15.ダイアナ
晴れ渡った空が気持ちいい。
裏庭に降りたフェリシテは、そこで先に洗濯をしている女中二人と出くわした。
二人は使用人の中でも年下で、以前、台所女中たちの噂にのぼっていたダイアナと、もう一人は素朴な顔立ちで大人しいトリシアという少女だった。
「おはよう」
「おはようございます」
ここでよく顔を合わせるので、二人は慣れた様子で挨拶をして仕事に没頭している。
フェリシテも黙ってシーツを洗っていると、ダイアナがこちらをチラチラ見てくるのに気付いた。
「あの、奥様」
手を止めて顔を上げると、ダイアナがニコニコと笑顔を向けて来る。
いつもは不愛想な彼女の笑顔にぎょっとしていると、ダイアナが猫なで声で口を開いた。
「あのう、この前来ていたのって、警ら隊の副隊長さんですよね?奥様のお知り合いですかあ?」
げっ……!
フェリシテは内心、警戒した。
他の使用人はダイアナを天然とかいうが、フェリシテはそう思わない。
何故なら、笑顔の目が笑っていないし、顔立ちは違うのだが、妹のエルヴィラにどこか似ているからだ。
「ええ、知り合いです」
無難な答えを返すと、ふうん、とダイアナは口の端を上げた。
「へえ、そうなんですね。えっと、またなにかのお手伝いに来たりするんですか?」
……何故そんなことを聞くんだ、と思いかけて、ダイアナのキラキラした瞳で、オリバーがダイアナに狙われているのだと知る。
常に出会いの機会をうかがって恋愛関係に持っていこうとする彼女の餌食になるのは、オリバーが可哀想だと思ったフェリシテは、何食わぬ顔でとぼけた、
「いえ、この前は特別でしたので。今後は、まずこちらに来る事はないと思います」
オリバーがダイアナに貢ぐことになったらとんでもない事だ。
なるべく屋敷に呼ばない様にしないと、と冷や汗をかきつつ言うと、「なーんだ」と、ダイアナはあからさまにがっかりして、興味を失った様子で立ち上がった。
「あっ、用事思い出しちゃった。ごめーん、トリシア、あとよろしくね!」
エプロンで手を拭くが早いか、ダイアナがまだ残った洗濯物を放置して、さっさと立ち去る。
「⁉ ダイアナ、ちょっと……!」
フェリシテが呼び止めようとするが、振り向くと、すでにダイアナの姿は消えていた。
何という逃げ足の速さだ。
唖然としていたフェリシテだったが、我に返って洗濯を手伝おうと近付くと、トリシアはあわててその手を遮った。
「いけません、奥様。これは使用人の仕事です。私は慣れていますから、大丈夫です。……あの、本当は奥様の洗濯だって私の仕事なんですから……」
気まずそうに口ごもるトリシアを見て、フェリシテは溜息をついた。
多分、他の使用人達が嫌がらせで奥様の世話をするな、とでも言っているのだろう。
フェリシテも薄々気が付いていたのだが、年下で大人しいトリシアは、他の使用人に仕事をよく押し付けられている様だった。
トリシアは雑役女中なので雑用をするのが仕事ではあるのだが、皆がおしゃべりしている間に一人で掃除をしていたり、一人でアイロンがけをしていたり、何故か台所女中の仕事である生ごみの廃棄や銀食器磨きをしているのすら見たことがある。
気が弱いから断り切れないのだろうが、同じ年のダイアナがアレなので、なおさら仕事が増えているに違いない。
使用人の管理は本来、屋敷の夫人の仕事のためフェリシテの監督不行き届きではあるのだが、今の自分の立場では注意したら、逆に煽る事になりそうだ。
洗濯物を干したフェリシテは、部屋からラベンダーハンドクリームを持ってきて、トリシアへ渡した。
「……? 奥様、これは何ですか?」
普通、薬局で売られているハンドクリームはコインサイズだが、こちらはジャムの瓶サイズと言う大きさだ。分からないのも無理はない。
差し出されたものを反射で受け取り、不思議そうな顔をしているトリシアに、フェリシテは、「あげます」と言った。
「ラベンダーのハンドクリームです。手がひび割れだらけじゃないですか。これを塗ってください、良く効きますよ」
「えっ……そんな高価なものをいただくわけには……!」
青くなるトリシアに、まあまあ、とフェリシテは改めてトリシアの手に瓶を握らせた。
「その手じゃ、水仕事で痛むでしょう?毎日必ずする事なので辛いでしょう。少しでも傷を治してください」
「……奥様……」
トリシアは、フェリシテを見つめて目を潤ませた。
彼女の苦労が軽くなるわけではないが、少しでも助けになれば。
トリシアは、ぎゅっと瓶を抱きしめて「ありがとうございます……!」と言った後、しばらく黙っていたが、思い切った様に顔を上げてフェリシテへ告げた。
「あの、奥様。ダイアナの戯言とは思うんですが、ひとつだけお気を付けて下さい。彼女、ヒューイット様の妻にふさわしいのは自分だって言っているんです。きっとヒューイット様に自分が選んでもらえるって。ヒューイット様には相手にされていなくて、奥様と結婚したのに、まだ言っているんです。あの、嫌がらせとかされてませんか?大丈夫ですか?」
うわあ、とフェリシテは冷や汗をかいた。
そういう所までエルヴィラに似ているのか。
エルヴィラも何故か謎の自信を持っていて、男性は全員自分を好きになると豪語していたっけ。
「心配してくださって、ありがとうございます。今のところは大した事はされていませんが……念のため気を付けておきますね」
エルヴィラといい、ダイアナといい、皆に可愛がられて幸せなはずなのに、あれもこれもを欲求のままに欲しがるのは何故なんだろう。
頭を抱えたくなりながら、何事もありませんように、という祈りを込めて、フェリシテは「大丈夫ですよ」と返した。