攫われた攻略対象 6
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「お兄様、ヴォルフラムが攫われたって、どういうことですか⁉」
翌朝、女子寮の玄関前にヴォルフラムの姿はなく、代わりにお兄様が立っていた。
不思議に思いつつも、お兄様から「今ここでは話せないよ」と言われたので学園へ向かって、その足で生徒指導室へ連れていかれた。
生徒指導室にはすでにニコラウス先生がいて、先生には珍しく落ち着きがないというか、狼狽している様子だった。
そしてわたしが席に着くと、お兄様が、ヴォルフラムが昨夜のうちに何者かに連れ去られたのだと教えてくれたのだ。
お兄様によると、異変に最初に気が付いたのは、男子寮の使用人らしい。
男子寮も女子寮も、さすが貴族学園の寮と言うべきか、食事はすべてルームサービスだ。
外出するという連絡を入れていなければ、毎日だいたい決まった時間に、寮の使用人が部屋まで食事を運んでくる。
一流の料理人が雇われているので、食事もとても美味しい。
ほかにも寮内にカフェもあって、そこではスイーツを提供している。カフェのスイーツは持ち帰ることも可能で、わたしもよくヴィルマに頼んで買ってきてもらったりしていた。
その寮の使用人の証言によると、まず、今朝いつもの時間にヴォルフラムの部屋に食事を届けに行ったそうだ。
けれども部屋には鍵がかかっていて、扉を叩いても返事がない。
土日ならまだしも、今日は金曜日。
ヴォルフラムはきっちりしている性格であるし、彼は実家から身の回りの世話を頼むために男性の使用人を一人連れてきていた。
ヴォルフラムの部屋の続き部屋で生活しているその使用人からの返事がないのもおかしい。
扉を何度か叩いて、どれだけ待っても返事がなかったので、寮の使用人は扉に耳をつけて中の様子を探ろうとしたらしい。もしかしたら朝食も取らずに早く寮を出た可能性があると考えたからだ。
すると、部屋の奥から微かな物音がした。あわせて、うめき声のようなものも聞こえてくる。
彼は、もしかしたら部屋の中で何か大変なことが起こっているのではないかと、急いで寮監を呼びに行った。
そして、寮監の持つ合鍵で部屋を開けてもらうと、部屋の中には縛られて猿轡をかまされたヴォルフラムの使用人が転がされていて、ヴォルフラム本人の姿はなかったという。
ヴォルフラムの使用人を解放して事情を聞くと、昨夜のうちに、ヴォルフラムの部屋に複数人の男たちが侵入してきて、ヴォルフラムを攫っていったと話した。
「こんなこと、前代未聞ですよ。寮に侵入者なんて。ヴォルフラム君は無事でしょうか……」
ニコラウス先生が頭を抱えている。
寮には警備員もいるから外部から侵入する人はいないと思っているのかもしれないみたいね。わたしの部屋にヒルデベルトが侵入してきたことは、ニコラウス先生のためにも、そしてわたしのためにも黙っておいた方がよさそうだわ。
「ねえ、お兄様。寮に侵入者があったのに、警備員も他の寮生たちも、気が付かなかったんですか?」
「ああ。昨夜に騒ぎなんてなかったよ。よほど手馴れている人間たちなんだろうね。そもそも、ヴォルフラム・オルヒデーエは優秀な生徒だろう? 彼が無抵抗で攫われるなんてよほどのことだ」
「無抵抗で……?」
「部屋にはほとんど争った形跡はなかった。それから彼が抵抗したなら、その物音で近くの部屋の人間も気づくだろう? 彼の使用人が気づいて部屋に様子を見に行った時には、彼は気絶させられていて男の一人に担がれていたというからね、ほぼ無抵抗で攫われたのは間違いない」
……お兄様の言う通り、ヴォルフラム相手にそれができたのなら、本当に手慣れた人たちだと思うわ。
「いったい誰が……」
わたしはぎゅっと自分の手を握り締めた。
……ヴォルフラムは、無事かしら。
ゲーム「ブルーメ」がはじまる来年の春の時点でヴォルフラムは生きている。ゲームの攻略対象だし、攫われたとしても無事に戻ってくるはず。――はず、なんだけど、どうしてかしら、妙な胸騒ぎがするわ。
だって、ここは現実世界だもの。
悪役令嬢のわたしがお兄様と契約結婚する予定だったり、本来アレクサンダールートまで眠ったままのはずのアグネスを目覚めさせることができたように、選択次第で未来は少しずつ変わっていくのよ。
だったら、ヴォルフラムの未来も変わるかもしれない。
相手が攻略対象だからといって、きっと安全だと安心することはできないんだわ。
「お兄様、ヴォルフラムの使用人には心当たりはないんですか?」
「それなんだが、今アレクサンダーと寮監が確認しているよ。妙に狼狽していたし、恐らく何か知っている気がするんだが、口止めされているのか、はたまたほかの理由なのか、ヴォルフラム・オルヒデーエが攫われたという情報以外に詳しいことを話そうとしないんだよねえ」
「それ、めちゃくちゃ怪しいじゃないですか!」
「だから、脅し……じゃなくて、問い詰めて吐かしているところだよ」
……お兄様、今、脅しって言いませんでした?
男子寮の寮監って、身長が二メートル近くあるかなり体格のいい人だった気がするわ。そんな人と、上級魔法を難なく操るアレクサンダー様の二人がかりで脅されるなんて、ヴォルフラムの使用人は大丈夫かしら。心臓止まったりしない?
……まあ、尋問係がお兄様じゃなかっただけましなのかしら? お兄様、こういうとき、絶対容赦しないもの。笑顔で相手に苦痛を与えるくらいしそうだものね。
「マリア、お前、失礼なことを考えているだろう?」
「え⁉ 何のことですか? マリアは失礼なことなんてこれっぽっちも考えていませんよ、ほほほほほ」
じっとりとお兄様に睨まれて、わたしはついと視線を逸らす。
すると、視線をそらした先にニコラウス先生がいて、ばっちり視線が絡んだ。
「マリアさん、ここのところヴォルフラム君と行動を共にしていたようですが、何か心当たりはありませんか? なんでもいいんです」
ニコラウス先生の切実な声に、わたしは「心当たり……」と呟きながら考え込む。
心当たりと言われても、ヴォルフラムが攫われるような問題に心当たりなんてない。
……というか、ヴォルフラムはわたしを守ってくれていたんだもの。むしろ、狙われるならわたしのはずだと思うんだけど。
ヒルデベルトも、ヴォルフラムに興味はないはずだ。
だって彼は、ヴォルフラムが自分の弟だと言うことを知らない。
三歳で攫われ、当時の黒豹のリーダーであるローゼンに育てられたヒルデベルトは、それまでの記憶が曖昧で、自分の親がどこの誰なのかも覚えていないのだから。
彼がヴォルフラムと兄弟だと知るのは、ヴォルフラムルートの終盤でのことだ。だから現時点では気づいてもいないはず……。
そこまで考えて、わたしはふと、この前わたしの部屋に侵入してきたヒルデベルトの言葉を思い出した。
――お嬢ちゃんのクラスに、ヴォルフラム・オルヒデーエって男がいるだろう? 最近、何か変わった様子はなかった?
……あれ? ヒルデベルトはヴォルフラムが弟だと知らないはずなのに、どうしてヴォルフラムの様子が気になったのかしら?
何かが妙だ。
そして、劇場でヒルデベルトに会ったとき、彼はボールマン伯爵を探っているようだった。
そのボールマン伯爵の娘であるツェリエは、ヴォルフラムと婚約すると言っている。ヴォルフラムは否定したが、完全に流れた話であればツェリエがあんなことを言うはずがない。断り切れない何かがあるのではなかろうか。
……このつながりは、偶然なのかしら?
引っかかりを覚えるものの、考えてもわからない。
考えることに向かないわたしでは、これ以上考えても何もわからないだろう。
「あの、お兄様……」
「何か心当たりがあるんですか?」
お兄様に相談しようとすると、その前にニコラウス先生が食いつくように訊ねてくる。
生徒が攫われて、ニコラウス先生の心労は相当なものだろう。
しかし、ヒルデベルトのことをニコラウス先生に話してもいいものだろうか。
わからないので、わたしはお兄様に判断をゆだねることにした。
「お兄様、劇場での一件も含めて、気になることがあるんですが……その、このままここでお話しても大丈夫でしょうか?」
お兄様はちらりとニコラウス先生を見て、肩をすくめた。
「お前はあれと関係があると思っているのか。……それならば、黙っておくわけにはいかないだろう。ただし、その件を口外することがお前にどう影響するのかがわからないため、ニコラウス先生が今からする話を口外しないと約束してくれるのならば、だが」
「……先生」
わたしがニコラウス先生を見ると、彼は真顔で頷いた。
「何か事情があるのでしょう。口外はしませんから、何か知っているのなら教えてください」
ニコラウス先生は、勝手に約束を破るような人ではない。
わたしが頷くと、お兄様が、以前劇場であったことを説明しはじめた。