第33話
「殿下、リンデルト殿下!!書類は終わりまして!?」
勢いよく入ってきて開口1番にそう言ったのは、綺麗に巻かれた水色の髪を持ち豊満な胸元と括れた腰に服の上からでも分かる形の良い尻という見事なプロポーションのキツめの顔の美女イリーゼだ。
ソルシエ家出身の王太子妃、つまりリンデルトの妻なのだが、自分の旦那に鬼の形相を向けながら仕事は終わったのかと詰め寄っている。
ルーカスはこの女が苦手だった。
会う度に説教されるからだ。
なので見つかる前に退散しようと思ったのだが、焦りすぎてうっかりテーブルにぶつかって音を立ててしまう。
しまったと思ったときには遅かった。
リンデルトに向けられていた鬼の形相がそのまま自分に向けられていた。
「ルイカルド!またそんな不躾な格好でお茶菓子を召し上がっていましたの!?食事をするときはきちんとした姿勢で召し上がるように何度も言ってますでしょ!ここは王宮、しかも殿下の執務室でしてよ!もし他の貴族の方が突然いらしたらどうしますの!」
「今寝ようとしてたところで、この姿勢ではまだ食べてねぇよ!?」
「言い訳は聞きませんわ!これからしようという意志があったのであれば、今やってるのと同じですわ!そもそもあなたは」
「ああぁ!!!分かった分かった!俺が悪かった!!今度からちゃんと場所は考えるから!!それより旦那を放置してるぞ!」
それを聞いて、えっ、またこっちに向けるの!?という顔が一瞬見えたが、イリーゼが振り返る前にそれを完全に消し去った笑顔になったのは見事だった。
「殿下!先日頼みました書類は終わりまして!?欠員補充のための選考はなるべく早くに済ませて欲しいと前々から申し上げておりますわ」
「ちゃんと終わらせてるよ、その書類がそうだよ。後で持っていくつもりだったんだ」
それを聞いたイリーゼは素早く書類を取るとパラパラと中を確認し始めた。
「不備は特にございませんわね。ではこれは私が持っていきますわ、失礼致します」
書類から目を離さずに立ち去ろうとするイリーゼに男2人がひっそりと安堵のため息を漏らそうとしたが、扉を開け一歩踏み出したところで停止したためぐっと飲み込む。
「そういえば、ルイカルド。あなた一度ココにお会いになっていただけませんこと?」
「あぁ?なんでだよ、特に用はねぇぞ」
「あなたには無くても向こうにはありますわ。お礼を一度申し上げたいそうよ、どうせここで暇をしているなら今からお会いになってくるといいですわ」
「この姿でか?」
「分かりやすくて良いと思いますわ。リナ、そういう事だからよろしくお願いしますわね」
承知いたしました、と扉の向こうで控えていたらしい侍女の声がすると、黒髪の真面目そうな女がご案内いたします。と扉の前に現れた。
それを見届けたイリーゼはさっさと立ち去ってしまう。
めんどくせぇ、と思いながらリンデルトを見ると、笑顔で手を振っている。
自分で嫁に指名したくせに完全に尻に敷かれているため、小さな事では逆らえないらしい。
仕方ないのでテーブルの上の菓子を皿ごと頂いていくことにする。皿はあとで食堂にでも持っていけばいいだろう。
よろしくとリナに片手をあげて挨拶をすると、綺麗に腰を曲げて礼をし先導し始めた。
「ココはどんな感じだ?」
「まだ量は少ないですが、最近ようやく3食食べられるようになりました。ここに来たばかりの頃は精神が衰弱して点滴なしでは死んでいたはずなので、驚くべき回復力ですね」
「ガキのほうはどうした」
「そちらも問題はありません、我が国の技術でもって順調に成長しております。ですがココが育児を出来る状態ではないので医師の資格もある乳母を専属でつけています」
「ふーん、そりゃ大変だな」
「なのであまり大声で騒がぬようお願いいたします。まだ病人という括りですので」
「あいよ」
それだけ言うと会話が途切れた。
やたら広いうえにリンデルトの執務室とは反対側の奥にココはいるらしく、しばらく無言で歩き続ける。
そういえばこっちのほうはあんま来たこと無いなと壁の装飾や置物を眺める。
モノの趣味は分からないが、作りに手が込んているのは分かるし、手入れも行き届いているのでいい人材がいるのは分かった。
そして大理石の床が敷き詰められた絨毯に変わってしばらく、1つの扉の前でリナが止まった。
軽くノックし数秒待ってからリナが扉を開き、ルーカスを中に促した。
空気を呼んで室内に入ると、明るい日差しが差し込み、ほのかに温かい部屋の壁際にそこそこ豪華なベッドが置かれ、その上に身を起こしたココがいた。
他にも1人若い茶髪の侍女が側の椅子に座っており、奥からもう1人赤毛の侍女がお茶菓子を持って部屋に戻ってくる。
ルーカスは手元の皿ごとかっぱらってきた菓子を見下ろした。
──食い意地張り過ぎじゃないか、俺
そして案の定突っ込まれた。
「あれー、お菓子持参というかそれどっから持ってきたんですか!?」
リナは事前に菓子が出てくることは把握出来たはずだ。と抗議の目を向けると、また綺麗に腰をまげて礼をし扉を締めるところだった。
また手元の菓子を見下ろす。
すると、赤毛の侍女も手元を覗き込んできた。
「やだこれ殿下のところのお皿じゃないですか、なんで持ってきちゃったんです?」
「食おうとしたらイリーゼに見つかったんだよ。それでこっちに来るように追い出されたから、こっちで食おうと思って持ってきた」
「食いしん坊ですね!」
断じて違うがこの状況での反論が見つからない。
無言で赤毛の侍女に皿を押し付けると、素直に、寧ろ嬉しそうに受け取った。
「良いんですか!?」
「俺だけそれ食ってるのはおかしいだろ」
「やったー!殿下のところのお菓子なら絶対美味しいですよ!」
ウキウキでテーブルに戻りお茶会の準備を始める侍女を横目にベッドのココに近づくと、茶髪の侍女が席を譲ってきた。
茶会の準備を手伝ってくるとの事だ。
なので代わりに遠慮なく椅子に座りココを見た。
最後に見た時よりもさらにやつれた感じではあるが、表情は悪くない。
ココを観察すると、ココもルーカスを見てきた。
視線が泳いでいるが、大体は頭部を見ている。
「えっと、ルーカスさん……だよ…ですよね?」
遠慮がちに確かめるようにココが口を開いた。
そりゃそうだろう。ココと最後にあったときは偽装体で、共族と変わらない見た目を取っていた。
いくら顔は同じでも色と形が違えば疑うだろう。
「そうだ。倉庫の椅子に縛られたお前を赤子と一緒にここに連れてきたのは俺だ」
倉庫に入った時に虚ろな目で赤子を下敷きに倒れ込もうとしてるのを見たときは大分焦った。
「本当に、魔族なんだ…ですね。助けてくれて……頂いて、ありがとう……ございます」
「喋りにくいなら普通に喋りゃいいだろ、どうした急に」
ココは曖昧に笑いながら頷いた。
「元気…ってわけではなさそうだが、悪くはなさそうだな」
「…うん。最初は夢を見てるんじゃないかって思った。みんな凄く優しいし、なんでもあるの。だからここが壁の向こう側だって知った時凄くびっくりした」
「何の説明もなしにいきなり連れてきて悪かったよ、やってる事は誘拐と変わんねぇからな。子供には会えてんのか?」
「大丈夫、あのままだったらあの子もあたしも死んでたし、1日1回は必ず会わせてくれるよ。でも今のあたしには育てられないから、まずはさっさと回復するのが先だって」
「そりゃそうだろうな、もう変なこと考えんじゃねぇぞ」
「……うん…うん……。もう今は大丈夫」
それからココは大きく深呼吸をした。
「村にいたとき愛想は無いし、すぐどっか行っちゃって全然あたし達と喋らないし、変なやつだなとは思ってたけど、まさか魔族だとは思わなかったなぁ」
「そう思われねぇための偽装体だからな」
まさか死体から魔族バレするとは思ってもみなかった、完全に想定外だ。
「でもこうして喋ってると、あんまりあたし達と変わらないよね。ルーカスさんはここには長くいるの?」
「いやっ、2年ちょっとだ。お前ら側の砦がぶっ壊された時があっただろ?あの時俺も砦にいてな、それからだからな」
「えっ!?あの砦にいたの?なんで!?」
「調査だ、調査」
うっかり捕まってましたなんてプライド的に言えない、だがこっちの事の調査をしようとしていたのは間違っていない。あそこにいたのは調査の一環である。
「あそこでここの偉いやつも捕まってな、そいつの救援ついでに俺もこっちに連れてこられたんだよ。それで面白いもんがこっちには色々あるから、魔力やら情報やら提供する代わりにここで楽しんでた」
「そう…だったんだ……」
「お前も、運が良かったってここで気楽に過ごすのがいいぜ」
「そんなに簡単に割り切れるかな…」
「ガキが何言ってやがる、あっという間に死ぬんだからさっさと新しい事積み上げてけ。そういうのはもうちょい熟してから言うんだよ」
「ガキって言うけど、あたしはこれでも村じゃ大人の1人だし、ルーカスさんだってそんなに年齢離れてないでしょ!」
ココがそう言い返すと同時にお茶会の準備をしていた侍女2人が盛大に吹き出した。




