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「ーーこちらがラザフォード産小麦で作ったフロランタンとサブレです」
「これがローゼル商会の言っていた調査?」
ヒューイットが興味津々である。
「は、はあ、単に小麦の特色を知りたくて作ったものなのですが……これ以外に揚げ菓子とパウンドケーキも作りました。そちらはボソボソした口当たりとパサつきが不評でして、ローゼル商会の方達に好評だったのはこの二つです。召し上がってみてください」
固唾をのんでフェリシテが見守る中、ヒューイットがフロランタンを口に入れる。
サクッと良い音がして、ヒューイットの目が驚きで見開かれた。
「ーーこれは美味い。不思議な軽さと香ばしさがある。確かにこんなサクサクした感触は珍しい。これがラザフォード産小麦の特色なのか。恥ずかしいが、全く知らなかった」
サブレにも手を付けたヒューイットは気に入ったらしく、サクサクと一枚全部食べ切っていた。
「我が領ながら、小麦の品質の低さは悩みの種になっていた。パンを作るとパサついて香りが無くなるし、すぐに固くなる。それで好んで使いたがる者がいないのだが、安価なので領内の貧しい者たちが買っていたんだ。それなのに、菓子用に大量取引とはタチの悪い冗談かと思っていたんだがーーこれならうなずける。実際に食べてみないと分からないな」
ここにきて初めてヒューイットの表情がゆるみ、フェリシテは心からホッとした。
と言うか、結婚してから会うのが二回目だが、眉間にしわが寄ったヒューイットの顔しか見た事が無い。まあ、いいけど。
「そうなんです。この軽さがラザフォード産小麦でしか出せないそうで、ローゼル商会が交渉に来た理由なんです」
「なるほど」
納得した様子のヒューイットが持参した書類をテーブルの上に置く。
そこにはラザフォード産小麦の年間生産量と栽培面積、栽培人数などがまとめてあった。
「君はローゼル商会から直接聞いて知っているだろうから単刀直入に言うが、購入希望量が生産量を上回っている。増産は可能だろうし、売れるのは大歓迎だが、問題がひとつ生じる。……先ほど言ったように、貧しい領民の食糧が減るという事だ。イモやソバも食べられているが、本来の主食はパンだ。ラザフォード産がなければ、主に流通しているノアゼット領産小麦を買う事になる。だが、これはラザフォード産より4割高だ。貧しい領民には手が出せないだろう」
「ローゼル商会との取引自体はよろしいんですね」
ルマティが大喜びしそうだ。
「ああ、願ってもない話だ。これといった名の知れた産業がないのだから、小麦が有名になるならありがたい」
「ちょうど今月末が小麦の収穫時期ですから、ローゼル商会としては早々に取引契約をしたいところですよね」
フェリシテが言いながら、小麦の書類に手を伸ばす。
「失礼。拝見させていただいてよろしいですか?」
「ああ、構わないが……見て分かるのか?」
思わず、という様にヒューイットがつぶやいて戸惑っている。
フェリシテは苦笑した。
多分、エルヴィラと比べているのだろう。妹は勉強が苦手で、数字が出て来ると教科書を投げ出していたから。
「大丈夫です。あの、実はいくつか提案があるんですが」
「提案?分かった、話してみてくれ」
お前の意見など聞いていない、と言われるかと思って身構えていたが、すんなり了承されて面食らう。
女性がでしゃばるなと言われる事が多いのだが、ずいぶんヒューイットは寛容だ。
きっと良い人なのだろうなとフェリシテは思った。
「取引価格ですが、おいくらにするつもりですか?もしまだ決まっていないなら、私はノアゼット産小麦と同価格にするのをオススメします」
紅茶を飲んでいたヒューイットがむせる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そこには書いてないが、ラザフォード産小麦価格は現在、約1トン4万ディールだ。ノアゼット産は7万ディールだぞ。倍近くの暴利になる」
フェリシテは、ヒューイットにハンカチを差し出した。
恰好は騎士だが、令嬢のたしなみくらいはわきまえている。
意外そうにしていたが、ヒューイットが礼を言ってハンカチを受け取ったところで、フェリシテは話を続けた。
*ヴェルファイン王国の通貨の単位は、ディールになります。
重さや長さの単位は、分かりやすいように日本と同等になっています。