第242話
語り終えたハウリルは、少し気恥ずかしいと言って視線を下げた。
それを見てコルトは少しだけ間を開けてから、言ってくれて嬉しいと返した。
人に存在を知られ、不要な存在であると決められたコルト。
どんなに人を思っても、もう届かない思いであると思っていた。
でも、ハウリルは神であるコルトの思いに価値を見出してくれた。
救われたのはどちらだろうか。
「もう僕の思いは邪魔なのかなって思っていたんですけど……、嬉しいです」
「人は都合のいい生き物ですから、あなたの強大な力の干渉は拒んでも、認めてもらえるのは嬉しいものなのでしょうね。……ふふっ、わたしは神嫌いを自称していたはずなのですが」
わたしも都合が良い、とハウリルは自嘲気味だが、どこか清涼な雰囲気だ。
そしておもむろに立ち上がり、そのまま窓のほうまでスタスタと歩いていく。
窓の外に広がる空は、未だコルトの手の中にあり穏やかな空模様が広がっている。
「わたしは神に仕える者として生きてきました」
救って欲しい存在を救わず、南部の教会区域の秩序と一部の人間の利益のために作られた空虚な神。
ハウリルはそんなものはバカバカしいと思っていた。
でも今は、”本物”の神がいる。
仕えたいと思える神ができた。
それがほんのひと時であっても。
「あなたを信じる者として、最後の旅路にお供いたしましょう」
「…っ、ありがとうございます!」
コルトは立ち上がって深々と頭を下げた。
ハウリルはそれを見て、神が頭を下げるのはいかがなものかと苦言を呈してくる。
全くだと思いつつ、それでいいと思った。
「ハウリルさん」
「なんでしょう」
「僕、人と喋るの好きだなって思いました」
「…それは良かったです」
唐突だったせいか、一瞬間が開いた。
だが、その後の言葉を述べるハウリルの顔には、初めて見る穏やかな表情が浮かんでいた。
コルトとハウリルがプレートに戻ったのは、日が沈みかけ空が赤く染まっていた刻だった。
ハウリルを借りることをフラウネールやその他各所に説明していたせいで、こんな時間になってしまった。
ほとんどはコルトがいたのでスムーズだったのだが、やはりというかなんというか、フラウネールには相当渋い顔をされてしまった。
魔族領から帰ってくるなりぶっ倒れたところを間近にみたのだ、そりゃ嫌だろう。
結局最後はハウリル一人で説得すると言ってコルトは部屋を追い出された。
そんな訳で大分遅くなってしまったのだが、転移装置から出ると遅いと言いながらアンリが出迎えた。
「何かあったんじゃないかって心配しただろ!連絡くらいしろ!」
「ごめん、フラウネールさんの説得に時間掛かっちゃって」
「またあいつか!」
「アンリ……」
またこっちの邪魔をすると憤慨するアンリに、一応身内のハウリルが隣にいるので嗜めるが、当のハウリルは兄も普通の人に嫌われるんですねとあまり気にしていないようだった。
「ところでハウリル、飯食べたか?」
「今日は食べましたよ」
「今日はってなんですか!?」
含みのある言い方にコルトは即座に反応した。
忙しすぎて毎日食べられないのか、それとも狂信者達が食料を回していないのか。
いずれにせよ問題である。
問い詰めるとどちらでもないとハウリルは困った顔をした。
「彼らが出せる分の食料は回していただいていますよ。ただどうしても全員に行き渡らせようと思うと口の数が多いですから」
「そう…ですか……」
考えてみれば足りないのは当然だ。
元々そういう目的で生産していたわけでもない1地域の備蓄食糧だけで、その何倍も広い地域の口を全て賄える訳がない。
やはりここはコルトが食料供給に介入したほうがいいだろうか。
そんな考えが頭をよぎるが、察したハウリルは必要ないと首を横に振った。
「総出での開墾作業が進んでいますし、南部進出での魔族の襲撃もなくなりましたからヘンリン指導の元、漁も始まっています」
「そういや南に行き過ぎると魔族が出張ってくるってそんな話もあったな」
「えぇ、どうやら何人か南部に魔族が潜んでいたようです。魔物を上陸させるのに、共族がいては支障がありますから。住み込みで監視していたようです」
「そんな事してたの!?」
完全に初耳だった。
こちらに常駐しているのはバスカロンだけだと思っていたら、どうやら他にも複数の魔族がこちらに隠れ潜んでいたようである。
言いたい文句が次々と湧き上がり、それに合わせてコルトは沸々と怒りがこみ上げてきたが、アンリとハウリルにドウドウと宥められた。
それでコルトは少し冷静さを取り戻す。
冷静になったついでにその件について色々と考えると、色々と疑問が湧いてくる。
主にルーカス周りについてだ。
ハウリル達も当然それは疑問に思ったので、ルンデンダック担当のルーカスの母親に聞いてみたらしい。
だが内容が内容だっただけに、ルーカスの許可なくここでは言えないとハウリルは口を閉じた。
アンリもそれなら聞かないとそれ以上言及するつもりはないようで、話を元に戻した。
「機械人形が力がつくようにって、肉料理いっぱい作ってくれたんだよ」
「いいですね。魔族領ではなにが起こるかわかりませんし、久々にお腹いっぱいに食べましょう。出発は明後日ですよね?」
「そうです。明日みんなに出発の布告をだして、明後日魔族領に入ります。なので今日明日はゆっくり休んでください」
「そうさせていただきましょう」
そして行われた晩餐会は、久々に賑やかな食事会だった。
相変わらず窓すらない暗い部屋。
肉体の覚醒とともに意識を急激に肉体に引き寄せられる感覚を得ながら、コルトは目を開いた。
最近はずっと肉体の睡眠中は意識を元の精神世界に戻し、世界を俯瞰する夜を過ごしていた。
特に何かするわけではない。
夜も更けたプレートとは違い、時差で明るくなってくるラグゼルの地を眺めるだけ。
もう会うことはない両親と、友人と恩師と……。
──意識の接続確認。良かった、今日もちゃんと繋がった。
自分の意思で手足を動かせることを確認すると、枕元のリモコンを手に取って部屋の灯りをつける。
以前、管理者の感覚を使って暗いままの部屋で何不自由なく過ごしていたところ、アンリと機械人形に見つかってしこたま怒られたのだ。
アンリには暗い部屋にいると気分が下がるという怒られ方で、機械人形には人間感覚の生活で過ごせというものである。
どちらも一理あると思ったので、以来部屋でもちゃんと灯りをつけるようにしていた。
「いよいよ今日か」
寝台から立ち上がると、顔を洗い歯を磨いて服を着替える。
そして自室を出て食堂に向かうと、既に他の3人が揃っていた。
「おはよう」
「おはよう」
何気ない朝の挨拶を返して3人が座っているテーブルにコルトもつくと、タイミングを見計らったかのように機械人形が全員分の朝食を持ってきた。
焼き立てのパンにたっぷりと果物のジャムが塗られ、カリッカリのベーコンが乗った目玉焼きと新鮮な野菜のサラダ、そして作りたてのスムージー。
恐らく今この世界で一番贅沢な朝食だろう。
ハウリルがこれに慣れるなとアンリに忠告を入れていた。
「下の食事は相変わらずです。これを当たり前にしないように気をつけてくださいね」
「そっか、そうだよな。こんな美味いもの、もうこれで最後なんだよな」
大分名残惜しそうなアンリ。
そしていっぱい食べておこうとがっつき始めた。
ハウリルはそれに苦笑を返し、コルトはどう反応していいのか分からない。
ある程度発展すれば食べられる”普通”の食事だと思ったが、色々壊れてしまった地上では、今のこれは存在すらしない食事風景なのだ。
少ししょんぼりするとハウリルが慰めてきた。
「いつかこれと同じものを食べられるように努力しますよ」
「……はい」
いつかそうなるといい、祈りを込めてコルトは朝食を食べ始めた。
そして全員が朝食を終えればいよいよ出発である。
荷物を持って格納庫に集まると、機械人形達が見送りに集まっていた。
ほとんど同じ見た目の無機物とはいえ、綺麗に並んでいる様は壮観だ。
コルト達が近づくとそのうちの一機が前に出てきた。
【操縦担当は搭乗済みです】
「分かった」
これに乗り込んだらもう後には引き返せない。
コルトは生唾を飲み込み、機体を見上げた。
全長20メートル程の流線型の本体の後部から両翼が広がり尾翼は申し訳程度、窓は一切ない機体。
搭乗口に近づくと全く継ぎ目のない機体のボディにうっすらと切れ込みが入り、ゆっくりと上に持ち上がった。
中は先頭に機長席と副機長席、その後ろに4人分の席が配置され、天井と壁の上半分は外が見えるように天蓋モニターだ。
そして機体の後部は救護、仮眠、給湯にトイレなどを空間を捻じ曲げて設置するという、機体を使い捨てることを前提に色んな物を無視した構造となっていた。
アンリはそれらを見て目を輝かせ、ハウリルは苦笑いをし、ルーカスは慣れてきたのかさっさと後部席について足を組んでいた。
コルトはというと、機械人形に近寄ってマニュアルを記録媒体に叩き込んだか聞いた。
【通常航行と緊急時の切り離し、燃焼機関、コア動力への切り替え、緊急着陸まで全てインストール済みです】
「なら良い。アンリ、出発するから席について」
「分かった!あっ、私前が良い!」
「どこも一緒だろ」
「一緒じゃない!」
「ふふふ、目新しいものが多いですからね。わたしは後ろに座りましょう、コルトさんも前のほうが指示出ししやすいでしょうし」
そうして全員が着席し、機械人形が各々のシートベルトを確認していく。
通常航行では加速度の負荷はほとんど無いはずだが、万が一を考えて安全対策をするに限る。
全員の安全確認が終わると機械人形が管制室に通信を入れ、ゆっくりと全周の隔壁が上がっていった。
閉じられていくとともに、光が遮られどんどん暗くなっていく。
これから発進するというのに何故か周囲が囲まれていく事に困惑する3人にコルトは構わず、目の前に操作パネルを生成すると必要事項を目視で入力していく。
【現在地座標を確認、目的地座標を確認。座標転移システム起動】
「落ちはしないと思うけど、転移先は海上だから万が一を考えて」
「コッ、コルト?飛んでいくんじゃ」
飛んで移動だと思っていたのに、明らかに違う工程に入っているのでアンリが慌てだしたが、コルトはパネルから視線を逸らさずに答えた。
「魔族領は飛んでいくよ。でも敵地手前まで転移したほうが早いでしょ」
「それもそうだけど、先に言えよ!ちょっとビックリしただろ」
「そんなに悪かった!?」
「目の前が開けると思っていたところを囲まれ始めたら、人間多少は恐怖を覚えますよ」
「うっ、すみません」
コルトだけの視点で早いし便利くらいの軽い気持ちで考えていた。
だが、される側にしてみたら、たしかにいきなり囲まれ始めたら怖いのは確かだ。
コルトは出発直前だというのに余計なことで心配かけたことを謝った。
そうこうグダグダしているうちに、裏で着々と準備を進めていた機械人形がシステムオールグリーンとコールする。
コルトは両頬を叩いて気合を入れ直し、カウントを開始した。
「カウント3、2、1、転移開始!」
【転移開始】
次の瞬間。
機体内部に一気に光が差し込んだ。




