第74話
ハウリルの兄が帰ってきたのは、滞在中は自分の部屋のように過ごして良いと個室に通され、その部屋にも夕食のいい匂いが漂ってきた時だった。
玄関が慌ただしくなる気配がすると同時に、屋敷中に聞こえる声量でハウリルの名が呼ばれた。
何事かと部屋を出て、同じく出てきたアンリと共に声のほうに向かうと、薄く輝く真っ白な髪色の男性がハウリルを熱く抱擁していた。
コルトはそれを見て、
──なんだろう、この人、なんか凄く……キモチワルイ。
初対面だ、それも間違いなくハウリルの兄だ。
失礼だというのは分かってる。
でも言葉に出来ない気持ち悪さを白髪の男性から感じた。
「ハウリル無事だったか!連絡が途絶えてから何度探しに行こうかと思ったぞ」
「兄さんごめんなさい。連絡を入れようにも場所と内容が問題で入れられなかったのです」
「一体どこで何をしていたんだ、とにかく無事で良かった」
目から涙を流し弟の帰還を喜ぶ白髪の男、フラウネール枢機卿。
ハウリルの兄なのでもっと物静かな人物を想像していたが、どうやら思ったよりもかなりの激情家であるようだ。
「兄さん、それよりご報告したいことがたくさんあります」
「あぁ、お前が子供を連れ帰ったと聞いたぞ」
そしてハウリルから離れ、コルトとアンリのほうに近づくと手を差し出してきた。
それをキモチワルイなと思いながら頑張って無表情で握り返す。
「俺はフラウネール、教会で枢機卿という立場をやっている。ハウリルと仲良くしてくれてありがとう。長旅だっただろう、疲れていないか?ゆっくり休めているか?」
「僕はコルトっていいます。やらなきゃいけないことがあるので大丈夫です。それでこっちが」
「アンネリッタだ。ハウリルには物凄く迷惑をかけられた」
コルトの次にその手を握りニヤッと挑戦的に笑いながらアンリがいうと、フラウネールは怒るどころか声をあげて笑い始めた。
「はっはっは、そうかそれは悪かった!俺もさすがに親代わりのしつけまでは出来なかったからな」
「兄さん!」
ハウリルが抗議の声をあげるが、それをさらっと無視したフラウネールは今日の晩餐は久しぶりに美味そうだと言って、荷物を侍従に預けると笑いながら奥に引っ込んでいった。
そしてそのまま夕食の準備が出来たと案内された食堂に入ると、大きな円卓が中央に1つあり、そこにたくさんの料理が並べられていた。
彩りは豊かで美味しそうだが、使われているのは魔力漬けの食材たちだ。
間違いなく美味しくない、ただここに来るまでの間に大分舌が慣れている。
コルトが指定された場所に座ると、程なくして軽装に着替えたフラウネールも食堂に入ってきた。
そしてフラウネールの遠慮せずに食べてくれという言葉で晩餐が始まった。
「大人数での食事はいいな!みなにも一緒に食べようと言ってるんだが、遠慮するんだ」
「主人と同席で食事する召使いなど聞いたことがないですよ」
「なら俺たちが前例になればいいだろ?」
「品位を疑われたらどうするのです」
「どうせ1代限りだ、どんなに落としたって結果は変わらんさ」
シュルツはそれに返答せず、ただ悲しそうに目を伏せるだけだった。
フラウネールが教皇になることも、その先どうなるのかも知っているのだろう。
諦めるでもなくただの事実として受け止めるフラウネールにも諦観がある。
「それよりだ。お前が連れ帰ったんだ、その2人は色々面白いんだろ?」
早く詳細を聞かせろと急かすので、ハウリルがこれまでのことを説明し始めた。
「壁との接触がなったか!!しかも魔族もいるだと!?」
フラウネールが喜色の声をあげ、イスを後方に倒しながら立ち上がった。
そしてバッとコルトを見た。
──うっ、この人に見られるのはなんか苦手だ。
「君は無魔の者が持つという能力を見たことがあるのかな!?」
「あり…ます……」
「ぜひ詳細を教えてここの者たちに教えてあげて欲しい!使い方が分からないんだ」
と言われても、コルトも魔力量が共鳴力を受信出来る基準値を大幅に超えているため、どういった感じなのか体感したことがない。
能力の説明は出来ても、使い方を教えることは出来ない。
どうしようと困っていると、ハウリルが横からそのことを説明してくれた。
「なるほどな。でもその様子だと、魔力と共鳴力についてかなり研究が進んでいるんではないか?」
「それについては明日、アーク商会がいらしたら一緒に説明いたしましょう。面白いものを持ってきてくれます」
それより先に親書を、とハウリルは丁寧に封のされた箱を差し出した。
食事もほぼ終わっていたためシュルツが皿を片付けるように指示を出し、フラウネールは片付けられたテーブルの上で箱を開ける。
「いい紙だ」
紙の表面を指でなぞり、まさにウキウキという感じで親書を丁寧に開き始める。
だが一瞬で楽しそうな顔が険しい顔に変化した。
「何か内容に問題が?」
ハウリルが席を立ちフラウネールの横から親書を覗くと、同じ様に顔を顰めた。
「この内容について何か知っているかな?」
コルトは机の上に投げ出された親書を震える手で取ると中を見た。
「なんだこれ!?」
想定外の内容に思わず声をあげた。
コルトがあまりに驚いているのでアンリも席を立って覗き込んできた。
「ひっでぇなこれ、全然読めないじゃん」
その中身は、文章として完全に意味をなしていないどころか、読める文字で書かれているものではなかった。
かろうじて何となく形に見覚えがあることから、文字の一部だけが書かれたものであることが分かったが、それも歯抜けになっており到底読めるものではない。
「どういうことかな?」
ハウリルによく似た笑顔に怒気を滲ませるフラルネールにコルトは背筋が凍ったが、知らないものは知らない。
国家機密というべき親書の中身をコルトが知るべきすべなど無い。
コルトは震えた。
命がけで運んだというのに自国のトップがこんな相手を騙すようなものを持たせたのだ。
怒りが湧いてくる。
「コルトさん、あなたはこの親書について何も知らないということでいいですか?」
悲しそうな顔をしたハウリルが問いかけるが、知らないものは知らない。
だが、ふとコルトは出発前に親書の予備というものを渡されたことを思い出した。
もしあれが本当に書状の予備であるなら、何かしら分かることがあるかもしれない。
コルトは荷物を確認したいというと、シュルツの先導で部屋に戻り、荷物の中から親書が入った小包を取り出すと急いで食堂に戻った。
そして中を開けると、
「……これは」
同じく文字が欠けたり歯抜けだが、先程よりは遥かに読める少し透けた紙が出てきた。
コルトはそれがトレーシングペーパーであったため、すぐさま机に放置されたままの親書を引き寄せるとその上に重ねた。
すると、文章として正しく意味を理解出来る正式な親書が出来上がった。
「……やはり一筋縄にはいきませんね、信頼されてない」
「最近の虐殺や歴史を考えれば当然だが、こうも舐められるのは気に食わないな」
「あなたはこれを何といって渡されたのですか?」
「えぇっと……万が一の書状の予備って…」
そんなことをアシュバートが言っていたような気がする、少し違うかもしれないが大体そんな内容だ。
「恐らく君が無事に俺に会えることも条件にしていたのだろうな」
ラグゼルに取って友好という名目で近づいてきたとしても、長年敵対していた相手のため絶対的に信用がおけない。
そしてラグゼルには相手が信用出来るかを今すぐ知ることができない。
だから最低でもラグゼル出身であるコルトが何事もなく無事に会える相手であるかを試すために、礼を欠き自分たちの信頼を落としてでもこんなことをしたのだろう。
コルトはそこまで考えつかないが、要するにその生命を利用されていたことになる。
君には同情するよ、とため息を吐いたフラウネールは現れた親書を読み込み始めた。
「こちらが要求した支援に、さらに追加の目録もあるようだ。それもかなり多い、試し行為の詫びのつもりか」
「以前であればこれでも十分過ぎるくらいでしたが……」
「牧場がなくなった今、これをもらったところで先が無い」
「追加目録の代わりに、子供の受け入れを要求してはどうでしょうか」
「それがいいだろうな。この親書をネタに明日の会合で認めさせる、君にも協力してもらうよ」
分かっています、と小さく呟いた。
ショックだった。
国の上に立つ人達がこんな無意味な試し行為をしたことがショックだった。
あまりにもショックでトボトボと与えられた部屋に戻ると、その日はすぐに布団に入った。




