第45話
出発の日までは長かったが来てみればあっという間だった。
前日は緊張でなかなか寝付けなかったが、寝起きはいつも以上によく、おまけに天気は快晴だ。
旅立つのにこれほど良い日もないだろう。
軽い足取りで指定された待機場所に行くと、すでにアンリとハウリルは出発した後だった。
出入りはなるべく隠したいので時間をずらしたとのことだ。
コルトはルーカスと共に2番隊に先導されて犬ぞりで壁付近まで来ると、そこから昇降機に載せられる。
これで壁の途中まで行き、そこから北側の山を超える。
ここ1週間ほどは快晴が続き雨が降っていないとはいえ、完全に手つかずの道のない山のため何度か滑落仕掛けたコルトは、結局低空浮遊するルーカスに荷物のように運ばれることとなった。
前回何事もなかったことが逆に油断を招いた。
──穴があったら入りたい、いっそ埋めて欲しい。
そして山を下る過程で2番隊の人たちが一人ひとり離れていく事に気が付いた、安全確保のダメだそうだ。
2番隊が隊長に通信兵と兵卒の3人のみになったころ、先行していたアンリとハウリルに合流した。
壁がかなり小さく見える。
「ではコルトくん、健闘を祈る」
「はい!行ってきます!」
4人が歩き出し見えなくなるまで、軍の人たちは見送ってくれた。
ここからはまた未知の世界だ。
「アンリさん、村の様子を見ていかれますか?寄り道になりますが、大した時間ではありませんので」
「いかない。ココと帰るって約束したんだ、様子見でも私だけ先に帰るわけにはいかない」
「……わかりました」
4人は予定通り北側の進路を取った、森の中をずっと歩くような状態だ。
足場が悪く大変な道のりだが前とは違って装備も充実しているし、色々隠さなくてもいいためコルトは気分が明るい、半ば遠足気分だ。
さらにいきあたりばったりではなく目的地があるというのがさらにやる気を上乗せさせた。
そんな感じで初日は魔物にも遭遇することなく森の中で野宿になった。
ルーカスが適当に出した火球を囲みながらラグゼルから持ってきた携帯食をみんなでつまむ。
「なぁ、このまま街道には出ないでエータスに行くのか?」
「出来ればそうしたいのですが、街道を通る以上はポルポルタには立ち寄ることになると思います。ネーテルはわたしの顔を知るものが多いのでスルーします」
「そんなに見られちゃまずいのか?わざわざ服まで変えてるし」
「アウレポトラでは疑惑を色々残したまま姿を消してしまったような形ですからね、現場もあの状態ですし、そこで突然無傷で現れたらどうみてもあやしいでしょう。出来れば東大陸では見つかりたくないのです。船の航路の協力が出来ないエータスではさすがに身分を明かしますが…」
どうやらハウリルはさっさとこちらの大陸を出たいらしい。
それに対してこっちに用はもうねぇしなと同意するのはルーカスで、アンリもそれを聞いてそういえばそうだと納得している。
コルトも早く船に乗ってみたい気持ちがあるので、それに異論は無かった。
一応観光用に北部から東の沖合を巡る遊覧船はあるのだが、高い上にめったに出航しないため予約の競争が激しく船など普通は乗れない代物だ。
ちなみに海は見たことある。
「えっ!?コルトは海みたことあるのか!?」
驚愕の表情を浮かべるアンリ。
そんなに驚くことかな?と思っていると、見たこと無いの私だけ!?と他の2人の顔も見てがっくりとしている。
それで納得した、そう言われるとそうだ。
ハウリルも西大陸から渡ってきたようだし、ルーカスはそもそも瀑布を超えた魔族領出身だ。
海を見たことが無いのはこの中では東の内陸部出身で村から遠出することがなかったアンリだけだろう。
「アウレポトラでも結局海の見える海岸線付近までは行きませんでしたからね」
「行ってもめんどくせぇと思うぞ、あの付近はオーガ共が根城にしてたからな。あんなめんどくせぇ奴らの面みながらより、港から落ち着いてみたほうがいいだろ」
楽しみが増えて良かったじゃねぇかと慰めているが、納得しながらもアンリは少々不貞腐れ携帯食にかぶりついている。
「海を見たことねぇっていや魚は食ったことあるか?川があんのは見たが、お前の村じゃ魚は出なかっただろ」
それを聞いてアンリはかぶりつきながら顔をあげ、少し考えているようだ。
食べたかどうかって考えるようなことなのだろうか。
「どうだったかな。じいさんが昔は食べてた的なことを言ってたけど、今は魔物肉のほうが安いし手に入りやすいからなぁ。ちっちゃい頃は食べたことあるかもしれないけど、記憶にないな」
「ラグゼルで食べなかった?僕は開発部のほうの食堂で食べてたけど、軍の食堂ならどこも内容は同じって聞いてるよ。魚を使ったメニューもあったから見たことくらいはあると思うけど」
生鮮魚はさすがに輸送が大変なので海辺付近でしか食べられないが、軍の食堂でも干物を焼いたものやその他の加工食品は置いてあったはずだ。
アンリはあっ!という顔になった。
良かった、どうやら色々食べられたようだ。
「食べ物、美味かったなぁ……」
「あれを知ってしまうとこちらのものが口に入れにくくなるのが実感出来ますね、コルトさんの野菜嫌いにも納得がいきます」
別に野菜が嫌いというわけではない、ちょっと壁外の…こちらの食べ物が口に合わないだけである。
向こうではちゃんと食べている。
だが確かに食事のレベルがだだ下がりするのは結構くるものがあると今更ながらに思ってしまった。
「お前ぇら人の手が入った食いもんがあるだけまだマシだぞ。山超えた先ってのがどうなってっか分かんねぇし、人も住んでねぇんだろ?まともなもんはまずねぇぞ」
ルーカスのその指摘にコルトは絶望した。
そのことについて全く念頭になかった。
──どうしよう、ちょっと帰りたくなってきた。
期待された仕事を投げ出したくはない、投げ出したくはないのだが……。
「でも全く生き物がいないってことは無いだろ?任せろ!村では狩りもやってたからな!」
アンリはガッツポーズをしてやる気を見せている。
ハウリルとルーカスは期待しているとそれぞれ声を掛けていた。
コルトはとりあえず哺乳類や鳥類がいいなぁと漠然と思った。
間違っても爬虫類や昆虫類を口にするような事態にはならないで欲しい。
「そう落ち込まずに。植物系は毒にさえ気を付ければこちらよりは味はいいはずですよ。向こうではまず魔力による土壌汚染はないはずですから」
少し遠い顔をしていたコルトをみたハウリルがそう慰めてくれた。
確かにそうだ。
それにこちらで野菜を食べない分、向こうでたくさん植物を食べればプラマイゼロだ。
まさに完璧な理論だ、間違いない、絶対にそうだ。
「とりあえず今は食事については置いておきましょう。先ずは目先の山を越える手段を得なければそれ以前の問題ですから」
「そうだな、ルーカス頼んだぞ!絶対トカ……えぇっと、りっ竜?を捕まえてこいよな!」
「竜、またはドラゴンだ、ちゃんと覚えろ。その辺は心配すんな、きっちりやるよ」
「ルンデンダックに寄ることを忘れないでくださいね」
そうだ。
神との接触も大事だが、目先というならハウリルの兄だという教会の偉い人に親書を届けるという重大任務がある。
これが無事に渡せるかでラグゼルと教会の未来が変わるかもしれないのだ。
また壁など無く自由な行き来でみんなが平和に暮らすための第一歩なのだ。
──よしっ!やる気が戻ってきた!
それからは交代で一応の見張りを立てつつ交代で寝に入り、翌日から軟弱なコルトをアンリが叱咤激励したり背中を押したりしながらなんとか2日後にはネーテルから大分離れた位置の街道に出ることが出来た。
それからは急ぐこともなく途中で出会った魔物を倒しながら5日ほど経った頃だ。
遠くに街道を跨ぐようにポルポルタの街が見えてきた。
街に入るのに身分証の提示などもなくすんなりと進入すると、アウレポトラほどではないがそこそこ賑わっていた。
そしてコルトとハウリルの宿を探す組と、アンリとルーカスの魔物を換金組に分かれる。
街に入る前に決めていたことだ。
即日出ないのかと聞いたところ、さすがに換金だけして即出ていくのは行動として不自然という事で一泊することになった。
久しぶりの屋根の下だ、異論はない。
そして特に問題が起きることこともなく、翌日街に入った場所とは反対側に出ると突然行商人に声を掛けられた。
「お前さんら西に行くのか?」
「はい、エータスに行く予定です」
「丁度いいな、乗ってかないか?」
「代わりに護衛をするというお話ですか?」
「話が早いな」
4人は顔を見合わせた。
コルト的には長い道のりを歩くのはつらいので、乗せてもらえるのであれば渡りに船だ。
なので他の3人が反対しないかドキドキしたのだが、意外にもハウリルが賛成しアンリはどちらでもいいとのことで、乗せてもらうことになった。
「顔見られたくねぇんじゃなかったか?」
「それよりもあの行商人のマークに見覚えがあります。西でもそこそこ大きな商会だったはずです」
なのであわよくば西側の情報を入手しておきたいとのことだ。
行商人の馬車は4台あった、なかなかの大所帯だ。
しかも馬車を引いているのは見たこともない生き物だった、どうみても魔物である。
牛と馬をかけ合わせたような生物でズモゥというらしく、西では馬の代わりになっている。
魔物の割に温厚でそこそこのスピードと普通の馬の4倍から5倍の力があるそうだ。
さらに頑丈で持久力に優れ多少の無茶も出来ることから、まさに行商人にとっては夢のような生き物である。
ちなみにルーカスが焼いて食うと美味いと言いながらズモゥの背中を叩いたときは、行商人達が首をブンブン振りながら引き剥がしていた。
ハウリルは行商人と話がしたいとの事で一番前に乗り、まだ未熟なアンリと戦力的に役に立たないコルトも同乗する。ルーカスは1人で殿の馬車に乗ることになった。
護衛の陣形としてどうなのかと思うが、この辺りは比較的安全なのだそうだ。
西の大きな商会なだけあって、アンリの村で乗ったものよりはしっかりとした作りだ。
コルトは以前の自分の尻に起きた悲劇を思い出しつつ、以前よりはマシで何よりも有るき続けなくていい事に少し安堵した。




