第2話、2人きりだし、とりまウニなう
ウニになった理由を書くと言ったな。あれは嘘だ。
ウニ、学名【Echinoidea】
分類においては綱にあたる。
棘皮動物の仲間で、世界中の海底に生息する。別名ガゼとも呼ばれる。
直径1〜2cm、黒というよりは薄い紫色をした生物、それが今のわたし。
雲一つない群青を突き破る白日は、この地表を見下ろし、鋭い眼光は水面を貫き、水中へと溶け、そして岩礁へと満面なく降り注ぐ。
「ちょっと!わたしの身体透けてんじゃん!」
『そうね、生後1年ならまだトゲも生え揃ってない赤ちゃんってところかしら。もちろん個体差はあるけどね』
人間の赤子なら髪の毛が生えたり、乳歯が生えたことに成長を感じるのだが、ウニの場合トゲがそれに当たるらしい。
「いやそんな細かいことよりも!なんでわたしウニになってるのよー!!!」
テンにクレームのチャット(テレパシー)を飛ばす。
『私に聴かれても困るわ、神に問合せする?』
わたしとは違い、落ち着いた回答が来た。運命共同体とは言ったが、感情は共有できていない。右クリックをしたらもしかしてできたりしないかな。
「もち!それと転生のやり直しして!」
興奮してわたしのトゲの何本かが蠢く。
『わかった、ちょっと待っててね』
テンはローブのポケットから何かを取り出して、神との交信の準備を始めた。何をしているのか気にはなったが、折角ウニという人外に転生したのだから、今のうちにウニの感覚を確かめるとしよう。要するに手持ち無沙汰なのだ。
先程わたしはテンに対して手を振った。わたしの主観的感覚では確かに手を振る感覚だった。だが実際に手はない、ウニだから。しかし、テンはわたしのリアクションを確かに受け取った。
ふり
ふりふり
客観モードで自分の微細な動きをよく観察してみる。
「どれが手だ?」
何本かあるトゲの中から自分の右手を探す。身体自体が小さいため、よく目を凝らさないと分からない。この場合、目なのかは怪しい。
視界いっぱいになるまで拡大してみた。
「うわっ!キモチワルっ!」
今までウニをマジマジと見つめたことはなかった。そもそも可食部しか実物を見たことがない。
外見は、遠目では薄紫だが、近くで見ると赤みがかった紫色をしている。特にトゲとトゲの間は炎天のブッソウゲのように鮮やかだった。そこに白いエノキタケのようなものが生えている。
ふりふり
わたしの右腕の感覚とエノキタケはリンクして左右に頭を振る。
急に止めてみたり、縦に振ったり、回してみたりしたが、やはりわたしの意志と同じように動く。
「これじゃん…わたしの手…」
手には自信があった。ママやおばあちゃんは小さい頃から綺麗ねと撫でてくれたし、アイにも褒められたことはある。
それが今やエノキタケ。これじゃペンすら持てない。まあウニが文字や絵を描く必要ないんだけどさ。
意識は人体のままだが、実際にはウニ。しかもそれを第三者視点で見つめている。遠隔操作でこのチビを操作するパイロットになった気分だ。
テンの方に視線を移すと、羽根が尻についたペンで葉書ほどの大きさの紙に何かを書き終えた様子だった。
「その羽根、自分のかな…」
ぼんやりとテンの所作を眺めていた。
煌めく漣の上に浮かぶ少女は、潮風に髪を靡かせ、穏やかな表情でウニを一瞥した。
『待たせてごめんね、もう少しで完了するわ』
「いえ…」
一見、幼気なテンの、ふとした大人の雰囲気に見惚れてしまった。
第三者視点のため、テンとは視線が重ならなかったが、あの瞳に見つめられたら、思わず目を逸らしてしまっていただろう。
人間になったら、この娘描こう!
すでに脳内で何通りかの構図は決まっていた。
気がつくと、テンは紙と何か萎んだ袋状のものを結びつけていた。そしてポケットに深く腕を突っ込んでゴソゴソと漁っている。その姿は家の戸の前で、鍵を取り出そうとしている人に似ていた。
『あった!』
嬉しそうに引き摺り出た手には、蛇腹状の潰れた円柱があった。円柱には細いホースのような物が繋がっていた。
「そのポケット、もしかして、ヨジ」
『異次元ポケットです!』
わたしの関心は、テンが取り出した物ではなく、ポケットにあった。
「ね!ねえ!他には何が入ってるの!?一瞬でワープできる扉とか、小さくできる懐中電灯とかは!?どら焼き好き?」
わたしの問いかけを無視して、テンはホースを萎んだ袋に繋げた。
「何してるの?」
『何って、神との交信です…よ!っとぉ〜』
神の使いが神と交信するために、こんな面倒くさい準備が必要なのか。てっきりわたしとのテレパシーのように、瞬時に可能なものだと思っていた。
宙に浮くテンの身体が上下にテンポ良く揺れ始めた。よく見るとテンは右脚で何かを一定のリズムで踏みつけている。空中で物を踏むという物理法則を無視した動作だが、テンの存在自体が地球の秩序に反しているので、違和感はなかった。
テンの動きに合わせて、ホースの先の袋が、少しずつ少しずつ膨らんでいく。
そこで初めて気づく。
「浮き輪に空気入れるヤツじゃん!」
ポンプもホースも、煤けた薄茶色で気がつかなかったが、黄色と青色にしたら完全にそれである。
『じゃ、飛ばすよー!』
ぱんぱんに膨れた袋を天高く持ち上げると、テンは徐に両手を離した。
ふわっ
「浮いてる!空気しか入れてないのに!」
『空気と言っても、私はこの地球に実体を持たない存在。ありとあらゆる法則の外にいるの』
「え!?他の人に透明で見えないとかじゃなくて、テンはここにいないってこと?」
『いるけどいない、いないけどいる。矛盾を理解することはできないわ』
これって脳内彼女ってヤツでは?戸惑うウニを余所に、テンはゆっくりと昇っていく風船を目で追っていた。
「ねえテン、何を飛ばしてるの?」
ウニも視線を風船へと移す。
『何って?手紙よ、神にマリの言い分を書いたのよ』
「「「アナログすぎーーーーーー!」」」
神の世界の文明は、意外と発展途上なのかも知れない。
「どれぐらいで届くの?」
『運が良ければ3日かな。1週間経って何の連絡もなければもう一度飛ばそう。心配なら今からもう何通か飛ばすけど』
「おそっ!てか、届かないこともあんのかよ!」
参った。《神様=全知全能》と思っていた、しかし実際に話してみても感じたが、どこかズレているし、人間臭い部分もある。その使いのテンなら尚更だ。優秀なのはポケットとその中身で、持ち主がポンコツって言う話は王道なのか。
『ごめん、期待はずれだった?』
いや、テンはポンコツではない。
彼女はわたしのために頑張ってくれている。本当のポンコツはわたしをウニに転生させた神だ。
「ううん!大丈夫!大丈夫!テンは何も悪くないよ!色々ありがとう!これからもよろしく頼むよ!あぁそうそう!念のためにもう何通か飛ばしておいて!」
異世界での唯一の友達を傷つけてしまわないように、透かさずフォローを入れた。なによりも、この美少女の悲しむ顔が見たくなかった。
「さて、神からの連絡が来るまで最短で3日。いや、このミニ気球が届いた後、どんな手段で返信が来るのかわからない。1週間はウニのまま生き延びないといけないな」
ここは海。海底から水面まではおよそ1m。視界には真っ直ぐ伸びた水平線と、麗しき少女…が汗を拭いながらポンプを踏んでいる。その足元にわたしの本体が沈んでいる。
「何か他にはないか…?」
カメラをテンから時計回りに動かす。ちょうど90度動かした時だった。右側から陸地らしき物が見え始め、180度振り向くと、無人の浜辺が子供でも泳いで行ける距離に広がっていた。
「近っ!全然気づかなかった!」
「テン!陸!陸がある!」
エノキタケを砂浜へ目掛けて伸ばしながら叫ぶ。
『うん、そうだね』
素気ない反応にガッカリしたが、当然である。テンには最初から見えていた。
「よかったぁ〜、ひとまず安心だよー」
ほっと胸を撫で下ろす。胸なんてないけど。
『なんで?』
「なんでってそりゃ、陸だよ!これでとりあえず遭難しなくて済むよ!」
砂浜の先には木々が鬱蒼と生い茂っており、人工物は見当たらない。もし周りに何もない海の底に転生したと考えたらゾッとする。
新大陸の発見に嬉々として上陸を試みようとしたら
『マリは今、ウニだよ?』
忘れていた。
そうだった、ウニにとって陸地とは無縁。海底こそホーム。しばらくはウニとして生きる宿命を背負っている。
「うぇーんどうしようテン〜!」
漠然とした問いかけにも、テンは答えてくれた。
『まず、安全の確保が優先だね。ウニってトゲに覆われていて強そうに思えるけど、弱点だってあるし、天敵もいる』
「ええー!そうなの!?」
知らなかった。触るもの皆傷つける攻防一体型ボディなら、食べられることはないと思っていた。
「弱点なんてあるんだ…」
『生物は危険を感じたらまず何をするか。それは《逃げ》の一択!
生物は勝てる相手にしか勝負を挑まないの』
『でも、ウニにはその《逃げ》が圧倒的に弱い』
「「「!!!」」」
そうだ…ウニは魚と違って自由に動くことはできない。襲われたらその時点で終わりだ!
「待って!じゃあ運に任せるしかないってこと!?ウニは走ったり泳いだりできないじゃん!」
『予め安全な場所に移動しておくの。ううん、安全な場所なんてないわ、だから危険な場所を避けて行動する』
「行動って、ここから動けないよ」
『ウニには管足と呼ばれる、トゲよりも自由に動かせる器官があるの。管足は餌を口に運ぶ手の役割や、移動するための足にもなるわ』
「えええー!ウニって移動できるんだ!」
『移動できなかったら、口元付近の餌しか食べられないじゃない』
勉強になった。そんな役割の器官がわたしの今の身体にあるのか…ん?
トゲではなくて、手足の代わり…
「「「エノキタケじゃん!!!」」」
この何の役にも立たなそうな飾りが、重要な器官だったなんて!
管足【かんそく】
棘皮動物の体表にある器官で、先端は吸盤になっており、移動や呼吸、摂食のために用いられる。また昆虫の触角のように感覚器官としても機能している。
「こいつすげー!便利〜」
『それにマリには、普通のウニにはない、外敵から身を守る方法が2つもある』
『【1つ目】は魔法』
「そうじゃん!わたしは色々な角度から周りを見ることができる!」
『そして【2つ目】、私がいる』
!!!
『私がマリを守る、その為に私はここにいるんだから』
地上に舞い降りた天使は、わたしを守るためだけにここにいる。まだ知り合って1時間も経っていないけど、友情に時間の長さは関係ないと今のわたしには言える。
「ありがとう、ありがとうテン!テンはわたしのためにそばにいてくれる、でもわたしはテンに何もしてあげられない…嬉しいのと悔しいのがわたしの気持ち。テンとは運命共同体だから、わたしの気持ちを素直に伝えることにしたよ。だってそれがテンに対するわたしなりの誠意だから!」
『マリ…私は天命によって貴女を守るのです。何も気にすることはないんだよ』
「嫌だ、わたしはテンと友達になりたいの!勝手なこと言ってるってわかってる。でも、これから一緒に生きていくんだよ?もっともっと仲良くなりたいよ!」
テンはしばらく水平線の彼方を見つめ、静寂を纏った。マリの視点からはテンの表情が覗えなかった。
困らせてしまった。マリはそう感じた。
テンの立場や神の使いが如何なるものかわからない。しかし、テンの表情や言動を見て、マリは確信した。
テンは機械や想像上の存在ではない、ちゃんとした1人の女の子だと。
『私は…』
テンが重い口を開いた。
『私はどうしたら良いのでしょうか。こういう時こそ、神に訊くべきなでしょう。ですが、私は神の答えを知りたくありません。私の心はマリと』
「わたしね、神様って、恐ろしい存在だと思っていたの」
「でも実際あっちの宇宙と、こっちの宇宙の神様に会ってイメージが変わっちゃった」
「神様は人間が想像するような存在じゃないってあっちの神様に言われたし、それにね、この宇宙の神様に言われたんだ」
「ノリは軽い方が楽しいって」
マリの視界からテンの身体が消えた。
「テン!どこ!」
『視点をマリの身体に戻して』
よかった、テンの声が聞こえて安心した。
言われるがまま、ウニ本体へと意識を向ける。
そこには両手でウニを優しく包み込む少女の笑顔があった。
『ありがとう、マリ。これからもよろしくね。私と友達になってくれる?』
アイ、今なにしてる?わたしが死んだってもう知ったかな。ごめん、もっとアイと一緒に居たかった。でも、謝っても何も変わらない。だから、アイ、今までありがとう。アイのことは一生忘れないし、これからも友達だよ。わたしね、新しい宇宙で新しい友達ができたんだ。アイと違って、一緒にプリクラ撮ることはできないけど、アイとできなかったことを、これからしていくんだ。
「テン、もうウチらダチっしょ!」
住む宇宙が例え違っても、種族が例え違っても、必ずどこかで繋がっている。テンとマリはお互いに触れることはできない。それは2人にとって大したことではなかった。手と手を繋がなくても、離れることのない絆があると信じているから。
なんだかあっかいなぁ。テンの手の温もりかなぁ。ウニはそう感じた。
ウニの感覚は正しかった。潮の流れが変わり、水温が変化している。
ぐにょり・・・
ウニが身を寄せる岩礁の隙間に動く影があった。
ここからあとがきでふ。
次回あたり、転生ものっぽい展開を書けそうです。