第88話
誰もが寝静まった深夜。
ルーカスは与えられた部屋で精神を集中し、魔力の感知範囲を己の限界まで高めていた。
神にされた同胞の居場所を探るためだ。
さっさと合流できていればもっと早くから探せていたはずだが、予想以上に人が多く、かつラグゼル人よりも保有魔力が多かったためコルトとアンリの魔力が埋もれて探し出せなかった。
仕方なくその他の五感も併用したところ、情報量の多さで酔ってしまったのだ。
そしてやっと情報を遮断して復調した現在、さっそく探してみたところ昼間は人が動き回ってノイズが多すぎるため、移動がなくなった夜を待つしかないことが分かったときはショックだった。
──チッ、見つからねぇ……。地上にはいねぇか。
地上であればまだ遮蔽物が少ないため壁に覆われていようとある程度は分かるが、さすがに地下となると厳しい。
明日にでも教会の奥に侵入するかどうか考え始めた時だ。
屋敷の中にいる特徴的な魔力が近づいてくるのを感知した。
ルーカスはこのまま通り過ぎるのを待つか、それとも寝たフリをするか迷ったが、全く迷いのない動きにどちらもやめる事を決めると、扉の前に待機する。
そして、相手が扉の向こうで止まったのを確認すると、相手のノックも待たずにこちらから開けた。
「何しに来やがった」
扉の前にいたのは驚いた顔のフラウネールだ。
突然開いた扉にノック寸前のポーズで固まっている。
「冷やかしなら帰れ」
「あぁ申し訳ない、先に扉が開くとは思わな…思いませんでした。やはり起こしてしまいましたか?」
「いやっ、元から寝てねぇよ」
昼間とは違い、丁寧な口調で応対するフラウネール。
それを胡散臭いものでも見るような目で見ながら中に招き入れ、先に備え付けの椅子に座った。
「茶はねぇぞ」
「客人にそんな事させませんよ」
そういったフラウネールは背後から茶菓子の乗ったティーカートを引っ張ってきた。
どうやら居座るつもりらしい。
ルーカスは渋い顔をする。
ラグゼルなら喜んで受け入れるが、こちらの食事は美味しくない。
もしくは純粋な厚意であればいいが、今のフラウネールが何を考えているのかルーカスは測りかねていた。
「警戒なんてしなくても、毒殺なんて考えてませんよ」
「いらねぇ心配だ、俺に毒は効かねぇよ」
「魔人の特性ですか?」
それに鼻を鳴らして肯定する。
正確には毒が効かないというより、魔力が内臓機能を正常に保とうと修復するか、範囲が一部ならその部分を切除して再生すればいいだけなので結果として毒が効いていないのと同じなだけである。
ちなみに酒をラグゼルで知ったが、分量を間違えて一気に飲みすぎるとこの魔力の内臓機能の正常化が働いて一気に酔いが覚める。
どうやら泥酔状態に近づくと、異常と見なされてオートで正常値に修復してしまうらしい。
楽しく良い感じに気持ちよく酔うなら少量をチビチビ飲んだほうが良いことも学習した。
まぁギリギリを見極めて理性の限界を攻めた結果、全裸に近い半裸状態で女体化して見つかって大変な事になったが、それはご愛嬌だ。
「それで、何しに来やがった」
「昼間のお礼をと思いまして」
「礼だぁ?」
礼をされるような事をした覚えがなかった。
「魔族ではない、共族だとはっきり言ってくれたのが嬉しかったのです」
そんなことかと拍子抜けした。
あれはどちらかというと、自分と同じだと勘違いするなというこちらの不快を伝えたつもりだった。
それを表情に出すが、フラウネールは気にせず魔法で湯を沸かし始めた。
「俺にとってはそれが救いになりました」
生まれた時から他者とは違うと言われ続けた疎外感。
両親は自分を大層褒め称えたが、周囲に威張り散らす姿や弟への態度を見て、自分自身ではなく力を持った存在である事にしか興味がないのだと悟ってしまった。
それでその力を持っている事自体に得意になれれば良かったが、残念ながらそういう性分ではなかった。
そして成長していくにつれ、周囲の目はあからさまに人を見る目ではなくなっていく。
そして枢機卿となってから見た、神として崇められている培養槽に漬けられた魔族の肉体。
目の前の魔族なんて比ではない、骨格すら人から離れた化け物。
自分は人よりも、これに近いものなのかと絶望した。
唯一同じ腹から生まれた兄弟だからと慕ってくる弟の存在だけが、己をなんとか人の理性に押し留めていた。
さもなくばとっくの昔に人の理性を失って、心が別のなにかになっていたかもしれない。
「魔族の貴方の不快が、俺は共族であると肯定してくれて嬉しかった」
そしてもう1つ。
口にすればこの理性ある魔族は怒るだろうが、魔族というものは理性のない凶暴な魔物の延長線にあるような存在だと思っていた。
だから余計にこのまま高い魔力を保持し続ければ、魔物のような存在にもなるのではないかと怖かった。
だが実際の魔族は理性があり、人と呼べる共族となんら変わりのない存在だった。
そのこともフラウネールには安心できた要素だった。
自分はこれからも人でいられる。
少し魔力が多く生まれた人だ。
人としてハウリルの兄でいられる。
「貴方は嫌かもしれないが、俺は貴方に会えて良かったです」
真っ直ぐ向けられた感謝に、ルーカスはどう反応していいか分からなかった。
そんなつもりで言ったことではなかった。
「………それだけか?」
「はい、これだけです」
「そうか……」
そして目の前に紅茶とお菓子が置かれる。
ルーカスはそれに手を付けるか迷い、代わりに起きていた理由、例の魔人の所在をフラウネールに問うた。
「教皇庁の地下です。入り口は奥にありますし、常時厳重に警備されているので侵入するのは難しいと思いますよ」
「やっぱそうか……」
「取り返すのであればある程度はお手伝いできると思いますが」
「………」
それを改めて言われると、探し当ててどうしたいのかを特に決めていないことに気付く。
ただ同族が捕まっているというその衝動だけの行動で、そこから先を考えていない。
奪い返すのは簡単だ。
自分に勝てる存在がここにいるとは思えない。
だがそれをやったその後はどうするのか?
「いやっ……いい。見つけたところでどうにもできねぇ」
「…そうですね、俺も実際に見ましたが、さすがに1000年以上たっていますし、装置もかなり劣化が進んでいます。仮に奪い返せてもどうにもできないと思いますね」
1000年なら捕まった当時が生まれたてでも、さすがにどの魔族も死んでいるだろう。
ルーカスが把握している範囲でも、1000年を超えて生きた魔族を知らない。
魔王レベルの魔力持ちですら聞いたことがない。
ため息をついてしばし、やっと茶菓子に手を付ける気になって手をのばすと、フラウネールがそういえば、と口を開いた。
口に菓子を放り込みながら視線だけ向ける。
「貴方は何をどのくらいまで覚えていられますか?」
「あぁ?なんだ突然」
「ハウリルが貴方の体は俺たちとほとんど変わらず生殖も可能と言っていたので、そこまで同じなら記憶はどうなっているのかとね。共族は10年前の事でも些細なことはすぐに忘れてしまいます、当時覚えたことも使わなければ忘れてしまう。そして同じような体を持つ貴方方の記憶力はどうなのだろうかと」
「………考えたことねぇな」
だが言われてみれば確かに少なくとも200年くらい前のことも覚えているし、50年間あちこちで調べたことの内容もほぼ覚えている。
「それから貴方は体の再生は魔力によって行われると言いましたが、頭部の破壊、具体的には脳が破壊された場合、記憶はどうなりますか?」
頭部が破壊されたら再生不可で死んでしまうのか、それとも普通に再生して生きられるのか、その場合脳に保存されていた記憶はどうなるのか、人格は?
普通に考えれば脳が破損すれば記憶になんらかの欠落が生まれるはずである。
完全に失われて再生された場合は、脳がまっさら状態になり人格などにも影響があるのではないだろうか。
ルーカスは完全に菓子を食べる手が止まってしまった。
考えたことがなかった。
そもそも記憶が脳に保存されるなど知らなかった、言われれば感覚的には分かるが、はっきりとそうだと教えられたことはない。
直近だとアウレポトラで亜人の溶解液を頭から被り脳をある程度は溶かされたはずだが、記憶に欠落は無いし、人格に影響も無いはずだ。
あればラグゼルの人間か、あの3人が気付くはずである。
「なら、魔力に記憶、または記録する力があるのかもしれないですね。もちろん脳の作り自体が違うという可能性もなくはないですが、可能性は低いと思っています」
「…どうしてそう思う」
「無いものを再生するのに、どこから再生するものの元の情報を引っ張ってくるんです?あとは魔石の発動原理ですかね」
フラウネールが買い取った魔石で屋敷の人間に実験させたのだが、文字が読めない人間でも魔石に刻まれた魔術を発動出来たのだ。
共鳴力はあくまでイメージの再現と情報の送受信能力であって、記憶や記録したりすることは出来ない。
再構築には再度イメージする必要がある。
そして魔術の術式は、書かれた言語を発動する人間が知っている必要があるが、魔石にはそれが必要なかった。
ならどこかにその術式の意味が記録されているということになる、どう考えても魔石以外はない。
「魔術を刻む共族がその意味を知っていて、共鳴力でそれを魔力に伝達、魔力がその意味を記録しているのであれば、魔術式の意味を知らない理解できない者でも発動できるのではないかと考えました。魔力自体が記憶しているのなら、使い続けて小さくなっても正確に魔術を行使できる理由になります」
それが事実なら、使う意味は置いといてルーカスでも魔石でなら魔術を使える可能性がある。
「あとは、どの段階で魔力に記憶が刻まれるのかが分かれば、もしかしたら術式無しでも魔術の行使ができるかもしれません」
もし魔力が体内にある時点で本人の記憶を読み取って記録しているのであれば、術式がなくても魔術として発動できる可能性がある。
「面白ぇじゃねぇか」
それなら現在文字学習に悪戦苦闘しているアンリでも魔術を容易に扱えるようになる可能性は出てくる。
身体強化に適当に魔法をブッパしているだけの現状に手札が増えれば格段に強くなれるだろう。
いい加減面白みのない手合わせにも飽きてきたところだ。
ルーカスは明日のアンリの顔を思い浮かべてほくそ笑んだ。




