第250話
「アナタでも失敗を認めることがあるのね」
少し驚いたような声が耳朶を打った。
顔を上げると、意外そうな顔に少しだけ寂しさを混ぜた顔でティーカップの中を見つめる顔が視界に入る。
「認めるのはつらかったけどね」
「そうでしょうね」
誰だって自分の失敗を認めたくない。
己の能力と役割を知っているからこそ、余計に認めたくなかった。
でも、認めなければ人は、世界は先に進めない。
「僕達は始めるモノ、続けるモノじゃない」
相手を諭すように、自分にも言い聞かせるように言うと、拗ねたようにそんなことは分かってるわよと魔神は答えた。
「だったらもう世界を管理するのは辞めないか」
魔神は答える代わりに飲み干したティーカップに再びポットから紅茶を注いでいる。
そして角砂糖いくつかとミルクを入れると、ティースプーンでゆっくりとかき混ぜ始めた。
その行動の真意が読み取れない。
それならそれで勝手に話を進めようとすると、ようやく魔神が口を開いた。
「間違ってるなんて、ずっと前から気付いていたの。でも止めるわけにはいかないでしょ」
水面に映った自分の顔を見ながら、魔神はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「やってみたけどダメだったから止めますなんて、いくつも消してきたアノ子達に合わせる顔がないわ」
魔神はゆっくりとティーカップを持ち上げると、中身を嚥下していく。
「生まれたばかりの赤子であろうと、ダメと判断したら全て同時に消したわ」
最初はなんとも思わなかった。
ただ空気を口から出すだけの鳴き声ですらない音を発するソレはとても知的生命体と言えるような存在ではなかったから。
だから何も思わず機械的に削除した。
その後も理想を求めて何度も改良を加えたが、中々求める”人”が出来上がらない。
隣で共神が人の社会の基盤を完成させたものだから焦りもあった。
でも、求める人は中々出来なかった。
それが続いた。
だからついやってしまった。
彼らの前で口にしてしまったのだ。
”今回もダメね”…と。
改良を重ねて思考能力が上がり、喋れなくとも複雑な言葉を理解するようになっていた。
でも頭に知識として入れていただけ。
だから彼らがどう受け止めるかなんてまるで考えず、求める人未満だったから彼らの目の前で落第の判を押した。
気付いた時には遅かった。
目の前の神に”生きるに能わず”と宣言された当時の魔族の顔を魔神は一生忘れないだろう。
「アノ子達は人の安定した社会を築けるような能力は持っていなくても生きていたの、生まれたことを喜んでた。でもワタシは求める人ではないって身勝手な理由で殺したの。なら、彼らのためにワタシは求める人ができるまでやるしかないじゃない!」
カシャンとティーカップを叩きつけるようにソーサーに戻すと、悲鳴のような声で魔神は叫んだ。
その叫びを受けながら、コルトは冷静に思考する。
──コレ、やっぱり壊れてはいないな。なら前回のあれは何だったんだ、演技か?
感情に重きを置いた神は、感情によって壊れたのではなく、壊れることができないから情のためにどこまでも止まれなかった。
それが被造物の視点で見たら壊れたように見えただけだ。
それもコルトに言わせれば至って単純だ。
「ただ仕事を終わらせる機会を見失ってただけじゃないか」
「なんてこと言うの。さすが無言で昼寝し始めただけのことはあるわ」
「うぐっ…。それは君には関係ないだろ!」
痛いところを突かれてたじろいでしまった。
だが、壊れたと聞いていて面倒くさいと思っていたが、そんな事はなく正気だったのは幸いだ。
平静を保っているなら、まともに話し合いができる。
コルトは改めて管理を一緒にやめようと口にした。
「他の魔族を追い出したり、僕を招いたりしたんだから、僕達が戦争開始のつもりで来たわけじゃない事くらい気付いてるだろ」
「当然よ、ライゼルトが全部教えてくれたもの」
「なんで喋ってるの!?」
魔神には秘密で進めるはずだったのに、自力で気付いたならまだしも、魔王が全部ゲロっていたとなればとんだ裏切りである。
やっぱり人未満なんじゃないか!?という感想が脳裏をよぎってしまったが、そんな事を口走ればもっと面倒くさいことになりかねない。
慌てて脳内の邪な考えを打ち消した。
「ぐっ、まぁそれなら話が早いから目を瞑るとして、ただ隠居するよりも僕達は罪滅ぼしが必要だと思うんだ」
「アナタにしては殊勝なことを言うのね」
余計な一言にコルトはジト目を返しながら、例のダンジョン構想について概要を説明した。
魔神はそれを聞いているのか聞いていないのか分からない態度で聞いているが、手が止まっているので聞いているはず。
気分は完全に学園で練習したプレゼンだ。
そして時間をかけてあれやこれやと一通り説明を終えた頃には、あんなに激しく人形が動き回っていた箱庭がいつの間にか静寂していた。
大変な思いをして説明をし終わり、少し満足したコルト。
すると魔神はやっと顔の正面をコルトに向けた。
「ふーん、面白いことを考えたわね」
「贖罪、罪滅ぼしじゃないけど、僕のところも君のところも資源がないだろ?」
「そうね。でもそんなの今からでも地中に埋め込めば良いじゃない。ワタシ達ならできるでしょ」
「完成したものに手を加えるリスクが高いの分かってる!?」
「ワタシの魔族は耐えられるもの!」
共族なんて知ったこっちゃないとありありと書かれた顔面にコルトはキレた。
「あぁそうだろうね!あんな掘っ立て小屋、いくつ壊れたってそりゃ痛くも痒くもないだろうさ!」
ほぼ全裸の魔族に小屋というのも烏滸がましいようなナニカ。
そんな未開の原人のような生活を死ぬまでの数百年何も思わず続けられるような種族。
そりゃあ地上がどんな災害にあおうと気にならないだろう。
だがコルトはそんなものは認めない。
地上を支配する知的生命体として”人”を選んで作ったのに、それを忘れて何も生み出さずただそこで生きているだけの惰性を貪るようなものは認められない。
コルトは椅子を蹴倒すとズンズン進んで魔神の目の前に立ち、そしてその胸ぐらを掴むと怒鳴りつけた。
「いい加減にしろ!お前は約束を破ってばっかだ。二人で地上を支配するのは人って決めて作ったのに、こんな怠惰なモノを作ったばかりか不可侵の約束を破って僕の領地を荒らし回らせた!お前がそんなんだから出来上がる魔族もまともな文明社会を作れないんだよ!お前がまともじゃないからできたモノもまともになれないんだ!」
人の社会は鏡だ。
人を作った管理者達の中身を映す鏡。
心なく実利だけを取れば、やがて人は他者を思いやることを忘れてしまう。
逆に、心だけを取り実利を放り投げれば、いつまでも発展しない未熟な世界になる。
「魔族の生態とか全く僕の趣味じゃないし悍ましいって思ってるけど、それでも心は人だったぞ。共族の文明社会に羨望して自分たちも良くなりたいって共存を選ぶ心がある。良くしたいって思う心があるのに、なんでここはこんなに未開なんだよ!」
いつだったか、ルーカスは広大なショッピングエリアで行き交う多くの人達を見ながら夢を語った。
最初からルーカスはずっと魔族の生活をもっと良くしたいと、それだけを願っていた。
馬鹿みたいに利他的な理由でずっとコルトの手足になっていた。
当時は何を言っているんだと思ったが、ここの現状を知ればそう思うのも理解できる。
「どう考えてもお前が原因だろ」
糾弾の意思を込めてはっきりとそう口にした。
怒りで自分でも驚くほど強い力で魔神の胸ぐらを掴んでおり、その拳が少し震えだす。
対して魔神はコルトに向けていた顔を逸らし、そして。
「うるっさいわね」
震える小さな声でそう呟くと、片足を振り上げてコルトの腹を思いっきり蹴り飛ばした。
 




