第223話
「では、わたしは早速出立準備に取り掛かりましょうか。ラヴァーニャを解放していただけますか?」
そういってハウリルが立ち上がったので、コルトはラヴァーニャを解放した。
襲ってくるかと少し身構えたが、舌打ちをして顔を背けたのでその気はないようだ。
ハウリルはそんなラヴァーニャに苦笑しながら、出口に向かって歩いていく。
「会議の開催はいつでしょうか?」
「2週間後」
「……時間がないですね」
「共族の都合しか考えてないので」
そういうとハウリルは苦笑をしながら会議室から出ていき、その後に忌々しそうな顔をしているラヴァーニャも続いた。
それを見送っていると、握った手が微かに震えている事に気がつく。
見るとアンリがハウリルを気にしているが、さりとてコルトからも離れがたいようで、チラチラと扉のほうを気にしながら、握られている己の手を見ていた。
「アンリ?ハウリルさんが気になるなら行ってきなよ」
「でも…」
視線を逸らすアンリの顔には、如実にコルトをこのままほってけないと書いてある。
すると口を挟んできたのはもう一人この部屋に残っていた奴だ。
「俺が見とくから行って来い」
その言葉にアンリは一瞬足を出しかけたが、すぐに躊躇したようで動きを止めてしまう。
だがコルトも手を離して行ってきなよと優しく言うと、それで背中を押されたのか頷いて小さく悪いと言うと足早に出ていった。
「何も悪いことはしてないのに」
「この場を開いたのがアンリだからだろ」
「僕を思っての事だろ、悪いこととは思わないよ。ハウリルさんに魔族領に行けって言ったのは僕だし」
「それで割り切れるような話じゃねぇって事だろ」
「………」
コルトはギロッとルーカスを人睨みすると、ドカッとその場のイスに腰を降ろし、顎を目の前の机に乗せた。
そのまま全身の力を抜くと、どっと疲労感が襲ってきた。
人の体は便利だけど、疲労感を感じるのがいただけない。
──でも、これ消すと僕は……。
コルトはため息をついた。
するとアンリが座っていた隣の席にルーカスも同じ様にドカッと座ってコルトを見た。
その顔は不満そうだ。
「文句があるなら言ったら」
「文句はねぇよ、お前が何考えてんのか分かんねぇだけだ」
「…知る必要はない」
素気なく返すとまた鼻を鳴らされた。
ルーカスはコルトが何を考えているのか分からないと言ったが、コルトもルーカスが何を考えているのか分からない。
唯一分かるのは、お互いに知るつもりが無いという事だけ。
己の目的のために相手が邪魔にならない限りは、必要だとは思わないのだ。
誰かが聞いたら呆れた顔をしてもっと喋ったほうがいいと助言をしたかもしれないが、それをするには時が経ちすぎてしまったし、コルトは人に成りきれなかった。
どうしようもないのだ。
そういう性能の管理者だから。
そう思ったが、自立神経が僅かに乱れた。
人の肉体はこれを良しとはしていないらしい。
仕方無く無理やりにでも正常値に戻そうと思って身を起こしてみる、だがどうしてだか作業に手がつかない。
そしてそのまま肉体は背もたれに全身を預けて天井を見た。
模様どころか繋ぎ目すらない1枚板の天井。
無機質な天井は”あの頃”を思い起こさせ、コルトは少し落ち着いてくる。
──本当に…。
コルトしかいなかったあの無機質な空間。
──本当に、なんで僕だったんだ。
そこに突然現れたアレ。
全ての始まりとも言える出会い。
あの時を追憶し、断っていればと一瞬思いかけた時、この部屋の無機質な存在が音声を発してきた。
【気分転換をしては如何でしょうか】
少しだけ顔を動かしてそちらを見ると、ハウリルが座っていた位置にある機器を操作している機械人形が目に入ってくる。
「気分転換?」
【扉の外にスープを持った弊ネットワークの機体が待機しております】
「茶でもしばいて気分変えろって?」
ルーカスが返答すると同時に会議室の扉が再び開き、湯気のたったカップ2つ持った機械人形が部屋に入ってくる。
【茶ではありません。軽食に最適な栄養価を考えたスープです】
「胃に入りゃ一緒だろ」
【食事文化は文明の第一歩です。放棄は退化を促します】
「分かった分かった、御託はいいから寄越せ」
機械人形からカップを2つ受け取ったらルーカスが、1つをコルトに突き出して来たので、居住まいを正してそれを受け取った。
カップを持った手のひらから伝わるのは、熱すぎず冷めてもいない飲みやすい温度。
冷めないうちに早速とちびちびとそれを口に含み始めると、機器操作をしている機械人形が再度音声を発してきた。
【では飲みながらこちらの確認をお願いします】
そう言って問答無用でコルト達が座る席の前にホログラムが現れた。
「なにこれ」
【共族会議の議場のデザイン案です。青空の下、各地の重鎮を立たせっぱなし、または床に座らせるのはさすがにどうなのかと。共神はどうお考えですか?】
「どうって、さすがに僕も椅子と机くらいは用意するつもりだったけど……」
さすがのコルトもそのくらいはする。
ただ屋根はというと、雨を降らすつもりは無いので考えていなかった。
雲1つ無い日差しが差し込む天空の板の上。
それしか考えていない。
【神の用意したものがチンケなものではいけません。まして魔王が来るかもしれないともなれば、それなりのものを用意しなければ馬鹿にされます】
「別に魔族なんてその辺にでも立たせとけばいい」
【これはロンドストの敏腕営業が言っていた言葉ですが、気に入らない相手にこそ礼を尽くせ、だそうです】
「むぅ………」
機械の分際で随分と口が回るようだ。
コルトは仕方無く各種デザイン案に目を通し始めた。
「ラヴァーニャを帰さなければこちらで開戦時期を制御できると言ったわたし自身が、まさか魔族領に赴くことになるとは。因果なものですね」
一時的に与えられている個室で荷物をまとめているハウリルがそう零すと、開け放たれた扉に凭れ掛かっているラヴァーニャが馬鹿にしたように笑った。
その横で所在なさげに立っているアンリは、下から睨めつけるようにそんなラヴァーニャを見るが、返されたのは蔑むような目だ。
「だから言ったのだ。神は神だ。人と同じ物差しで測ると墓穴を掘る」
「…返す言葉もありませんね」
「ごめん、ハウリル。私が余計な事したから」
「いいんですよ、わたしも調子に乗りすぎました。仮にも神を出し抜こうなどと、傲慢にもほどがあります」
そう自嘲を込めてハウリルは朗らかに笑っているが、アンリの心は晴れない。
「ところで、ラヴァーニャはいいのですか?」
「ふん。貴様らの神とはいえ神は神だ。不本意だが魔族の利になるなら従ってやる」
「そうですか。ですが向こうにはわたしを連れてどうやって渡るつもりです、渡るだけでも相当な魔力を消費すると聞いていますが」
「バスカロンの駐留地にネフィリスがまだいるはず。騎乗魔獣の一匹くらいは出させる」
余裕そうにそんな事を言っているが、ラヴァーニャとネフィリスの性格を考えるとハウリルは少しだけ不安になり、仲介役に先にバスカロンに会うことをひっそりと心に刻んだ。
そして必要な荷物をまとめ終わったハウリルは立ち上がる。
「ではアンリさん。留守は頼みましたよ」
「うっ…うん。分かってる…けど……」
不安で仕方ないという様子でまだアンリはラヴァーニャを見ている。
「私が言うのも何だけど……、他の魔族に会わないように、ハウリルを守って欲しい」
アンリが嘆願すると、ラヴァーニャは嘲笑しながらアンリから視線を反らした。
「議会に入っていないあの純血は知らない事だが、こちらに渡るための隠し港がある。そこからなら魔王城まで誰にも見つからずに入れる」
「おやおや、そんな事言って良いんですか?」
一応確認するように聞いてみるが、ラヴァーニャは小馬鹿にしたような顔をしただけだった。
ハウリルは仕方ないなという顔をしながら視線をアンリに移した。
「とりあえず、そういう事らしいですよ、アンリさん」
「………うん」
それでも不安そうなアンリにハウリルは困ったような笑みを返した。
これまでの事があるのでハウリルに対して割り切りがあると思っていたが、もしかしたら思っているよりも情を持っていてくれるのかもしれない。
それが少し嬉しかったが、ハウリルはそれにどう答えるのが正しいのか、正解を知らない。
なので何事も無いようにその横を通り過ぎる。
するとアンリが呟くように言葉を紡いだ。
「生きて返って来て欲しい」
思わずハウリルは歩みを止めてしまった。
兄と兄の屋敷の人間以外では初めて言われたその言葉。
ハウリルは振り返った。
「えぇ、必ず」
下を向いてハウリルを見ていないアンリにそう返すと、再び前を向いて歩き出し、ラヴァーニャもそれに続いた。
そして2人が角を曲がって見えなくなった頃。
1人残された少女は拳を固く握り、静かに涙を流していた。




