第3話、動けないし、とりま天敵なう
勝利を確信してはいけない(戒め)
青く澄んだ海水は、いつのまにか蒼く濁り始めていた。
ウニから見える水面は、簡単には手が届きそうもないほど遠ざかっている。紺碧の中に浮かんでいた白日も、淡い空色の中を赤さを増しながら水平線へ泳いでいく。
その変化を口にしたのはマリだった。
「ねえテン、喋ってる間に意外と時間経ってたっぽい。海の様子が変わってる気がする」
テンは寝そべりながら小さな友達をうっとり見つめていたが、指摘を受けて表情が仕事モードに瞬時に切り替わった。
『申し訳ありません!つい嬉しくて周りが見えていませんでした!』
「わたしも嬉しくて気がつかなかったんだから、お互い様だよ!」
楽しい時間は体感よりも、あっという間に過ぎてしまうと言う。
「1時間くらいしか経ってないように感じたけど、どうやら2〜3時間経ってるっぽいね」
『現在は5月の中頃で、ここは北緯35度。太陽の移動角度から推測すると、マリの言うように、わたしたちが会話を始めてから3時間弱経過してる』
神の使いだが、正確な時間がビシッとわかる訳ではなく、テンらしい方法で算出していた。
この時マリに、ひとつの疑問が浮かんだ。
当たり前のように、海や空、陸地があるが、この宇宙の地球と、自分の生まれた地球はどれくらい似ているのだろうか。今のところ思いつく差異は魔法の有無だけだ。
異世界転生といえば、魔法・空想上の生物・冒険者と相場が決まっている!と、マリの中の常識が、何の変哲もない景色に違和感を覚えさせた。
「テン、ここって本当に異世界?」
わからないことはテンに尋ねる。それがウニにとって唯一のライフラインである。
『そうよ、マリのいた地球と同じに見えるだろうけど、それは地球という惑星が、いくつかの並行世界でも大差ないってこと』
言葉足らずの質問に対して、自分の求めていた答えをしっかりと与えてくれるパートナー。
「それそれそれそれ!そう!それが不思議だったの!」
ウニは感激と興奮で漢っぽくなった。
テンは続けた。
『スケールが大きくなればなるほど、差異は反比例して小さくなる。私はマリのいた宇宙を見たことはないから、私に貴女の宇宙のこと教えてね』
「うん!いっぱい教える!って言っても、わたしも元いた宇宙について知ってることなんて全然ないんだけどね」
一人の人間が、一生の中で知ることができる宇宙はどれくらいなんだろう。もしあのまま平穏に暮らしていたら、わたしの宇宙は更に狭かったに違いない。
ぐぅ〜〜
「ねえテン、お腹空かない?」
もちろんウニから腹鳴が聞こえることはない。
『私はこのチョコレートバーがあるから平気』
……。
キャラメルが歯に引っ付きそうな見た目だった。天使もお腹すくんだね…
「ウニって何食べるの?」
『海藻がメインだけど、なんでも食べるよ』
雑食らしい。
海藻かあ、仕方ない。それで我慢するか…
付近の藻を器用に管足を使いながら、
使いながら…
えっと
「口ってどこ?」
ウニの口は【アリストテレスの提灯】と呼ばれ、外部に歯が露出している咀嚼器官が体の下方にある。
「どこにあるか見えないけど、これなら移動しながら食事がしやすいね…ルン、そ、掃除機の気分だよ」
テンはわたしの食事を興味深そうに観察していた。
「はぁ、はぁ、はぁ…食事しながら歩き回るのってしんどいね…買い食いとは大違いだ」
人間の脚は偉大だ。
「なんか移動速度上昇魔法みたいなのないの?」
『そんなものはない』
わたしはチベットスナギツネのような顔になった。顔ないけど。
『マリの身体はまだ赤ちゃんだから、使える魔法が少ないんだ』
「今、他に使える魔法は?』
精神通話と視点移動が使える時点で既に、全ウニを凌駕しているように思われるが、わたしとしてはイナズマを出したり、分身したりするタイプの魔法を使ってみたい。
『残りは立体聴力、トゲを伸ばす』
「他には?」
『以上』
仕方ない。なんとか数少ない魔法で、生き延びるとしよう。
「じゃあ立体聴力から教えてくれる?」
『これは外界の音を聴くチカラだよ。しかも視点と連動することができるの』
「おおおおお!ってテンとの会話に夢中で気がつかなかったけど、無音だこの世界!」
『今のマリだと、人間くらいの聴力しか得られないけどね』
「いやいやいや!十分だよ!」
『マリイヤーは地獄耳!みたいになりたくは?』
「ないです」
テンのパソコン教室が再び始まった。取得自体は簡単で、視点の位置と同期して音を拾える便利な魔法だった。
「うわー!波の音だーー♡」
視覚、聴覚と身につけ、触覚は元々ウニにある感覚だから…あとは味覚と嗅覚だ!
『申し訳ないけど、味覚・嗅覚は上級魔法だから、しばらくは取得できないわ』
話によると、味や匂いというのは、化学物質を受け取り、その刺激を神経が脳へ伝え、脳が処理する仕組みらしい。わたしは前世で習ったような記憶があるが、興味がなかったため覚えてはいなかった。
で、その仕組みを構築する魔法は“お前にはまだ早い”とのことで、このオーシャンビューをVR世界のような感覚で楽しむことにした。
「ゲームとかだったら、水の温度や流れを感じ取れない分、まだマシか」
西へ流れる太陽と、移りゆく空の色を楽しみながら、ノールックで海底を藻を食べながら動き回る。
グラッ
「「「!!!」」」
その時、足を踏み外したような感覚が全身に伝わった。
「なんだ!?」
視界は連動しないため、斜めに傾くこともなく定点観測を続けている。
不思議な感覚だ。まるで寝ている時にビクッと穴に落ちる感覚のアレに似ていた。
視点を本体の位置に戻す。すると、視界が小刻みに揺れている。
「地震!?」
『どうしました?』
わたしの動揺にテンが気づいてくれた。
「身体がグラグラしてる!」
『マリ!マリの乗っかってる石が動いてる!』
この一帯は、大小様々な岩石が海底を占領している。そこに藻が生えていたり、隙間から海藻が背伸びしたりしている。
「どど、どうしよう!」
『落ち着いて、揺れが止まったら、石に潰されないように、慎重に移動しましょう!』
避難訓練の時に教わったことを思い出した。
押さない、走らない、喋らない。
海中ではそんな原則意味がない。
視界が揺れて怖かったので、テンの目線で自分を動かすことにした。そうすると、ゲームキャラを操作している気分になれて焦りが減る。
何かがおかしい。
水流が段々と速くなっている感覚はあった。その為、然程大きくない石は揺れたり、流されて行く。しかし、周りの同じ大きさの石たちは静かに眠っており、わたしの下の石だけがグラグラしている。
『マリ!隙間に何かいる!』
テンが先に気がついた。真下の僅かな空間に何かが動いている。
「原因はこいつか!」
わたしは揺れた石から転がるように、隣の石は移った。
スッ!
次の瞬間、陰から機敏な動きで何かが飛び出した!
「わ!小魚だ!」
大きさは5cmほどで、全体に白黒のシマシマ模様が入っていた。
『サンバソウだわ!』
聞いたことのない魚だった。こっちの宇宙の名前かな。
「へー、かわいいね♡こんにちはー!」
『何呑気なこと言ってるの!はやく逃げて!』
ガブっ…
!!!
「「「きゃーーーーーーーーー!」」」
【サンバソウ】
イシダイの幼名。スズキ目イシダイ科の魚で、日本近海に生息する肉食魚である。体に縞模様があることから、シマダイとも呼ばれる。石も噛み砕くほどの強力な歯を持つことが名前の由来である。ウニも食べる。
マリの身体は、無惨にもサンバソウに食いちぎられてしまった。
しかし!
失った箇所はトゲの部分であった為、マリは九死に一生を得た。
「助けてテン!あいつをどっかにやって!」
『落ち着きなさいマリ!私はこの宇宙の物体に触れることはできない。貴女が自分でなんとかするのよ!』
「そんな!わたし逃げるチカラも戦うチカラも持ってない!」
必死に管足を動かして逃げようとするが、小魚とはいえ逃げ切れるようなスピードではない。
「くそっ!何本か足も持っていかれた!」
ここで問題だ!管足を食われた状態でどうやってあの攻撃をわすか?
①美少女のマリちゃんは突如反撃の能力に目覚める
②テンが助けてくれる
③かわせない。現実は非常
無慈悲にも魚は口を開けて猛スピードで突進して来た!
ガリッィィィ!!!
マリの身体の中心部に強靭な歯が突っ込んだ!
Oooh!BUDDHA!ここまでか!
猛烈な突進によりマリは海中を舞った。
しかし!
無傷である!どういうことか!
敬虔な節約生活視聴者ならお分かりであろう。
マリは近くにあった小石を掴み、魚の口に突っ込んだのだ!いくら歯を武器にしている魚とは言え、まだ稚魚。歯も顎の力も未発達である。
「近くで見るとでかいしキモっ!でもこの視点じゃないと戦えない!」
『マリ!トゲを伸ばす方法を教えるわ!』
「ありがとう!説明しながらで悪いんだけど、周りに何か使えそうなものないか観察しておいて!」
テンの声を聴きながら、辺りを注意深く見回す。サンバソウは逃げることなくマリを追跡する。敵はまだ諦めていない!
伸ばせるトゲは1本ずつ。長さは10cmが限界とのこと。ヤツの身体を串刺しにするには十分だ!
ゆらゆらとゆっくり沈みゆくマリ。サンバソウがマリの射程範囲内に入ってきた!
しかし、マリはトゲを伸ばさなかった!
「身体が揺れて、狙いが定まらない!」
『マリ!もうすぐ着地するわ!貴女は敵だけを見ておくのよ!』
テンはマリの着地までの時間を計算してカウントダウンを始めた!
『3!2!』
よし!今だ!
「『1!』」
ビシュッ!!
着地と同時に鋭く伸びた1本のトゲがサンバソウの額に直撃した!
そのトゲは魚の額に傷をつけた!
しかし!一瞬の怯みを見せたが、ダメージは通っていない!
『そんな!』
対するマリはというと
また海中を舞っていた!
魚を突いた衝撃で吹っ飛ばされてしまったのだ!
『マリ!次はしっかり踏ん張ってから突き刺すのよ!』
マリは確信した。
「だめだ…身体を固定して攻撃したところで、ヤツには刺さらない…!わたしのトゲが折れるだけ。しかもわたしはヤツの額ではなく、目を狙った。しかし!わたしのトゲを見切った上であえてぶつかったのよ、わたしを吹っ飛ばすためにね…!」
ビリヤードのイメージでトゲを伸ばした。でも逆に球に吹き飛ばされた気分だわ。
ジャリ…
マリの身体が着地する。
しかし先程と大きく異なる点がある。
!!!
ひっくり返ってる!
『まずい!!!ウニのトゲは口とは反対側に多く、口の周りは少ない!もし真上から攻撃されたら…!』
マリの身体に影ができる。
サンバソウは尖った口をマリの真上から突進させた!
『マリーーーーーーーー!』
「おまえなら真上から来てくれると信じていたよ」
何が起こったのか。
突如砂が舞い上がった。
そして
サンバソウ、マリ両名の身体が勢いよく上昇していた!
「おまえの歯は硬いかもしれないけど!わたしの歯だって硬いんだよォォッッ!!」
ウニの歯は人間や魚と違い、先端が中心に向かう構造をしている。歯は岩に穴を開けられるほど頑丈で、掘削や研磨などの機器開発のために研究がされている。
『そうか!マリは地面側のトゲを伸ばして、その勢いで浮き上がったんだ!』
サンバソウの口を包むように、マリの歯が食らいついている。
「転生後のファーストキスがまさかお魚さんとはね、まあ、あんたはキスじゃないけど」
マリの重みでバランスを失ったサンバソウは、激しく乱れながら砂泥の上に降りた。
グシャッ!!
ウニの歯が魚の口を食い違った!
「これはさっきのお返しよ!」
慌てて逃げようとするところに、無慈悲な一撃が放たれる!
「《点を指す針》ッ!!」
ウニから伸びたトゲが、魚の口があった穴を突き、先端は尾鰭の近くから抜けた。
「アッディーオ(永遠にさようなら)!」
ここからあとがきのコーナーです。
イシダイの稚魚は身も硬いそうです。