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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

対の翼は離れない

作者: 永川 さき

 シューズがキュッと床を鳴らし、高く舞い上がったシャトルの落下地点にステップを踏んで潜り込む。

 左手を伸ばして焦点を合わせ、半身にかると強く床を蹴って伸び上がり、腹筋と背筋を使って海老反りになる。

 そのまま落ちてくるシャトルと呼吸を合わせ、後方に引いた右腕を振り下ろしながら手首を返す。

 瞬間、パシュンと軽快でいて重いジャンピングスマッシュがネットを越えて相手を突き刺しにいく。

 ラケットを持った右手の、ちょうど脇の辺り。

 ボディを狙った鋭いスマッシュは相手に動揺を与えたが、彼は不動の県大会王者だ。

 瞬時に体をずらしてラケットがシャトルと相手の体の間に入り込む。

 トン、と静かな音が響き、シャトルが弾き返された。

 スマッシュの勢いのまま返されたシャトルは直線を描いてネットの白線に当たった。

 そのままネットの手前で落ちていくと誰もが思った。

 だが、勢いが強かったのかシャトルは揺れたネットをコロリと越えた。

 手の甲を自身に向けてラケットの角度を調整し、ネット際から相手のネット際にシャトル落とすこと――ヘアピン――に加えて、さらに回転をかけるためにラケットをスライドさせてカットをかけると、シャトルはまたコロリとネットを越えた。

 すると、相手も素早くネットに駆け寄ってクロスにヘアピンを飛ばす。

 体勢を崩した相手は片足で踏ん張っている。

 シャトルに追いついてまたヘアピンを仕掛けた。

 油断があったのだろうか。

 それはほんの僅か高く宙を舞った。

 王者がそれを見逃すはずがない。

 目を見張るような脚力でシャトルに飛びつくと、体を翻したまま手首を返して親指でグリップを押すような動きで放たれた強烈なショットが反対側の緑の線ギリギリを撃ち抜いた。

 線審は粛々とインを示して右手を真っ直ぐ前に伸ばした。

 ネット際の攻防は王者が制したのだ。


 瞬間、湧き上がる歓声と拍手の嵐。

 ギャラリーを魅了した二人の健闘を讃え、主審のゲームセットの声すら掻き消したそれはなかなか鳴り止まなかった。


 赤のユニホームを着た善一の相棒は一瞬唇を噛み締めると自身のコートに落ちたシャトルをラケットで拾い、ネットの上で相手と握手を交わして何事か言葉を交わしていた。

 そして、シャトルを主審に渡してコート横に置いていた予備のラケットやタオルをラケットバッグに詰め込み、コートに一礼する。

 そして、コートの端に座っていた監督と話しながらフロアを後にした。

 

 善一はその後ろ姿を追いかけて観客席から立ち上がった。

 人通りのない裏階段をトットッと音を立てながら降り、一階にある更衣室を目指す。

 舞台袖の数部屋隣にある更衣室は元々倉庫だった場所を改装したもので壁は薄く、扉の前に立つと中から話し声が聞こえた。


「久しぶりに孝一とシングルで対戦して楽しかったぜ。二年ぶりくらい?」

「半年前の練習試合でお前が無理矢理監督に頼み込んでやっただろ」

「公式戦ではってことだよ。シングル、戻んねぇの?」

「戻らない。善一とダブルス組んでる方が楽しい」


 孝一の言葉に心臓が跳ねた。

 胸の奥底から温かいものが湧いてくる。

 気が付けば、いつの間にか更衣室のドアを開けていた。


 善一に視線が集まる。

 着替え途中だった二人は上半身を汗拭きシートで拭っているところだった。


「お、噂をすれば。怪我、大丈夫なん?」

「うん。軽い捻挫だからな。来月の県予選には出れる」


 半裸にも構わず善一に駆け寄ってきたのは、中学までチームメイトだった夏央だ。

 善一がテーピングを巻いた右手をひらひらと振れば、ギョッとしてその手を掴んだ。


「軽いってなぁ。捻挫、甘くみたらダメなの知ってるだろ」

「わかってるって。小姑か」

「元チームメイトのよしみだろ」

「まあな」


 夏央は善一の手首を撫でて労り、通常に生活してもいいとわかると、次の瞬間にはまた体をくねらせて管を巻き始めた。

 

「なあなあ、マジでシングルに戻らないん? ここ最近ずっと決勝で雅俊と当たって楽しくないんだよ。また四人で表彰台独占したい!」


 夏央が懐かしんでいるのは中学時代のことだ。

 善一と夏央は同じ中学のバドミントン部に所属していて、中学からバドミントンをやり始めたのにも関わらず、一年生の夏からシングルプレイヤーとして頭角を現していた。

 市内の秋季大会では二年生の表彰台常連選手を打ち倒し、善一が一位、夏央が二位を獲った。

 そしてこの時、三位の表彰台に立ったのが孝一だ。

 滅多なことがない限り、ベスト四のメンバーは変わらない。

 三人と、二年の冬季大会からベスト四に入り、今は夏央とチームメイトの雅俊を含めた四人は、自然と交流を深め、その繋がりからよく練習試合をすることが多かった。

 県大会に進めば最初は苦戦したものの、この四人でベスト八入りは常で、誰かは表彰台に乗ることがほとんどだった。

 中総体ではベスト四を独占し、全員で全国大会に駒を進めた。

 最終的に孝一と雅俊は二回戦、善一と夏央が三回戦まで進み、中学での引退を迎えた。

 高校受験を控えていたがバドミントンをやらないことなどできず、土日は市民体育館を借りて四人とその部活仲間で練習を続けた。

 

 四人全員で同じ高校に進みたいなと話していたが、将来がかかっている以上そうはできなかった。

 結局、夏央と雅俊と県内の強豪校である私立高校にスポーツ推薦で進学し、善一と孝一は示し合わせたわけでもなく地元の公立工業高校に進学した。

 

 そのままシングルを続けることも出来た。

 だが、引退後に遊びでダブルスを組んだ時、ぴたりと息が合った。

 その時の高揚感が忘れられず、善一は孝一にダブルスのペアを申し込んだ。

 すると、孝一も善一と同じ気持ちだったらしく、斯して二人はダブルスを組むことになったのだ。

 言葉も合図もいらない。

 善一は孝一の先の動きがわかったし、孝一もまた同じだった。

 

 初めての公式戦であっさりと優勝すると、二人の名前に同じ一文字があることから「わんわんペア」なんて呼ばれ始めた。

 可愛らしい名前だが、当の二人は不本意だった。

 善一は百八十センチを越える高身長だし、孝一も同じくらいの長身加えて善一より筋肉質でガタイが良かった。

 とてもじゃないが「わんわん」なんて可愛らしい見た目ではない。

 それでもその通称は浸透し、県内だけでなく全国区でも界隈では有名になりつつある。

  

「ダメ。善一は俺のペアだ。返せ」


 夏央に手を取られた善一の肩を抱いて、半裸の孝一が善一を引き寄せた。

 制汗シートで体を拭いた後だからか、孝一から爽やかなミントの香りがした。

 チラリとその顔を見るとムスッと口を歪めていて、鋭く夏央を睨み付けている。

 その様子はまるで主人を守る番犬だそのものだ。

 

「うわぁ……。束縛は嫌われるぞ。な、こんなおっかないバディなんか解消して善一もシングルやろうぜ」


 呆れて半目になる夏央は再び善一に手を伸ばすが、その手を孝一がはたき落とした。

 夏央は大袈裟に「いってぇ!」叫び声を上げたが、申し訳なく思いながらも善一はそれに追い打ちを掛けた。


「ごめん。俺も孝一とダブルスするの楽しいから、シングルはやらない」

「あっ相思相愛でしたか」

「言い方」


 わざとらしく口元を押さえながらおちょくってくる夏央に蹴りの一発でも食らわせたかったが暴力はよくない。

 ジトッとした目で抗議すれば、着替えのポロシャツに着替えた夏央はべッと舌を出した。

 

「そもそも今回は善一が怪我したからシングルで出ただけだ。シングルも他のやつと組むのも今後は絶対に嫌」

「そっか。まあでも、シングルに戻ってほしいのは変わんねえからな。俺は諦めない」

「言ってろ」


 念押しするように孝一が夏央の希望を否定するが、彼は眉を上げて宣言した。


(無理だよ、一生)


 ダブルスで、孝一としか味わえないあの一体感を手放すことなどできない。

 遊びでシングルをすることはあっても、公式戦で一人や孝一以外と組んで出場する選択肢は絶対にない。

 これは善一の中で決定事項だ。

 

「へへっ。おっと、雅俊が急かしてきてる。俺は先に戻ってるぞ」


 軽口を叩きながら荷物を整理していた夏央は、スマホの画面を見ると目を見開いた。

 そして、ラケットバッグを肩にかけると、ひらひらとスマホを持った手を振って更衣室のドアを開けた。

 

「早く行けよ」

「早く着替えろよ、準優勝くん」

「自慢か」

「そうだよ」

「うざ」

「バド以外でも息がぴったりなこって」


 三人で軽快にやり取りをすれば、それぞれの口元が弧を描いた。

 夏央が後ろ手に手を振ってドアを閉めると、孝一が笑いながら盛大にため息を吐いた。


「相変わらず騒がしいやつだな」

「小学校の時からそうだよ。俺はもう慣れた」

「あいつと話す時は耳栓がいる」

「なにそれ」


 善一は夏央の雑な扱いにぶはっと吹き出した。

 確かに、慣れていない人にとっては喧しい存在だ。

 夏央は歩くスピーカーだ。

 黙っているのは授業中とバドミントンのラリー中で、それ以外はずっと喋り続けている。

 それでも友人が離れていかないのは話が上手いからだ。

 大人になって営業職に就いたら成績トップは間違いないと確信している。

  

「なあ」


 孝一は善一から離れ、着替えの練習着を頭から被る。

 裾を下ろすと、彼の立派な背筋と腹筋が隠れた。

 ジャンピングスマッシュをした時にちらりと見えるそこに女子の熱い視線が集まっているのを善一は知っていた。

 孝一は善一の唯一無二の相棒だ。

 それに独占欲を拗らせて嫉妬しているのを、孝一は知る由もない。

 

「んー?」

「孝一は、またシングルやりたい?」


 夏央とシャトルの打ち合いをしている孝一はどこか楽しそうだった。

 ファイナルセットでデュースに持ち込み、ネット際の攻防で夏央に負けた時は悔しそうだった。

 今日の朝まで駄々を捏ねていたし夏央にも宣言はしていたのの、やはりシングルをしたいのではないか。

 そう思うと一人残される不安が付き纏って離れなくなった。

 

「まさか。俺はずっと善一とダブルスやりたい。だから臨時でも他のやつとダブルス組むの断ったんだろ」


 善一が右手首を捻挫したのは今大会のエントリー直前だった。

 いつも通り練習していた時、不意に右手首に痛みが走った。

 嫌な予感がした善一は部活を早退し、その日のうちにスポーツ整形外科を受診した。

 軽い捻挫と診断されたが、手首を酷使するバドミントンの練習を続ければ悪化する。

 全国大会の枠をかけた県大会に出るのであれば、直近の市大会の出場は諦めてリハビリするように助言された。

 一回でも多く孝一とダブルスをやりたかったが、全国大会を掛けた県大会を無下にはできない。

 苦渋の決断で大会出場を断念すると、顧問から孝一に誰かとダブルスを組むように打診があった。

 だが、孝一は頑なにそれを拒否し、最終的にシングル枠でエントリーした。

 実はシングル枠も嫌だと孝一が駄々を捏ねたが、そこは善一が骨を折って説き伏せた。

 もう二度とあんな大変な思いはごめんだ。


「何? 善一こそシングルに戻りたくなった?」

「それこそ絶対にない。バドをやり続ける限り、俺のペアは孝一だけだよ」


 今回で思い知った。

 バドをする孝一を見るのは好きだ。

 サーブを受ける時に重心を低く落として構える姿も、しなやかな体がシャトルを追いかける猫科の獣のような様も、焦点を合わせるために天井に向かっ手を伸ばしているその指先も、教科書のように美しいラケットを振るフォームも、何もかもが善一を魅了する。

 でも、それを眺めているだけなのは嫌だった。

 善一は、孝一の隣で肩を並べて戦いたいのだ。


 体力トレーニングしか出来なかったこの二ヶ月、モヤモヤした言いようのない感情があった。

 それが何なのか、善一はやっと今日理解した。


「ふはっ……嬉しいな。俺もだ」


 善一が言葉少なに答えると、孝一は口元をにっと緩めた。

 同じ想いだとわかり、善一の不安はたちまち消えていった。

 

「来月の県大会、絶対に勝つよ」

「来週から練習いいんだろ? 調子が戻るようにみっちり練習に付き合ってやる」


 一日休めば、その遅れを取り戻すのに三日はかかるといわれている。

 走り込みや筋トレには参加していたが、ラケットを使った練習は全くしていない。

 県大会まであと一月と少し。

 それまでに元の状態に戻すのはかなり無理がある。

 それでも目指すは優勝だけだ。

『わんわんペア』の知名度は伊達じゃない。

 ここ最近の県大会は連続で優勝している。

 今回もその栄光をどのペアにも譲る気はなかった。

 

「よろしく。俺の相棒」

「おうよ」


 荷物を纏めた孝一に手を上げると、優しく手を重ねられてハイタッチを交わした。


 この時、善一はまさか孝一が生涯の相棒になるなんて想像すらしていなかった。


 *


 空を鮮やかに彩る光とドンッと体に低く響く音。

 間近で見るそれは迫力満点で、全員で見れないのが残念だ。


 善一と孝一は海辺にある温泉地に来ていた。

 毎年、夏の時期は夏央と雅俊も加えた四人で夏期休暇を利用し、日々の疲れを癒すために温泉旅行に行っていた。

 だが、今年は善一と孝一しか予定が合わなかった。

 プロのシングルプレイヤーになった夏央と雅俊は、マレーシアで行われるオープン戦に出場するために日本から飛び立っていった。

 残った二人で話し合った結果、花火が上がる日に合わせて、打ち上げ場所に近いこの温泉宿を取ったのだ。


 観光は翌日の楽しみに取っておき、今日は種類豊富な温泉やサウナと、追加料金を払ってワンランク上にグレードアップさせた豪華な晩御飯を堪能し、部屋に戻ってきた。

 この部屋は花火の打ち上げ場所の正面に位置していて、広縁にあるテーブルセットは旅館が気を利かせたのか対面ではなく窓を向いていた。


 二人は月見酒ならぬ花火見酒をすべくロビーで地酒を何種類か買い、部屋に備え付けられていたお猪口を取り出した。

 そして、座面と背もたれ部分がふかふかのクッションになっている椅子に座ると、花火が上がる前から酒を酌み交わし始めた。


 孝一とは毎日会っていて、仕事のグチをなんかを話してしまえば思い出話に花が咲くのは自然な流れだった。


「懐かしいな。高一の時だっけ?」

「そう。俺たちがダブルス組んだばかりで一番夏央がうるさかった時だよ」

「今もうるさいだろ」

「それは言うなって」


 敢えて言わなかったことを孝一が言ってしまうものだから、お猪口を持っていた手をガクンと揺らしてしまった。

 入っていた日本酒がとぷんと揺れて少し零れてしまった。


「あーもー。孝一のせいで零れたじゃん」

「俺のせいじゃねえだろ」


 そう言いつつ、面倒見のいい孝一は広縁の隅で干していたタオルをタオルハンガーから引き抜くと、丸い机に散った透明な液体をそれでさっと拭って粗相の証拠隠滅をした。


「大体、俺らがプロにならなかったこともギャンギャン言ってるだろ」


 バドミントンは好きだ。

 学生時代のすべてを捧げるくらいにはバドミントンを愛していたし、孝一と組むダブルスも、勝利したときの高揚感も忘れることなど絶対にない。

 

 だが、一生食っていくには手に職をつけたほうがいいような気がしていた。

 だから工業高校に進んだのだ。

 

 バドミントンの技術も何にも変えられない貴重なものだとは思う。

 それも、全国で通用する実力だ。

 それでも、いつまでも現役でいれるわけではない。

 常に勝利を求めるのは、果たして善一が求めたバドミントンだっただろうか。

 そのプレッシャーに耐えられるだろうか。

 

 現実に立ち返ったとき、善一は自分の気持ちと真摯に向き合った。

 孝一と肩を並べて更に高みを目指すのは楽しい。

 胸がドキドキして、試合の前は楽しみで緊張なんてほとんど感じたことはない。

 でも、それは自分自身の意志だ。

 善一自身がバドミントンを楽しんでいるから、自ずと結果がついてきたものだ。

 そこに他人の期待がのしかかってくると想像しただけで、善一は心臓を無遠慮に鷲掴みにされるような不快さを覚えた。

 言語化できない違和感に襲われて、善一は自分がプロに向いていないことを自覚した。


 高校三年生を間近に控えた春、すでに大学やスポーツ用品メーカーからスポンサーになるとの打診が孝一とともにペアで、という話があった。

 インターハイに集中したいからと返事を保留にしていたこともあり、考える時間はまだあった。

 インハイ予選を前に、善一は孝一に胸の内を曝け出した。


「俺、孝一ともっとバドをしたい。でも義務感があるのは嫌だ。楽しめなくなりそう」

「だろうと思った。俺もだ。義務になると多分、バドを全力で楽しめない」

「じゃあ……」

「プロの話は断る。どんな形になろうと就職したからバドしないってことは絶対ないからな」

「それはもちろん」


 プロにならないからと言って、バドミントンを辞める理由にはならない。

 将来的に実業団に所属し、アマチュア選手になるという選択肢だってある。

 もしそうでなくても、地域のバドミントンクラブに所属してもいい。

 善一はとにかく孝一とダブルスができればよかった。

 孝一と同じ気持ちでいたことに、善一は身を震わせて喜んだ。

 

 この結論が出た日に両親に揃って報告すると残念がられたが、自分たちで決めたならと後押ししてくれた。

 翌日には顧問に報告し、顧問経由で断りを入れてもらった。


 そして迎えたインターハイで、二人は全国ベスト四の中に名を連ねた。

 その時、バドミントン雑誌から取材を受けた。

 当然、プロにはならないことを公言したわけだが、そのインタビュー記事が載った雑誌が発売されると、今度は大学や実業団からのスカウトがかなりの数舞い込んできた。


「進路、どうする」


 インターハイで部活を引退した二人は、どちらかの家で勉強しつつ進路について話し合った。

 実業団に入るなら同じところに、そうでなければ別々の企業に就職することになる。

 大学にも進学するなら同じところだ。

 進学、就職ともに応募の申し込みが目前に迫り、両親からも顧問からも決断を迫られていた。


「大学はなぁ。俺、元々頭悪いし」

「試験はいつも危なっかしいし、資格の筆記も合格ラインギリギリだよな」

「だから孝一に教えてもらってるんだろ」

「そうだな」


 善一は運動神経や手先の器用さは抜群に良いが、勉強となると途端にダメになるタイプだった。

 ついでに言えば、バドミントンは本能でやるタイプなので、例えばチームメイトに指導するのは擬音語が多く向いていない。

 対して孝一は勉強はそこそこにできるタイプで、大体は平均点以上は取れるのだ。

 バドミントンは善一と同じく本能でやるタイプだが、感覚を言語化できるので指導もできる。


 その点から、大学への進学は難ありだった。

 仮に進学したとして、善一が留年する可能性があった。


「実業団は?」

「工業系。ちゃんとその仕事をさせてもらえるところで練習は夕方以降。あと結果を求められないところ」

「結果を求められないってのはちょっと無理あると思うが、前二つの条件には同感だ」


 実業団枠で就職する以上、結果を求められるのは当然だ。

 つまりは義務感ありきのバドミントンとなる。

 それは善一も孝一も希望とは逸れてしまう。


「でも、今でさえバドミントンしないと体がウズウズするのに、普通に就職して残業があったりしてバドミントンができないってなると正直キツイな」

「試験勉強し始めて二日。俺も正直限界だ」

「結果重視じゃないところってあったっけ?」

「ちょっと待って。蒲谷先生から貰った一覧出す」


 孝一が鞄を漁り始めた。

 出てきたのはクリアファイルに挟まった企業の一覧とそのパンフレットの束だ。

 既に工業系以外の企業は赤線で潰しており、あとは条件を洗い出すだけになっている。

 善一は孝一と共にそれを覗き込み、条件に合った企業を絞っていった。

 残ったのは三社。


 翌日、顧問の蒲谷を通じて詳細な条件を確認したところ、地元の大手国産自動車メーカーが善一と孝一の気持ちを汲んでくれた。

 その一ヶ月後に行われた二人同時に受けた面接で採用担当者や監督とみっちり話し込み、彼らの人柄にも感銘を受けた。

 それが決め手だった。

 そうして、善一と孝一はアマチュア選手として歩き始めた。


 プロになって一緒にバドミントンを続けると思い込んでいた夏央には散々説得されたが、もう決めたことだ。

 善一と孝一の気持ちが変わらないと悟った夏央は、人の目も憚らずファミレスで男泣きした。

 泣くほどだとは思わず、延々と泣き続ける夏央を孝一と雅俊と三人で慰めるのは骨が折れた。

 普段は何も言ってこないが、酒に酔うと五年経った今でもこの話で絡んでくる。

 またか、と慣れたものではあるが、そろそろ善一と孝一の選択を受け入れてほしいものだ。

 

「それだけ俺たちと一緒に日の丸を背負いたかったんだろうね」

「そうだな」

 

 今や世界ランク上位となった夏央と雅俊。

 オリンピックでもメダルを狙える実力を持つ二人は、きっと今ごろ明日の夜から行われる試合に向けて調整しているのだろう。


「明日の試合、配信あるんだよね」

「そうそう。予約設定してあるから通知もバッチリだ」


 孝一はスマートフォンを手にするとひらひらと振って準備万端であるとアピールした。

 

「次の日仕事だけど、一緒に見る?」

「ああ。どっちの家にする?」

「俺の家。孝一の私物、ほとんど揃ってるし」

「だな」


 二人の家は社宅で隣同士だ。

 その日の練習の反省会をしたり、試合の録画や配信を見ているうちに寝落ちして、翌日慌ただしく自室に戻るのが馬鹿らしくなり、寝落ち前提でお互いの部屋に私物を置くようになった。

 意外に思われるかも知れないが善一の方が料理の才能があるため、善一の家に泊まることが多いのだ。


 二人がにっと笑い合ったところで音楽と共に花火が上がり始めた。

 昨年流行ったJーPOPに合わせてリズム良く打ち上げられていく。

 その度に窓越しに僅かな振動が伝わってきた。

 花火を見るのは久しぶりで、善一はその光のダンスに夢中になっていた。


「善一」


 不意に名前を呼ばれて隣を見ると、孝一は真っ赤な顔をして手にした小さな箱を差し出してきた。

 孝一はおもむろにその箱の蓋を開けると、現れたのは二つ並んだ銀色に光る指輪だった。


「バドだけじゃない。俺の隣には善一が必要だ。好きだ。結婚してください」


 熱烈なプロポーズに、善一の体も思考も完全にフリーズした。

 それもそうだろう。

 別に、善一と孝一は付き合っていない。

 体を重ねるどころかキスもしたことない。

 そんな状況で、孝一はいきなりプロポーズをしてきたのだ。

 はっきり言って無謀にも程がある。

 

 だが、時間が経つにつれ込み上げてきたのは歓喜だった。

 

 同じ会社に就職して夕方には必ず会えるというのに、高校の三年間クラスが同じで四六時中一緒にいたため、日中会えない時間は自分の半分がなくなったような喪失感があった。

 

 バドミントンをしている時は気分が高揚し、孝一となら何でもできるような気がした。

 

 練習が終わり、善一の家で善一が作った夕飯を食べる時は、孝一の体を構成しているのは自分の料理だと思うと妙な胸の高鳴りを感じていた。

 次第にスポーツ選手のためのレシピ本を書い、栄養満点の食事をするのはかなり楽しかった。

 

 ラケットのガットの張り替えで贔屓にしている個人経営のスポーツ店に行き、善一が会計をしている間、先に店から出て待っていた孝一が逆ナンされている時はその女性に酷く嫌悪感を抱いた。

 胸の中にどろりと黒いものが渦巻いて、誰に孝一を取られたくないと強く思った。


 そのすべてが恋心だと気付いたのは、まさしく孝一のプロポーズのお陰だ。


「俺も、好きだ」


 体を巡る血液が沸騰しているかのように思えた。

 自覚したばかりの気持ちを告げることがこんなにも勇気がいるのかと初めて知った。

 そして、恐れることなく善一に想いを告げてきた孝一に今すぐ抱きつきたくなった。

 だが、この後の流れは恋愛をしてこなかった善一でも流石にわかる。


「っありがとう。一生大事にする」

「俺もだよ」


 善一の答えに、孝一は花火にも負けないくらい顔を輝かせた。

 化粧箱を握っている孝一の指先の震えが止まったのが見て取れた。

 孝一はいそいそと箱を机の上に置くと、二つの指輪をそっと取り出した。

 そして、その内側を善一がよく見えるように目の前に翳した。


「勝手に作って悪い。でも、いい出来だろう?」


 ひとつの指輪は、裏に埋め込まれたシークレットストーンのダイヤをコルクに見立て、羽の部分は刻印で表現されていた。

 もうひとつの指輪のシークレットストーンはラケットのガット部分に見立てられ、グリップ部分が刻印されていた。

 そして、それ挟むように善一と孝一の名前が刻印されていた。


「うわ凄……」

「俺ららしいだろ?」

「もう最高」


 善一はとうとう我慢ならず孝一に抱きついた。

 相変わらず逞しい筋肉に覆われた孝一の体は弾力があり、同じくらいの体格の善一が飛びついてもびくともしない。

 温泉に浸かったため、当然ながら肩口から香るのは善一と同じ匂いだ。


「おい、格好くらいつけさせろ」

「今更だろ」

「こういう時くらいってことだ」

「ああ、ごめん」


 指輪を取り落とさないように両手の拳を握りしめた孝一は、背中を反って善一の顔を見ると嗜めた。

 確かにそうだと思った善一はその言葉に素直に従った。

 二人の間に僅かな隙間が生まれる。


  孝一が善一の手を恭しく取って、薬指に煌めく指輪を通した。

 そして、善一も孝一から指輪を受け取ると、その左の薬指に指輪を嵌めた。

 どうやったのか、指輪はぴたりと合っていた。


「これ、サイズはどうやって測ったんだ?」

「そう言うこと聞くなよ」

「あー……。ごめん」


 意外と格好つけたがりの孝一を見て善一はくすりと笑った。

 それを見て孝一もつられて笑うと、目と目が合った。

 愛しいと、その瞳が雄弁に語っていた。

 二人は花火で彩られる部屋で手と手を重ねると、そっと触れるだけのキスをした。

 瞬間、光と音のハレーションが起きた。

 どうやら花火の打ち上げが終わったらしい。


「フィナーレ、見逃したじゃないか」

「ごめん。来年も一緒に見に来よう」

「夏央と雅俊も?」

「馬鹿言え。二人きりで、だ」


 未来を約束され、さらに胸が高鳴った。

 意識した途端、孝一が格好良く見え始めて敵わない。

 孝一の顔を直視できなくなり、照れ隠しで話題を逸らす。


「でも、夏央がうるさそう」

「こうして黙らせればいいんだよ」


 ぐいっと体を引き寄せられ、再び唇が重なる。

 今度は触れるだけのキスではなかった。

 確かに、これなら夏央は静かになるだろう。

 善一はその光景を想像して口角を上げると、深くなっていくそれに身を委ねた。

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