睡蓮池のほうは池の底から湧水が出ているらしく水の透明度が高いのだが、浅くて藻が茂っているからか、水が青く見えない。
もしかして池の底を掃除すると青く見えるかもしれないが、それをすると本格的に観光地にされそうで恐ろしい。
ご機嫌なウォルターとジュールと真っ昼間から始まった宴会に、いいタイミングでやって来たルマティと部下たちが加わり、池のほとりはもうカオスになっていた。
ミョウバン水の売上金を持ってきたルマティ達が、池の水が青い事に驚愕し、大はしゃぎになって花見ならぬ池見の宴に参戦し、馬車に積んでいた珍しい果物やジンジャービア(生姜入りビール)、シャンティ(ビールをレモネードで割ったお酒)を提供してくれたため、さらにテンションが上がっている。
ウォルターが、シャンティのおつまみにと、チコリを畑から採って来て、クルミとワインビネガーをまぶしたサラダを作って来る。
ジンジャービアにはソーセージが合いそうだと、ジュールもソーセージを焼いて来て、蓮池の隣の睡蓮の池では白や黄色の睡蓮が咲き、周囲ではウォーターアイリスやヘメロカリスも見頃になっていて、良い感じで宴会を彩ってくれて、空は快晴ーー予定外ではあったが、楽しい宴会になっていた。
「お仕事は大丈夫なんですか?部下の方々が飲んじゃってますけど」
「今日は仕事がない訳では無いんですが、お陰様で小麦とミョウバン水が大好評でして。上司から『ラザフォード領が今熱いので、他の商品も開拓してこい!』とのお達しで、数日の間、市場調査する予定なんです。あのビール類は通りがかったロクス領で試飲用に買った物なんですが、ウォルター様やジュール様にも好評のようですね。試しに仕入れてみても良さそうです。ーーただ、やみくもにラザフォード領や近隣を探し回るより、フェリシテ様がされる事の方が、面白ーー失礼。インパクトのある物をご提供いただけそうなんですよねぇ」
ーールマティの眼が、ブルーに輝く池に釘付けになっている。
蓮が咲いたら、観光地にしましょう!と言われたらどうしようかと、内心震える。
フェリシテは急いで「ははは」と笑って誤魔化し、速攻で話題を変えた。
「そうなると、ラザフォード領の街道を早く整備しないといけませんね。整備できれば、今より早く安全に商品が運べますから……!」
現在、街道を整備しているが、ほんの一部だけで、まだまだ完成は先になりそうなのだ。
道幅が狭く、穴ぼこと段差だらけの道は何かと不便なので、早く整備されると良いのだが。
「その点に関しても、今回、下見に来たんです。ローゼル商会でラザフォード領が今後は重要な取引先になるので、以前お約束しました街道整備を支援致します」
にっこり笑ったルマティに、フェリシテは顔を輝かせた。
「本当ですか⁈それは有難いです!」
「ええ。それについてご相談があるので、少々お庭を散策などしながらお話を伺っても宜しいですか?」
ルマティが立ち上がり、フェリシテも後に続く。
ウォルター達が調子はずれの歌を歌い出したのを横目に、二人は近くのバラ園へ足を向けた。
「ーー失礼ですが、フェリシテ様はご実家には帰省されませんよね?」
「え?ええ」
皆に、こちらの話声が聞こえない位置まで歩いて来たとたん、不安そうに問いかけるルマティにフェリシテはキョトンとした。
実家のノアゼット領に帰る予定など無いーーと思いかけ、あっ!と声を上げそうになった。
ーーそう言えば、忙しくてすっかり忘れていたが、そろそろ妹のエルヴィラとカシアンの結婚式のはずだ。
出席する気はないが、あの妹の性格上、招待状を送ってこないはずが無い。
……とすると、何も言わないが、ヒューイットが招待状が来ている事をフェリシテに知らせず、握り潰しているのかもしれないと思い至る。
「それを聞いて安心しました。ーー老婆心で申し上げますが、帰省されたらラザフォード領へ戻って来られなくなると思いますよ。ノアゼット伯爵が圧力をかけて新聞記事になっていない様ですが、ノアゼットは大街道沿いなので、ローゼル商会の者が様々な噂話を拾って来るんです。ーーグランデ―ルは今、支援が届かず困窮しているそうです。かなりこじれているので、介入すると巻き込まれてしまいます。私としては、フェリシテ様にはラザフォード領に居ていただきたいので、そのお返事を聞いて安心しました」
「え?」
グランデール?
フェリシテは、ノアゼット領の端にある小さな村の名前が出てきた事に驚いた。
農業が主産業で100軒足らずの家しかない、のどかな田舎の村の名である。
「ーー結婚式のお話ではないのですか?」
「結婚式?ーーああ、妹君のですか?……おや??もしかして、グランデールの事はお聞き及びでないですか?」
ーーーーーーグランデール?何の事だ?
ーーそこでフェリシテは、ルマティの口から、現在、ノアゼット領で持ち上がっているとんでもない話を聞く事になった。
*
ルマティから、詳しくグランデ―ルの水害とエルヴィラの失態を耳にしたフェリシテは、頭痛をこらえて額を押さえた。
ーーエルヴィラがそこまでお馬鹿だったとはーーと涙が出そうになる。
おまけに父の被災地対応の杜撰さも、悪い方に予想を超えていた。
「ーーもう半月が経ちますが、救援が遅々として進まず、被災地では今も井戸が使えず、村人が次々体調を崩しているそうです」
フェリシテが知らないのを意外そうにしつつ、ルマティは現状を教えてくれた。
「ノアゼット伯爵の初動が遅かったのとエルヴィラ様の件もあって、被災者達や近隣のボランティアの方々と対立したらしいのですが、その後の支援を手抜きしていると、現地では悪評が立っています。そんな中、被災地を無視して豪華に娘の結婚式を挙げると言うんですから、私も驚きました」
普段笑顔のルマティだが、明らかにドン引きした口調で言う。
その気持ちは分かる。
しかし、半月も前に被災していたなら、ヒューイットが知っていたのではないか?
それなのにフェリシテに知らせなかったのは何故だろうか?
「もっと驚いたのが、グランデールの被災地救援はフェリシテ様が担当だと言われているんです。被災地の噂ではなくて、ノアゼット領の主都オルブライトでそう言う噂になっていて、救援が進まないのはフェリシテ様の怠慢だと。おかしな事に、伯爵やエルヴィラ様でなく、遠く離れたラザフォード領にいるフェリシテ様が批判されているんですよね」
フェリシテとヒューイットの結婚を公にしていないのを逆手に取って、父親とエルヴィラが批判の矛先をかわす為に、フェリシテをスケープゴートにしているのだろう。
フェリシテは「またか……」と呆れただけだったが、ルマティは複雑そうだった。
フェリシテに実際会う前、ルマティは散々フェリシテの社交界での悪い噂を聞いていた。ーー取柄も無く、美しくもない、エルヴィラにすべてが劣る、引きこもり令嬢だと言う噂だ。
ルマティは実際に自分の眼で見ないと信用しない質なので、聞くだけ聞いて聞き流していたが、他の領に嫁いだフェリシテ嬢が、被災地支援の担当になるなど有り得ないし、聞き流せない話だった。
ーーと言うか、大体、伯爵令嬢が支援担当になると言うのがおかしい。
領主が指揮を執るのが当然であって、騙されてフェリシテを批判する的外れで無知な人々が多いのにも驚いた。
故意に情報操作されているとハッキリ分かるが、この噂で得をするのは伯爵とエルヴィラ嬢だけだ。社交界の華と呼ばれ、賢く淑やかと名高いエルヴィラ嬢の化けの皮が剝がれ、こんな人間だったのか!と知って唖然としてしまった。
万が一、フェリシテが被災者達を見かねてグレンデールに行くと言い出したら、愚かな人々の悪意にさらされてしまうし、伯爵やエルヴィラ嬢にいい様に使われてしまう。
被災者には申し訳ないが、ルマティはフェリシテに不幸になって欲しくなかった。
恐らく、ヒューイットも同じ事を考えたのではないだろうか?
フェリシテに情報を与えないで、守ろうとしていたんだろう。
商人は、相手が信用できるかどうかに敏感なのだが、このことでノアゼット伯爵とエルヴィラ嬢の信用度はマイナスに振り切った。
簡単に嘘を吐く人間は、簡単に人を裏切る。
ローゼル商会では、すでにノアゼット領は"要注意取引先"として、信用度が格下げられた。
今後は、ノアゼット領が商会に虚偽申告などしていないか、秘密裡に調査が入ることだろう。
「ーーどのみちエルヴィラが結婚式をしたら、私とヒューイット様の話題が出るに決まっているから、私がラザフォード領に居る事は参列した貴族達には知れ渡るんですけどね」
フェリシテは苦笑した。
エルヴィラの結婚式で、相手がヒューイットでなく姉の婚約者のカシアンに替わっているのだから、それはもう話題になると思う。
何しろ、エルヴィラとヒューイットは美男美女カップルとして有名だったし、仲も良かった。
貴族間では姉妹の取り換え婚がバレて、瞬く間に拡散されるだろう。
これからは、さすがに隠せなくなって好奇の眼に晒される事になる。
「ーーしかし、グランデールは気の毒にーー父もエルヴィラも、ほとんど領地経営に関わってこなかったから、そもそも被災地対応なんて出来ないと思います」
ぼそりと呟いたフェリシテに、ルマティが「えっ⁉」と驚愕して目を見開く。
こうなると、すぐバレるだろうからと、フェリシテは諦めて白状した。
「……これまでノアゼット領の領地経営をしていたのは、祖父と私です。病気で引退した祖父に変わって各地を視察して、祖父から経営を引き継いでいました。父はまだマシですが、エルヴィラはほとんど領地経営に関わっていません。ーー正直、これから彼らがどうやって経営するのか、見当もつきませんよ」
ーーーールマティの中で、ノアゼット領の信用度がガタ落ちになったのは言うまでもない。




