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52. ノアゼット伯爵邸

 ーーーー一方、フェリシテの妹エルヴィラと、元婚約者カシアンの結婚式を半月後に控えたノアゼット伯爵の屋敷は静まり返っていた。


 祝い事があると言うのにノアゼット伯爵は不機嫌な顔で執務室の机に向かい、イライラと大量の書類にペンを走らせ、時折、頭を掻きむしって溜息を漏らしている。

 伯爵の机の前には4人の秘書が同様に大量の書類を捌いており、彼らは寝不足で目の下にクマが浮いていた。

 

 彼らはこの一週間ほど残業続きで疲労がピークに達している。

 伯爵が今にも癇癪を起こしそうなので、八つ当たりされそうな秘書たちは気が気ではない。


 何故なら、この忙しい空気を全く読まず、エルヴィラお嬢様が執務室にケーキと紅茶を持ち込んで、ソファで優雅にのんびりとティータイムを楽しんでいるからだった。

 ……こんな、皆が必死に働き、殺伐としている所でくつろげるのが理解しがたい。

 口には出さないが、秘書たちは伯爵を怒らせている張本人が平然としている事に呆れかえっており、以前は愛らしくも美しいお嬢様へ憧れや恋慕の気持ちを抱いていたはずが、今やその幻想が解けかけていたのだった。


「ーーーーお姉さまから、まだ返事は来ないの?本当にお姉さまはのろいんだから。困ったものだわ」


 妊娠してからエルヴィラはお腹が空くらしく、頻繁にお菓子を食べている。

 ケーキをぱくぱく食べながら肩を竦めるエルヴィラに、伯爵は頬を引きつらせながら返答した。


「……本来は、フェリシテなぞ呼ばなくても、すぐに解決する問題だったのだぞ。お前がこじれさせるから、連日クレーム対応に追われていると言うのに……!」


 伯爵の握っていた羽ペンが、みしりと手の中で折れる。

 顔を紅潮させて、怒りのオーラを発しているのだが、鋼鉄の神経をしたエルヴィラは全く意に介していない。

 頬を膨らませた彼女は、緊張感のない声で「だって」とすねてみせた。


「領地の視察なんて初めてだったんですもの。私がお見舞いに行けば皆が喜ぶと思ったのよ。私なりに頑張ったのに、何故皆で怒るの?酷い」


 そのセリフを聞いて、4人の秘書たちは虚無になった。

 アレだけの事をしでかして、全く反省が無い。

 

 アレとは…………約一週間前に発生した、領内の一地方の水害の事だった。


 *


 グランデールはノアゼット領とラザフォード領、ロクス領の境界にある小さな村だ。

 全員が農家で、人口は少なく、全戸で100軒足らずの農地ばかりの小さな村。


 ロクス領から下る北部山脈の豊かな河川が村を横切り、常には恵みをもたらしてくれるのだが、先日、初夏の陽気に一気に山脈の根雪が溶け出して堤防が決壊し、河が氾濫して村の家々や農地が大規模浸水したのだ。

 幸い村人は無事だったが、種まきの終わった畑は押し流され、家屋は汚泥にまみれ、家財道具や食料は全て使い物にならなくなってしまった。

 近隣の町村が救援の手を差し伸べたが、さすがに被害が甚大なため、領主のノアゼット伯爵へ支援要請の嘆願書が届いたのだが。


 ーーーーところが間の悪い事に、ノアゼット伯爵家は全員王都のタウンハウスで社交に明け暮れており、領地に不在で、領主が駆けつけるのが4日ほど遅れてしまった。


 その時点で、グランデール村の人々や救助を行っていた近隣の人々が不満を口にしていたのだが、それを聞いて、支援物資を届ける役目に、エルヴィラが立候補した。

 妊娠中だからと渋るノアゼット伯爵だったが、自信満々で「私が行けば、みんな喜ぶはずよ!」と胸を張るエルヴィラの言うまま、娘に甘い伯爵は仕方なく了承したのである。

 確かに、王都でも美人と有名なエルヴィラは領民にも人気がある。

 ついでに、グランデールが日帰りできる距離にある事も了承した理由だった。


 …………しかし、これが大失敗だった。


 救援物資を、大量に馬車に積んで運んだまでは良かった。


 だが妊娠中だからと、ゆっくり馬車を走らせ頻繁に休憩をはさんで行ったため到着が遅れてしまい、被災者たちが救援を待ちわびる中、一日遅れで被災地へと到着した。

 これだけでも村人たちの神経を逆撫でたのだが、馬車から降りたエルヴィラが、華やかなフリルのピンクのドレスと華奢なハイヒールと言う、およそ被災地を訪れるのに相応しくない恰好で登場したため、被災者たちの怒りにさらに油を注いだのだった。(しかも、そのドレス代は支援金から支払っていた)


   だがエルヴィラは、村人たちに大歓迎で出迎えてもらえると思っていたらしい。


 「……何だ、あの派手なドレスは…………」

 「こっちは井戸にも土砂が入って、洗濯どころか、満足な飲み水も無いのに……!」


 近隣から毎日飲み水は運んできてもらえたが、村人の人数が200人程になるので、あっという間に足りなくなる。

 近隣から衣服の支援もあったが、泥を家からかき出す作業ですぐ汚れてしまったし、替えは無い。

 エルヴィラが到着した時点で被災から一週間が経つが、堤防を仮補修して家や畑から泥をかき出し、家財道具を表へ運んで干して、休みなく作業し続け、大人も子供も泥と埃まみれで、疲労もピークに達していた。


 じっとこちらを凝視する村人や近隣支援者たちの暗い視線に気付かず、エルヴィラは馬車から降りたのだが、足元に点在する水溜まりに目をとめ、ハイヒールが汚れてしまうわ!と足を止めた。

 とにかく被災状況を見てもらおうと村長が村を案内しようとしたのを断り、エルヴィラの馬車の周りに集まった村人たちに向かって口を開く。


「皆さん、支援物資を持って参りましたわ!わがノアゼット伯爵家は皆さんに寄り添いたいと思っています。今日は食料と衣類を支給いたします。さあ、皆さん、遠慮なく取りに来て下さいませ!」


 皆が感謝しながらやって来ると思って胸を張っていたエルヴィラは、その場が静まり返ったのに気付いて、あら?と首をかしげる。

 瞬きしながら、やっとまともに村人たちの顔を見渡すと、村長を先頭に村人たちの顔が怒りで歪んでおり、思ったのと違う反応にエルヴィラは戸惑った。


「ーーエルヴィラ様、この状況を見て下さい。テントが足りなくて皆で土の上に板を敷いて、毛布にくるまって寝てるんです。その大量の食糧を置く場所もまだないんですよ。それに、衛生状態が悪くて体調を崩す者も出ています。井戸の復旧も急務なんです。どうか、被災地を回って見て、必要な支援を下さい」

「ーーうちの息子が、一昨日から腹が痛いって言うんです。どうか、医師を派遣してください!」


 口々に要望を叫ぶ村人たちに、エルヴィラがたじろぎつつ、愛想笑いした。


「井戸?お医者様?……ええと、分かりましたわ、父へお伝えしますわ」

「ーーーー被災現場を見ないで、何がわかったんだ?」


 馬車の前から一歩も動かず、逃げ腰でいるエルヴィラの様子に苛立った男が怒鳴る。


「どうせ、そのお綺麗なドレスが汚れるから嫌だとでも言うんだろう?昨年から堤防の改修が必要だと要望を出していたはずなんだぞ。それを無視して、このザマだ。領主が直接この被害を見るべきだ!役に立たないあんたじゃなく、伯爵を寄こせ!」

「そうだ、何故要望を無視したんだ!」

「そんなドレスで来やがって!ここは被災地だぞ、パーティじゃねえんだ!」

「伯爵は何故来ないんだ!」


 一斉に詰め寄ってくる村人たちの怒号にエルヴィラは竦み上がり、護衛騎士たちが彼女を背に庇って、早く馬車へ乗る様に叫ぶ。

 つかみ掛かられそうになって、慌てて馬車へ飛び乗ったエルヴィラは達一行は、物資を積んだ馬車を置き去りにし、ほうほうの体でノアゼット伯爵本邸へと逃げ帰って来たのだったーーーー

 


 きっと彼女が被災者たちを鼓舞して帰って来ると信じて待っていたノアゼット伯爵と秘書たちは、それを聞いて頭を抱えた。


「せっかく行ったのに、感謝どころか意地悪されたわ……!」


 行く前よりも事態を悪化させて戻って来たエルヴィラは涙ながらに父親に訴えたが、さすがのノアゼット伯爵も、まさか支援金からドレスを購入したり、ド派手なピンクの高級ドレスに身を包んで行くとは思っておらず、娘の非常識さに絶句したーーーー


 ……翌日から、グランデール村の村人や、被災地支援へ行っていた近隣の人々から抗議が殺到し、その火消しと、エルヴィラが被災地を見回ってこなかったため再度必要な支援を確認する人員の派遣を行う羽目になり、さらに追加予算を組むなどで忙殺され、今に至る。


 救いようのない事に伯爵は恐れをなして被災地に行くのをためらい、


「こういう面倒ごとの処理は、フェリシテに任せればいいのだ……!」


 と、すでにラザフォード領に嫁入りした長女へ、非常識にも押し付ける事にしたのであったーー




 


 

 

 

 

 

 

 


 

 


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