表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

前編

『ある王国の物語』シリーズでまとめているお話と同じ世界の話です。

 私、ユリアーナ・バールケは、いつからルールが好きだったかはわからないし、覚えていない。物心ついたころには、ルールや決まり事が好きだった。


 ルールは、私を守ってくれる。


 幼い子供同士の場合、基本的には力の強いものが上に立つ。そのため、同年代の子たちよりも小柄な私がまともにやり合ったところで力で押さえ込まれるのがオチだ。――ただ、これは普通に考えるのならばの話だ。


 ルールや決まり事を盾にすれば、私は自分を守ることができる。初めて正論を並べ立てて相手を黙らせたのはいつだっただろうか。


 目に涙をためながら黙り込んだ彼は、言い返すことができないとわかると、やけくそになったのか私に手を出してきたが、すぐに気が付いた周りの大人たちによって押さえられていた。懐かしい思い出である。


 ルールの力を明確に理解した私は、あれこれとルールを調べ始めた。そして、気が付いた。この世界には、いや、正確には自国には明確なルールがある。――法律だ。


 その日から私の数少ない友人の中に法律書が仲間入りした。誤解しないでほしいが、人間の友人ももちろんいる。ツェツィーリエ・クラッセン。由緒正しい子爵家の令嬢だ。可愛らしい見た目に反して、意外と我慢強く、芯が強いところが魅力的な素敵な友人だ。


 その彼女の婚約が決まったという話を聞いたのが、先ほどの話。お相手の名前を聞いて、すぐにそれが誰だか思い当たった。あまりにも条件が悪くて頭が痛い。そして、個人的にあの家の人間はあまり好きじゃない。本当に個人的な理由で苦手なのだ。


「お父様とお母様を苦しめた家のご令息とは……」


 かつて、私のお父様とお母様にそれぞれ婚約破棄を叩きつけた相手。それが、ツェツィーリエの婚約者のご両親だ。そのご令息が同じ行動をとるとは思っていないし、思いたくもない。しかし、もし、同じようにツェツィーリエに婚約破棄を叩きつける日が来たら、たぶん私は怒り狂う。


 悶々と考え込んでいると、ふと人の気配を感じた。


「ユリアーナ? 難しい顔してどうしたの?」


 高すぎず、低すぎない、心地よい声に振り向けば、お姉様が立っていた。いつからそこにいたのだろうか。心配そうにこちらを見ているお姉様は、人間離れした美貌の持ち主だ。ふわふわと緩いウェーブを描いた長い髪は、窓から差し込む柔らかな光を受けて、キラキラと輝いている。


「少し考え事をしていました。それよりも、お姉様、この間の縁談はお受けするのですか」

「……それは」


 眉を下げて、困ったように目線を逸らされる。ツェツィーリエのことも心配だが、お姉様の縁談も心配だ。


「ユーリ、あまりマリーを困らせてはいけないよ」


 愛称で呼んできたお父様は、いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべて、しかし、悲しみを奥に閉じ込めているかのような表情を見せた。ゆっくりと席に着くと、その横で、お母様が微笑む。私の記憶の限りでは、二人が喧嘩しているところなど見たことがない。いつもお互いのことを尊重して、穏やかで優しい雰囲気をまとっている。


「ユーリ、貴族は政略結婚が基本なんだ。特に、私たちは大きな力を持っているわけじゃない。だから、たとえマリーが嫌でも断ることは難しいんだよ」


 横から口を挟んできたディートヘルムお兄様を見遣る。お兄様はお父様に瓜二つの見た目をしている。正確には、若かりし頃のお父様の肖像画によく似ている。きっとこのまま歳を重ねていけば、お父様とほぼ同じ見た目になるのだろう。


 纏っている雰囲気もどこか似ていて、穏やかでおっとりとした印象だ。


「でも、お姉様のお気持ちくらいは聞いても良いのではないですか」

「……大丈夫よ、心配してくれているのね。ありがとう」


 お姉様は再び微笑みを浮かべるが、やはり、何かをその表情の裏に隠している。前回が実際にそうだった。嫌な予感というのは大抵的中するものだ。


「それにしても、前回の婚約者候補のお方、まさか自ら奴隷を買っていたなんて驚いたわ。そのような方の婚約者にならなくてほっとしています。次の方は素敵な方だと良いですね」


 おっとりと話すお母様に対して、たぶん次の方もまともじゃないです、などと言えるわけがない。黙って朝食をいただきながら、両親をちらりと見る。優しく、穏やかというと良く聞こえるが、娘としては、彼らが今まで悪い人々に利用されていないのが不思議なくらいだ。きっと、使用人を含めた周りの人々がフォローをしているに違いない。


 その後は話題が変わって、最近庭に咲いた花の話や、野鳥の話になった。我が家は会話のどこを切り取っても穏やかな時間が流れていると、そう思う。そのような穏やかな時間の中で、私はお姉様の婚約者候補について考えを巡らせていた。


 不意に頬をつつかれて我に返る。


「ユーリ、ぼーっとしてるとお茶こぼして火傷しちゃうよ」


 心配そうにこちらを覗き込むお兄様を見つめ返して、ティーカップを静かに置く。


「心配してくださるのは嬉しいですが、さすがに考え事をしていたからと言ってお茶をこぼすほど子供じゃありません」

「そう?」


 私のきっぱりとした返事には、腹を立てる人も多いのだが、おっとりとした口調で、返事をしたお兄様は、食事が終わったのか席を立って、ひらひらと私たちに手を振った。


「じゃあ、今日は予定があるからまた後で。二人も出かけるなら気を付けてね」


 そのまま部屋から去っていく彼を見ていた両親が、コソコソと何かを話している。本人たちはコソコソと話しているつもりなのだろうが、雰囲気的に、おそらくお兄様が誰に会いに行ったかを話しているとみて間違いないだろう。どことなく、お母様が浮かれ気味だ。


 相手が素敵な方ならば、私としても反対するつもりはない。今のところ、お兄様のご学友に変な人はいないときいているので、お相手がその中の誰かならば、問題ないだろう。それよりも、問題はお姉様の婚約者候補の方だ。


 しかし、前回もそうだったが、まだ学園にも通わず、公式な社交の場に出る資格も持たない年齢の私では、正攻法で情報を集めようとしたところで限界がある。家族に気が付かれないように、小さなため息をついた。


 仕方がない。彼に頼ることにしよう。


 残っていた紅茶を飲み干すと、静かに立ち上がった。相変わらず、どこか浮かない顔をしているお姉様を横目で見ながら、歩き出す。


「お父様、お母様、少し出かけたいのですが」

「あら、どこに行くの?」

「フォルカー様と少しお話したいことがあります」


 両親が顔を見合わせて微笑んだかと思うと、すぐに頷いた。


「馬車を出そう。侍女と護衛を連れて行くんだよ」

「はい、お父様」

「夕方には帰っていらっしゃい」


 穏やかに微笑む二人にうなずいてから自室へと戻る。後ろに控えていた侍女は、これからどこへ行くかを理解しているため、私が何も言わずとも準備を進めてくれる。


 フォルカー様は、私の数少ない友人の一人だ。今でこそ友人ではあるものの、元から仲が良かったわけではない。むしろ、出会いは最悪だった。何せ、私がルールの偉大さに気が付いたきっかけの男の子こそフォルカー様なのだから。




 突然の訪問だったため、正直断られるかと思ったが、メーベルト伯爵家の皆様は何故か快く迎え入れてくれた。ただ、肝心のフォルカー様は、剣の稽古中だったようで、しばらく待ってほしいとのことだった。談話室でお茶でもしましょうか、と伯爵夫人が気にかけてくれたが、さすがに突然の訪問でお茶まで準備してもらうのは気が引ける。


 フォルカー様の稽古の様子を眺めても良いですか、と聞けば、何故か勢いよく頷きながら、私の背中を押して庭園に連れてきてくださった。一瞬こちらに目を向けたフォルカー様は、パッと顔を綻ばせたが、その瞬間に指南役の騎士に一本取られて地面に転がった。


「あの子ったらはしゃいで」


 ふふ、と笑う伯爵夫人を見上げれば、優しい瞳と目が合う。お母様との古くからの友人である夫人も、また穏やかな人だ。


「ゆっくりしていってね。何かあったら声をかけてちょうだい」

「ありがとうございます」

「ユリアーナちゃんは、とても落ち着いて、まるで大人の様ね。フォルカーにも、その落ち着きを見習ってほしいわ」


 そう言うと、私に気を遣わせないためか、足早に屋敷の中へと消えていった。一人残された私は、広い庭の中で、ぽつりと立っていた。すぐ近くに大きな木があることに気が付いて、その幹に寄りかかるようにして座った。


 良い天気だ。暑すぎず、寒すぎない。ぽかぽかとした陽気。青い空の下で、剣を振りながら汗を流す騎士とフォルカー様。なかなか絵になる光景だ。今日は法律書は持ち合わせていないので、小さな体で果敢に騎士に挑むフォルカー様を静かに眺める。


 さわさわと頬を撫でていく風が気持ち良い。


 どれくらいの間、そうしていただろうか。芝が服のところどころについたフォルカー様が、若干しょげた様子でこちらへと歩いてきた。どうやら、稽古は終わりらしい。


「待たせて悪かった」


 まだ子供らしい高い声で、私にそう声をかけてくれた彼は、すぐ隣にすとんと座りこんだ。


「いいえ、久しぶりに鍛錬をされているフォルカー様を見られてよかったです」

「そうか?」


 あっさりと機嫌が直った彼は、嬉しそうにこちらを見てくる。


「次こそは勝つんだ」

「楽しみにしてますね」

「あぁ!」


 出会い方は最悪だった私たちだが、私に殴りかかってこようとした彼は、あの後あっさりと謝ってくれたし、私もそれを許した。実際に殴られたわけではなかったため、それほど怒る必要もないと思ったからだ。私としては、それで付き合いが終わると思ったのだが、どういうわけかフォルカー様に気に入られたようで、度々会うようになった。お母様とメーベルト伯爵夫人が古くからの友人だったことも関係しているのだろう。


「それにしても、ユリアーナから来てくれるなんて珍しいな。どうしたんだ」

「実は相談があります」

「相談?」

「お姉様のことで」

「あ、わかった。また調べてほしいっていうんだろ?」


 私がこくこくと頷くと、呆れたような目を向けられた。


「前回も大変だったんだからな」

「だめですか」

「だめ、ではないけれど」


 そっぽを向かれてしまう。


「ありがとう。よろしくね」


 手を取って、ぶんぶんと振れば、仕方ないな、という顔をされる。


「学園で聞いてやるよ。それよりも、ユリアーナは学園に入学する気はないのか? 優秀なんだし、せっかくなら入ればいいのに」

「あぁ……うん、考えておく」

「その言葉、数週間前も言ってなかったか? 何か行きたくない理由でもあるのか?」

「いや、別に大した理由はなくて……」


 そう、大した理由はないのだ。単純に学園の授業がつまらなくて、それならば家庭教師をつけてもらって家で勉強するほうが、私には向いていると感じただけだ。学園に通う令息や令嬢は多いが、別に義務というわけではない。同じだけの知識を持っていれば、文官になることだって、高位貴族の侍女になることだって可能だ。


「まぁ、いいや。それよりもお茶飲んでいきなよ」

「え、でも突然訪ねたのは私の方だし」

「遠慮しなくていいって。母上からも誘われただろう」

「うん」

「じゃあ、大丈夫だよ」


 手を引かれて、屋敷の中へと入った。




 数週間後、今度は約束をしたうえでフォルカー様と会い、家へと戻ってきた私は頭を抱えていた。何となく、予想はついていたが、お姉様の次の婚約者候補も、これまた真っ黒な人だった。このままお姉様をあの男に嫁がせてはいけない。奴の悪事がばれれば、連座でお姉様まで処刑されかねない。


「……阻止するしかないわ」


 小さな手を握りしめて振り上げていると、いつの間にか後ろにいたお兄様にそのこぶしが当たった。


「おっ、と。こぶしなんて握り締めてどうしたんだい?」

「お兄様」


 慌てて腕を下げてにこりと笑って見せるが、時すでに遅しとはこのこと。お兄様はバールケ伯爵家の一員ということもあって穏やかではあるものの、鈍いわけではない。前々から私が何か動いていることにも気が付いていたのだろう。探るようにこちらを見ていたが、そっと腰を落とすと目線を合わせてくれる。


「何か隠し事かな」


 その笑みに威圧感はない。本当に優しく問いかけてくれているだけだ。瞳の奥にあるのは心配であり、私を責める気配はない。


「……お兄様には敵いません」


 息を吐いてそう言えば、くすくすと笑ったお兄様に頭を撫でられる。


「じゃあ、話してくれるんだね」

「はい、でも、私の部屋でもいいですか」

「いいよ」


 私たちは、廊下を歩いて、階段を上り、一つの部屋に入った。落ち着いた色合いでありながら、可愛らしい部屋の中でお兄様と向かい合って座る。侍女がお茶を準備しようとしてくれていたが、お兄様が手で制した。


「それで、どんな話なのかな」

「実は、お姉様の婚約者候補の方についてなのですが」

「あぁ、うん、なるほどね」


 私の言葉だけで理解したようで頷いた。お兄様も、お姉様の婚約者候補があまり良い人物ではなさそうだと考えていたのだろう。


「とんでもなく真っ黒です!」

「うん」

「法律で裁いてやりましょう! 完膚なきまでに! 再起不能にします!」

「うん、そうしたいけれど、どうやって?」


 お兄様に問われて我に返る。コホンとわざとらしく咳ばらいをしてみるが、八歳の私では、どうにも格好がつかない。あまり空気が変わった感じはしないが、気にせず話を続ける。


「証拠さえ押さえてしまえば、こちらのものです。ざっと確認しただけで、三つの罪状。これはきっともっとありますね」

「既に証拠を押さえているの?」

「一つは既に押さえていますが、あと二つはまだ証拠として弱いです。裁判になったら握りつぶされる可能性があります」

「うん」

「それから、まだ明らかにはなっていませんが、怪しげな動きを見せていますから、罪状は増えそうですね。こちらも証拠を押さえたいところです」

「それで、僕が声を掛けなかったらどうするつもりだったの?」

「……こっそり」

「こっそり?」

「あとをつけたり、その、ごめんなさい!」

「ちゃんと謝れて偉いね。でも、危ないから今度からは僕に相談してね」

「……はい」


 結局のところ、お兄様には何だかんだで敵わないのだ。


 その後は、私の話を聞きながら状況整理をしてくれて、証拠集めにも協力してくれることになった。お兄様としても、やはり、お姉様を真っ黒な人間のところに嫁がせたくはなかったのだろう。


 思った以上に長い時間話し込んでいたようで、すべて終わるころには外はすっかり暗くなってしまっていた。




 一月後、お姉様の婚約がまとまりかけた頃に、匿名の告発があり、お相手候補はあっさりと裁判にかけられて、これまたあっさりと有罪になった。しばらく貴族牢から出てくることはないだろう。出てきたところで、罪人となった彼がお姉様と結婚なんてできるわけもない。


 お兄様と私は目を合わせて微笑んだ。

お読みいただき、ありがとうございます。


以前書いた二作品(『婚約破棄された余り者どうし結婚しましたが、想像以上に幸せです』『婚約者は不義の子と噂されていますが、私は彼と共に歩みましょう』)に名前が出てきていたユリアーナの話です。


短編にするつもりだったのですが、上手くまとめられなかったので、

前編、中編、後編の三部にします。


次回の投稿は月曜日の予定です。

よろしくお願いいたします。



2/9 追記

表現に分かりづらい部分があったため、加筆修正しました。

また、誤字報告をくださった方々、ありがとうございました。


2/14 追記

以前、感想で別の作者様の作品と登場人物の名前が類似していると教えていただきました。

意図したものではありませんが、確認してみたところ思った以上に一致してしまっていたので修正いたします。(クライン家→クラッセン家に修正しています。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] >その彼女の婚約が決まったという話を聞いたのが、先ほどの話。 文脈的には「その彼女」=「ツェツィーリエ・クライン」 だが直後に「お姉さま」「マリー」が唐突に出てくる。 >「お父様とお母様を…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ