王都の義賊 8
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お兄様たちが外に出て、十分くらいが経過しただろうか。
ソファに座って、ぼーっと劇が中断されている舞台を眺めていたわたしは、天井からカタンという物音が聞こえてきて、首をひねった。
……まさか、ネズミとか?
ざーっと血の気が引いていく。
お兄様がそばにいないのにネズミが降ってきたらどうすればいいのだろう。
わたしは咄嗟にひしっとソファの背もたれにしがみついた。
ソファがわたしを守ってくれるはずはないのだが、他に縋れるものがなかったからだ。
ソファの背もたれにしがみついたまま、そーっと暗い天井を見上げる。
天井からは、まだガタガタという音が聞こえている。
……ネズミにしては、音が大きいような。
ネズミじゃなかったら、何だろう。
ごくりと息を呑んで、最悪の場合はファイアーボール……は、劇場が火事になったら大変なので、ストーンブレットで撃退しようと考えていると、突然、天井の板の一部が降って来た。
「きゃああああっ!」
咄嗟にソファから立ち上がったが、天井の板が落ちてきたのはわたしから少し離れたところなので、直撃するようなことはなかった。
だが、びっくりしたのだ。
板と一緒にネズミの大群が降ってくるところまでを想像してしまった。……想像力が豊かすぎかしら、わたし。
落っこちてきた天井板を見つめていると、ガタガタと天井からまた音がしてきた。
見上げると、板が外れて穴が開いたところから、にゅっと二本の足が伸びている。
「ひぅ!」
喉の奥で悲鳴が凍った。
そーっとそーっとボックス席の壁に移動して、べたんと壁に張り付く。
……なにあれなにあれなにあれー‼
壁に張り付いて見守っていると、「よっ」という掛け声とともに穴から誰かが下りてきた。
「……っ」
違う意味で、わたしの悲鳴がまた凍る。
天井から降りてきたのは男だった。
蜂蜜色の髪にオレンジ色の瞳の、見覚えのある男だ。
……ヴォルフラム! ……いや、違う?
顔立ちはヴォルフラムそっくりだった。
だが、髪型が違う。
ヴォルフラムは襟足に毛先がかかるくらいの長さだが、目の前の男は肩甲骨のあたりまであって、それをひもで一つに束ねていた。
年齢も、たぶん、ヴォルフラムより二つか三つくらい年上に見える。
……って、あれ?
彼の顔を見た瞬間、わたしの記憶に引っかかるものがあった。
――ふんっ! 偽善者ぶった王女様なんて、白獅子に攫われてしまえばいいんですわ‼
ゲームでの、マリア・アラトルソワの捨て台詞を思い出す。
……どうして忘れていたのかしら!
目の前の男は、ゲーム「ブルーメ」の攻略対象の一人、ヒルデベルトだ。
ヒルデベルトはヴォルフラムルートをハッピーエンドでクリアするとルートが開ける攻略対象だ。
そして、実はヴォルフラムの二つ上の兄でもある。
ヒルデベルトは、三歳の時に領地にいた時に人さらいに会い、売られそうになっていたところを義賊「黒豹」のリーダーであるローゼンに助けられ、そのままローゼンに育てられた。
しかし、ローゼンが死に、黒豹が分裂。
ヒルデベルトは黒豹が分裂した新しいグループ「白獅子」のリーダーになるのだ。
……でも待って。ゲームのヒルデベルトは右目を怪我して隻眼になっていたのに、今の彼の右目はまだ無事だわ。
ということは、来年の春のゲームスタートまでに、何かが起こって右目を失うのではなかろうか。
……もしかして、今の黒豹の抗争が原因かしら?
思わぬところで攻略対象と遭遇したせいか、呑気にそんなことを考えていたわたしは、本当に危機管理能力が足りないと言える。
気がついたら、ヒルデベルトが目の前にいて、わたしの喉元に短剣を突きつけていた。
……わたしのばかー‼
呑気に考えこんでいないで、なんで逃げなかったの⁉
たらー、と背筋に冷や汗が伝った。
攻略対象は基本的にヒロインに甘い。だから、ゲームではヒロインに対して、あまり乱暴なことはしないし、最初の登場シーンで多少ヒロインに危害を加えようとしても、怪我をさしたりはしない。ましてや命を奪うことなんてありえない。
だけど――わたしは、悪役令嬢マリア・アラトルソワだ。
攻略対象が、悪役令嬢に優しいという方程式は成り立たない。
久しぶりに、わたしの中の警戒アラームが、ピーポーピーポーと鳴り響く。
これはもしかしなくても、ものすごくピンチな状況ではあるまいか⁉
「お嬢さん、お邪魔してごめんね?」
ヒルデベルトが、至近距離で怪しく笑う。
……うぅ、顔が、顔が、すっごくいいよぅ!
こんなときに顔に見とれてしまうわたしの脳みそも大概だと思うけれど、だって、ヴォルフラムに野性味をプラスしたちょっぴりワイルド系イケメンに迫られると、ドキッとしてしまうんですよ! 短剣なんていらないオプションはくっついてますけど!
首を少しでも動かしたら短剣の刃が当たってしまいそうな危険性があるので、わたしは慎重に口を開く。
「い、いえ、ちょうど劇も中断していますし、気にしませんわ、ほほほほほ」
精一杯の虚勢を張って答えると、ヒルデベルトが「おや」と眉を上げた。
「へー、この状況で泣き出さないなんて、なかなか肝が据わったお嬢さんだね」
「そ、それはどうも……」
まあ、現実では初対面でも、ゲームでは何度も見た顔ですからね。しかもヴォルフラムをクリアした後に即プレイしたのがあなたなんですよ。なので、初対面だけど知り合いみたいな、妙な感覚がわたしにはあるんです。
とはいえ、この状況はまったく安心できない。「顔を見られたからには生かしてはおけないぜ」みたいな展開になったらどうしよう!
顔には何とか虚勢を張り付けているものの、膝なんてがくがくぷるぷるですよ! 今にも膝から崩れ落ちそうです。
……お兄様ぁ‼ 早く帰って来てー‼
はっきり言おう。レベル四のわたしでは、ハイスペックな攻略対象には絶対に勝てない。
ヒルデベルトは武術の達人だが、魔法攻撃も得意なのだ。
攻略対象はハイスペックであるべきという固定観念があるらしい「ブルーメ」の制作者は、登場する攻略対象全員が信じられないくらいに有能にしているのである。
……はい! いちプレイヤーだったものとしては、少しくらい隙があるのもいいと思いますよ‼
なーんて、ゲームをプレイしていたときのわたしは、そんなことまったく考えなかったけどね。
ゲームの登場人物は、現実離れしているからいいのだ。現実にいないハイスペックイケメンによしよしされるから萌えるのである。現実レベルの人を用意されても、乙女は全然ときめかない。……って、そんなのわたしだけかしら?
「この部屋から人が飛び出していくのを見たから、ここには誰もいないと思っていたんだが、もう一人残っていたとはね。……俺としても、可愛い女の子を血に染めるのは好きじゃないし、お嬢ちゃんがお口を閉じていてくれるなら、見逃してあげるよ?」
ヒルデベルトはそう言いながら、短剣を持っていない方の手の人差し指で、わたしの唇をふにっと押す。
ふにふにとわたしの唇で遊びながら「どうする?」なんてちょっと可愛らしく首をひねるものだから、不覚にもときめきそうになりますよ! ええ、そんな状況でないのは理解していますけどね。
……あのぅ、唇を押されていると、喋れないんですが‼
返事をしたくても返事ができない。
しかし、頷こうものなら、首に押し付けられている短剣で怪我をするかもしれない。
……くっそぅ!
わたしは、ふにふにと唇をつつかれながら、小さく口を開けた。
「ひぅやふぇん」
「ブハッ」
途端、ヒルデベルトが噴き出した。
ちょっと、ひどいと思いますよ! まともにしゃべられなくしたのはそっちでしょう⁉ それなのに、笑うなんてあんまりです!
わたしが涙目で睨むと、ヒルデベルトが「ああ、ごめんごめん」と肩を揺らしながら謝罪してきたけど、笑っている時点で謝罪になってませんからね!
だが、ようやく唇から指が離れたので、わたしはじっとりと彼を睨みつけながら繰り返した。
「言いませんわ。これでいいのかしら?」
ムカッとしたから、悪役令嬢っぽくちょっとツンツンしちゃうよ。
口をとがらせると、ヒルデベルトがわたしの首から短剣を離してくれた。
「気の強いお嬢ちゃんだね。……そんなに膝が笑ってるのに、威勢だけはいいなんて」
う! 気づかれていましたか!
でも仕方がないでしょう?
わたしだって、普通の女の子ですからね! 首に短剣を突きつけられたら怖いんです!
「じゃあ、お嬢ちゃんはそこで大人しく……ああ、ついでだ、知っていたら教えてほしいんだが、今日ボールマン伯爵がここにオペラを観に来たと聞いたんだけど、知っているかい?」
「ボールマン伯爵、ですか? いえ、ここではお会いしておりませんけど……」
わたしはボールマン伯爵の顔を思い出した。親しくした覚えはまったくないが、何度かパーティーで顔を合わせたことがある。なんというか、前世で言うところのビール腹のような丸いお腹をした、目じりの下がったおじさんだ。
「……そうか。あまり時間もないし、今日のところは諦めるか」
ヒルデベルトはボックス席から下を見下ろして残念そうに言うと、自分が開けた天井の穴に軽々と飛び乗った。
……おお、忍者みたい!
あの高さに、よく飛び乗れるものである。
「じゃあね、お嬢ちゃん。約束は守ってくれよ」
「え、ええ、もちろんですわ」
わたしは我が身が可愛いですからね! 命の危険があるようなことは、言いませんししない主義です! ……前回思いっきり大怪我したから、信用ないかもしれないけどね!
ヒルデベルトがたったったっと天井裏を走っていく音がする。
とりあえず危険は去ったとほっと額の汗をぬぐったわたしは、そこで、床に転がっている天井の板を見てハッとした。
……しまったあ‼ この状況、お兄様たちにどう説明すればいいのー⁉
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