世界一不幸な男
ある時、二日酔いに悩む人が言いました。
「頭が痛い……吐き気がする……。神様、どうして私はこんなに不幸なんでしょう」
神様は言いました。
「なに甘えた事言ってんの? 残業もほとんどないし、自由に有給取れるようなホワイト企業に勤めてる癖してよー。お前のちっぽけな不幸なんざ、ブラック企業に勤めてる人に比べたら全然大したことないから」
ある時、ブラック企業に勤めている人が言いました。
「残業やだ……休日出勤やだ……早く辞めたいけど給料安すぎてお金貯まらない……。神様、どうして私はこんなに不幸なんでしょう」
神様は言いました。
「なにふざけた事言ってんの? お前学生の時彼女いたじゃん。一度も彼女いたことが無い非モテの前でも同じこといえんの?」
ある時、一度も彼女いたことが無い非モテが言いました。
「チクショー!! 全然モテない!! もうやだー!! 神様、どうして私はこんなに不幸なんでしょう」
神様は言いました。
「なに贅沢な事言ってんの? 寝食に困ってないだけマシだろお前は。虫けらを見てみろ。あいつらなんか卵の時点で生存競争だぞ。ママのおっぱいをチューチュー吸って来た哺乳類の癖に、偉そうに不幸を語るな!」
ある時、虫が言いました。
「ヤベー! まだ孵化してないのに食べられる!! やっぱ不幸だー!! 神様助けてー!!」
神様は言いました。
「虫けらの分際でうるせーな! いちいち俺に助けを求めてんじゃねえよ! 黙って食われてろ!」
そんな日々が続き、神様はイライラしました。
「どいつもこいつも、事あるごとにワシに縋りつきやがって! マジでもう! 下界の馬鹿どものせいで、毎日が憂鬱で仕方ない! あーもう! ほんと最悪だよ! ……もしかしたら世界で一番不幸なのってワシじゃね?」
「――それは違います。神様の不幸など大した不幸ではありません」
神様に口答えしたのは若い天使でした。
「は? お前何言ってんの?」
「もう一度申し上げます。神様の不幸など大した不幸ではありません。私が知っているある男の不幸に比べたらですが」
「いうじゃないかガキの分際で。そいつが大して不幸な奴じゃなかったら、お前マジで堕天させっぞ?」
「もちろん覚悟の上です。ただし、一つお願いがあります」
「なんだ?」
「私が紹介する男が文句なしで不幸だった場合、もう少し下界の民に優しくしてあげてください」
「……いいだろう」
◇
「あああああああああああああああああ!!!!!! しぬうううううううううううう!! あついいいいいいいいいいいいいいいいいい!! いたいいいいいいいいいいいいいいいいい! さむいいいいいいいいいいいいいいい!!」
マグマ煮え滾る地獄の底。
その男は全身に太い針を1万本以上刺され、鉄条網で縛られて逆さづりにされ、吹雪を吐く氷鬼と炎を吐く火鬼に責め苛まれ、叫びを上げ続けていました。
その体はメタンハイドレートのように凍りながらも、青白く燃え続け、朽ち果ててもすぐに再生してしまうのでした。
「こいつか?」
「はい」
「……まあ不幸っちゃあ不幸だが、でもどうせ大罪人だろ? 自業自得じゃん」
「いえ、彼は生前ホワイト企業を経営し、孤児や身寄りのない人々を助け、誰に対しても思いやりを持つ善人でした」
「え? マジで? じゃあなんで?」
「書類の手違いで、極悪人とチケットが入れ替わってしまいまして……」
「ええー。酷いねそれは」
「かみさまああああああああああああああああ!! ああああああああああ!! 天使長さまああああああああああああ!! 御目にかかれてこうえいですうううううううううううううううううううう!!」
「ええー。なにこいつ。ほんと怖いくらいの善人だな。こんな目に合わされてるのに全然恨んでこない……。なんとかしてやれないの?」
「無理ですね。規則で一度確定したチケットは取り消せませんので」
「でもなあ……なんとか特例で」
神様の言葉を遮るように、燃え盛る男は首をブンブンと振りました。
「いええええええええええええ!! わたしはあああああああああああああ!! このままで大丈夫ですうううううううう!! 私と入れ替わりで天国に行った人がああああああああああああああ!!! この刑を受ける事になったら可哀そうなのでえええええええええええええええ!!!」
「やべえ、いい人過ぎて怖いんだけど……」
ドン引きする神様に、天使長はどや顔を向けました。
「……さて神様。どうでしょうか」
「どうって?」
「この男、かなり不幸ですよね?」
「まあ、大変そうだし。不幸っちゃあ不幸だな」
「世界一不幸でしょう?」
「まあ……そうだけど。でも、ワシだって不幸だし」
「そう。それでいいのです。それぞれに、それぞれの不幸がある。誰かと比べる必要などないのです。神様も難儀だとは思いますが、もう少しだけ下界の民の不幸も労わってあげてください」
「まあ、考えとくよ。……てかここ暑くね? 早く帰ろうや」
「はい。帰りましょう」
「かみさまあああああああああ!!! さようなさああああああああああああああああああああああああ!!!」
「……じゃーね。大変だろうけど、頑張って」
「はいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
「ほんと、不幸な方ですね」
「ほんとなー」
やがて、一人残された男へと、今までとは比にならないほど凄惨極まりない、口に出すのも悍ましい壮絶な責め苦が始まりました。
そう……先ほどまで神様が見ていた男への責め苦は、神様が見ても吐かないように配慮した軽い茶番に過ぎなかったのです。
「あああああああああああああああああああああああああ!!!!」
そして耐えがたい苦痛の中、男は満面の笑みで恍惚に浸ります。
神様は気付きませんでしたが……
実はこの男は極度のマゾで、ずっと世界一の幸福を感じ続けていたのでした。