第32話
青黒い鱗と角を持ったその男は、勝手知ったる顔で陽光が差し込みより際立った白亜の王宮内を歩いていた。
この国で1番豪奢な建物である。
何でも建築当時に象徴となるものを作りたいという思いのみで建てられたらしく、縦にも横にもデカくて白い。
中も無駄に装飾が凝っており、掃除が大変といつだったか下働きの者たちが愚痴をこぼしていた。
だがそんな苦労を知らぬ身としては磨かれた大理石の上をカツンカツンと規則正しく足音を鳴らすのは楽しい。
明らかに浮いた姿であるがすれ違う近衛兵や文官、女官達に笑顔で挨拶をしながら、そのまま迷うことなく歩を進め、王宮奥部の近衛兵が両脇に控えた扉の前で足を止めた。
犬も待機しているところを見ると、どうやら先客がいるらしい。
「入ってもいいか?」
両脇に確認を取るがその前に中から入室を促す声が聞こえたので、遠慮なく扉を開けると書類が積み上げられた机に座ってひたすら判を推している目的の人物、とその父親でありこの国の王であるジルベールが備え付けのソファに座っていた。
予想外の人物がいた事に驚くが、向かいのソファに座るよう促されたので遠慮なく座ると、侍従が目の前に見事な造形のケーキと紅茶を置いた。
「新作だそうだ。飴細工がようやく満足のいく出来になったらしい」
「へぇ、すげぇな。食っちまうのがもったいねぇ」
「だが食べてこその菓子だ。見た目だけならガラス細工で良かろう」
それもそうかと遠慮なくフォークを突き刺した。
程よい甘さと表面の飴細工とは打って変わった内側の溶けるような食感がなんとも楽しい。
この国では魔族の地では知り得ない事をたくさん経験出来る。
「ところで演習場をやってくれたようだね」
「補填はしただろ。それよりなんで神の正体を俺に隠した」
「こちらの判断ミスだ。我々はまだ貴公を完全には信用出来なかった。だが怒らせたくないし、脅すようなこともしたくない」
「…それだけか?」
「まだ何かあるというかね?」
涼しい顔をして紅茶を飲むジルベールの顔をジッと見つめるが、口を開くつもりはないようだ。リンデルトはひたすら死んだ目で書類に判を推している。
隠していたことについて悪気があったわけではないのは理解はしている、それについては頭はもう冷えたしこれ以上何かを言うつもりはない。
だが1つだけ確認しておきたい事がある。
「シュリアの姐さんがいるなら、俺を新しいお前らの神に出来るだろ。お前らは魔力不足に悩んでる、やらない理由がない」
「考えなかったわけではない。当然その話は出た。だがソルシエ、ダーティン、メリディーヌ、ファランの四家がそれぞれの理由で強固に反対した。他の家も強行する理由はないからな、あっさり流れたよ。それに”神”を捨てたからこその我々だ、今更新しいものをたてるつもりはない、それもまがい物だ」
「やる気はねぇのに話は出るんだな」
「その気は無くても議論して却下したという事実は重要だ。ちなみに、ソルシエの大元は教会の英雄の離脱者だ、神について今も忌むべきやり方として、ここが1番強固に反対した。ダーティンは簡単だ、あそこは性質的に義の無い事は毛嫌いする。メリディーヌは粛清前の件でダーティンに遠慮してるのと、あのときすでに貴公から大量の魔力提供が行われていたからな、下が納得せん。ファランは神とは事業が競合するから嫌だそうだ」
「医療のメリディーヌより、人体実験やってるソルシエのほうが強く反対すんのか。つーか教会の離脱者とか初めて聞いたぞ」
「元々研究者として神を管理する装置を作った者がソルシエの先祖でな、英雄として祭り上げられたりと色々耐えられなくなって逃亡したそうだ。外道と良心が共存してるのは訳分からんが、こちらには都合が良い。ついでに余の意見は、魔力は欲しいが貴公と長期的に仲良くやっていくほうが実入りが良さそう、だな」
つまり、ルーカスをラグゼルの新しい神にするには各々の心情と事情がメリットを上回らなかった。
ただ魔力の低下は実害として魔力量の釣り合いが取れず、シュリアが見つからなければ危うくダーティン家の血筋が途絶えるところだった。
他にも魔力があれば楽な肉体労働も、足りないために道具が必要などちょっとしたところで不便が出始めている。
統計的にも国民の魔力保持者全体の魔力量平均が数十年単位で少しずつ下がっていた。
外からの魔力補給が出来ない中で、800年ここまで維持できている事自体が正直奇跡に近いが、いい加減限界が来ていた。
ならばいっそ共鳴力に全振りで魔力を捨てる方向にいかないのかと言われれば、それはそれで問題が出てくる。
一度手に入れた便利なものを捨てるというのは、なかなか出来る事ではない。
「なるほどな。なら俺から1つアドバイスしてやる。魔物を食うなら俺からは特に何もねぇよ、所詮お前らが普段食ってる家畜となんも変わらん。魔力を持ってることに変わりはねぇから、維持くらいは出来んだろ」
「やはりその話になるか……」
「なんだ話は出てんのかよ」
「先日、軍の開発室から魔物の素材と肉についての報告が上がってな。確保のための部隊を作って欲しいという要望だ」
「これからを考えるならそれしかねぇわな」
「だが問題も多くてな」
ジルベールは顎に手をあて唸った。
問題というのは気になるがこれは彼らの問題だ、深く突っ込むつもりもない。
思考の邪魔をするのも悪いので引き続きケーキを堪能することにした。
食べ終わる頃に優秀な侍従が追加でクッキーを持ってくる。それも美味しくいただいていると、ジルベールが立ち上がった。
「おっ、まとまったか」
「うむ。とりあえずはまた貴族共を招集せねば。短い時間だが有意義であった」
「俺である必要あったか?」
「視点の違うものからの意見は大切だよ。あと貴公は美味しそうに食べるのがよい」
思わず口をへの字に曲げてしまった。餌付けされた気分だ。
それをみて満足げなジルベールは侍従を伴ってリンデルトの執務室から出ていった。
代わりに近衛兵が犬を一匹伴って入ってくる。
すると、リンデルトが思いっきりため息を吐いて机に突っ伏した、親子とはいえ緊張するらしい。
近衛兵が少し眉をひそめるが何も言わない。
「……俺そんなに美味そうに食ってたか?」
「一度鏡を見ながら食事をするといいんじゃないかな」
それは逆に飯が不味くなりそうだ。
「……君だから言うけど、父上は今の共族の状態を魔族に依存しているとお考えだ」
突然思ってもみない事を言われリンデルトに顔を向けた。
組んだ両手の上に顎を乗せ陽光を受けた憂い顔はなかなか絵になる。
「外はより顕著だけど、魔力がないと生きることを認められず、その魔力のためには魔族が送り込んでくる魔物を食べなきゃいけない。この状況は魔族に依存していると考えてもいいんじゃないかな」
「……依存させる理由が分かんねぇな」
「それなんだよねー。全く理由も目的も分からない、この状況が君たちにメリットがあるとは思えない」
魔族の代表面していいものかは分からないが、支配者に近い立場にいるものとしても現時点での魔族側にメリットがあるとは全く思えなかった。
得るものが何もない。事実、土地に関しては魔物は生息圏を伸ばしているが魔人達の支配圏は全く増えていない。
魔物を減らしたいという理由であれば、もっと手前の瀑布に投げ捨てればいいだけの話だ。
飛べるものも大抵は羽根をもいでしまえばどうにでもなる。
他に何かないか頭を捻ってみるが何も思い浮かばないでいると、
「失礼な事を言ってもいいかい?」
「おう、言ってみろ」
「この状況が魔族の趣味って可能性は?」
──悪趣味だな
口には出さなかったがまず最初にそう思った。
次いで本当に失礼だなと思った。それではまるでただの趣味で何も考えずに共族からのヘイトを数千年買っているただのバカと言っているみたいではないか。
すでに単独で魔人とやりあえる個体が誕生している。今は例外だとしても、このまま共鳴力と魔力の混血が続けば、いずれは頻繁に特殊個体が発生する可能性は十分ある。そうなればあとは大瀑布を超えられるかだけだ。
それさえ解決すればあとは魔力を吸えるだけ吸って、動けない魔族に当てるだけである。
趣味で弱者をいたぶっていたら反撃されて滅びましたなんて、恥ずかしくて最初から種族毎なかったことにして欲しいくらいだ。
そうではない、違うと信じたいからこそそれは無いと言いたい。
あの父がそんな事を引き受け続けているなんてことは思いたくない。
「あとはそうだなー、僕も皇太子って立場だからさ、時々思うんだよ。君って意図的に情報規制されてない?魔王が血筋での継承ではないからって点を考慮しても国策について何も知らないのはさすがにねー」
「考えたこともないな」
血による継承は共族特有のものであって、時の強者が支配者になる魔族の感覚ではそれが変であるとは全く思わなかった。
そもそも優秀な者の子が必ずしも優秀であるとは限らないので、その時の適正のあるものに継がせるほうが合理的ではないだろうか。
現に己は魔王の父と議会一席の母という血筋だけ見ればこれ以上に無い両親を持つが、この体たらくだ。末席付近の魔人に勝てた試しがない。
「そもそも俺に情報を隠してぇなら色々探ってる間に何かしら邪魔が入るだろ、普通に50年あっちこっち記録を見て回ったが1回も妨害されてねぇぞ」
「うーん、そっか……。やっぱり根本的に文化が違うから、こっちの基準で考えてもしょうがないのかなー」
リンデルトはまだ納得がいかないようでウンウン唸っている。
どうせ神に会えば解決する問題をなんで今そんなに考えるのかは分からない。
そしてルーカスのほうはここに来た目的はジルベールの口から直接聞けたので、特にもうリンデルトに用はない。つまり暇だ。
とはいえせっかくここまで来たのだ。
まだ残っている茶菓子をいただきながらのんびりと座り心地の良いソファで昼寝でもするかと、一応頭の角で布地を傷つけないように気遣いながら寝転ぼうとしたときだった。
突然執務室の扉が勢いよく開いた。




