王都の義賊 3
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「マリア、週末の土曜日は、暇だろうか?」
火曜日の補習が終わって、女子寮の前まで送ると言ってくれたアレクサンダー様と歩いていると、アレクサンダー様が唐突にそんなことを言い出した。
「土曜日、ですか? 今のところ、これといって特に予定はありませんが……」
というより、お友達のいないわたしは、週末はたいてい暇ですけどね!
暇だからヴィルマを連れてリッチーのお店にお買い物に行ったりするんです。
まあ、今はヴィルマのほかにハイライドがいるけど、彼はほかの人にはカナリアにしか見えないので、二人きりの時以外に堂々とおしゃべりするわけにもいかない。
ここまで考えて、わたしは、この状況はあまり芳しくないのではないかと思えてきた。
……友達がいないなんて、いかにも悪役令嬢っぽいじゃあないの‼
少なくとも一人か二人……一緒にランチを取ってくれる子とか、週末にお茶をしたりショッピングを楽しんだりする子とか、いた方がいいに決まっていた。
というか、わたしがほしい。女友達‼
これは早急に「お友達を作ろう計画」を立てなければなるまい。
よし、寮に帰ったらヴィルマに相談……は、きっとふざけたことを言ってまともな意見は出なさそうだからやめておいて、一人でお友達計画を立てるぞ!
えいえいおー!
と一人で気合を入れていたわたしの横で、アレクサンダー様の話は続いていたらしい。
何やらぼそぼそと言っている声が聞こえるが、よく聞き取れなかったのでわたしは訊き返した。
「ええっと、なんですか?」
「だから、土曜日に、私とオペラに行かないか。ナルツィッセ公爵家が年間で押さえているボックス席があるんだ」
わーぉ、お高い二階のボックス席を、年間キープですか。
って、わたしが知らないだけで、アラトルソワ公爵家も押さえていそうですけどね。
これまでわたしは、観劇は「男性に誘われていくもの!」というよくわからない固定観念を持っていたので、我が家が押さえている席でオペラを観るなんて考えたこともなかった。
というか、一人淋しく(侍女のヴィルマはノーカウント。基本的にマリアのカウントは男性のみ)オペラを観るとか、以前のわたしのプライドからすれば許されなかったことだからね。誘われないなら行かないと意地になっていたのよ。
……もう、本当にポンコツだわマリア! 貴族令嬢たるもの、流行は押さえておいてなんぼでしょうに、流行のオペラを観に行かないなんて!
いつでも観に行ける環境がありながら、なんてもったいない!
かくいうわたしも、これまでオペラなんてものの存在をすっかり忘れていたので人(以前のわたし)のことは言えませんけどね!
「上演しているのは悲恋ではない恋愛ものなので、君は好きだろうと思うのだが」
そうですね。恋愛に生きてきたマリアなら、アレクサンダー様との甘いラブストーリーのオペラ観劇なんて速攻食いつくところでしょう。
……でも、今のわたしは違うのです。慎重にいかなくては!
攻略対象であるアレクサンダー様と必要以上に仲良くなるのは危険な気がする。
そして、アレクサンダー様と仲良くしていると、どういうわけかお兄様のご機嫌が悪くなるので、ここも要注意だ。
かといって、せっかく誘ってくださったのにお断りするのも忍びない。
もっと言えば、オペラ観たい。
……うぐぐぐぐ、結局わたしはどうすれば⁉
なんて優柔不断なのかしら、わたしってば! 慎重にとか言いつつ、ただ答えが出せないだけじゃないの!
わたしは、こういうところが本当にポンコツなのだ。
洗練された公爵令嬢であれば、こういうとき、気の利いたことを言いながらすぐに答えが出せたはずなのに!
「……いやか?」
ああっ、アレクサンダー様がしょんぼりと肩を落としちゃった。
そうよね! 公爵家の嫡男で、頭も良くてスポーツも万能でイケメンなアレクサンダー様の誘いを断る女性なんて世の中にいるはずがない。
わたしが悩んだことで、きっとアレクサンダー様のプライドをいたく傷つけてしまったんだわ!
アレクサンダー様が傷ついた顔をしていると、わたしの心も痛い。
ということは、ここはお話を受けるのが正解ね!
「わかりました、では土曜日――」
「おやおやおや、楽しそうな会話をしているね」
ギクギクギクッ‼
アレクサンダー様の申し出を受けようとしたまさにその時、背後から冷気漂う笑い声が聞こえてきて、わたしはさーっと青ざめた。
ぎりぎりとさび付いたブリキ人形よろしく首を巡らせると、女子寮の前の木に寄り掛かるようにして、お兄様が立っていらっしゃる。
……ひー‼
何でお兄様がここに⁉
お兄様とは契約結婚のお約束をしただけで恋人同士ではないのだから、後ろめたいことは何もないはずなのに――わたしは背中にだらだらと冷や汗をかいた。
お兄様が木の幹に寄り掛かっていた体勢を解き、にこやかにこちらに歩いてくる。
「アレクサンダー、忘れているようだからもう一度宣言しておこう。マリアはこの夏に、私との結婚が決まっているんだよ。人の未来の花嫁をデートに誘うなんて、いくら何でも非常識じゃあないかね?」
……お言葉ですがお兄様、アレクサンダー様はオペラに誘ってくれただけですよ。デートなんて一言も言っていません! だからデートではないはずです! たぶん!
と思ったけれど、わたしのちんけな危機管理能力が、これは口に出してはいけないやつだと教えてくれたので黙っておく。
……よし、お兄様はアレクサンダー様に話しかけているみたいだし、ここは「わたしは関係ないわ~」って感じで見守っておこう!
下手に会話に入らない方が安全だと判断したわたしは、そーっとうしろに一歩下がって、傍観者になることにした。
「その件だが、ジークハルト。私も少し考えたんだ」
ふむ、よくわかりませんが、アレクサンダー様は何かを考えたらしいです。ところで、その件ってどの件ですかね?
「君とマリアは結婚するそうだが、果たしてそれは、マリアの中で最善なのだろうか」
「……ほぅ?」
う! お兄様の周りの温度が二度くらい下がった気がするけど、気づかなかったことにしておこう。わたしはただの傍観者。
「去年一年間のマリアの行動を思い出す限り、マリアは私を含め、幾人かの男性に声をかけていた。まあそれは褒められたことではないのだが、そのことを考えるに、マリアは声をかけていた男性たちの中から結婚相手を見つけようとしていたのではなかろうか。そして、彼女が追いかけていた男性の中に、私は含まれているが君は含まれていない。つまり、マリアの中での優先順位は私の方が上ではないかと愚考する」
「ほほぅ?」
ああっ、お兄様の周りの温度が追加で三度くらい下がりましたよ! もちろんわたしは気づかないふりをしますけどね‼
「要するに、マリアは消去法でジークハルトとの結婚を決めたのであって、彼女の理想はまた別にあるはずだ」
「そうなのかい、マリア?」
お兄様ぁ‼ なぜわたしに話題を振るんですかー‼
傍観者に徹するはずだったのに、わたしに視線が飛んできて、わたしは「ひう!」と飛び上がる。
これはだめ! 絶対に頷いてはダメなやつ!
確かに悪役令嬢になりたくないから手近なところでお兄様と契約結婚しちゃえばいいや~って軽い気持ちで考えたので、アレクサンダー様の言うところの消去法というのが間違いではないとは思うけど、絶対に肯定しちゃ、ダメなやつ‼
わたしはぶんぶんと首を横に振った。
ここで頷いたら、たぶん悪鬼が降臨する。お兄様が本気モードでお怒りになるやつ! お兄様の本気のお仕置きは怖すぎるので絶対に肯定しません‼
「ジークハルト、優しいマリアが、そんな問いに頷けるはずがないだろう」
アレクサンダー様も余計なことを言わないでくださいませ‼
がくがくプルプルと震えていると、お兄様が腕を組んで軽く顎を上げた。
「マリアは否定しているようだが、つまるところ、それは私に対する宣戦布告と取っていいのかな、アレクサンダー」
「もちろんそう取ってもらって構わない」
アレクサンダー様は何の宣戦布告をなさっているんですか‼
マリアは、マリアは、この状況について行けませんよ‼
今すぐ、目と鼻の先にある女子寮の玄関の中に逃げ込んでしまいたい気分です!
お兄様は、アレクサンダー様の宣戦布告を聞くと、ニッと口端を持ち上げた。だが、紫紺の瞳はまったく笑ってない。
「いいだろう。受けて立とう。奪えるものなら奪ってみるといい」
「もちろんそのつもりだ」
どのつもりですか⁉
もうこれは、逃げるしかない。
三十六計逃げるに如かず! こういう時は、逃げるが正解!
わたしはそーっと、そーっと女子寮の玄関に向けてカニ歩きで近づいていく。
だが、優秀なお兄様とアレクサンダー様がそれに気づかないはずもない。
がしっと右手をアレクサンダー様、左手をお兄様に取られて、わたしは動けなくなってしまった。
「では、私も正々堂々邪魔をさせてもらおう」
お兄様、正々堂々「邪魔」ってなんですか?
というツッコミも、もちろん怖いのでしませんけどね。
「土曜日のオペラだったか。もちろん、私もついて行くよ。何故なら私はマリアの婚約者だ。婚約者が男と二人きりで出かけるなんて、そんな不名誉な噂が立ちそうな状況を許せるはずがないからね」
あぅ、つまりはこの三人でオペラですか?
それは……それは……わたしにとって、恐怖体験でしかない気がしますけどこれいかに⁉
でも、たぶん、了承しなければ解放してもらえないやつだ。
わたしはかくんとうなだれた。
「わ、わー……三人でオペラ、嬉しいなぁ~……」
棒読みなのは、許してほしい。