私のエッセイ~第百九十二弾:ボクサー列伝(9):マーベラス・マービン・ハグラー~ ボストンの稲妻
・・・まずは、この素晴らしいYouTube動画のドキュメンタリーをご覧くださいまし。
英語のみの音声で、申し訳ないのですが。
『The Last Gladiator and The Legendary Knockout Machine』
→ UP主様は、「History of Boxing EN」様。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
皆さん、こんばんは! いかがお過ごしでしょうか・・・?
今宵はまた、素晴らしいボクサーを紹介します。
『マーベラス・マービン・ハグラー』。
実はもう故人ですが・・・
「ハグラー」って、すごい苗字だと思いません・・・?
野蛮人が、頭の皮を「剝ぐラー!」って感じで♪
ハグラーは、元ミドル級の統一チャンピオン。
80年代に活躍し、レナード・ハーンズ・デュランたちと、『黄金のミドル級時代』を築きあげた四天王のひとりでもありました、
ツルツルに剃り上げた頭、コーヒー色の肌、筋骨隆々として引き締まったボディ・・・
いかにも強そう! って感じの、迫力ある、グラサンとスーツの似合う、ダテ男でもありました。
生涯戦績:67戦62勝52KO3敗2引き分け
負けはたったの3つで、無冠時代のワッツとモンロー・・・いずれも判定負けでして、リターンマッチでは、壮絶なKOでリベンジしています。
最後の1敗・・・これは、あの「スーパー・エクスプレス」と異名をとった、シュガー・レイ・レナードに判定負けしたものです。
このハグラーですが、「歴代ミドル級最強のチャンピオンは誰か?」という話題になると、必ず上位にランクインしてくる、名チャンピオンなんです。
本来右利きなんですが、強豪が数多くひしめく「伝統のミドル級」において、「戦略」として左構えのサウスポーになり、玄人好みのシブいボクシングで人気を博しました。
前述のように、ハグラーは、過去の有名なチャンピオンたちと、その強さがよく比較されます。
シュガー・レイ・ロビンソン、スタンレー・ケッチェル、カルロス・モンソン・・・。
(彼らにつきましては、また別の機会に。)
特に、モンソンは、たった10年しか時代が違っていないため、その強さは本当によく比較されますね。
私と同年代の読者のボクシングファンの方の中には、ハグラーの試合の中で、もっとも忘れがたいものがありましょう。
・・・前述の、レナードとの防衛戦です。
この試合はですね・・・結局『スプリット・デシジョン』で判定が割れましてね・・・。
「頭脳プレイ」「駆け引き」「戦略」「知恵比べ」でまさったレナードの辛勝となります。
でもね・・・
ハグラーとの打ち合いを避けて(= 逃げて??)、最初から判定に持ち込む作戦だったレナードの老獪な戦略・・・ぼくは嫌いでしたね。
レナードは、ハグラー同様、大好きなボクサーなんですが・・・。
ぼくはいまでも「ハグラーの僅差での勝利」と確信してますが・・・そう思う方は、やはりいまも世界中におられるようですね。
「ハグラー・・・本当に気の毒だったな」と。
では、以下に、ある方がかなり以前にネットに紹介してくださった、そんな両者のエピソードを紹介し、最後に、おすすめのハグラーのありし日の勇姿を、いつもの形式で紹介し、エッセイを閉じたいと思います。
m(_ _m
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(以下、すべて引用となります。この記事を書いてくださった方・・・本当に文章がうまいですよね。)
【マービン・ハグラーの引退のエピソードにシュガー・レイ・レナードとの再戦交渉、駆け引きで嫌んなっちゃった的な事がよく書かれていますが 実際当時どんな感じだったのですか?】
ハグラーはレナードとの対戦前にレナードの条件をことごとく受け入れました。
統一ミドル級チャンピオンとして戦いたかったのでしょうが、レナードが12ラウンド制を要求、グローブは12オンス、リングの広さは24フィート、通常のボクシングのリングより1メートル以上の広いリングでの戦いとなりました。
(12ラウンド制を飲んだためWBA,IBFのベルトは剥奪)
あの試合でレナードが勝てた要因はやはり12ラウンド制と横に沢山動けるリングの広さだったと思います。
この時点である意味、レナードの作戦にハマッたとも言えるかも知れません。
結果はご存知のようにハグラーの判定負けとなりました。
私はハグラーのファンですが、レナードも好きなボクサーです。
一番、残念なのは、レナードは負けても当たり前と(ある種の言い訳を準備して)リングに上がれました。
一方のハグラーは失うものが大き過ぎました。
それだけに、レナードにはデュランとの1・2戦やハーンズとの初戦のように、戦って欲しかったです。
ハグラーも、レナードがそういう戦いで臨んで来て負けたのなら、リマッチは要求したでしょうが、ある意味、納得のゆく「負け」だったと認められたかも知れません。
その後、ハグラーはリマッチを要求、しかしレナードは難色を示し、ファイトマネーやリングの広さ、グローブなどの条件を付けてきました。ラウンドはWBCでの戦いになりますので変えようがなかったですが。
それをハグラーが飲むと、また新たな条件を付き付けてくるという異常な状態だったそうです。
「オレはお前の条件を飲んだが、お前はこれだけじゃ足りないのか?」というのがハグラーの言い分でした。
雑誌などでは、レナードはハグラーとのリマッチには自信がないという報道はされていました。
なかなか、首を立てに振らないレナードに対しイライラするようになり、真面目な性格と言われてきたハグラーは酒びたりになり、グラスを叩き付けるなどの行為が子供に良くないと、奥さんが離婚を要求しました。
やっと目を覚ましたハグラーは「このままじゃいけない」と感じボクシングに見切りをつけ、もう一つの夢でもあった俳優業に転向ラヴェンナというイタリアの都市の移り住んだのは当時の新聞のスポーツ欄にも載っていました。
しかし、その後もアメリカでの生活が主で俳優として数本の映画に出ました。
一方のレナードは、ハグラーと1試合戦うために、リングに戻ると言いましたがハグラーとのリマッチには応じず、ハーンズとのリマッチやデュランとのラバーマッチには応じました。
「ハグラーとのリマッチは避けたのに?・・・」とマスコミは皮肉ってはいました。
しかし、私個人としては、酒びたりの日々から目を覚まし、「止まってはいられない」と判断し次の夢に向かって走り始めたハグラーを今でも間違った選択をしていなかったと思いたいです。
レナードを恨む事無く、今でも一緒に写真などに写っている姿を見て人間的にもボクサーとしても尊敬しています。
引退後、公の場に姿を見せ、リングに上りハーンズを祝福して笑顔さえ見せていたハグラーに「男」を感じました。
(※) サファイアの涙からの注釈です。この日、ハーンズは、アルゼンチンのファン・ドミンゴ・ロルダンと、レナードがハグラーに勝って返上したWBC世界ミドル級のベルトをかけての「王座決定戦」に挑み・・・見事、4ラウンド失神KOで葬り、それまでの三階級制覇ずみの王者たち・・・あのヘンリー・アームストロングやアレクシス・アルゲリョ、そしてロベルト・デュランなど・・・が挑んで、ことごとく失敗していた『史上初の四階級制覇』の偉業を達成しまして・・・それをハグラーが、試合後リングにあがって祝福してくれていたのでした♪
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(サファイアの涙よりの注釈。以下に、別の方が書かれたものも紹介します。これも、大変優れた文章で、ほれぼれしますね♪ ぜひ、アマチュア作家として、見習いたいと思います。)
ハグラー×レナードの再戦交渉は、勝ち逃げを匂わせて勿体つけるレナード陣営の駆け引きにより、難航を極めました。網膜はく離でブランクを作り、復帰戦の出来の悪さに自信を失い引退した後、3年ぶり2度目のカムバックを決めたレナードは、「目的はハグラーだけ。他の連中に興味はない」と言い放ち、「1試合限定の復帰」と考えていた。ハグラーがムガビ戦で疲労を指摘され、WBCが12回戦制を強行したことがレナードを決断させた(15Rならできなかった)。
「積極的なマーベラス vs. 消極的なシュガー・レイ」
何やらパッキャオとメイウェザーのような構図ですが、そもそもハグラーには成算の薄い交渉だった。今にして思えば・・・
命からがら青息吐息の勝利だったにも関わらず、レナードはとにかく高飛車。興収の配分は7-3、日程と開催地の決定権から有料放送のインセンティブまで、レナードが一方的な条件を提示。「呑めないならやらない」の一点張り。16歳のハグラーを「マーベラスな王者」にまで育て上げたグッディ(今年1月29日逝去・享年88歳)とパット(昨年9月逝去・享年89歳)のペトロネーリ兄弟は、屈辱に耐えながら長期戦を覚悟する。しかしレナードの一言がハグラーの胸をグサリと刺す。
「本気で再戦したいなら、まずは負けを認めろよ。判定がフェアじゃないとか、俺が卑怯な戦い方をしたとか言うのは止めるんだ。」
試合(1987年4月6日)が終わってから1ヵ月後(5月1日)、レナードはミドル級のベルトを返上して引退に言及。さらに5月27日には引退を表明。在米ファンの間に勝ち逃げへの批判が当然のように湧き上がるが、レナードはそうした状況も楽しむかのように「条件次第だ。いつでもやる用意はある。何度やっても俺の勝ち」とハグラーを挑発。
ノラリクラリと引き伸ばし・挑発を続けるレナード。一方のハグラーも「俺がぶちのめしたいのはヤツだけだ」と、空位になった王座決定戦には見向きもせず、「再戦以外リングに戻る意味がない」と語り、半ば諦めムードになりながらも、「その日」に備えて鍛錬だけは怠らない。
レナードはマスコミのインタビューや講演、ビッグマッチのゲストなどにいそしみ、ハーンズ、デュラン、マイケル・ナン、アイラン・バークレーらの名前を挙げ、「周囲はもう辞めて欲しいと言ってる。十分戦ったんだからってね。確かにやり残したことはない。だけど引退すると言ったのにオファーが来るんだ。やるにしてもあと1~2試合だ。よりよい条件を選ぶのは当然だろ?」と涼しい顔。
時間だけがいたずらに過ぎ、34歳の誕生日(1988年5月23日)を迎えたハグラーは、6月上旬になってついに引退を表明。「もう待ちくたびれた。飽き飽きしたよ。レナード(当時32歳・奇しくも誕生日は5月17日)は俺がトシを取って、気持ちと身体が衰えるのをひたすら待ってるんだ。そのことがよくわかったのさ。」
「ヤツがベルトを返上して引退すると言った時(1年前の5月)、有利な条件を引き出すための駆け引きだと頭から信じ込んでいたが、始めから1回限りと決めていたんだろう。俺の心はイエス(現役続行)と言ってる。だが、頭(理性)がノー(引退)と言うんだ」
ハグラーのロング・グッドバイを待っていたかのように、レナードは引退を撤回。トップランクとWBCが用意した5階級制覇に飛びつき、172~174ポンドで戦っているドン・ラロンデを167ポンドまで絞らせ、S・ミドルとL・ヘビーを一挙に強奪。L・ヘビーはただちに放棄し、ハーンズとの再戦(1989年6月・2度のダウンを喫してドロー)、デュランとのラバーマッチ(1989年12月・判定勝ち)を済ませると、明けて1990年1月、S・ミドルも返上。
ジョー小泉氏は、「レナードがまたやった。ボクサーなら誰もが夢見る世界タイトルをいとも簡単に手放す。真のチャンピオンとはとても言えない。もう簡単にチャンスをやるべきじゃない」と痛烈に批判。
イタリア人女性と恋に落ちたハグラー(仲睦まじかった夫人とは離婚)は、東西ローマ帝国の文化遺産に彩られた古都ラヴェンナに移住していたが、愛娘と会うために定期的に帰国していた。その機会を狙って、アラムとレナードが1500万ドルで再戦をオファー(1990年6月)。だが、リングから離れて丸3年が経ち、第二の人生を歩み出していた36歳のハグラーは取り合わなかった。
「まったく・・・リマッチをやりたいなら、すぐに言えばよかったじゃないか。これでも忙しいんだ。俳優だけじゃなくビジネスも始めて軌道に乗り始めたところさ。責任ある立場なんだ。To be a man。成功したけりゃ自から望んだことに覚悟を持つんだ。すべてを捧げるのさ。ほとんどの連中は、自己犠牲の大切さと真の意味を理解していないがね・・・」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1.『WBC WBA世界ミドル級タイトルマッチ ハーンズvsハグラー』
→ UP主様は、「oniakumakunn」様。
→ 超貴重な、TV東京放映版。ハーンズとの「ケンカマッチ」です。実はこの日ハーンズは、1982年に対決した、ウィルフレド・ベニテス戦で痛めた右こぶしが、いまだに完治していない状態でハグラーとの、このスーパー・ファイトに臨んでおりました。
でも彼は、骨折覚悟でもって、痛みのあるこぶしでバンバン、ハグラーの顔面を思い切り叩いてますね。男だなぁ・・・。
2.『Marvelous Marvin Hagler vs John Mugabi(1986 3 10)』
→ UP主様は、「manmo0110」様。
→ コレも、超貴重な、TV東京放映版。ハグラーの防衛戦の中で、私が一番好きな名勝負!!
ムガビは、当時、26戦全勝26KO・・・KO率100%のウルトラハードパンチャー・・・まさに「野獣」でした。
実際には、意外にもテクニシャンで、ワイルドなフックやアッパーが主力武器とはいえ、けっこうヨーロピアン・スタイルの洗練された技術も持ってましたね。
皮肉にもムガビは・・・初黒星のこのハグラーとの一戦で「漢」を上げ、ハグラーと逃げずに真正面から打ち合い続けた、その勇敢な戦いぶりが、引退した今もなお、高く高く評価され、ハグラー同様、世界中のボクシングファンの心に焼き付いています・・・。
3.『【神vs神】ミドル級絶対王者 マービン・ハグラー vs シュガー・レイ・レナード 日本語解説 Marvelous Marvin Hagler vs. Sugar Ray Leonard』
→ UP主様は、「Golden Smile」様。
→ これは、当時の「衛星中継版」ではなく、WOWWOWエキサイトマッチ版。ハグラー信奉者からは、さんざんボロカスに批判されるこの試合。
でも、よくよく観てみれば、レナードの天性の防御勘、体のキレ、防御テクニックの妙、表情やゼスチャーによる駆け引きのうまさ・・・こういった、非常にクレバーな才能が見えてきて、「やはり彼はタダモンじゃなかったなぁ・・・。」とあらためてレナードを好きになりました。
ハグラー・・・いまこうして冷静に見てみますと、やはりレナードのスピードについていけてなかったですよね・・・。パンチを繰り出すスピードもパンチの回転の速さも、追い足も遅いし。
最後は・・・
ハグラー戦の次のレナードの試合です♪
『【5階級制覇に挑む】 シュガー・レイ・レナード vs ドン・ラロンデ 奇跡”といわれた聖戦 倒し倒されの激闘 Sugar Ray Leonard vs Donny Lalonde』
これもついでにあげておきます。
このハーンズとの再戦・・・完全にコレは、ハーンズの勝ち。観客もみーんなそう感じてましたよ・・・。
(ゲスト解説は・・・ハグラー。)
『Sugar Ray Leonard vs. Thomas Hearns 2 | FREE FIGHT』
→ UP主様は、「Top Rank Boxing」様。
これも。
1983年の、伝説の王者どうしの対決。
ロベルト・デュランとのスーパー・ファイトです。
『Marvin Hagler vs Roberto Duran | FREE FIGHT | 15 Rounds in a Legendary Clash』
→ UP主様は、「Top Rank Boxing」様。