後編
あれから、心配そうな目を向けてくるお兄様とお姉様を気にすることもなく、ひたすらに勉学に励んでいた。フェリクス様は無事に全寮制の学園に入学することができたそうだが、何故かその半年後にツェツィーリエが侍女見習いとして王城勤めを始めたと聞いた時には驚いてお茶をこぼしかけた。
なぜ、名門の子爵家である彼女がわざわざ侍女見習いを始めたのか不思議に思って、欠席ばかりしていたお茶会に久しぶりに出てみれば、その答えは簡単に出た。
文官になるための試験勉強で全く噂のことを知らなかったのだが、最近タールベルク侯爵家には庶子が迎え入れられたらしい。彼の髪色や瞳の色は侯爵と同じで、明らかに侯爵家の血を引くとわかるものであり、侯爵は彼をやたらと甘やかしているのだとか。ますますフェリクス様のお立場が悪くなっているのだという。
それは、同時に婚約者であるツェツィーリエの立場が悪くなることも意味していた。次期侯爵夫人となる予定だったツェツィーリエだが、フェリクス様に爵位が譲られるのか怪しくなってきたのだ。侯爵家側の有責として婚約解消も可能だったのだろうが、あのツェツィーリエのことだ。筋が通っていないことに対して首を縦に振るはずがない。
おそらく、フェリクス様と生きていくという覚悟を決めて行動に移したのだろう。彼に爵位が譲られなかった場合に備えて、二人の稼ぎで生活ができるように侍女を目指したのか、あるいは――。
そこまで考えて、少しだけ静かにしていたはずの私の怒りが沸々と湧き上がる。やはり、あの侯爵をこのままにはしておけない。それに、私もツェツィーリエに後れを取るわけにはいかないのだ。
お茶会用のドレスを脱ぎ捨てて、部屋着に着替えさせてもらい、いつも通りに机に向かった。どっさりと積まれた本を一つずつ読み進める。絶対に今年の文官試験に挑戦して、合格を勝ち取るのだ。
約一か月後の文官試験では、筆記試験は問題なく通った。過去にボーダーライン程度の点数を取った女性がいたらしいが、色々と適当な理由をつけられて落とされたと聞いていた。そのため、絶対に文句をつけさせまいと勉強したことで、満点を取ることができた。さすがに文句のつけようがなかったようで、一次試験は通過したというわけだ。
問題は面接の方だった。
結果から言うと、女性初、かつ、史上最年少の文官となることができたのだが、面接内容としては酷いものだった。私が正論で泣かせてきた人間の数は数えきれないが、まさか、年上で格上の貴族男性を泣かせることになるとは思わなかった。私が部屋を出るころには、面接官をしていた彼らは、それはもう酷い顔をしていた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
しかし、私が悪いとは全く思っていない。先に仕掛けてきたのは向こうだ。私が部屋に入るなり、鼻で笑い、コソコソと悪口らしきものをささやき合い、やっと面接を始めたかと思えば、女性は文官にはなれないだの、君の歳では不可能だの、女性は結婚をする方が良いが、君の見た目では結婚も難しいかもしれないな、だのと、まぁうるさかった。
しばらく好き勝手に言葉を続けさせて、それらを一つ一つ覚え、彼らが話し終わってから、順番に反論していった。女性が文官にはなれないなんて法律はないこと、歳の制限も法律で定められていないことを伝えた時点で、彼らは口を開けてこちらを見ていた。
さらに、個人への誹謗中傷は第五十六条第四項第四号に記載されており、訴えがあった場合は正式な裁判を経て、有責となれば被害者への損害賠償と書面での謝罪が必要であること、また、女性蔑視に対しての法律は最近になって追加されていて、第九十六条第二項第三号に記載されていて、こちらも裁判のうえで有責の場合には損害賠償と謝罪が必要になることを伝えた。そのうえで、裁判を起こしましょうか、と言葉をかけた。
彼らは、先程よりも目を見開いて口を開けた状態で、こちらを見ていた。とても貴族がするような表情ではなかったのだが、黙ってそのまま見つめ返してあげれば、しばらくしてやっと話し出した。先ほどまでの態度を改めたのか、やたらと丁寧な言葉で、君は法律書の内容をすべて暗記しているのか、などという馬鹿げた質問をしてきた。
「これから法律を見直して、新たに制定していく仕事に携わりたいのですから、当たり前のことではありませんか。そのようなことをお聞きになるなんて、まさか覚えていらっしゃらないのですか? この国の中央で働いているお方が? 私よりも年上で、しかも、既に文官として働いていらっしゃるあなた方が? それでお給料をいただいているんですよね? もちろん覚えていないなんて、ご冗談ですよね?」
思ったことをそのまま伝えただけなのだが、何故か泣き出した彼らに困惑していると、嗚咽の中で退出を促された。まともな面接がまだ行われていない状態での退出要求だったので、それは法律書の第何条何項何号に反しているという内容のことを伝えたら、もういいから、合格にするから、とにかく退出してくれと懇願されて仕方なく退出した。
このような面接だったため、結果通知までは落ちてしまったのではないかと心配だったのだが、面接官たちの言葉通りに無事に合格した。
談話室内で私と共に、文官としての採用通知を見たお兄様とお姉様は、それはもう信じられないというような顔をしていて、それほど異例中の異例なのだと再認識した。
それからすぐに王城勤めが始まった。希望通りに法律制定に深く関わる部署に配属され、同僚と日々議論を重ねる生活が始まった。稀に王城内でツェツィーリエとすれ違うこともあったが、彼女もまた努力をしているようで、いつの間にか正式な侍女になり、そして、王女付きの侍女になっていた。
そうして、私たちが忙しく毎日を過ごしていると、いつの間にかフェリクス様が王立騎士団に入団していらっしゃり、そのお姿を見かけることが増えた。
「ユリアーナ!」
聞きなれた声に振り向けば、フォルカー様が立っていた。少し離れた位置にフェリクス様がいらっしゃるということは、二人で歩いていたのだろう。随分と体格が良くなってしまったフォルカー様をジトリと見上げる。
「な、なんだよ、その目は」
「いえ」
「何か言いたいならはっきり言えばいいじゃないか」
眉を下げてそう言う彼をじっと見てため息をつく。
「そうおっしゃるのであれば、お話しいたしますが、王城では私にあまり話しかけない方がよろしいのではないでしょうか」
「なんで」
「フォルカー様はご令嬢方から人気があると伺っています。彼女たちのうちの誰かとご婚約を結びたいのであれば、あまり私に親し気に話しかけるのは良くないですよ」
「俺は別によく知らない令嬢と婚約を結ぶ気はないんだけれど」
「選べるというのはいいことですよ。よくお考えになってくださいね」
まだ何か言いたげなフォルカー様を置いて、さっさと仕事へと向かう。後ろから呼び止められた気がするのだが、気のせいだと言い聞かせて前へと進んだ。
しばらくして、タールベルク侯爵は、後継者に庶子を指名した。これでフェリクス様が侯爵になるという未来は閉ざされてしまったのだが、彼もツェツィーリエも全くそのことを気にしていないようだった。相変わらず淡々と仕事をしている。
それに対して、社交界では様々な憶測や噂が飛び交っていた。意外なことに、それらは彼ら二人にとって良心的なものが多かった。やがて、結婚の話をされてお祝いをして、王都では彼らをモデルとした劇が人気を呼び、二人の関係は真実の愛などと騒がれた。
ささやかな結婚式を挙げる彼らの邪魔をしないように、ある人々に対して、早々に手を打つことにした私は、久しぶりにツェツィーリエとお茶会をしていた。かつて、大量に砂糖とミルクを紅茶にいれていた私たちも、もう適切な量で飲むことができるようになっていた。それが、時間の経過を表すようで、少し物悲しくもある。
「ツェツィ、前に準備が整ったという話をしたと思うのだけれど」
「えぇ、何となく予想はついているけれど」
「じゃあ、たぶん予想通りよ。ところで、今でも日記はつけているかしら」
私の言葉に目を瞬かせた彼女は静かに頷いて、後ろに控えていた侍女に声をかけた。しばらくして戻ってきた侍女から日記を受け取ると私の方へと差し出してくる。不思議そうな顔をしている彼女に、微笑みかけた。
「これが必要だったの。証拠としてね」
「あら、じゃあ、まさかあの時からそのつもりだったの?」
「そうよ」
彼女に日記を勧めたのは、いつかフェリクス様への虐待を罪として罰するための証拠が欲しかったからだ。私はその法律を定めるために文官を目指した。これでようやく親友とその婚約者を苦しめた人物を罰することができる。ついでに昔のことも清算してもらおうと思って、不当な婚約破棄についての法律も定めた。
タールベルク侯爵家の人間には罪を償ってもらおう。
「今、すごく悪い顔をしていたわよ……」
若干引き気味にツェツィーリエが、そう言った。その言葉で慌てて元の表情に戻す。もともと人相がいいとは言えない私の顔だ。なぜ、あれほどに穏やかな両親から生まれてきた私の顔が、こうなのかはよくわからない。
「それじゃあ、結果は楽しみにしておいてね。とびきり重い罰を用意しておいたの」
しばらくして、裁判を起こし、タールベルク侯爵とその夫人を引きずり出した。もともと、私が制定した法律ということもあり、彼らを裁いてもらうのに必要な証拠はすべて揃えており、不備もない。何年もツェツィーリエたちを苦しめていたのが嘘のように、あっさりと有罪判決が下り、これまたあっさりとフェリクス様への損害賠償と謝罪が命じられた。
ついでに、昔、不当な婚約破棄を突き付けた相手である私たちの両親に対しても損害賠償と謝罪が命じられた。
もともと、侯爵夫人が散財していることもあり、財政的に厳しかったタールベルク侯爵家は、賠償金を払うこともできるはずがなく、結局家財を売り払ったり、土地を売ったりしたようだ。今では、侯爵というのは名ばかりで、その辺の伯爵家や子爵家にも劣る存在となった。
バタバタとしている間に、フェリクス様とツェツィーリエは結婚式を挙げた。もともと可愛らしいツェツィーリエだったが、花嫁姿の彼女は輝いて見えた。まぶしく思いながら、ふと自分にはまだ婚約者がいないことに気が付いてしまった。
その後もバタバタと仕事をしているうちに、簡単に時間は流れていき、同世代の令嬢たちはどんどん結婚していった。気が付けば、二十歳になっていた。この国では女性は十代のうちに結婚するのが普通だ。たまに二十歳を超えても未婚の女性はいるが、それはいわゆる行き遅れというやつだ。
――完全に行き遅れている。
そう気が付いたはいいものの、結局何も行動を起こすことができずに、いつも通りに仕事に没頭していたある日、王城内でフォルカー様に声をかけられた。
「ユリアーナ!」
「何でしょう?」
振り向けば、それは一体どういう表情なのか、眉間にしわを寄せつつ、眉を下げてこちらを見ている彼がいた。
「その、なんだ。まだ、誰かと婚約を結んだりしていないのか」
「あの、フォルカー様はデリカシーという言葉をご存じですか」
「あっ、いや、そういうつもりじゃ」
「……えぇ、悪気がないのはわかっています。私、嫁の貰い手がないみたいです。フォルカー様こそ、人気があるのにも関わらず、まだ婚約すら結んでいないとお聞きしましたよ」
私の言葉に、むすっとした表情で黙り込む。彼を観察してみるが、口を閉ざしたままこちらを見下ろす彼と目が合うだけだ。
「あの、私のように婚約の話が出ない状態なら、まあ、どうしようもないですけれども、フォルカー様は違うじゃないですか」
「……ユリアーナは誰かと結婚する気はないのか」
「え? それはもちろん、婚姻を結んでくださる方がいれば、是非お願いしたいですね。ただ、皆様、文官として働いているような女性はお呼びじゃないみたいですよ」
そうなのだ。私は、文官としては問題なくても、普通の令嬢としては問題だらけなのだ。お茶会は必要最低限しか出席せず、女性の派閥にも属しておらず、淑女の嗜みとされる諸々は及第点がやっともらえる程度。顔も人相が悪く、可愛らしいとは言えない。
「……俺では駄目か」
「は」
聞き間違いかと思って見上げてみると、むすりとした表情のまま、こちらを見下ろす彼と目が合った。やはり聞き間違いかもしれない。首を傾げていると、眉を顰められる。
「駄目なのかと聞いている」
「あ、いえ、駄目じゃないですけれど」
私の言葉に対してパッと表情が明るくなった。大男が表情を緩めると、どうにも可愛らしい印象を受けるのは私だけだろうか。
「ユリアーナ、俺と婚約してほしい」
突然跪いて手を取られる。呆気にとられていると、沈黙に耐えられなかったのか、不安そうに顔を上げた彼がこちらを見る。
「その、ユリアーナ? やはりだめだったか? ユリアーナが法律にしか興味がないことは知っているつもりだが、それほど俺のことが受け入れられないか」
「あ、いえ、誤解です。私はフォルカー様のことを好ましく思っております」
「それは……友愛的な意味での好意だろう? まぁ、それでも婚約を結んでくれるというのなら、嬉しいが」
自嘲気味の笑みを浮かべた彼を見て、はて、と首を傾げる。私は、フォルカー様と出会ったときから、私とは違う考えを持つ彼のことを面白く思っていた。それが恋心に変わるのは、それほど時間がかからなかった。
自覚してしまえば、自分が苦しくなることは目に見えていたため、自分の気持ちにできるだけ気が付かないふりをしていた。それが難しくなったから、彼が誰かと婚約を結ぶことができるように、距離を置いていたのだ。女性としての魅力がほとんどない私のことだから、無理だろう、と最初からあきらめていた。
それなのに、こうして驚きの告白をされて、少しパニックになりつつも、自分の気持ちを彼に伝えたというのに、どうしてその想いを否定されているのだろうか。それほど、私の表情筋は機能していないのか。それならば、行動で示すほかない。
「フォルカー様」
「……?」
「第四十七条十項五号に関して、同意をいただけますか」
「そ、それは何だ?」
じっと見つめてみれば、少したじろいだ彼は、目をさまよわせた挙句、ゆっくりと頷いた。おそらく意味は分かっていないのだろう。
目の前で跪いている彼の頭をがしりと両手で固定すると、目を瞑って彼に口づけた。ふにゅっとした感触に恥ずかしさが増す。ササっと、彼から離れると、顔をそむけた。
「こ、これで信じていただけますか」
「あ、あぁ」
彼が近づいて来ようとする気配を感じたので、数歩後ろに下がる。その攻防を繰り返すこと数回、ばっと腕を掴まれてすっぽりと彼の腕の中に収められてしまった。
「さっきの可愛らしいのは何だ」
「……だって、フォルカー様が信じてくださらないから」
「もう一回」
「だ、駄目です」
これもまた攻防戦を繰り広げたが、結局フォルカー様に上を向かされて二度目の口づけを交わした。顔に熱が集まる感覚に、思わず下を向いた。恥ずかしさは消えないが、フォルカー様の腕の中は案外心地が良く、されるがままになっている。
「ところで、先程の第四十……何条だったか……」
「第四十七条十項五号、ですか?」
「あぁ、それだ。それは何の法律なんだ」
「それは、同意のない異性への行為に関する法律です。有罪の場合は、被害者への賠償責任があり、また、罪が重いと判断されれば、貴族牢行きになります」
「あー、なるほど。それで同意を求められたのか」
納得した様子のフォルカー様は、そう言って笑うと、こちらをいたずらっぽい笑みを浮かべて見下ろしてきた。
「では、先程の俺の口づけは同意がないということになるのか? ユリアーナは嫌がっていたようだが」
「あ、あれは……」
ハクハクと口を開け閉めする。確かに言葉では駄目だと言った。言ってしまった。しかし、それは恥ずかしいからであって、本当に拒否しているわけではない。まさか、ルールを盾にしてきた私がこんな形でルールに追いつめられるなんて。
「どうなんだ」
にやにやと笑う彼を見上げながら、どんどんと赤くなっていく自分が恥ずかしくて仕方がない。こうなってしまってはどうしようもない。どうにでもなれ、と目をぎゅっと瞑る。
「だ、駄目じゃない。ちゃんとフォルカー様のことが好き、だから」
「それは良かった」
そう言うと、フォルカー様は三度目の口づけをした。
予定より遅れてしまい、申し訳ありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。