第247話
全身の鱗がさらに隆起し、口も耳まで裂け、体内では翼と尾の代わりに肺と心臓を押し退けるように新たな臓器が発生する。
ルーカスは己の肉体の変化を感じとりながら、その新たに発生した臓器に魔力を溜め込むと、一気に吐き出した。
吐き出されたのは高温の青炎。
対する魔王は大量の魔力を一気に水に変換すると、大津波としてぶつけてくる。
高温の炎と大量の水。
両者がぶつかった瞬間、気化で一気に増えた体積により巨大な爆発が起きた。
「うおっ!?」
経験の浅いルーカスは爆発を予見できず、咄嗟に両腕でガードするも後方に吹き飛ばされて見えない壁に叩きつけられた。
普通の壁とは違い壊れることのないそれは、ぶつかった衝撃の反動をそのままルーカスに返す。
強靭な肉体がそれで壊れることはないが、それでも内臓を揺さぶられて感じたことのない気持ち悪さがこみ上げてくる。
ルーカスはそれに逆らわずにそのまま咽た。
「あ゙ぁ、気持ち悪ぃ」
そう言ったのも束の間。
視界に映るのは大量の水流。
咄嗟に飛んで躱すが、それを見越していたかのように逃げた先で水流が待ち構えていた。
ルーカスは剣の柄を掴むと魔力を流し込みながら勢いよく抜刀する。
抜かれた剣心は暴風を纏い、のたうつ蛇のような水流をまとめて切り裂いた。
だがたった一回の斬撃で止まることはなく、切った傍から新たな水流が現れる。
まるで共族の扱う魔術のような魔法。
溢れる魔王の魔力によって生成される水で部屋が満たされていく様に、ルーカスは舌打ちをした。
──水中戦がやりてぇのか。確か親父の裏形質はなんかの魚だったか?そりゃ水中が有利だわな。
竜の純血の己とは違い、表出している竜だけでなく、その気になればもう1つの形質として魚の特性を扱える魔王。
水中戦になれば圧倒的に不利になる。
──なら、水中にできなくさせりゃいい!
ルーカスは剣を鞘に収めると、敢えて水中に飛び込んだ。
そして瞠目する魔王の目の前で、飲み込まれたルーカスを中心に次々と氷結し水面からは氷柱が突き立っていく。
魔王が飛び上がって氷柱を回避するのを魔力感知すると、今度はルーカスが氷流でそれを追いかける。
部屋の中を縦横無尽に氷の塊が駆け巡り、入り組んだ洞窟のように形成されていく。
ルーカスは氷面を突き破って氷上に出ると、足の爪をスパイク代わりに氷面に突き立てて駆け出し、一気に魔王と距離を詰めた。
拳一閃。
魔力を込めて力の限りぶん殴る。
ガードした魔王の腕を圧し折り顔面に届くと、そのままの勢いですぐ後ろの氷壁に叩きつける。
そのまま容赦無くもう一撃入れようとするが、力を溜めている一瞬で魔王は紫電を纏い、さらにルーカスと同じく氷柱を大量生成する。
咄嗟に後ろに飛び退いて跳んでくる氷柱を回避するが、背後に魔王の魔力が現れた。
それを認知した瞬間。
「ガハッ」
血を吐いた。
視線を下げると己の胸部から魔王の腕が生えている。
そして、その手には転変で生成された炎造成機関が握られ、見ている前で握り潰された。
「お前は強い、純血の竜人として強靭な肉体と恵まれた魔力を持っている。だが、魔力の使い方はまるで赤子だ」
そう言って引き抜かれる魔王の腕。
ルーカスは咄嗟に魔王から距離を取った。
魔力は自動で体を修復するため、すでに穴は塞がりかけだが中は空洞だ。
転変で生成された本来は存在しない内臓の再生には通常よりも多くの魔力を消費する。
ゆっくりと心臓と肺が元の位置に戻っていった。
「はぁ…はぁ…。何が使い方だ、どいつも似たような使い方で大して違いなんてねぇじゃねぇか」
「…共族如き雑な魔力の放出だけで十分だからな」
「そういう事かよ」
初めから魔族社会に帰属させるつもりがなかったので意図的に隠していた。
あるいは教える必要が無かった。
腹立たしさを感じながらルーカスは再び剣に手を掛ける。
魔王はそれを一瞥すると腕に紫電をまとわせた。
「そもそも、魔力の属性は何を由来としているか、考えた事はあるか?」
「ねぇよ、いきなりなんだよ」
バチバチ耳障りな音を立てる腕を掲げ、教えるつもりは無かったと暗に言いながらも突然何かを教示するように語りだす魔王。
ルーカスはそれが何かの罠ではないかと警戒しながらも、呼吸と魔力を整える。
「火、水、風、雷。これらは全て人体の働きに由来する。熱、血液循環に呼吸、そして神経伝達。これらが魔力の属性の由来だ」
「だから、それが何だってんだよ」
「分からぬか?これらを理解し効率的に魔力を循環させれば」
そう言い終わるや、ルーカスは体に衝撃を感じた。
先程とは視界に映る物の角度が変わっている。
どうやら何らかの方法で吹き飛ばされたらしいと理解した瞬間、再度同じ衝撃が襲い、気が付いた時には氷塊に抱き留められていた。
元いた場所に顔を向けると、ルーカスが一瞬前にいた場所に紫電を纏った魔王が立っている。
「少ない魔力で身体能力を大幅に強化できる」
まさに雷光というべき速度。
そう思った瞬間、ルーカスは全身の骨が砕かれる衝撃と共に、己の作った氷の洞窟を粉砕しながら吹き飛ばされ、再度壁に叩きつけられた。
魔族の視力をもってしても捉えられないスピード。
人体の限界を超えたそれ。
普通なら肉体の負荷が高すぎて自壊してもおかしくはないが、魔族にそれは関係無い。
魔力の続く限りそれは続く。
──持久戦か。
どちらが先に魔力が尽き、肉体の再生限界が来るか。
ルーカスは余裕の表情でこちらを見据える魔王を視界に捉えた。
──一撃で親父の体にどのくらいの負担が掛かってるかは知らねぇが、あの様子じゃ砕かれてる俺のほうが消費がデケェな。
攻撃を入れられなければ一生勝てない。
──やってやろうじゃねぇか。
先程魔王は魔力の属性は人体が由来だと言った。
つまり、やろうと思えば全ての魔族ができるということ。
ルーカスは意識を集中し、全身に魔力を循環させる。
全てが同時に起こった。
体温が上がり、血管が拡張し、肺が活性化され、神経伝達速度が極限まで上昇する。
そして近付くために踏み込もうと足を動かした。
一瞬だった。
体の動きに思考が追いつかなかった。
踏み込んだと思った時にはもう魔王の顔が目の前にあった。
そのままルーカスは頭突きをするように魔王に追突し、勢いそのままに見えない壁まで押し込み、さらに逃げないように左手で魔王の右の上腕を掴むと、己の右腕を思いっきり振りかぶって殴りつけた。
渾身の一撃が魔王の顔面に入る。
いかに強靭な肉体を持つ竜人の魔族と言えど、同族の、しかも転変した個体の魔力が籠もった一撃には肉体が耐えず一瞬で頭部が破裂した。
だがこの程度で死ぬなら魔族ではない。
ルーカスはすぐさま次の目標を心臓に定めると同時に拳を胸に突き入れた。
転変で隆起した腕は心臓を穿ち、肺を削って骨を砕きながら背面の壁に到達。
そこからルーカスは掴んでいる腕を引っこ抜き、開いた左側に右腕を貫通させたままの胴体を叩きつけた。
氷が破砕され、細かい氷の粒が煙のように吹き上がる。
激突させてからここまでたったの3秒。
だが初めての魔力の使い方でルーカスは息切れを起こした。
「はぁっ……はぁ…はぁ…」
魔力に最適化された種族とはいえ、成熟した大人になってから初めての魔力の使い方で肉体が悲鳴を上げている。
経験上、頭部の再生には魔力をかなり消費するので、それにプラスして心臓等の胴体の損壊。
かなりのダメージが入ったとは思うが、これまた経験的に魔王の魔力量ではこの程度で動けなくなるとは思えない。
ルーカス自身の肉体の損傷も防がなくてはジリ貧だ。
呼吸を整えながら、ルーカスは再び剣に手を滑らせた。
──まさか、またこいつに世話になるとはな。
友好の証として貰ったそれは、共神が共族に与えたモノではなく、文字通りの共族自身が魔力から身を守るために無から生み出した特殊金属で作られている。
攻撃のための剣として作られているが、魔族であるルーカスには何よりも頼りになる盾だ。
それを引き抜くと同時に氷の煙の中から何かが現れ、早速剣身で受け止めた。
左手で剣身を支えても握る右手に痺れるような衝撃が走る。
だが生身で受け止めるよりもずっとずっとマシだ。
後方に吹き飛ばされながら、ルーカスは口角を上げた。
──片手剣一本は1番隊隊長が得意だったな。
何度も手合わせをした姿を思い浮かべながら、氷で複雑な地形と化した空間を爆風で一気に平らにならす。
そして着地した場所で見よう見まねで思い浮かべた姿と同じ構えを取った。
「かぶれるどころか真似事とは……」
憂うような嘆かわしいものを見たような、重く腹に響く声。
爆風で舞い散る氷粒が光の反射を受けてキラキラと輝きながら溶けていく中、肉体の再生を終えた魔王がゆっくりと現れた。




