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庭への穴掘りはヒューイットへお伺いを立てないといけないので、別な日になるとシンクレアへ伝えると、彼はフェリシテが手紙で問い合わせた質問に全部答えたからとアッサリ満足し、踵を返して帰ろうとしたので、慌てて止めた。
ーー唐突に来て唐突に帰ろうとする自由さは、やはり只者ではない。
せっかく来てもらったのに、このまま帰すにはいかない(しかも不眠不休の人がトンボ帰りをするなんて、とんでもない)と、良ければ泊まっていくのを勧めたら、博士は大喜びで、ふたつ返事で宿泊を決めた。
本人の希望で、バラ園そばのガゼボで朝食をとる。
使用人は付き添うが、初対面の二人だけで緊張するかと思いきや,博士のおしゃべりは健在で、縦横無尽な話題に、口下手なフェリシテは見習ったほうが良いのではとすら思った。
「こちらに泊まらせてもらえるとは有り難い!この後その辺の森に入って植物採取して、今夜は久しぶりに野宿でも、と思ってましたが、やはりふかふかのベッドの誘惑には抗えませんな」
言いながら足元に置いたトランクの蓋を開け、ペラペラの小さなタオルケットを取り出したシンクレアに、紅茶を飲んでいたフェリシテが吹き出しそうになる。
しかも開いたトランクの中には、アルマイトの皿と小鍋、ナイフにフォーク、水筒、雨ガッパと、およそ他人の家を訪問するだけではない諸々の品がぎっしり詰めこまれていた。
「……ま、まるで探検家の様ですね」
どう突っ込んでいいか分からないフェリシテが言うと、シンクレアは爽やかな笑みを浮かべた。
「一昨年まで南西諸島を回っていたんですよ。フィールドワークで現地にしかない貴重な植物を採取して、昆虫標本も作ったりしまして。そろそろね、王都の狭い教室じゃなくて、青空の下で美しい花と戯れたくなってきているんですよねーーーー」
ふざけた口調をしているが、眼が本気である。
学院長から休暇をもぎ取って来たと言うが、ラザフォード領から、どこか未開の地へ行方不明になってしまったらどうしよう、と要らぬ焦燥に駆られる。
アカデミーで待つ生徒たちのためにも、無事に王都へ帰っていただきたい。
確かに王都には、手つかずの自然なんてものはないので仕方ないが、ラザフォード領は自然ばかりだ。ぜひ大量の自然を浴びて欲しい。
「ラザフォード領は初めて来られたんですか?以前、フィールドワークに来られたりとかは……」
「いえ、実はラザフォード領から北はまだでして。基本、野宿か民家へ泊めてもらうんですが、春から冬の一年間の植物採取をするのに、冬に長期間雪が降る点が難しくてですね。フィールドワークしやすい所を優先して、暖かい地域を旅する事が多かったんです。それとお隣のミルドレット領で頻繁に伝染病が発生するので、訪問が後回しになっていたと言うか」
ああ、とフェリシテは言われて隣の領地の事を思い出した。
「お隣は盗賊も多いし、大変治安が悪い。本当は見て回りたいんですが、標本を盗まれたりしたら、泣くに泣けませんよ」
シンクレアは真剣だが、盗賊が標本を盗むかどうかは疑問だ。
「でも本当に今回はいい機会に恵まれました。朝食後にこの辺りを見て回ってもよろしいですか?」
明らかにウキウキし出したシンクレアに、快く頷いたフェリシテは「あっ」と思い付いた。
「そういえば、私、裏山を探検する予定があるんですが、博士はご興味ありますか?珍しい物は無いと思うんですが」
忙しくて行けていなかったが、ちょうどいいタイミングでは、と閃く。
温泉の源泉を詳しく見てみたいと思っていたのだ。
「裏山⁈確か、王国地図にも詳細が載っていない未調査区域のですよね⁈もちろん興味しかありません、地の果てまでお供しますとも、ええ、喜んでーーーー‼」
シンクレアが若干、食い気味に言う。
生活圏にある裏山が、いつの間にか壮大な冒険の地に変換されているかもしれない。
そして、やはり、声が大きいからだろうか。
厨房までシンクレアの声が通ったらしく、朝食を終えた頃には、まだ何も注文していないのに、サンドイッチと果物を包んだお弁当が二人分届けられたのだった。




