中編
紅茶の良い香りが漂う部屋の中で、私たちはお菓子を楽しんでいた。貴族の嗜みの一つは紅茶であるが、まだまだ子供の私たちはその紅茶にたっぷりとミルクや砂糖を入れる。そして、主役は紅茶ではなく、このお茶の時間に出てくるお菓子の方だ。
可愛らしい形のクッキーを頬張りながら、ちらりと目の前のツェツィーリエを見る。私が観察していることに気が付いていない彼女は、本日何度目かの小さなため息をついた。
誰がどう見ても気落ちしている。
「ツェツィ、どうしたの?」
「え」
「さっきからため息ばかりついているけれど」
「あ……ごめんなさい」
「ううん、責めているわけではないの」
私の言葉にほっとしたように、ツェツィーリエは目線を落とした。無意識に指を組み替えているあたり、話そうか迷っているのだろう。
「無理に話さなくていいよ」
「……うん」
十歳になった私たちは、社交の場に出ることが許され、最近はお茶会にも出席するようになっていた。おそらく、彼女が暗い表情をするようになったのは、先月の誕生日以降であることを考えると、お茶会関連だろう。
学園に通うことなく、家庭教師のもとで勉強している私たちは、今までお互いに限られた友人としか話したことがなかったが、お茶会に出席すれば、自ずと知り合いは増えていく。それらがすべて望ましい関係ばかりではないことは、数回参加した時点で察し始めていた。
「あのね、実はその……」
言葉を探しているのか、また口を噤む。ここで私まで重い雰囲気を出してしまえば、余計に話しにくくなるだろう。何でもないかのようにお茶を飲む。しばらく沈黙が続いた後に、ツェツィーリエはおずおずと話し出した。
「フェリクス様のことなんだけれど」
「ツェツィの婚約者様?」
「……うん」
そこまで聞いて何となく内容を察した。参加したお茶会で必ずと言ってよいほど聞いている噂の一つだろう。
「……彼は不義の子だから、ツェツィーリエ様はお可哀そうってみんな言うの。私、別にそんなこと考えたこともないのに」
「うん」
「不義の子っていうのが何なのかはっきりとはわからないけれど、フェリクス様のことを悪く言っているんだって、そう思うの」
「……そうね」
どうやら、ツェツィーリアは不義の子の意味合いを正確には理解していないようだ。確かに親に聞いたところで渋い顔をされるだけで、説明はしてくれないだろう。むしろ、私たちの年齢で、その言葉の意味を理解している人間の方が少ないはずだ。
それでも、その言葉が嫌なもので、傷つけるような言葉だということは認識しているのだろう。
「フェリクス様のこと、みんな知らないでしょう? 私は知っているわ。いつ会っても優しいの。彼の赤い髪も、長い前髪の隙間から見える目も素敵なの。それなのに、どうしてこんな風に言われないといけないのかな」
彼女はそこまで言い切ると、きゅっと唇を結んで黙り込んだ。適当な言葉をかけることは簡単だが、その言葉に責任は持てない。しばらく沈黙の中で思考を巡らせた。
「ツェツィは、婚約者様のこといいなって思うんでしょう?」
「うん」
キョトンとした顔をしながらも、私の言葉に迷いなくうなずいた。私も頷き返して、言葉を続ける。
「誰かに何か言われたからと言って、離れるつもりはないでしょう?」
「それはもちろん」
「それなら放っておけばいいんじゃないかな」
「放っておく?」
「うん、だって多分その人たちに婚約者様の良いところを話したところで、理解してくれないわ。時間が無駄になるだけ。だから、婚約者様の良いところを知らないなんてもったいないな、って思っておけばいいのよ」
私の言葉に目を瞬いたかと思うと、ふふっと笑った。今日、この屋敷に来てから、初めてツェツェーリエが見せた笑顔だ。そのことに私もほっとする。
「それいいかもしれない。うん、そうだよね」
そのあと、私たちは全く関係ない話をしながら、お菓子とお茶を楽しみ、暗くなる前に馬車に乗り込んで帰っていくツェツィーリエを見送り、その姿が見えなくなったところで上がっていた口角を下げた。
私は最初、彼女の婚約者をあまりよく思っていなかった。それは、彼の両親が身勝手な婚約破棄を行ったことにより、私の両親を傷つけたからだった。
今でこそ王国一のおしどり夫婦と呼ばれているお父様とお母様だが、彼らは元からの婚約者だったわけではない。それぞれ、フェリクス様の両親と婚約を結んでいた。お父様は侯爵夫人と、お母様は侯爵と婚約を結んでいたのに、一方的に破棄されたのだ。その後、婚約を結んだ両親は余り者同士と散々馬鹿にされて、ありもしない噂を社交の場で流されたらしい。
そのような侯爵家の令息というだけでフェリクス様を捉えてしまっていた。
しかし、ツェツェーリエから度々話に聞いている彼は、侯爵夫妻とは似ても似つかない性格だった。いつも穏やかで、ツェツェーリエに優しく、少し臆病なところがある物静かな令息。
どう考えても私の考えが間違っていたとしか思えない。私は、彼の両親から勝手にイメージを作り上げてしまっていた。これでは、お茶会で両親のありもしない噂を流した人々と変わらない。深く反省して、私は彼をツェツェーリエの大切な婚約者様なのだと認識するようになった。
だからこそ、このような仕打ちは許せない。
ただ、残念なことに、お茶会で根拠のない噂を流した者を罰するような法律は、この国にはない。肩をがっくりと落として屋敷の中へと戻った。
しばらくは、嫌な噂を耳にすることもあるものの、ツェツィーリエの芯の強さもあり、特に大きな問題も起きずに平穏な日々を送っていた。大人しそうに見えても、簡単には折れない強さがあるので、心配はしていなかった。
それなのに、どういうわけなのか、今の彼女は顔を真っ青にして、バールケ伯爵邸に駆け込んできた。その尋常ではない様子を見たお母様が、彼女の背中をさすりながら談話室へと歩いているところに遭遇した。
「お母様と……ツェツィ? どうしたの? 顔が真っ青よ」
慌ててお母様とは反対側に立って、彼女の手を握る。その手は驚くほどに冷たく、ふと顔を上げた先に見えた彼女の顔色は真っ青であるのに、その目はしっかりと前を向いていて、強い光を宿していた。あぁ、何かあったけれども、彼女は折れていない。
談話室に入ってからも、彼女の顔色が良くなることはなかったが、それでも、それ以外はすべていつも通りだった。お母様には、突然の訪問になったことを丁寧に詫びて、いつも通りの挨拶を済ませていたし、言葉遣いも乱れてはいない。振る舞いも崩れることなく、ぴしりと背を伸ばして座っていた。
やがて、心配そうな顔をしながらも、お母様が談話室から出ていき、侍女がお茶の準備を終えて退出していくと、やっと彼女の表情が崩れた。眉が下がって、今にも泣いてしまいそうだ。
「わ、私全然気が付いていなかったの」
「どういうこと?」
「フェリクス様の腕、首元、足首……本来服で隠れているはずの部分にばかり痣があるの」
「痣……」
私のこぼした言葉に、彼女はこくこくと頷いた。
「おかしいの。だって、フェリクス様は剣の稽古はしていないはずなのよ。それに、静かに本を読んでいることが多い彼がそんなに痣を作るほど、どこかにぶつかるはずはないでしょう」
「……」
何となく言いたいことは理解できた。つまりは、両親か使用人あたりに叩かれているのではないか、ということだろう。
「ねぇ、ユーリ。私、フェリクス様を助けたい」
「法を盾にすればいい」
もっと気の利いた言葉をかけられれば良かったものを、口を突いて出てきた言葉は、そのようなものだった。キョトンとしたツェツィに見つめ返されて、思わず補足のために言葉を続けた。
「法は誰に対しても平等。だから、それを利用すればいい。理不尽だと感じるのならば、新しく法を策定すればいいだけ」
話している途中で、これは彼女向けの助言ではなかったなと思い始めた。彼女は、法律にそれほど興味がない。私が立ち回るのならば、何とかなるかもしれないが、今回は彼女が解決したいのだろう。他に何か良い方法はないかと考えるものの、私の頭の中は法律のことでいっぱいで、それ以外の事柄はあまり思いつかない。
「法律書、見せてほしい」
「え」
「お願い」
恋愛小説などを好む彼女に法律書はあまり向いていないのではないかと思いつつ、近くに置いていた法律書を貸すと、眉間にしわを寄せて読み始めた。一行進むごとに眉が寄っていっている。このままでは両眉がつながるのではないかというほどに険しい顔になっているのを見かねて、別の方法を考え始める。
しばらく気まずい沈黙の中で頭を働かせていると、ふと思い浮かんだのは、フォルカー様だった。そういえば、彼は学園に通っている。彼が通っている学園は全寮制ではないが、別の学園であれば全寮制のところもあったはずだ。
「学園」
「え?」
「ツェツィ、全寮制の学園があるの。彼に薦めてみるのはどう?」
私の言葉を受けてしばらく考えていたらしい彼女が静かに頷いた。
「確かに……。学園に行っている間は、侯爵家から離れられる……。だめかもしれないけれど、彼に提案してみる!」
「うん。それから、ツェツィは日記をつけていたよね? あれはつづけた方がいいわ。そこにフェリクス様の様子も書いた方がいいと思う」
「うん? よくわからないけれど、そうするね」
まだ不安そうな表情は抜けないものの、先程よりも落ち着いた様子でお茶を飲み始めた彼女を見て胸をなでおろす。
しかし、これも根本的な解決にはならないだろう。本当は元凶自体を取り除けたら良いのだが、そう簡単にもいかないだろう。しっかりと記憶されている法律の中に、子供への虐待に関する法律はない。つまり、今の法律のままでは裁くことができない。やはり、法律を変えるしかないだろう。
まぁ、これは後で考えればいい。今は目の前のツェツィーリエとのお茶を楽しむ方が大切だ。
侍女が用意してくれた甘いお菓子を彼女に差し出しつつ、私は紅茶に砂糖とミルクを大量に入れる。最近、お兄様に砂糖を入れすぎだと言われたが、脳が糖分を欲しているから仕方ないのである。澄ました顔をしながら、甘々のお茶を口に含んだ。
しばらく、全く関係のない話をしながら、お茶とお菓子を楽しみ、ツェツィーリエの顔色が完全に戻ったころにお開きになった。彼女を玄関で見送って廊下に戻ると、アンネマリーお姉様と鉢合わせした。
「あら、ユリアーナ。もう夕食の時間よ」
「え」
先ほど思い切りお菓子を食べてしまって、正直お腹が空いていない。
「その顔はお菓子たくさん食べた顔ね」
ふふっと笑ったお姉様に、困り顔で笑顔を向ける。お姉様の婚約は、最近素敵な方と結ばれたばかりだ。もともと綺麗だったお姉様だが、婚約者ができてから、その美貌にはさらに磨きがかかっている。
「頑張って食べます」
私の返事に、また鈴のように笑う。その後ろから、お兄様の姿が見えた。
「二人で笑ってどうしたんだい?」
「ユーリがお菓子を食べすぎてしまったみたい」
「あ、アンネお姉様!」
「ユーリは相変わらず甘いものに目がないね」
お兄様には黙っておこうと思ったのに、結局ばらされてしまって、少しむくれると、目の前でお兄様とお姉様が顔を見合わせて笑っている。私がむくれていることが、それほど面白いだろうか。
不服そうな顔をしていたのか、お兄様が口を開いた。
「いや、だってユーリは賢いから。こんな風に年相応な部分が見られると、やっぱりかわいいなって思って」
「そうよ、ユーリ。たまにはお姉様のことを頼ってくれてもいいのよ」
二人に子供扱いされて、ますます眉が寄る。しかし、その様子が面白いようで、お兄様とお姉様は笑うばかりだ。子供扱いされているとはいえ、私はもう十一歳だ。そこまで考えて、ふと自分の将来について考えなければならないことに気が付いた。
「お兄様。お兄様は領地の仕事を覚える前に数年文官として働く予定でしたよね?」
「うん? そうだね」
「私も文官になりたいです!」
私の言葉にお兄様とお姉様がぴしりと固まった。今まで私にそのような態度を見せたことがない二人に違和感を感じつつ、お兄様を見上げる。
困ったように眉を下げて、目線をさまよわせている。何か伝えにくいことがあるようだ。お姉様の方を振り返ってみるが、ばっと視線を逸らされた。
二人とも嘘を隠すのが下手だ。
「あの、何かおかしなことを言いましたか」
少し肩を落とす。二人を困らせるつもりはなかったのだ。
私の様子を見て慌てた二人が、しゃがみこんで私と目線を合わせてくれる。ぽん、と頭に手を乗せられて、撫でられる。
「いや、おかしなことではないんだけれど……。多分、ユーリが文官になるのは難しいと思うんだ」
「難しい?」
予想外の言葉にお兄様を見つめ返す。横からお姉様が説明をしてくれる。
「今まで女性の文官はいなかったの。それで文官は男性がなるものっていう暗黙の了解があるのよ」
「アンネの言う通りで、実際、学園のコースも女性は文官コースを選べないんだ」
次々と衝撃の事実が飛び込んでくる。驚いて目を見開いている私を、二人が心配そうに見ている。泣き出すと思われているのだろうか。
「お兄様、お姉様」
「うん」
「なぁに?」
優しく返事をしてくれる二人をそれぞれ見てから口を開く。
「それ、法律で定められていないですよね」
「は」
「え」
「ですから、それ、男性しか文官になれないとか、女性は文官になってはいけないとか、法律では定められていないですよね。だから、大丈夫です。私は文官になります」
私の宣言に、二人は固まっていたが、いつの間にか夕食のために集まってきていたお父様とお母様がニコニコと笑ってこちらを見ていた。
「お、ユーリは文官になるのか」
「素敵ね。応援しているわ」
パチパチと拍手をしながらおっとりと微笑むお母様に満面の笑みを返し、私は固まっているお兄様とお姉様を置いて夕食のために部屋へと入った。
私は、この程度のことで文官をあきらめるわけにはいかないのだ。この国には法律が足りていない。穴だらけだ。早く整備しなくてはならない。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は土曜日投稿予定です。
2/3 追記
申し訳ありません。
諸事情により、時間を十分に取ることができず、本日中の投稿が難しいため、明日の投稿とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。