60. 話題沸騰 領主館の温泉水
「ーーーー2万⁉2万本って言いました、今⁈」
エインワースの屋敷へ戻って来たフェリシテを待ち構えていたローゼル商会のルマティは、満面の笑みを浮かべて、上機嫌で揉み手をしている。
応接室のテーブルをはさんで向かい合わせに座ったフェリシテは、ルマティの唇から繰り出された破壊力のある数字を耳にして、フラリとよろめいた。
「先日頂いたミョウバン水を試用させてもらったところ、部下の間でかなり好評でして。薬用ではありませんので水虫に効くとは言い難いのですが、使うと常にジメジメしている足がサラッサラになるうえ、足の臭いが気にならなくなったと評判になったのですよ。そこで、これは他の皆様にも是非、試してもらわねば!と、商売人の本能が働きましてーー誠に勝手ながら、王宮で働く方々に試していただいたいたら、あら不思議。いつの間にか注文が次々舞い込みまして、こんな個数に」
何故、商品化していないうちから注文がーーいや、それより何で王宮で働く方に試してもらったのかーー騎士団に売り込む気まんまんな、ルマティの策にハマってしまっている気がしないでもない。
「いや、しかし2万……⁈そんなに評判になったんですか、たかがミョウバン水が」
これまでにない商品なので、温泉水をただ売るだけの物に需要があるのか未知数だったが、予想を消える需要が有る事に驚く。
信じられない、といった表情のフェリシテに、ルマティは丁寧に説明した。
「まず、消臭する商品が他にありませんので、それだけでも貴重なのですよ。ローゼル商会が扱う売れ筋商品の一つが香水でして、特に王宮の様に人と交わる仕事の方にはエチケットとして必需品となっているんです。しかし、香水はかなり高額です。しかも、臭いを誤魔化すためにつけ過ぎると逆に悪臭になります。我が国では履物はブーツが主流ですので、老若男女皆様の悩みが、汗で蒸れた革のブーツの対処なんですね。そこで颯爽と現れた救世主が、ミョウバン水です!もともと天然の温泉水なので体に安心。ミョウバンをわざわざ溶かすことなく、手軽に使えて便利!たらい一杯のお水にキャップ一杯のミョウバン水を希釈すれば60回分、約二か月使え、お値段は何と600mlで1800ディール!これは買うしかありません‼」
一応、ヒューイットへ手紙を出す際に、ミョウバン水販売の試算をしたので、ルマティにも同じ企画書を送ったのだ。
フェリシテ側が提示したミョウバン水卸し価格は、容器代含め1500ディールと高めに設定してみた。
1800ディールのうち、300ディールがローゼル商会の取り分なのだろう。
温泉枯渇の恐れは少ないのだが、高めの方が販売個数が抑えられると思ったのだ。
ヒューイットに近所の人達を雇いたいと相談したら、温泉水を汲むための蛇口が屋敷の敷地内なので、セキュリティの面から、なるべく雇用人数は少なくして欲しいと要望があった。
エインワースの治安は悪くないのだが、屋敷内には貴重な植物や高額な物が多いので、警戒が必要だと言われてしまった。
もっともな話なので納得したが、雇用人数が少ないと生産数は絞らなければ。
ーーーーなのに、2万本は売れ過ぎでは、とフェリシテは唸った。
本来は売れて嬉しいところだが、準備がまだ出来ていない状態では焦るばかりだ。
ミョウバン泉の販売の話が出てから、使用人浴場を作るついでに配管をいじって給水設備も整えておいたのだが、まさかそんなに受注が来ると思わなかったので、容器のガラス瓶が大幅に足りない。
近くのガラス工房で500本は用意できることを確認していたが、2万本にはまるで足りていない。おまけに、今後は保管庫を作ることも考えなければ。
「済みませんが、容器用のガラス瓶が足りていません。ガラス瓶を入れる木箱も必要ですが、まだ用意できておらずーーーー」
「問題ございません。こんなこともあろうかと、すぐにガラス瓶2万本と輸送用木箱2000個程をご用意できるようスタンバイしております。ご購入特典として、6頭立て荷馬車を4台レンタルサービス致しますが、いかがなさいますか?」
若干食い気味にルマティがすかさず応じ、フェリシテは苦笑した。
ミョウバン水が売れる限り瓶と木箱も売れるので、ローゼル商会には良い収入になる。
相変わらず商売上手である。
ーー取り敢えずローゼル商会から瓶が届くまでに、近所の工房から仕入れた瓶500本分にミョウバン水を詰めておく事を約束し、フェリシテはルマティと契約を結んだのだった。
*
ーーそしてもう一つの問題が、ミョウバン水を汲む作業員である。
直ぐにも仕事を頼みたいのに、先日の様に時間をかけて、使用人達を雇う時みたいに身元を調べつつ面接しなければならないのかと頭を悩ませていると、雇用賃金について相談していた執事のジュールが「邸内でアルバイトとしたらいかがですか?」と助言してくれた。
つまり、この別荘の使用人達は来客も無く特に忙しくはないので、空き時間に、ひと瓶汲んだらいくら、と言う風に内職代わりにしてみたらどうかと言う話だった。
言われてみれば、使用人達は自分の割り当ての仕事を終えると、後は自由時間になる。
大体午後のお茶までに仕事は終わり、その後は何をしているのかと言うと、仲間同士でお喋りしたり、自主的に見付けた仕事をしたり、部屋で休むくらいらしい。
「ーー例えばですが、軽作業なので、一人一時間に30~40本汲めると想定して、使用人としての仕事をさぼらない程度の金額ーー1本につき10ディールと設定すると、一時間に300~400ディール。毎日一時間汲むだけで一か月で9000から12000ディールの収入が見込めます。現在の月収の半分相当ですから、かなり大きいと思いますよ」
使用人達がアルバイトしたがるだろうかと不安だったのだが、フェリシテが尋ねると、ジュールは深く頷いて「むしろ歓迎されますね」と請け負った。
「奥様はあまりご存じないかもしれませんが、半数以上の使用人が実家に仕送りしております。ただ、給与額が高くなると、地域の給与水準のバランスが崩れて使用人達が周囲から浮きますので、ご注意を。
貧しい地域で高給取りと言う噂が立つと、トラブルに巻き込まれやすくなります。この屋敷の使用人になりたいと言う人々が殺到する恐れもありますので、慎重にご検討ください」
そういう懸念もあるのか、とフェリシテは驚いた。
根本的な就業先の少なさを何とかして、領民全体の収入を上昇させないといけない様だ。
まだまだ分かっていない事があるな、と痛感する。
教えてくれたジュールに礼を言って、試しに使用人達にアルバイトの件を打診してみると、年配のウォルターとマーガレット、二人の料理人と執事のジュール以外全員、計11人が「やりたい!」と手を挙げた。
みんなそれぞれの理由があるようで、
「実家に仕送りが増やせる!」
「年末に家族に良いお土産が買えるわ……!」
「病気の兄弟の治療費にできる!」
と、全員が喜んだ。
身寄りのないエマやトリシアは、文字の読み書きや、簡単な計算ができる様になりたいと、本を買うためにお金を貯めたいらしい。
そういえば文字の読み書きができない平民は多くて、手紙の代わりに、各地の商業ギルドに口頭で用事を伝える"メッセンジャー"と言う職業の人がいるのを思い出す。
病人がいる家庭も気になるし、働き口だけでなく、学校を作るのも急務かもしれないな、とフェリシテは思った。
しかし、今は注文が入ってしまったミョウバン水を何とかしなくては。
ーーちょっと考えたフェリシテは、明日から順次ガラス瓶が届くとの連絡を受けて大胆な方策に出た。
ーーーー名付けて、"お掃除なんて一週間しなくても死にゃしない作戦"
そう、使用人11人+フェリシテで一週間、ミョウバン水を汲み続けるという、力技であった。




