55. ラザフォード伯爵本邸
その日の夕方、ラザフォード伯爵家本邸へ戻ったフェリシテに、本日の試練が待ち構えていた。
昼に立ち寄った時は慌ただしく出掛けたが、今度は本格的に本邸の使用人達に出迎えられての帰宅となり、きちんと使用人達を紹介されることになった。
別荘と違い、本邸はヒューイットが領主として居る屋敷であるため、彼の補佐官3名と、屋敷内で働く使用人が28名。総勢31人の大所帯となっていた。
だが、これは一般的な使用人の人数より少ない方で、ヒューイットの両親が王都のタウンハウスに住んでいるため、人員を半分に割いた結果、この人数になったらしい。
しかし、フェリシテは使用人達と挨拶しながら不思議に思っていた。
使用人達のうち、女性がたったの4人しかいない。
しかも、4人の内3人が高齢の女性で、若い女子はたった一人だ。
普通は使用人の半数はメイドになるので、ここまでくると意図的な思惑を感じる。
以前、別荘にいたダイアナというメイドにヒューイットが襲撃された事件を思うと、ヒューイットが警戒するのも分からなくも無い。
寝込みを襲われたり、粘着されたり大変そうだ。思わず同情してしまう。
美形と言うのも、要らぬ気苦労が多いのだな、とフェリシテは勝手に納得した。
一応、そつなく挨拶を交わしたが、好奇心と値踏みの眼差しの圧が凄まじい。
彼らも知るノアゼット家の醜聞に対する敵意と、これまで婚約者だったエルヴィラとの容姿の落差への失望も感じられて押し潰されそうだ。
感情を出さない者から敵意をむき出しな者までとりどりだが、敵意の方が多い。
笑顔を張り付けたフェリシテは、顔が引きつりそうになりながら、内心嘆息していた。
使用人達は、ヒューイットが好意的なので、仕方ないと思っている態度だ。
不愛想な男性使用人に客室へ案内されたフェリシテは、一時間後にディナーなので、それまでに着替える様言われたまま、独り、部屋に放置された。
あてがわれた客室は豪華で、天蓋付きベッドとソファセットが揃っており、続き部屋にバスルームとウオークインクローゼットが配置されている。
こちらは都市部なので上下水道が完備され、バスルームの蛇口をひねれば水とお湯が出て来た。
室内はマホガニーの家具、色はブルーと金色で統一され、落ち着きながらもゴージャスな雰囲気を醸し出していた。
「着替えと言われても……」
クローゼットに、今日購入してもらったドレスが二着あるが、今着ているドレスもそうだが背中にボタンがあるドレスなので、通常は侍女がいないと着替えできない様になっている。
確か、ヒューイットがフェリシテに年配のメイドを一人つけると言っていた気がするが、こうなると嫌がらせなのだろう。
まあ、フェリシテは慣れているので、一人で着替えるのは得意だ。
だが、今朝馬に乗せて持ってきた着替えなどの荷物がいくら探しても見当たらない。
あからさまだな、と呆れて使用人を呼びに廊下へ出たのだが、厨房の方へ集まっているのか誰とも出くわさない。
明日持っていく紫水晶が無いのはさすがに痛いな、と悩みながら、思いついて馬小屋の方へ足を向けた。
もしかして、馬に荷物を積んだままだったりしてーーと思ったのだが、本当に馬小屋に荷物が置かれているのを見つけたフェリシテは、苦笑してしまった。
馬小屋の一番手前にフェリシテの馬が繋がれていたのだが、その馬小屋の鞍を置く棚にフェリシテの荷物がドンと置かれていたのだ。
紫水晶を入れた袋もあって、一応、荷物は全部揃っている。
一安心したところで、フェリシテを見付けた彼女の馬が嬉しそうに鳴き、フェリシテは馬の鼻を優しく撫でた。
「不安でしたが、君の顔を見たら、安心して何とかなりそうな気がしてきました。紫水晶で一攫千金を狙ってるんですから、頑張りますね」
独り言だが、馬のこちらを信頼している澄んだ黒い眼を見ていたら、心が落ち着いて来た。
ちゃんとお世話されているかなと見ると、馬の方は敷き藁も水やご飯も満足に与えられている様でホッとする。
隣に繋がれていた馬が人懐っこく擦り寄って来るのに笑いながら、フェリシテは隣の馬に話しかけた。
「お隣の方、うちの子をよろしくお願いします。少しの間ですが、仲良くしてくださいね」
ぺこりと挨拶をしたフェリシテは、ハッと我に返った。
そう言えば、ディナーの時間が迫っていたんだった……!
「また来ますね!」と馬たちに声を掛けたフェリシテは、重い荷物を担いで、急いで全速力で部屋へ戻った。
*
「ーーーーいったいどういう事⁈」
ディナーが始まって開口一番、裏方として働く使用人達は、厨房で額を突き合わせてざわついていた。
「誰か、あの女の着替えを手伝ったわけ⁈」
厨房にいるのは給仕以外の使用人、13人だ。
「いや、まさか。声を掛けられない様に皆で厨房にいただろう。誰も手伝いに行ってないのは知ってるじゃないか」
さきほどフェリシテを客室に案内した従者が困惑した表情で言った。
「そうだよな……もしかして一人で着替えたとか?」
まさにその通りなのだが、フェリシテを舐めていた使用人達は、着替えができずに困って縮こまる姿を笑ってやろうとして失敗し、悔しそうに唇を噛んだ。
「わあ、奥様ってすごくない?侍女の手を煩わせる必要なんかない、自分でやれるぜ、って感じ?カッコイイーー!」
どよんとしたその場で、場違いな歓声を上げた若いメイドを皆が睨む。
「口を慎めよ、キャロル。ラザフォードに恥をかかせたノアゼットの味方をするのか⁈」
「あら、だって、奥様が着替えてこなければ、侍女を言いつけられてたはずのマチルダが旦那様に叱られてたはずでしょ?虐めてたってバレても良いの?すぐばれるのに、浅はかねぇ」
キャロルにアハハ、と笑い飛ばされて、奥様付き侍女に指名されていたマチルダがいきり立つ。
「おだまり。私はノアゼットの無礼者など奥様なんて認めないんだから。今もこの家の奥様はヒューイット様の母君、リーデイル様おひとりよ。エルヴィラ様ならまだお仕えし甲斐があったものの、あんな見劣りする女など認めないわ。しかも、あの騎士服は何?小汚いうえ男性の真似などして。あんな令嬢、聞いたことも無いわ」
マチルダは灰色の髪と目をした高齢女性で、以前はヒューイットの母親の侍女をしていた。
半世紀を容姿端麗なヒューイット親子に仕えたため、審美眼に優れているのはいいのだが、異様に美しさにこだわり、ヒューイットとその母のリーデイルを溺愛していた。
一方で、その眼鏡に叶わないものを全く受け付けない偏屈者でもある。
日頃から浮世離れした美貌を見慣れると似た様になるのか、他の使用人達も、そうだそうだと同意する。
君達、鏡を見てから言え、と現実主義者のキャロルは思った。
彼女が若い女性を避けているヒューイットの屋敷でメイドになれたのは、ひとえに他人の顔面に興味がなく、興味があるのはお金だけだからであった。
顔など、目鼻口があって、意思疎通ができれば十分。ハゲだろうが小太りだろうが、人類は皆兄弟だ。
いつもオマケしてくれる肉屋の太っちょおじさんが、大好きだ。
顔より、愛嬌があって気前のいい人の方が良いに決まってる。そこは譲れない。
「へえ、エルヴィラ様が本当に良かったの?二股掛けてヒューイット様を棄てた女でしょ?そもそも両家の仲を拗れさせた元凶じゃないの。顔が良ければ、他の男の子供を妊娠した女が良いの?いや、ないわーー」
キャロルにどん引き顔で正論を吐かれた周囲が、うっ、と気まずそうに口ごもる。
「それに、奥様は来たばかりなのに、ラザフォード産小麦を高く売れる様にして、地方の貧しい農家を助けてくれたんでしょ?あんた達の何人かの実家は農家だったよね?恩恵を受けたんじゃないの?感謝こそすれ、嫌がらせなんて私、そんな事、とてもできなーーい」
あてこすると、数人の使用人がそっとうつ向いて視線をそらす。
「い、いや、これはノアゼット家への天誅であって、ラザフォードのプライドの問題で……」
「えーー?ラザフォードの天誅って、着替えを手伝わなかったり、馬小屋に荷物を置きっぱなしにしたりって事?みみっちいーー」
「キャロル、お前……!」
多勢に無勢で強気でいた面々は、痛い所を突かれて、カッと赤面した。
つかみ掛かろうとしたマチルダを、慌てて他の使用人達が止める。
「待て、ヒューイット様にバレたらマズいのはこちらだぞ……!」
諫められて舌打ちしながら睨んでくる使用人達に、キャロルが呆れて口を開く。
「その通りよ。分かってるじゃないの。旦那様がこの屋敷に奥様を連れて来て紹介したってことは、旦那様が奥様を認められて、気に入られたって事なの。その奥様を虐めるってことは、旦那様の面子を潰してるってわけ。使用人が主に逆らって出過ぎた真似をしてるってことなのよ。現実に戻れた?」
集団で言い合ううちに自分達に力があると錯覚でもしたのか、指摘されて、その場が鎮まり返る。
青い顔で血の気を引く者もいて、やれやれ、とキャロルは肩を竦めた。
「尊敬する、旦那様の意向に逆らいたいものは居るの?言っとくけど、ヒューイット様は甘くないわよ。クビになりたくなければ、頭を冷やして仕事に戻りましょうよ。さーあ、撤収、撤収!」
キャロルのパンパン!と手を打つ合図が力強く厨房に響く。
そして力なくうな垂れた使用人達は、ふらふらと黙って自分のすべき作業に戻ったのだった。




