序章「血の少女」
この世界の7割は滅びた。
いや、厳密に言えば"滅ぼした"というのが適切だろう。
私も、要因の一つなのだから。
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人類の大半は死滅した。大地には凶暴な獣が生息し、空には4つの翼を持つ鳥が群がり、海には人を食らうなにかが生息するようになった。
そのなにかが今日の私の昼御飯だ。
「……それはどんな味がするんだ?」
狩り終えた獣の血抜きをしながら、呆れた様子でズクおばあちゃんは私に聞く。
「う……ん…………食べたことない味だ。ブヨブヨで美味しくはない。けど、初めてを味わうのは嬉しい」
感じたままに私は答えた。我ながら上手な食レポだと思う。
「そうかい。好奇心旺盛なのはいいが、腹は壊すなよ」
まるで興味がなさそうに、おばあちゃんは血抜きを再開する。
「ズクおばあちゃんこそ、干した木の実ばかり食べて飽きないの?」
「老人になると味覚も鈍っちまうんだよ」
「ふ~ん」
そういうものなのかだろうか。私は17歳ぐらいらしいので、その感覚はまだわからない。
「おい、髪にまでそいつの汁が飛び散ってるぞ。綺麗な白髪なんだから、ちょっとは大事にしろ」
今日の昼御飯は水分量が多く、飛び散った汁……血? が髪にまで付着していたようだ。私は特に気にしないが、指摘されたので汁を拭う。
「おばあちゃんも白髪なのに大事にしていない。血とか飛び散ってる」
私も同じように、髪に獣の返り血が付着したおばあちゃんを指摘した。
「……俺は老いて白くなってるんだよ。しかし、本当に羨ましいね。綺麗な白髪に整った顔立ち、おまけに高身長ときた。数十年早く生まれてたらモテてたね」
「もてる?重い物を持つのは得意だ」
「……そういうところはご愛嬌だね」
悪い気はしなかったので、多分褒められたのだろう。
血抜きを終えたおばあちゃんは、体を大きく伸ばしてから大剣を背負った。私も同じく大剣を背負い、帰路の支度をする。
「さて、これだけ獣を狩ればしばらくはコロニーを食わしていけるだろう。俺は鹿型の獣を持っていくから、アイゼルネはその狼型を運んでくれ」
“アイゼルネ"
記憶のない私が唯一覚えている自分の名前。数年前、ボロボロの状態で倒れていたところを、ズクおばあちゃんが助けてくれたらしい。それ以前に、私がなにをしていたのかはまったく覚えていない。
……いや厳密には覚えているはずだ。でも私はその記憶を思い出すことを拒む。
私は……いったい……なにを?
「おい、アイゼルネ」
頭を小突かれて、私は考え込むのをやめた。
「……ごめん。少し考え事を」
ズクおばあちゃんはポリポリと後ろ頭を掻く。少し困っている時のおばあちゃんのクセだ。
「そう気負わなくても、いずれわかるさ。焦る気持ちもわかるけどね」
「うん……そうだね……」
ズクおばあちゃんは私を一瞥したあと両手を大きく叩いた。
「はいはい、湿っぽいのは終わりだよ。コロニーのみんなが腹を空かせて待ってるんだ。あんたがそんな顔で帰ってきたら、膨れる腹も膨れないよ」
少し言葉は荒いけど、おばあちゃんが私を励まそうとしてくれているのはすぐにわかった。
「……うん。帰ろう! “コロニー・バード"へ!」
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滅びた世界で生き残った人々は、各地で一定の秩序を保って集落を結成した。
それがコロニー。
そのうちの一つが、私たちが帰ろうとしている"コロニー・バード"だ。高原地帯にあるコロニーで、『鳥のように気高く自由に』を信条に掲げている。長はズクおばあちゃんで、「ガラじゃない」なんて言いながらみんなをまとめている。
「そういえば、『鳥のように気高く自由に』ってどんな理由で掲げたの?」
暮らすことになってから1年ほど経つが、信条に関する話は聞いたことがなかった。
「……昔、世界が滅びる前は傭兵団に所属していてね。その団が掲げていた信条をそのままパクったのさ」
「ヨウヘイダン??」
記憶がないからか、昔の話だからかはわからないが、聞き覚えのない言葉だった。
「金のために戦う兵隊のことだよ。俺が所属してたのは金のためとは少し違ったけどね」
「その人達、今はどうしてるの?」
そう聞くとおばあちゃんの顔が少し曇った。私の好奇心で嫌なことを思い出させたかもしれない。
「ごめん。私いつも興味が湧くと後先考えなくなって……」
「いや、いい」
そう言っておばあちゃんは私の言葉を遮る。そして、そのまま話を続けた。
「想像通り、みんな死んだ。そもそも世界はなんで滅んだかは覚えているか?」
「うん……おばあちゃんに教えてもらったから。
突如現れた"受肉した呪い"によって……だったっけ」
「ああ。何人いるのかは知らんが、奴らは悪意のままに人間を殺戮し、世界を滅ぼした」
おばあちゃんは淡々とした口調で話す。
「うちの傭兵団も抵抗したが……ま、化け物みたいに強かったから俺以外みんな死んだ」
だけど、言葉にはどこか怒りが感じられた。
「もっと俺に力があれば……」
しんみりとした空気を吹き飛ばすように、正面から駆動音が聞こえた。音のほうを見ると、二輪の乗り物に跨った見慣れた男性が近づいてきていた。
「どうもっす長、アイちゃん。今日も大量だな」
コロニー・バードの副長であるロードランナーさんだ。狩りが終わったときに時折こうやって迎えに来てくれる。
愛用のバイク…魔導二輪車といったか。想いや願いをエネルギーに変換する技術が使われた乗り物らしい。
私のことを気さくに"アイちゃん"と呼ぶので、私も"ローランさん"と呼んでいる。気さくで明るいおじさんだ。
「おじさんじゃなくてお兄さんな、アイちゃん」
……心の声を当てるのが得意なお兄さんだ。
「迎えはいらんと言っているだろう。それとも年寄りを少しは労わる気になったか?」
「ま、そんなところですよ。…最近は特に物騒ですから」
「そんなもの今に始まったことではないだろ? ……おい、まさか!」
二人の顔つきが不安の表情へと変わる。私にはなぜ二人の表情が変わったのかわからなかった。
「コロニー・バードより、少し離れた地点にあった獣の巣が壊滅していました。痕跡から見て人間や獣がやったものじゃありません。おそらく受肉した呪いの仕業です」
「コロニーがバレるのも時間の問題だな……」
私にも、二人の不安の表情の意味がようやくわかった。
「おいアイゼルネ、なにをボーっとしている?」
ボーっとしていたわけじゃない。見ていたのだ。
「……あれ、見て」
……黒煙が上がり、燃えるコロニー・バードを。
「クソッ!! もっと早く巣の壊滅に気が付いていれば!!」
ハンドルに拳を叩きつけ、ローランさんは言葉をこぼす。
「……これは長としての命令だ。コロニー・バードを捨て、生き延びた俺達だけでも逃げるぞ。間違っても復讐なんて考えるな」
おばあちゃんは長として冷静に物事を考えていた。だけど……みんなを見捨てて逃げることが正しいことなのだろうか。記憶のない私に親身になってくれたみんなを見捨てて……
「そんなのは……ダメだ!」
「おい! アイゼルネ!」
引き止めようとするズクおばあちゃんの手を払いのけ、私はコロニー・バードへ向かってがむしゃらに走った。
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天の国。生前に罪を犯さなかった人間が、死後たどり着くことができる安寧の地。しかし、人は罪を犯す生き物だ。ゆえに、ほとんどの人間が死後に安寧を受けることができない。
だから罪を犯す前に、全ての人間をワタシがこの手で殺す。それがオレに与えられた使命であり、ワレの存在意義だから。
だが、その使命とは別に、オレにも目的がある。離れ離れになった彼女を探さなければならない。……そうやって探し続けてもう3年ほどたっただろうか。
過去に思いを馳せていると、コロニーに近づいていることに気が付いた。
立ち止まり軽く深呼吸をする。オレからワレへ切り替えるために。
「この手で福音を授けねば」
目的ではなく存在意義を果たすために、ワレはコロニーへ歩を進めた。
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血の匂い。血だまり。肉の塊。燃え崩れる住居。私の知っているコロニー・バードの姿はどこにもない。
だけどなぜか懐かしさも感じる光景だった。何度も何度もこんな光景を見てきたような……
「ゲホッゲホッ……誰か! 生きていたら返事を!!」
捜索をしていると、崩れた住居の一角に人影が見えた。
「……!! よかった!」
人影のほうに近づく。しかし迂闊だった。
襲撃者がまだ残っている可能性を考えていなかったのだ。その考えに至る前に、襲撃者は右手で私の首を掴んだ。
「お前で最後か。安心しろ、みな天の国で待っている」
首を掴む力が強まる。呼吸が出来なくなり思考が鈍る。
「グッ! ……ガァァ……!!」
思考は鈍っていたが抵抗はやめなかった。しかしそれに比例して絞める力は強くなる。力を強めながら襲撃者はジッと私の顔を見つめる。なにかを思い出すように。
「……!! まさか!?」
驚いた表情で襲撃者はそう言った。その一瞬、首を掴んでいた手の力が緩む。
「っ!!!」
その隙を逃さなかった。
私は首を掴む手を振り払い、襲撃者の腹を蹴り飛ばした。襲撃者は数m吹き飛び瓦礫に打ち付けられる。
間髪を入れず、背負っていた大剣を片手に地面を蹴り、敵に飛びつく。一瞬で距離を詰め、襲撃者目掛けて大剣を振り下ろす。
直後、キンと金属のぶつかり合う音が響いた。しかし、そんな音が響くはずがない。
襲撃者は、右手のひらで大剣を受け止めたのだから。
「っ! 手で!?」
だが、驚いたのは私だけではなかった。
「やっぱり……アイゼルネか?」
襲撃者は私の名を呼んだ。
「まさか……こんなあっさり会えるなんて……気がつかなかったよ。君は成長するんだな」
「……私を……知っているの?」
「オレを覚えていないのか?」
初めて出会った、私のことを知っている人物。だけど過去を知る前に、まず聞かなければならないことがあった。
「なんで……コロニーを! コロニーのみんなを! 世界を!! こんな風にめちゃくちゃにしたんだ!!」
「なんでって……そもそも始めたのは君だろう?
君も"受肉した呪い"なんだから」
言っている意味が理解できなかった。いや、理解したくなかった。
だから反射的に私は否定した。
「そんなわけない! そんなわけない! 私には記憶が……記憶がないんだ! 覚えていないんだ!」
「それは、君のしたことを否定する理由にはならないよ」
そんなことはわかっている。だけど、否定することを止めなかった。止めたらなにもかもが変わってしまう。そんな気がしたから。
「だって、コロニーのみんなは! 私を見てもそんなこと一言も!」
「昔の君はもっと幼く小さかった。オレが気づかなかったんだ。人間が気づかなくても不思議じゃないよ。それに……」
「違う違う違う!!」
認めれなかった。認めたくなかった。絶望と罪の重さに耐えきれず、その場に座り込んでしまう。
「私……私……は……」
襲撃者は屈んで私に目線を合わせる。そして慰めるように告げた。
「アイゼルネ、大丈夫だ。認めれば楽になれる」
「わ……たしは……」
その言葉をきっかけに激しい頭痛に襲われ、私は意識を失った。
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集団というのは、属する人が増えれば増えるほど揉めやすいものだ。ましてや世界が滅びたんだ。食料問題など山積みの問題を解決できていない状態での揉め事は、極力避けたい。
だから、ズタボロの少女を見つけても、多分見捨てるのが"コロニーの長"として正しい判断だろう。
だけど俺にはできなかった。
今だってそうだ。俺の足は、かつて救った少女の後を追おうとしていた。
「ロードランナー!! 今この時をもってお前が長だ! お前の思う信念を持ってこの世界を生きろ!」
新しい長にそう告げ、俺はアイゼルネの後を追った。
「んなの……ずるいっすよ……」
後ろからそんな声が聞こえた。
ずいぶんとこの場所も変わったな。そう言いたくなるほど変わり果てたコロニーに、警戒をしながら足を踏み入れる。
視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の全ての感覚を研ぎ澄ます。傭兵時代に培った探索術。昔に比べれば鈍っているが、どこに何人いるか程度はわかる。
「二人……場所はあそこか」
大剣を手に、臨戦態勢で歩を進めた。
そこには倒れたアイゼルネと、上裸の男が一人いた。
アイゼルネは気を失っているだけで息はしていた。生きていることがわかり、心の内で安堵する。
男の姿には覚えがあった。黒い長髪で細長い肉体。いや、無駄のない肉体というほうが正しいだろう。見た目はどこにでもいたような好青年だが、その姿を一度も忘れたことはない。
「よりにもよってお前とは、"マシア"」
「ほう、どこかで会ったか?」
マシアは淡々と言い放った。煽る様子も思い出す素振りもない。
「かつて、お前と戦った傭兵団の生き残りだ」
「ああ、そうか」
まるで興味がなさそうにマシアは言う。
「で? 復讐でもするか?」
「お前に二度も故郷を奪われたんだ。そうしたいのは山々だけどね。今は、その子を守ることが目的さ。」
「そうか、お前がアイゼルネを……感謝する」
一瞬だがマシアの表情が変わったことに気が付いた。自分の本心を語る。そんな顔つきをしていた。
「あぁ? 今なんて……」
瞬間、マシアが懐に潜りこみ、拳を顎に向かって突き上げる。間一髪バックステップでそれを避けた。
「相変わらず早いな。昔に見ていなかったら避けれなかった……よっ!」
後ろに距離を取った勢いを利用し、回転しながら大剣を振るう。マシアはそれを右手の甲で受けた。
「手を硬質化させてぶん殴る! 攻撃を受ける! 昔と変わらないね!!」
「"変質の呪い"はすでに見せていたか」
呪い。悪意をエネルギーに変換し様々な事象を起こす技術。人間が扱うには数年から数十年の修行が必要な技術だ。
だが、受肉した呪いは違う。呪いそのものである彼らは、いとも容易くその力を振るうことができる。
マシアが扱うのは変質の呪い。自分の肉体、それと触れた物の性質を変えることが出来る。その能力で拳を金属のように固くし、肉弾戦を行うのが過去に見たマシアの戦い方だ。攻守共に優れた能力だが、弱点もある。
「変質させれる面積は限られているんだろ?」
「ほう、そこまで知っているか。だが、知っていても避けられるか?」
マシアはジャブとストレートの素早いラッシュを繰り出す。その素早い拳を最低限の動きで避ける。見た目はただの拳だが、金属と同等の硬度を持っている。生身の人間が一撃でも食らえばどうなるかは考えなくてもわかる。
俺の得物の大剣は大振りだ。間合いを詰め、連撃で攻撃の隙を与えないのは正しい判断だ。
だが……
「そんなものは、傭兵時代にとうに克服してるんだよ!!」
攻撃のタイミングに合わせて、右足で蹴りを腹に放つ。リーチが長いのは拳より蹴りだ。マシアの拳が届くより先に俺の蹴りが当たる。
だが、痛みを伴ったのは俺のほうだった。
金属を蹴ったような衝撃が右足に伝わる。いや、実際に蹴ったのだろう。
「腹を……変質させたか……」
動きを読まれ、防御をされた。
右足を庇うようにして一度距離を取る。駄目だ、確実に折れている。大剣を支えにして立つのがやっとだ。
「アイゼルネも距離を離すために腹を蹴ってきた……なるほど、戦う術を教えたのもお前か」
「それで咄嗟に対応できたのか……」
息を整える。思考を巡らせ勝つ方法を考える。
だが目の前にいるのは世界を滅ぼした連中だ。待ってくれるわけがない。マシアは跳躍し、その勢いを乗せた拳を放つ。
「仲間のもとへ逝け」
無意味なのはわかっていたが、防御態勢を取る。避けられない以上できることは悪あがきだった。
鋼の拳が当たる……
その直前。
「っらぁぁぁ!!!!」
駆動音と共に、そんな声を乗せた二輪車がマシアに向かっていた。
跳躍し空中に浮かんでいたマシアは、その突撃を避けることが出来ず、吹き飛ばされる。受け身を取ったため、大したダメージにはならなかったが、距離は離れた。
二輪車に誇る後ろ姿には覚えがあった。ロードランナーだ。助けてもらったのはわかっていたが、最初に口からでた言葉は怒号だった。
「おい! なんで来た! 生きろと言ったはずだぞ!!」
「長ってのは下のものを守るもんすから。元長からそう学びましたんでね!
それに死ぬ気なんてないっすよ。もちろん、死なせる気もね!!」
ロードランナーは二輪車を駆り、マシアへ再び突撃する。
「バカ野郎!!向かったところでお前では……」
静止する声は、虚しくも駆動音にかき消される。
「クソッタレ……俺は無力だ……また守れないのか……」
右足を引きずりながら、アイゼルネが倒れていた場所へ向かう。ロードランナーが時間を稼いでくれているのだ。彼の思いを無駄にするわけにはいかなかった。
右足を庇いながら、アイゼルネの元へ辿り着く。アイゼルネは、まだ目を覚ましていないものの息はしていた。
膝を突き、倒れたアイゼルネを背負おうとする。しかし、右足に力が入らずうまく背負うことができない。背負うのを諦め、顔を合わせ、声を掛ける。意味などない。だけど見捨てることなんて出来なかった。
「起きろ…起きてくれ、アイゼルネ……!」
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声が聞こえた。私を呼ぶ声。
「アイゼルネ……って名前はどうかな?」
見知らぬ誰かとの会話。
「『名前ってなに?』って……君のことを表す言葉だよ。
命にはそれぞれ呼び方があるんだ。
オレ? オレの名前はケ……いや、いまはマシアだ」
ああ、そうか。これは私が生まれたときの記憶。
受肉した呪いとして、彼と出会ったときの記憶
記憶を探る。私について知りたかったから。
でも思い出せない。思い出したくない。過去を知るのは怖い。
「……ゼルネ」
声が聞こえた。だけど起きる気にはならない。今を生きるのも怖い。
「……イゼルネ」
……でも、どれだけ怖くても、立ち上がらなければ、未来にだって進めない。
それに、過去に縛られてウジウジするなんて、そうやって今を諦めるなんて、そんなのはコロニー・バードの人間としてらしくない。
怖いことだらけだけれど、怖がってばかりじゃダメだ。
「起きてくれ、アイゼルネ……!」
名を呼ぶ声がはっきりと聞こえたとき、霧のかかった意識が晴れる。
諦めるのは、助けてくれた恩義を果たしてからだ。
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勢いよく飛び起きた私は、おばあちゃんと頭をぶつけた。
「っがぁ!?」
予想だにしない一撃を食らい、おばあちゃんは倒れこんでしまう。幸い気絶はしなかったようだ。
「……ははっ、良かった……起きたかい」
「うん。おはよう」
おばあちゃんはなにかを言いたげだったが、すぐに口を閉じ、もう一度言葉を紡ぐ。
「……行くんだろう?」
「うん。……マシアを止めないと」
倒すではなく、止めるという答えに至ったことに、なぜか違和感はなかった。
「そうかい……マシアは今ロードランナーと戦っている。エンジンの駆動音で場所は掴めるだろう。……いってこい」
「いってきます」
耳をすませ、位置を探る。おばあちゃんから教わった探索術。……遠くで戦闘音が聞こえた。
大剣を背負いその方向へ向かう。
二人の戦う姿を目で捉えられるほど近づいた時、骨の砕ける音が響いた。壊れたバイクを背に、顔が潰れたローランさんは倒れこんだ。あと一歩間に合わなかった。
「ローランさん……」
「彼は天国に旅立ったんだ」
当然のことかのようにマシアは告げた。しかし、怒りや悲しみといった感情は湧かなかった。
「多分、私もこうやってたくさんの人を殺したんだね……」
「……」
マシアの答えは沈黙だった。それが肯定を意味することは、私でもわかった。
「……私は、あなたとどんな関係かも、自分が世界を滅ぼしたことも覚えていない」
覚えてはいないけど、過去に関係があったことは私の記憶が物語っていた。だから、今の私の思いを伝えようと思った。
「あなたは私が始めたことだって言ったよね。だから、私は滅亡を止めるよ。それが始めた者の責任だと思うから」
会話というよりは、自問自答に近かったかもしれない。でも、私の気持ちは伝えられた。
「君は……変わったね」
それを聞いたマシアの顔はどこか嬉しそうだった。
問答が終わり、戦いの火蓋を切ったのは私からだった。
「はぁっ!!」
マシアの腕を目掛けて大剣を振り下ろす。それをマシアは拳で受ける。
拳と大剣が衝突し、火花が散る。瞬間、大剣は砕けた。
「なっ!?」
すぐに大剣を捨て、回避体勢をとる。
「そこまで劣化はしていなかったはず……」
「オレの能力は自分の体を固くするだけじゃない。触れたものを、脆くすることだって出来るんだよ」
生身で剣を受けたのもそういうカラクリかと、今更ながら理解した
「人間相手だと一辺倒な攻めでも問題ないが、君は油断ならないからね。少しだけ本気を出したよ」
“少し"と言ったことに引っかかる。この様子だと、まだなにか能力を隠していそうだ。それ以前に、変質させる能力も厄介だが……
「君を殺す気はない。さっきみたいに、少し気絶してもらおうか」
考えれば考える程、状況を打開するための手段が思いつかない。そうやって考えている間にも、マシアは距離を詰めている。
何か手段は……
そう思った時、右手首が疼いた。
「イタッ!?」
痛みを伴った場所に、数字が浮かび上がる。
「6が3つ……?」
「!?」
それを見たマシアは、驚き距離を取った。
「獣の数字……」
マシアはそう呟いた。この数字にも、私の知らないなにかがあるようだ。
突如起きた不可思議な現象。だがこれで終わりではなかった。
「血が……集まってくる?」
マシアの殺したコロニー・バードのみんなの血が、私の周囲をプカプカと浮かび上がる。
それらがなにかを待っているように見えて、私は想い浮かんだ言葉を呟く。
「……右手に纏われ。」
その呼びかけに応じるように、浮かび上がった血液は右手に纏わり、固まる。数秒で私の右手には、赤黒い巨大な爪が出来上がった。原理はわからない。だけどこれが、受肉した呪いとしての私の能力なのだろう。
「血を……操れる呪い。」
「……少しは受肉した呪いらしくなってきたじゃないか。」
わからないことがどんどん増えていくが……
「考えるのは後だ!」
この能力があれば、勝敗もまだわからない!
マシアの能力で厄介な点は、触れてしまえば性質を変えれてしまう点だ。攻略方法は二つ。触れずに倒すか、意表を突いて攻撃するか。血を操ることでどちらの方法も試せそうだが……
そもそも具体的に操る方法がわからない!!
「爪か……だが、触れてしまえばどうとでもなる!」
距離を取ったマシアは、再びこちらに迫ってくる。
思い出せ! さっきなにをしたらこうなった? 確か……
「弾け飛べ!!!」
私が血をどうしたいかを言葉にして発した。
すると右手にできた爪は、小さい無数の血の弾となり、マシアに向かって飛んでいく。咄嗟にマシアは防御の姿勢をとるが、弾の数が多く全てを防ぐことはできなかった。
「……なかなか……効くね!!」
弾幕によって怯んでいるマシアに追い打ちを掛けるために接近する。心の中で次の命令を唱える。
--右手に剣を。
すると、放たれた血の弾がまた右手に集まり、数秒で大剣が生成される。どうやら口に出さなくても、心で思うだけで操ることができるようだ。
「うらぁぁ!!!」
その大剣をマシアの頭目掛けて振り下ろす。
「甘いよ!!」
マシアはそれを拳で受けた。剣を変質させ脆くし、そのまま大剣を砕く。さっきと同じように。
だけどさっきと違うのは……
剣が血で出来ていることだ。
「鎖になってマシアを縛れ!!」
瞬間、砕けた血の剣は鎖となり、マシアをグルグル巻きにしていく。
「これは!?」
1分にもならないうちに、マシアを拘束することに成功した。
「最初に止めるって言ったでしょ? 私もあなたと同じ、殺す気はなかった」
「その割には随分殺意が高くなかったかい?」
「そうしないと、あなたは勘ぐるでしょ?」
「はは、確かに」
マシアは抵抗する様子を見せたが、すぐに意味がないことに気が付き抵抗をやめた。
「あなたが鎖を変質させるなら、それに合わせて私がさらに鎖を操るだけだよ」
「力づくでも……解けなさそうだ」
マシアは内側から力づくで壊そうしたが、すぐに諦めた。もっと激しく抵抗するものだと思っていたので拍子抜けする。
「じゃあ落ち着いたことだし、知っていることを全部話して貰おうか」
「君は思い出すのが怖くないのか?」
「……怖いよ。だけど、それ以上に好奇心もあるんだ」
これが私の本心だ。どれだけ辛くても、怖くても、好奇心を優先してしまう。どれだけ取り繕っても、私の芯にはいつも好奇心がある。
「君らしいね。……だけど教えられないな」
「そっか。うん……じゃあどうしようか」
「オレとしては、解放して欲しいんだけど」
「世界を滅ぼさないって約束するなら」
「……」
マシアは黙り込んだ。私の提案について考えてくれているのだろうか。
しばらくの沈黙のあと、先に口を開いたのはマシアだった。
「オレはワタシの罪を背負わないといけない。それにワレとしての存在意義も無視は出来ない」
こちらが口を挟む隙を与えぬように、マシアは語り続ける。
「オレは君に会えて嬉しかったよ。君の言う通りにしてあげたい。だけど……だけどワタシがワレである以上、人を滅ぼすことはやめないよ。
……やめれないんだ」
語り終わった瞬間、内側から鎖が破壊された。予想外の出来事に、対応が数秒遅れる。
「!?ま…巻きつけ!!!」
状況を理解するよりも先に、血の鎖を再びマシアに巻きつけようとする。しかし、その鎖はマシアの起こした風によって吹き飛ばされる。
「この姿は久しぶりだね」
マシアは空の上から私に話しかける。
「12の…翼?」
マシアの背中には、さきほどまでなかった12枚の翼が生えていた。あの翼を使って、内側から鎖を破壊し、風を起こしたのだ。
その姿は神々しくも、どこか人間らしい。そんな印象を受けた。
「お別れだアイゼルネ。次に会った時、オレはワレだ。その時は全力で殺し合おう。
君が罪を背負うなら。世界を救うことを望むなら」
そう言い残し、マシアはどこかへ飛び去った。辺りには13枚の羽根だけが残った。
「オレ、ワレ、ワタシ……」
マシアの語りもこのアザも、私自身の能力についてもなに一つわからなかった。自分の記憶も思い出せないのに、さらに知りたいことが増えてしまった……
「まあでも、とりあえずは一件落着……」
いや、まだ終わっていない。
「……違う」
殺したい殺し尽くしたい。その先が見たい。
そういった衝動を、もう抑えられない。
「私はそんなことはしない! それに、殺す相手はここにはいない!!」
誤魔化すのはよせ。お前は気が付いている。
「違う違う違う!!!!」
まだ、生きているやつが一人いることに。
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アイゼルネを見送って数十分は経っただろうか。崩れた住居の木材を巻きつけて固定しただけの足を眺めながら、祈ることしか出来なかった。
「俺も老いたな……」
傭兵時代は、足が折れようが仲間が死のうが、目の前の敵を殺し続けた。大剣を手放すことなんてなかった。生きるのに必死だったからだ。
だが、今は生に対する渇望はない。地面に倒れた大剣がその証拠だ。
……やはり老いたのだろう。
ふと足音が聞こえた。近づいてきていたが、聞き慣れたものだったため警戒はしなかった。
やってきたのは、やはり想像していた顔だった。目的を果たせたのかはわからなかったが、生きて帰って来てくれただけで嬉しかった。
「止めれたか?」
「いや……逃げられちゃったよ。わからないことも……たくさん増えた」
「記憶も追々思い出していくしかないね」
「うん……そうだね……」
今にも泣きだしそうな顔で、アイゼルネはそう答えた。
「だけど、わかったこともあるよ……」
その顔に違和感を覚える。
「私……世界を滅ぼした、受肉した呪いだったんだ」
血で塗れた手が、首元に伸びる。
その手は微かに暖かく、同時に冷たさも感じられた。
「私……私は! 人をたくさん殺した! 記憶はなくても感覚で覚えてる……
こうやって私は! これからも自分を抑えれなくなって!!!
…………人を殺すんだ」
首を絞める力が、徐々に強くなる。
「……出会ったときからなんとなく……気が付いてはいたさ」
「だったらなんで! ……私を、育ててくれたの?」
絞める手を振り払う気はなかった。どうせこの足では長くはもたない。だけど、伝えたいことは山ほどあった。
「お前に俺自身を重ねたから……」
問いに答えた瞬間、思い出が脳に溢れかえる。多分これが、走馬灯というやつなのだろう。
「人殺しに罪の意識なんて感じず、己の欲のために他を顧みない。……出会った時のお前は、昔の俺と同じ目をしていた。だから……教えたかった。変えてやりたかったんだ……
生きるってことを……昔の俺が、そうだったように……」
「でも……結局私はこの欲に負けて人を殺すんだよ……」
最後の力を振り絞り、首を掴む手を引きはがして気道を確保する。これだけは伝えようと思ったから。
「『鳥のように気高く自由に』この言葉を忘れない限り、お前は変われるさ。お前は……コロニー・バードの一員で、
俺の孫なんだからな」
引きはがした手は、もう一度俺の手を絞めようとする。
「……ズクおばあちゃん……」
首を絞める力は、さっきよりも強くなっていた。
「…………ありがとう……」
俺では救ってやることは出来なかった……その後悔だけが胸に残る。だが、アイゼルネなら変われると確信していた。
あぁ、段々と思考が鈍ってくる……。これが俺の最後なのだ。傭兵の生き残りにしては、悪くない末路だ…
意識がなくなる間際、違和感の正体に気が付く。愛する孫のその顔が、どこか笑ってるように見えたんだ。
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どれだけここで泣いていたのだろう。どれだけの命を奪ったのだろう。
気が付けば、右手首のアザも消えていた。同時に人殺しへの渇望も消えた。
だからなんだというのだ。
私の罪は消えない。この罪はずっと、私に重く伸し掛かる。
それでも。いや、だからこそ。
「…鳥のように、気高く自由に」
涙を拭い立ち上がる。
「おばあちゃん…借りていくね」
形見である大剣を拾い、背負う。それは私が使っていたものよりも、ずっと重く感じた。
結局、私はなにも知らない。
世界のことも、私自身のことも、なにもかも。
私は思い出さなければならない。私がしてきた全てを。
私はやらなければならない。その償いを。
何ができるかはわからない。だから探し求めよう。
この荒れ廃る世界の中で。