第252話
ついに魔神によって戦いの火蓋が切られた。
地上から湧き上がる唸るような腹に響く声を聞きながら笑っている魔神。
コルトは拳を握りしめ、湧き上がる怒りに今すぐこの場で大陸1つ吹き飛ばす高威力の爆弾でも落としてやりたいという欲望を抑えつけながら、それでも諦めずに呼びかける。
共族は戦う準備をコルトのせいでしていない。
仮に上陸されればとんでもない被害が出てしまう。
それと一応気になる事もある。
「お前分かってるのか、その命令は魔族に死ねって言ってるのと同じだぞ、海を渡りきれるとは思えない」
自らを上位と呼ぶ魔族達ですら単独で海を渡り切るのに大量の魔力を必要とすると言っているし、実際にルーカスが魔力切れでへばっているところも見た。
下位の魔族達が渡りきれるとはとても思えない。
頭上から余裕の表情で見下ろしている魔神も、そんな事は分かっているはずだ。
そう思っていると、やはり分かっているようで魔王はその綺麗な唇に薄ら笑みを浮かべた。
「馬鹿ね、本当に馬鹿。どうやってアノ子達が魔物をそっちに輸送してたと思ってるの」
「あ゙ぁっ!!」
完全に失念していた。
ここ最近見ていなかったせいもあって、それを完全に忘れていた。
あまりにも己が間抜け過ぎて濁った声と共に、体が固まってしまう。
なので続きはハウリルが引き継いだ。
「なるほど。たしか魔物の輸送には大型の飛行型の魔物を使っていましたね。実際わたしもこちらから帰還するさいは、大型の竜に乗りましたし」
するとアンリもすぐにそのヤバさに気が付いたようだ。
「えっ、ヤバいじゃん!魔物って超でっかいバスカロンよりもっとデカいのが多いから、つまり魔物よりももっといっぱい魔族運べるって事だろ!?」
「そうです、魔物よりも遥かに強力で自由に空を飛べる魔族を一度に大量に輸送できます。正直こちらの魔術では迎撃が困難です」
「ヤッバいじゃん、どうすんだよ!!コルト、今すぐ戻れないか!?」
「わたしたちが戻ったところで意味はあるのかとも思いますが、少なくともコルトさんはすぐに戻ったほうがよいでしょう。コルトさん、船に戻りましょう」
ハウリルからの当然の提案をされながら肩を掴まれて強制再起動したコルトは、分かったと返した。
だが返答と同時に気付いてしまう。
戻れないのだ。
機械人形達が待機しているコルト謹製のあの飛行機に戻れない。
戻るための座標を取得しようと思ったら弾かれてしまった。
緊急脱出の腕輪はアンリとハウリルの分しかないし、新規で作ろうにもその座標がそもそも分からないと堂々巡り。
自分は能力があるから大丈夫だろうと完全に高をくくって慢心していた。
背中を嫌な汗が伝う。
ここは魔神の支配域。
ここではコルトはただの人。
肉体がコルトの意思を読み取って極度の緊張状態に入った。
頭上から漏れるような笑い声が上がった。
それは段々と大きくなり、不安そうにコルトの名前を呼ぶアンリの声をかき消した。
「あははは、あーーーーーっはっはっはっはははははははは!!!!!!」
勝ち誇ったような魔神の歓声が耳朶を打った。
「馬っ鹿じゃないの!何の対策もせずに敵陣に乗り込んでくるなんて!アナタって本当に昔っからそうよね、謎の自信で失敗したときの対策をしないなんて、最高だわ」
その通り過ぎてぐうの音もでない。
──あぁ、僕のせいだ。
自分が耐えきれないからと方針転換をさせたせいで、彼らを無防備にさせてしまった。
そして己の不祥事で彼らを窮地に立たせてしまったのに、肝心の自分は無力に打ちひしがれるしかないこの様である。
──…だから。……だから彼らは……。
いつだったか、コルネウスは言っていた。
外部からの侵略があった時に、神は自分たちを助けてくれるのか。
彼らは助けてもらえないと思ったから自衛のために魔族と手を組み、同胞とも分かたれた。
コルトは自嘲するように口元が歪んでいた。
こんなにも自分は無力で情けない。
本当にただ箱庭の中だけを見つめていた存在だった。
「僕は…。僕は……」
足元が崩れた。
文字通り、コルトの感情に呼応して足場にしていた土台が崩れた。
「コルト!!!」
毎度の如くすかさずアンリがコルトを掴み、そのアンリをハウリルが掴んだ。
そしてハウリルが魔術を展開して周囲を風が渦巻き始めるが、3人を宙に浮かせるだけの力がない。
そんな状態なのに、コルトはブツブツと誰かに謝っている。
「僕の、僕のせいで……ごめん、ごめんなさっ」
やることなす事全くうまくいかない。
自分が何をすればいいのかなんて分かってて、散々みんなの前で自分の仕事だと啖呵を切ったのに、結局魔神を止められずにこの体たらく。
──本当に、本当に僕はダメだ。どこで間違えた、何をすれば良かった。
次々と湧き上がってくる自責の念。
答えの見つからないそれに、どんどん暗く深く落ちていく。
その時だ。
「……ルト、コルト、歯ぁ食いしばりやがれ!!」
「んがぁっ!?」
額に衝撃が走った。
強制的に現実に引き戻されるには十分な威力の衝撃に、目の前を星が回っている。
そうしてしばらく目を回していると、今度は頬を叩かれた。
かなり容赦が無い。
「おいっ、コルト!しっかりしろ!お前が諦めてどうすんだよ!!」
ガッチリと両頬を固定されて無理やり焦点を合わせられると、目の前に般若面のアンリがいた。
「あっ、あぁ、あっ僕…僕は……」
「まだボケッとしてんのか?もう一回叩くぞ!」
「ごっ、ごめ……えっと…」
目の前のアンリから視線を逸らして周囲を確認すると、何かの魔物の背の上に乗っているようだ。
多数の突起物のある硬い鱗に覆われた背のようで正直尻が痛い。
さっきまで立っていたはずなのに、と考えてすぐに己の未熟な精神のせいで足場が崩落したことに思い至る。
そしてハウリルがいない事に気が付いた。
「あっ、どっ、あぁハッ、ハウリルさんは!?」
崩落したあとに恐らくアンリとコルトはこの何かに助けられたのだろう。
だがハウリルは…。
と考えてすぐ下から声がした。
「わたしは下です。定員おーばーと言われまして…。正直、怖すぎるので早く降りたいです」
「足場がなくなって落ちてすぐにな、ルーカスが助けてくれたんだよ」
「えっ、なんて?」
予想外の聞き慣れた名前を聞いて思わず聞き返してしまった。
状況を考えれば多分、恐らく、乗っているコレがルーカスだ。
なんか随分と人型から離れている。
以前アウレポトラで見た転変時よりも、よりも竜に近く二周りくらい大型化している。
すると空間から響くような声が耳朶を打った。
『おいっ、コルト。起きたんならさっさとどうするか決めろ。俺も消耗激しいからあんま飛んでらんねぇぞ』
「いきなり変な喋り方すんなよ!」
『うっせぇ!口が喋ろうとすると上手く動かねぇんだよ!』
「より竜の姿に近くなったせいで、骨格と舌の形が変わったからではないですか?」
『だとよ』
「あー、なるほどねぇ」
黒竜も人語ではなく特殊な音の出し方で会話をしているらしいので、人間のような喋り方ができる生体構造になっていないようだ。
と関心していると、アンリに肩をガッシリとギリギリと音がしそうな程力強く掴まれた。
「そんな事より、いつまでもあんなのに好き勝手させるわけにはいかないだろ、これからどうするんだよ!それに諦めない、信じてるって言ったのはお前だろ!なら私も最後まで諦めないぞ、何をすればいい、どうすればいい!?」
魔神をあんなのと呼び爛々と燃え盛る目でコルトを見つめるアンリに、先程まで勝手に一人で落ち込んでいた事を悔やんだ。
でも嘆くのも落ち込むのも今やることじゃない。
コルトは己を奮い立たせて拳を握ると、ルーカスに問いかけた。
「今どこに向かってるの!?」
『飛行機だ、飛べないお前らにはアレしかねぇだろ。まぁ、遠目から魔族に攻撃されててちょっとヤバそうなのが見えんだけどな』
「わたしとアンリさんは先に転移をと思いましたが」
「止めといたほうが良いと思います。激しく振ってる空箱の中の小石みたいになると思います」
「死にますね」
『ミンチだな』
「ルーカス、何とか接近しろ。2メートルまで近づいて貰えれば、僕の力で迎撃できる。そしたらみんなにお願いがある」
『はっ、いいぜ。送り届けてやるよ、ただ俺は飛ぶだけだからな』
しっかり掴まってろよと言って、ルーカスはスピードを上げた。
 




