第225話
コルトが起きたのは翌日の昼過ぎ。
陽が天辺に登った頃だ。
管理者としての感覚が昼間を示しているのに、眼球からは真っ暗闇の情報しか入ってこない。
一瞬視覚の異常かと思ったが、感覚器官は正常である事をすぐに認識する。
己の肉体が柔らかい布の上に横たえられているので、自分が己の寝台で寝かされている事に気が付くまで数秒もかからなかった。
──アンリと一緒にケーキを目の前にしてからの記憶が曖昧だ…。
その辺りで意識を失ってしまったのだろう。
そしてその後誰かがここまでコルトを運んだ。
機械人形だろうか。
コルトはモゾモゾと起き上がり、フラフラと隣の部屋のシャワールームに向かった。
なるべく人体の機能はそのままにしているので、今も変わらず新陳代謝が起きているのだ。
脱衣所で服を全て脱ぎ、浴室に入るとぬるま湯を頭から浴びて残っている眠気を覚ました。
──そういえば、アンリとルーカスと話そうと思ってたのに寝ちゃったのか。謝らないと…。
自分で呼んでおいて寝入ってしまうなど最悪だ。
コルトは反省しながら浴室から出て全身の水分を拭い、元々着ていた服を破棄すると、全く同じものを生成してそちらを着る。
それからのそのそと執務室に向かいながら、とりあえず今日の仕事をどうするかと考えた。
だが、執務室の入り口まで来ると、入り口に立っていた機械人形に入室を止められてしまう。
【今日は働かせるなと命令を受けています】
「はぁ?僕そんな命令出してないけど」
【お二人から受けています】
「………」
ここで2人と言ったら、アンリとルーカスしかいない。
【お話があったのでは?食堂でお待ちですよ】
「…分かった」
そう言われてはコルトもここで粘る理由が無い。
ルーカスはともかく、アンリを待たせるわけにはいかないので大人しく食堂に向かった。
食堂に入るといくつかある食卓テーブルにところ狭しと様々な料理が並べられており、アンリとルーカスがそれらを少しずつ食べながら側の機械人形に感想を述べている。
だがアンリは限界が近いらしく、その手は止まりがちだ。
「おはよう」
声を掛けると2人揃ってコルトに顔を向け、挨拶を返してくれる。
ルーカスはそのまま味見を続行したが、アンリはこれ幸いとコルトの元にやってきた。
「もう起きて大丈夫なのか?」
「うん。さすがに半日以上寝たしね」
それだけ寝ればいくらコルトでもある程度は回復する。
笑顔でもう大丈夫というと、アンリは少しだけ眉根を寄せて何故か謝ってきた。
「…ごめん。変な意地張ってないで、もっと気を使ってれば良かった。こっちに上がってきてからお前がずっと働いてたのは分かってたのに」
だがコルトには何のことだか分からなかった。
アンリが何かをした記憶が無いので、キョトンとした顔を返す。
すると、アンリが顔を反らしてちょっと避けてたと気まずそうにしている。
コルトは自分のほうが避けていたと思っていたので、まさかアンリから言われるとは思わず驚いてしまう。
「なんでアンリが謝るの。避けてたのは僕だし、体調管理を見誤ったのも僕だし」
自分がやった事で勝手にアンリに気まずさを感じていたのはコルトだし、己の体力を見誤ったのもコルトだ。
アンリは何も悪くない。
だからこれ以上自分を責めないで欲しい。
そう思って口を開こうとすると、空気をぶち壊すものが乱入してきた。
両手に皿を持ったルーカスだ。
「どっちが悪いかなんてどうでもいいだろ。コルト、とりあえず何か食え」
突き出された皿にはバランスよく見た目もよく料理が乗せられている。
ルーカスがこれをやったとは思えないので、機械人形が盛り付けたのだろう。
コルトは渋々皿を受け取ると、機械人形が隙間を空けた手近な食卓についた。
すると見計らったかのように人数分の水を目の前に置かれる。
コルトは無言で料理を口にした。
もぐもぐとゆっくり咀嚼して飲み込み、半分ほど食べ終わった頃、反対側に座ったルーカスが口を開いた。
「昨日何で俺を呼び出した」
2皿目に手を付けながら、視線だけをルーカスに寄越す。
「雑談って聞いてるけど、コルトがルーカスをそんな理由で呼ぶわけ無いって話してたんだよ。何か重要な理由があるんじゃないか?」
アンリも懐疑の目コルトに向けて、コルトが食べ終わった皿を機械人形に渡している。
コルトはスプーンとフォークを手元に置いた。
「うん…、その……。ルーカスにアンリの後ろ盾になって欲しいんだ」
「はぁ?」
アンリは訳が分からないと声を上げたが、ルーカスは眉間に皺を寄せ続きを促してきた。
「アンリは間違いなく共族の権力争いに利用されると思う。ハウリルさんも前に言ってたでしょ、現状完全な中立として僕の名代を務まるのはアンリだけだって」
「いやいやいや、利用されんのが分かってんのに誰かの言いなりにはならないって。そこまで弱くはないだろ?」
心配し過ぎだとアンリは明るく笑うが、ルーカスが楽観視し過ぎだと窘めた。
「強い弱いは関係ねぇよ。強けりゃ利用されねぇってんなら、俺はどうなる」
食卓に立て肘をついたルーカスの顔は驚くほど不満げだ。
同胞どころか産みの親の両親にすら、種族の為とはいえ利用されていた事を、表に出していないだけで良くは思っていないのだろう。
ルーカスは以前、自分の実力は弱くは無いが議会に入れる程の強さも無いと思い込んでいた。
実際は議会に入っているラヴァーニャが己よりも強いと断言したので、本当は上から10番以内の実力はあるようだが、そのルーカスでさえ議会ぐるみの策略で都合よく誘導されていた。
いくら生物として強かろうと、嵌めようと思えばいくらでも嵌められる。
その証拠がルーカス自身だ。
「アンリ。確かにお前は共族の中じゃ腕が立つ方だが、リンデルトや、ハウリルの兄貴に頭で勝てると思ってんのか?フラウネールはともかく、リンデルトは甘くねぇぞ。他人を利用すんのに躊躇がねぇからな」
「それは分かってるけど…、でもそれなら今だってコルトがいるじゃん」
コルトがダメといえば大丈夫じゃないかとアンリは言うが、コルトは首を横に振った。
とてもそうは思えない。
そもそも根本的な問題としてコルトは本来完全に全ての生物に対して平等に接しなければいけない立場だ。
そこに例外は無い。
「人の肉体を持ったからこうやって限定的に特定の人と仲良くって状態になれたけど、本来それはできないんだよ。監視下に置かれたら僕はアンリを助けてあげられない」
「でもコルトが話聞かないならそのうち諦めるんじゃ」
なおも抵抗するアンリにコルトは首を振った。
「あのね、あんまり言いたくないんだけど、最悪アンリが殺される」
アンリが息を呑んだ。
さすがにそれは想定外だったようだ。
「共族から見たらアンリは僕の特別に見えるんだ。僕がそれを否定すればするほど、きっと周りは余計に勘違いする。アンリを巡って皆が争い始めるし、そうしたら必ず誰かがそれならアンリはいないほうがいいって思っちゃう。僕は絶対にそんな事になって欲しくない。どうすればいいのかなんて、出会わなければ良かった以外にないんだよ」
「でもならなんでルーカスなんだよ」
「魔族だからだよ。他の共族なら”うっかり”があってもある意味内政問題で済ませられるけど、魔族ならそうはいかない。語弊があるけど、ルーカスを後ろ盾にすることでアンリの所属を共族から魔族に移すんだ。それで外交問題にできる。有力魔族の”お気に入り”に手を出せば、魔族全体に喧嘩を売るのに近いからね」
それで2人の関係を対外的にどう思われるかという問題もあるが、コルトはそれを断腸の思いで飲み込んだ。
背に腹は代えられない。
語彙を少し強調したからか、アンリもその辺りの関係は察したらしい。
ルーカスにそれで良いのかと確認をしている。
「お前が気にしてねぇもん、俺も気にしねぇよ。それに、元々こいつには共族のはぐれ者を引き取れとか勝手な事言われてたしな」
コルトはそんな事も言ったなという顔をして天井を見た。
確かに以前そんな事を”お願い”したような記憶があるが、確かあれは取引だったはずだ。
あれからかなり状況が変わっており、共神も魔神も肉を持った状態での監視が主流になりそうな以上、あの時と条件が変わっている。
無条件で引き取ってくれるならコルトには願ったり叶ったりなので、そのまま気付かないフリをした。
だがルーカスはきっちりとそんなコルトに気付いており、ふざけんなよとため息をついたが、条件について何かを言うつもりはないようだ。
「ついでにココも一緒にくればいい。どうせラグゼルから連れ出すつもりなんだろ?」
「まぁな。あそこに私達の居場所は無いよ」
なら問題無ぇなとルーカスは他の食卓に乗っていた皿を大量に目の前に移動させた。
とても1人で食べ切れる量ではない。
代わりにコルトは食べ終わったので、空いた皿を機械人形に下げさせた。
「じゃあルーカスが僕の代わりにアンリの後ろ盾になるのは、二人共了承って事で良いよね?」
「いいぞ」
「分かった」
二人共頷いたのを確認すると、コルトはやっと肩の荷が下りた気分になった。
 




