第248話
剣を構えたルーカスを見て魔王は悲哀を浮かべた。
「真似たところで魔族であることに変わりはないぞ」
「何言ってんだ、当たり前だろ」
我が親ながら魔王が何を言いたいのかさっぱり分からない。
他に真意があるにしても、出てくる言葉それならもうルーカスから言う事は何も無い。
転変した肉体と、身につけたばかりの魔力の使い方でもって斬りかかった。
共族が本来なら年単位で磨き上げていく頭の中のイメージを、強靭な肉体と生来のセンスでもって高速で再生する。
一閃一閃が致命打になる剣撃。
それを魔王は経験だけで捌いていく。
掠っただけでも切れる刃がその肌を傷付けていなければ、無傷で済んでいると言って良かった。
──まだだ、まだ足りない。クソっ、なるほど”だから”体に叩き込むのか!
ラグゼルの軍人達が何度も行っていた反復練習。
何も考えなくても動けるようになるまで体に叩き込めと怒鳴る教官達。
それを横で見ながらくだらないと思ったものだ。
相手を見てからでも十分に対応できるし、彼らだってそれが出来ない訳じゃない。
それなのに、どうして決まった動きを体に叩き込むのか。
体と武器を馴染ませるためという理由を聞いても、体と武器は別物だろうと理解ができなかった。
でも今なら分かる。
それまでのルーカスは格下ばかりが相手だったから、余裕をもって見てからでも対応できた。
だが同格かそれ以上が相手だと、その余裕が消える。
思考リソースを限界まで持っていかれる。
均衡を崩すために攻撃を増やしたくても、思考の限界で増やせない。
だから”考えなくても動けるように体に叩き込む”。
今だって考えなくても剣撃を繰り出せるなら、残った思考リソースで魔法を混ぜられるだけの魔力がある。
それなのに、体を動かす事に思考を持っていかれて魔法を出す余裕がない。
ならどうするか。
簡単だ、共族と同じ事をして体に動きを覚え込ませればいい。
共族が何千何万と繰り返して覚えるのなら、同じことをする。
途方もない時間が掛かるそれも、魔族の己の肉体速度でやれば短時間に圧縮できる。
そのためにルーカスは魔法を捨てる事にした。
余裕が無いなら、余裕ができたあとを”今”は捨てる。
運動に思考を持っていかれるなら、今はそれに集中する。
自然と笑みが零れた。
耳まで裂けた口から零れた笑みは、凶悪な威嚇となり魔王に伝わったが、何のその。
体を動かす事に、型にはまった動きに集中することを決めたルーカスの動きは、さらに鋭く早くなる。
休み無く何度も型にはまった攻撃を繰り出しながら、体の動きを頭に叩き込み、最適化していく。
回数を重ねるごとに、前よりも早く、より鋭く。
それだけに思考を割いた。
転変した肉体が悲鳴を上げながら、さらに隆起していく。
翼が背中を突き破り、尾も生えた。
思考が単純化され、目の前の相手を殺せとそれに支配されていき、薄っすらと背中の偽名を刻まれた部分が熱くなる。
ルーカスは目の前の魔王が動きについてこれなくなるまで、何度も何度も同じ動きを繰り返した。
同じ動きの繰り返しに対応されようと、動けなくなる限界を超えれば勝ち。
転変している己と、そのままの魔王なら自分のほうが強い。
それを信じて繰り返し、何百を超え、何千を半ば過ぎ、何万に到達する頃。
ついに魔王が一撃を受けた。
目の前を舞う鮮やかな赤。
意識をそれに持っていかれた。
でも体は止まらない。
繰り返したそれを体が覚え、魔王に攻撃を与え続けた。
続けざまに吹く赤。
ルーカスはそれを喜ぶでもなく攻撃をそのまま体に任せ、できた余裕で剣に魔力を込めて赤炎と紫電を纏わせる。
そして火花を爆ぜながら繰り出される一撃が、魔王の胴体を切り裂いた。
魔王の肩から脇にかけてを切り裂きながら、火花が傷口を抉っていく。
苦悶の表情を浮かべる顔を見ながら、ルーカスはさらに傷口をなぞるように風の斬撃を食らわせて、完全に上半身と下半身を分離させた。
切り終わった体は続けざまに切り上げて魔王の片腕を切断し、そこからさらに斜めに切り下げ、再び切り上げて残った片腕も切断する。
そこまでやって、やっとルーカスは体を意識的に止めた。
そしてそのまま魔王の上半身に赤い炎を纏った剣を突いて、氷面に刺して固定する。
趣味の悪いオブジェクトの完成だ。
すぐに肉が焼ける臭いが鼻腔をくすぐり始めた。
さらに切断した両腕と下半身も念入りに潰す。
ここまでやれば、いくら魔王と言えども再生に使用する魔力の消費はかなり大きい。
抵抗されても魔力差でルーカスが勝てるだろう。
そこまで思って、どっかりとその場に腰を落とした。
正直、全身が痛い。
いくら肉体が強靭と言えど、同じ動きを何万と繰り返せば節々が悲鳴を上げる。
戦闘中さらに転変が進んだので、自重も重い。
意識だけが明瞭だった。
「殺すのでは無かったか?」
焦げ臭さと共に声が伝わってきた。
その声に顔を上げると、剣の周りを焼け焦がしながらも、少しだけ腹回りを再生している無様な魔王、己の父親の姿が視界に入った。
「まだ死んでいないぞ」
その言葉にルーカスはため息をついた。
「その姿で言うことか?死んでんのと一緒だろ」
「甘いな」
「魔族の流儀なんて知らねぇよ」
「………」
その言葉に魔王は押し黙り、しばらく沈黙が流れた。
先にそれを破ったのはルーカスだ。
「なんで残されたんだ、他は全員追い出されただろ、番人だからか?」
魔王はそれに答えない。
ルーカスも気にならなかった。
もう終わったことだ、魔神も、魔王も過去の存在になる。
ルーカスはもう一度ため息をついて、今度は空を見上げた。
先にいったコルト達の事が気になるが、正直ここからどう出ればいいのか分からない。
コルトだけならそのまま放置されるような気もするが、アンリがいるから大丈夫だろう。
それに今の消耗した己では、魔神を前にしても足手まといになる可能性がある。
ならあとはコルトを、共神を信じるしかない。
そう思って次いで下を見ると、下の諍いも終わったようだった。
「魔王になりたいのではなかったか?俺がいては達成できまい」
待ちの体勢に入ろうとすると魔王が再び声を掛けてきた。
会話をするつもりがあるならそれに興じてもいいだろう。
もう戦いは終わったようなものだ。
ルーカスは父であるライゼルトを一瞥すると北を見た。
地平線のその先にある彼の地。
あそこで己の今までの時間からしたらごく短い期間だが、それ以上の経験をした。
「親父がいても魔王にはなれんだろ。それに本当はどうでもいいんだ、魔王はあくまで手段だからな。それ以外で達成できんならどうでもいい」
「歴代魔王は先代の死をもって代替わりしてきた。それはお前も知ってるだろう」
「これまではそうだったかもしれねぇが、魔神が隠居すんなら魔王の代替わりの方法も変えたっていいだろ。それに、強さが絶対なら勝ったのは俺だしな」
魔王はあくまで手段、目的ではないとルーカスは念を押した。
それにライゼルトは分からないと返す。
「…お前は何がしたいんだ、魔王になって何がしたい。あの集会でもお前は共神の影に隠れ最後まで姿を出さなかった。共族に力を借り、共神におもねってまで何がしたい」
それを聞いて気付いた時にはライゼルトの顔面を殴っていた。
まだ剣に貫かれたままなので、そのまま胴体は剣を滑って氷面に激突する。
それを見下ろしながらルーカスは怒鳴った。
「ざっけんな!俺がいつコルトにおもねったって!?あいつは俺がいくら気ぃ使ったって一生こっちを見やしねぇのに、そんな無駄な事するかよ!」
何があろうと、どんなにコルトのために働こうと絶対にコルトはルーカスを直視しなかった。
隣に立つことは許しても、視界には入れなかった。
必ず”魔族”というフィルターを通して、ルーカス自身を見なかった。
それはコルトが”共神”だからだ。
共族の神であるコルトは絶対にルーカスをみない。
そして魔神も同様である。
魔神は絶対に共族を見ない。
それはあの邂逅でよく理解した。
「親父はずっと魔神の傍にいたのに、よくそんな事を口にできるな!」
「ならどうして共神のために、共族のためにここまでする。俺達がお前を魔族の社会に入れなかった事へのあてつけか?そこまで魔族の社会が憎いか?」
ルーカスは真顔になった。
根本的に前提がすれ違っている。
これでは話にならない。
ルーカスは剣に手を伸ばし、流した魔力が尽きてすっかり鎮火した剣を一気に引き抜いた。
「俺は何も憎んでねぇし、恨んでもいねぇよ」
「なら何故だ」
現行の機構を破壊してまで共族側に尽き続けるのか。
その問いの答えはずっと前から答えが出ている。
「”強さ”以外の価値が欲しい。あんなクソみてぇな小屋じゃなく、もっとちゃんとした場所で寝て、美味いもん食って、強者の顔色を伺わなくていい場所にしたい」
魔王城を出てから何人も見てきた。
少ない魔力で生まれたせいで、常に強者の顔色を伺い、伺っても間違えれば殺される。
そんなところをいくつも見てきたし、当然ルイカルドもずっと顔色を伺われた。
それが当たり前だと思っても、ずっと不快感は消えなかった。
そんな時に目にした共族のラグゼルでの生活。
共族なんて一捻りすればすぐ死ぬくらい弱い種族なのに、彼らの生活には笑いが多かった。
上から下まで笑っていた。
少なくとも自分にはそう見えた。
魔族という強い種族の中でも、特に強く生まれたはずなのに惨めだった。
彼らの笑いを自分は知らない。
羨ましい、欲しい。
強くそう思った。
「生まれた種族をもっと良くしたいって思うのは、そんなに変な事じゃねぇだろ」
どこかの誰かはそれを酔狂だと言ったが、決して自分はそうは思わない。
自分が生まれた共同体をよくしたいと思うのは当たり前ではないだろうか。
「俺はそれができる力と機会があったからそれを貫いた、それだけの話しだ」
そう言ってルイカルドは剣を掲げ、それからゆっくりと鞘に戻す。
その背後で魔王は小さく”…そうか”とだけ呟くと、それっきり口を閉ざした。




