17.旦那様襲来
なにやらヒューイットは静かに怒っているらしく、先触れなく馬で飛ばして来て、止める執事の手を振り切ってフェリシテの部屋へ向かったらしい。
普通のご婦人なら今頃、部屋でティータイムでくつろいでいる時間だからだろう。
朝早く起き、掃除洗濯を済ませて畑で草取りをしているとは、まさか思わないはずだ。
あわてて執事を追い越し、階段を駆け上がって私室へ向かうと、ちょうどフェリシテの部屋の前に立っていたヒューイットがこちらを見てフリーズする。
フェリシテは回れ右で逃げたかったがさすがにそれはマズい。
「ーーご無沙汰しております、ラザフォード伯爵。お待たせして申し訳ありません」
ヒューイットの前に息を切らして立って、ドレスでないのでカーテシーが出来ないので、腹をくくって深々と騎士の礼をとると、ビクッとしたヒューイットが目を見開いた。
「ーーーー何だ、これは?」
地獄の底から響くような、地をはう低い声で、追いついた執事とフェリシテを交互に見比べたヒューイットは、二人を恐怖のどん底に叩き落としたのだった。
*
お、怒ってらっしゃる……
フェリシテは自室でヒューイットと向かい合う事になって、冷や汗がさっきから凄い事になっている。
無言で腕を組むヒューイットの氷の美貌はすっかり氷点下まで凍り付いていた。
室内なのに、見えないブリザードが吹き荒れているように感じる。
きっと気のせいだが、心情的には真冬の森の中に置いてけぼりにされたくらいの寒気を感じる。
ヒューイットがここまで機嫌が悪くなってしまったのは、マズいことが重なってしまったからだった。
フェリシテが廊下で再会の挨拶をした後――
「……何故、泥だらけの騎士服を着ている?」
と、刺殺さんばかりの眼力で問い詰められて、
「作業したからです!」
と答えてしまい、草むしりをしていた事や畑仕事をしている事を吐かされた。
そこでもう機嫌が悪かったのだが、フェリシテが慌ててまたしても騎士服に着替えて出たため、侍女がついていない事に気付かれ、さらにいつまで経っても、フェリシテへティータイムのお茶が出てこない事で全てを察したヒューイットが、執事を締め上げ、フェリシテの世話をしていなかった事を洗いざらい吐かせ、身をひるがえして厨房へ突撃した。
そこでのんびりと自分達だけティータイムを楽しんでいた料理人と台所女中たちの現場を押さえ、さらに、そこにいない使用人達を探させ、職場におらずサボっていた者たちを減給にし、フェリシテをないがしろにしていた使用人たちに追加で減給を申し渡した。
悪い事に、ただサボっていただけでなく、ダイアナや他の使用人が倉庫や裏庭でイチャイチャしていたらしく、それらを引きずって、問題のある使用人達を廊下に並べ、激怒したヒューイットは使用人たちに無慈悲な宣告を叩きつけた。
「彼女への仕事を怠った者たちは三割減給だ。さっきサボっていたものが含まれていた場合、二乗して六割減給にする。仕事を辞めたいなら、今すぐ荷物をまとめて出ていけ。今日までの給金くらいはくれてやる!」
二階のフェリシテの私室に戻って来たヒューイットにより、ここ数年の帳簿を持ってこさせた後、執事も三割減給となり、ショックを受けた様子でフラフラと部屋を出て行った。
階下で使用人たちの阿鼻叫喚が響いているのが聞こえる。
窓の外はうららかな初夏の陽気なのに、室内はまるで異世界だ。
ヒューイットと二人きりになったフェリシテは、ひとり、旦那様の圧に震えていた。
「……まず謝罪せねばなるまい。いくら何でも、冷遇しろとは言っていない。こちらの監督不行き届きで不自由をかけた事を謝ろう。申し訳なかった」
「ーーいえ、一応、食事はもらえましたし、たくましく生活していましたので」
フェリシテが控えめに言うと、たくましく、と言う単語にヒューイットが渋面を作る。
「……聞きたい事はあるが、まず、私がここに来た目的を話そう」
それが気になっていた。フェリシテはこくこく頷く。
「今さっきの使用人達を見て信ぴょう性が薄れたのだがーー実は本邸に、執事と庭師のハワードから手紙が届いた。内容は、先代が大切にしていたバラの花を切り刻んで無体な事をしている、との事だった。ここに着いてすぐバラ園を見たが、切られていたのは一部の様だが、あれは何だ?」
フェリシテは、きょとんとして目をしばたいた後、一拍遅れて、腹の底から湧いてきた怒りに頬を紅潮させた。
ーーやられた。
ローズウォーターを作る事は、執事にもハワードにも伝えたはず。
ハワードは反対していたからまだしも、執事は許可した。
これはきっと、自分に対する嫌がらせのひとつに違いない。
フェリシテは息を吸い込んで、真顔でヒューイットへ訴えた。
「あれは、終わりそうなバラの花からローズウォーターを作ったんです。その事は執事とハワードへも説明しています。ウォルターと執事からは賛同していただきました。問題がありましたでしょうか?」
「ーーなるほど、特に問題はないな」
ヒューイットがやれやれという様に溜息をつく。
「さっき、君とウォルターが手入れしていると言うハーブ畑にも行ってみた。君がきちんと育てている事をウォルターから聞いた。ローズウォーターまで作れるとは想定外だったが、どうも君は一般的なご令嬢とは違う様だ」