第199話
魔神が唐突に帰ってから小一時間が経った。
その頃にはコルトの長々とした文句も、その横で繰り広げられた魔人2人の殴り合いの喧嘩もすっかり終わりを迎えていた。
今は軍人夫婦がロンドストの街に帰還する機械人形と共に偵察に出ているので、残ったメンツでラヴァーニャに現状の確認と、ハウリルに先程の意図の確認を行っている。
その端っこでは、リンシアとランシャが2人で布を手に魔神にバラされて血に濡れたラヴァーニャの服を桶で洗っていた。
「ほお、既に共神がシャルアリンゼ様の殺害を知っていたとはな」
「そういうあなたは魔神を敬っているようですが、殺害には何とも思わないのですか?」
「僕達を作りし母として敬愛している。だからこそ、これ以上の子殺しを重ねて欲しくない。あの方は常にそれを気にして心を痛め壊されたのだ。この状況を見ても全く反省してなさそうなのと一緒にするな」
「お前、後で覚えてろよ!」
コルトが文句を言うと、ラヴァーニャはふんっと鼻を鳴らした。
「なるほど。魔族の間ではそこの意思統一はされているようですね」
「当たり前だ。トップの中で知らないのはそこの純血だけだ」
「いちいち癪に障る言い方をされますね。それはともかく、わたしの意図は魔神と共神の殺害は絶対。なのでこの2人を直接ぶつけるドサクサに紛れて双方に攻撃、こちらの被害を最小限に抑えようと思ったのです」
「つまり従ってるフリをしつつ、途中で裏切るって訳だな」
「そうなりますね」
「魔神が戦場に出てくるか?魔人の評価だけなら自分が出る必要は無いだろ」
「そこはコルトさんに頑張っていただかないといけませんね」
コルトは無言で頷いた。
寧ろ何もしなくても向こうから来るはずだ。
アレは5世代目くらいまで毎回コルトに前世代の愚痴と共に、今度作ったモノがどんなもので、どう改善したのかと勝手に報告に来ていた。
今回もそれまで通りならコルトに接触しに来るだろう。
「ならさっさとそのセントラルとやらを潰しに行くぞ。僕は早く帰りたいんだ」
「それは困る。魔族との戦争が決定した以上、共族側の戦力を減らしたくない。仮にもセントラルは以前の中心地だったんだ。まだそれが都市機能を維持しているなら、前文明の技術が残っている可能性が高いからな」
「どうせ僕達に殺されるだけの猿集団が、有象無象を増やしたところで何になる」
「ははっ、言ってろ一見さんよ」
「ただの有象無象なら増えたっていいだろ、自信無いのか?」
「ルイと違って随分と臆病だな」
挑発に挑発を返し、遠征部隊とラヴァーニャの間に火花が散った。
ハウリルはそれを見て、軽く息を吐いている。
「これは先が思いやられますね。ルーカス、しっかり見張ってて下さいよ」
「いらねぇよ。どっちも理性ぶっ飛んでねぇだろ」
「さっきも言ったけど、あの魔族は間違いなく魔神の監視下だから、狙ってお前みたいに暴走させる事ができるんだぞ」
「ならとっ捕まえて先にこっちで中立化させちまえば良いだろ」
「断る!そうしたら僕が奴に手出しできなくなるだろ」
あっちでもこっちでも喧嘩しているような有様だった。
リンシアとランシャは半ば怯えているのか、それとも現実逃避なのかひたすら手元に注力している。
そしてアンリはというと、明らかに不満そうな顔をしているが、そんなコルト達を黙ってみていた。
ハウリルがそんなアンリの様子に気付くと、不満があるなら今言えといった。
だが、アンリは首を横に振る。
「不満…、まぁ不満か。不満はあるけど、私じゃどうにもならないからいい」
アンリらしくない、何かを諦めた投げやりな言葉だ。
らしくないので余計に気になってしまう。
「そんな事は無いよ。アンリだけが不満を持ってるってことは、アンリの視点からしか分からない事があるんだよ。」
「……」
それでもアンリは黙っている。
さらにいつの間にかその場の全員がアンリに注目していた。
ラヴァーニャまでこちらを注視していた。
そのせいかアンリは居心地が悪そうだ。
「どんなに小さな事でも先ずは口に出してみるといい。俺達魔力持ちは、無魔と違って口に出さないと相手には何も伝えられないからな」
「それともあれか?男ばっかで言いにくいとか?それなら席を外すが」
「違う、それはない。そうじゃないんだけど……」
アンリは自分が一番学が無いことを十分に理解していた。
他の3人と違って頭を使う仕事では自分は役立たない。
それにアンリに不満がある時は、必ず3人のうちの誰かも不満を持っていたから、余計に考える事を放棄していた。
そのせいだろうか、アンリにだけ不満があって、他の3人が納得しているという状況に、どうしたらいいのか分からなかった。
他の3人が納得しているなら、アンリの不満の内容なんて検討した上で無視されたのだとしか思えない。
そしてアンリも当然その不満を解決する方法が思い浮かばない。
だから口に出しても意味がないし、自分が我慢すれば良い。
そう思ってこのまま黙っていようと思っていると、ルーカスが実感が湧いてきたのかと聞いてきた。
「コルトが共神だって事に、実感湧いてきたか?」
「っ、それも、ある…」
言葉に詰まりながら、昨日のランシャとの会話をアンリは思い起こした。
わからないと適当に流してしまったランシャの問いを、まさか翌日に早々に突きつけられるとは思わなかった。
さらにハウリルの宣戦布告。
そのせいで今まで目を逸らしてきた事を、嫌でも考えなくてはいけなくなり、それも余計にアンリを頑なにさせた。
そんなアンリに、同じことを思っていたからか、それとも当事者となる約束をしたからか、ルーカスはアンリが頑なな理由に思い当たったらしい。
「お前もコルトに死んで欲しくないんだな」
アンリがキッと顔を上げて叫んだ。
「そんなの当たり前じゃん!何も悪いことしてないのに、なんで死ななきゃいけないんだよ!」
コルト達から計画を聞かされたときに、本気とは受け取っていなかった。
ある種のアンリの自己防衛本能でもあったのだろう。
コルトが実際に共神かどうかも、ルーカスもハウリルも半信半疑のようだったから、実際にそうだった場合の殺害計画から目をそらすことが出来た。
でも、魔神と相対して、今まで感じたことの無い異様な圧と、本能で感じる恐怖に体が全く動かなかったのに、それらを何も感じていないどころか、似たような雰囲気のコルトとその後の会話を聞いて、初めて実感としてコルトが自分たちとは違う存在なのだと理解した。
そこで止まっていたら、アンリも諦めきれたかもしれない。
でも、そのあと散々癇癪を起こした子供のようにハウリルに文句を捲し立てる様子を見て、アンリの知っているコルトが戻ってきてしまった。
だから逃げられなくなってしまったのだ。
これから自分は親しい人を死に送るという現実から。
「私じゃコルトがどんな悪いことをしたのか理解できないけど、それでもいやだよ、死んでほしくない」
アンリにはずっと何が悪いのか分からなかった。
だってどんなに話を聞いても、結局街を壊したのは魔族と共族で、コルトがやったという話を誰もしなかった。
神の統治の反動と言われても、今のアンリは自由で自分の意志で生きている。
コルトと言い争いだってした。
だからコルトが悪いと言われても、どうしてもよく分からなかった。
そうやって必死に涙を堪えて、誰かに訴えるでもなくただただ自分がどう思っているのかを語るアンリ。
周囲は顔を見合わせた。
「アンリ、1つ勘違いしてるが、本当に死んで欲しいと思ってる奴ってのはいねぇんだよ」
「じゃあなんで」
「なんでって言われたら、まぁ魔神だけを排除ってのができねぇからだろ。なんだよな?」
何故か最後は疑問形でルーカスがコルトに聞いてきた。
コルト達管理者の根幹に関わってくる話のため、あまり詳細を語りたくはないが、死んでほしくないと心から語るアンリに、コルトは続きを口にした。
「アンリの言葉は凄く嬉しかった。でも、魔神を斃すなら僕の退場も必然なんだよ。何故なら、”現時点で魔神は何も悪いことをしていない”からね」
その言葉に、魔族の2人だけでなく遠征部隊も瞠目した。
それはそうだろう。
コルトは散々不可侵の違反だのなんだのと怒ってきた。
それなのに、同じ口で何も悪いことをしていないという。
どう考えても矛盾だ。
「魔神が悪い、共神が悪い。そんなものはあくまでこの世界に住んでる生命体の視点だよ。僕達管理者からすれば、いくら生命が死滅しようが世界はここにまだあるんだから、無くなったりしなければ何も悪くない。実際に魔神は魔族を何世代も消去してるけど、何も罰を受けてないだろ」
「でも魔神は壊れたって」
「あれは自己嫌悪の度が過ぎた自傷みたいなもので、外部から壊されたわけじゃないよ。とにかく、魔神は何も悪いことはしてない。それなのに僕が排除すれば、勝手な理由で対等な立場の者を害したって事で、僕に罰が課せられる可能性がある」
「なんで!?」
人のための行為で、何故コルトが罪を背負うのか。
それがまるで分からない。
するとハウリルが当然の疑問を挟んできた。
「誰がそれを課すのです」
コルトは一瞥すると、知る必要は無いと一蹴した。
次元が違うので認識すらできないものを知ったところで何にもならない。
「ともかくその罰が何なのか、僕も分からない。僕だけが消されるなら何も問題は無いけど、僕の領域全てが消される可能性もある」
その場の共族は息を呑んだ。
「そこまで大袈裟な事になるのか」
「魔神を排除するって言っても、今の肉体を滅ぼすだけの話だろ。それでもそこまでやられるのか?」
「無実の者を害したっていうのが問題なんだよ」
「なるほど。わたしたちの被害は考慮外なんですね」
コルトは頷きを返した。
「人にとっては害でも世界にとってはそうじゃないから、悪いのは僕になるんだよ。だから魔神を排除するなら、僕も排除されなきゃいけないんだ」
「人の感覚だと無実の者を殺した後に犯人が自殺したからと言ってその犯人の罪が消えるわけではないが、その辺りはどうなんだ?」
「同じ状態にはなってるから、そこからは僕と魔神の話し合いになるね。それでも、僕を排除するのは魔族が望ましいと思ってる」
「それでルーカスに殺害を頼んだのですね」
「魔族なら誰でも良いけど、お膳立ての報酬に手柄くらいはやってもいいと思った」
「そうですか」
「だから、ごめん、アンリ。アンリの気持ちは嬉しいけど、だからこそ僕は結論を変えられない」
死んで欲しくないのはコルトも一緒だ。
人の肉を得て、色々と経験して情が湧いて、一緒にいたいと思ったから、だからこそコルトはそれ以外の手段が取れなかった。




