第197話
翌日はありきたりなよく晴れた空だった。
早朝から鳥がさえずり、気持ちのいい風も流れている。
コルトを案内した機械人形を見送り朝食を食べ終えたコルト達は、今日一日はのんびり過ごそうという事になった。
昨日きたばかりで早速行動するのも慌ただしい上に、よく知らない間柄でもある。
さらに人数も増えたので、隠れ家の拡張の話も出てきた。
そうやって午前中は隠れ家の手入れを名目に親睦を深め、お昼はアンリが獲ってきたイノシシを丸焼きにみんなで食卓を囲んでいた頃。
それはやってきた。
それまで談笑していたルーカスが突然南をバッと見ると、そのままコルト達から距離を取って飛び上がったのだ。
そしてそれを合図に遠征部隊が素早い身のこなしでリンシア、ランシャ、そしてコルトを抱えると、隠れ家に猛烈な勢いで下がった。
「なっ、なに!?」
突然の隠れ家に押し込まれて訳が分からないでいる3人を余所に、遠征部隊は素早く戦闘態勢を整え、ノルバスには例の鎧を着せている。
とりあえず、戦いが起こるような状況ということはすぐに分かった。
何もできることが無いので、リンシアの手を握りつつ戦支度を進める遠征部隊を見ていると、険しい顔をしたハウリルが洞窟の中に入ってくる。
そしてハウリルも自身の杖とアンリの斧を手に取った。
「アンリさんが望遠鏡でルーカスを追っていましたが、見えなくなったようです」
「ルイのあの反応じゃ十中八九魔族だろ、そりゃなるべく距離取りたいわな」
「魔族!?えっ、何しに来るんだよ!?」
「分からないが、せめて人数くらい言ってから飛んでって欲しかった」
「1人とそれ以上じゃ雲泥の差だからな。2人以上来たらどうにもならないぞ」
1人ならまだルーカスと連携して抑える事はできる。
だがそれ以上となると話は変わってくる。
こちらを明確に加害する事が目的なら、1人がルーカスを抑えてもう1人がこちらの射程外から圧倒的な火力で潰せばいいだけの話だからだ。
魔族はそれが出来る。
コルトはリンシアの手を握りながら、状況を整理した。
──ルーカスを中立化したから処分のために実働部隊を送ってきたのか?魔神では手が下せないから。
そう考えてみるが、なんとなくしっくり来なかった。
中立化したとはいえルーカスが魔族である事に変わりはない。
コルトの知ってる魔神なら、種族の個体1つだけを削除するというそんな細かい事をするとは経験的にとても思えなかった。
【非戦闘員の移動を提案する】
考え事をしていると隠れ家に駐在している機械人形が戦えない3人を移動させるように提案してきた。
魔族の戦闘力を考えるなら、上下に逃げるより横に逃げて距離を取る方が現実的だ。
如何せん全てを押しつぶして巨大なクレーターを作れる種族である。
下手すれば生き埋めにされてしまう。
だからコルトも移動することに異論は無かったが、ある懸念があった。
「逃がすならリンシアとランシャの2人にしてください。僕は行けない」
3人の逃走方向を話し合うために地図を見ていた遠征部隊とハウリル、機械人形にそう声を掛けた。
「何を馬鹿なことを。あなたがいても戦えないことはあなた自身がよく理解しているはずでしょう?」
「分かっています。でもそれとは関係ないです。相手が魔族なら、魔力持ちの僕も同行したら居場所がバレてしまう」
散々自分たちをマーカーにしてルーカスとは別行動をしていたのだ。
竜眼はともかく、魔力感知が魔族という種族の能力ならコルトが同行すれば居場所が知れてしまう。
ハウリルと遠征部隊はすぐにその危険性に気付いたようだ。
すると機械人形がさらに提案をしてきた。
【なら君の逃走は弊機が単体で受け持とう。そちらの2人はレヴンとカイナスが連れていくと良い】
「2人なら1人で十分だ、それなら俺が残ろう。カイナスより持久力が無いが狙撃は俺のほうが腕が立つ」
「分かった。気を付けろよ」
そういうとカイナスはリンシアを背負うと、まだ不安そうにしているランシャの手を引いて隠れ家から出ていこうとした。
その時だ。
大きな地響きが鳴り、慌てた様子のアンリが洞窟に駆け込んできた。
「ルーカスが墜落した!」
「はぁ!?」
「マズイ!全員外に出ろ!」
すぐそこまで魔族が来ている、モタモタしていられなかった。
コルト達が慌てて外に出ると、遠くのほうで土煙が上がっている。
恐らくあそこにルーカスが墜落したのだろうが、最悪なのは墜落した場所だ。
あの方向はリンシア達が逃げる予定の方向である。
戦闘状態のルーカスが無魔に気付かず巻き込んでしまう可能性があるが、南は戦場となる可能性が高く、予定ルートの逆はセントラルの中継拠点に近づいてしまう。
どちらに逃げるかその場の全員の思考が一瞬止まった僅かな瞬間、アンリが空を指さして声を上げた。
つられて見上げると、宙に浮かぶ人型があった。
それは高速で一直線にこちらに近づいており、同時にコルト達でも視認できるほどの巨大な雷の塊を生成している。
遠征部隊がすかさず牽制に射撃を入れているが、距離もあり一発かすったところですぐさま不規則な軌道になり狙いが定まらなくなってしまった。
そして相手の魔族の顔がなんとなく視認できる距離になったときだ。
横からその魔族目掛けて挟み込むように巨大な火球が2つ飛んでいき、相手の魔族の目の前でぶつかると巨大な爆炎と共に爆発した。
そして火球の軌跡をなぞるように腹部が血に塗れたルーカスが飛んできて、コルト達の盾になるように上空で静止した。
そして再度火球を生成し始める。
「今なら逃げられる、行くぞ」
そう言ってカイナスが素早くランシャの手を引く。
だが爆炎の煙が自然と晴れる前に煙が吹き飛ばされると、同時に小さな雷球が雨のように広範囲に降り注いだ。
こうなっては地上を移動できない。
一同は慌てて隠れ家に逃げ込んだ。
「くっそぉ、どうすんだよ!」
洞窟の入口から雨のように降り注ぐ雷球をみながら、アンリが吠えた。
「とりあえず、単騎なのを喜んどこうか」
「うぇーい。…何か策はあるか?」
「鎧を盾に狙撃する」
「さっきまともに当たらなかったぞ」
「牽制にはなるだろ」
「その前にこの状況じゃ鎧は盾にならない」
「ルイが一撃大火力ばっかだから勘違いしてたが、こんな細かい雨みたいな攻撃、鎧じゃ面積が小さすぎて防げないぞ」
一発デカいのだけなら着弾前に処理など防ぎようはあるが、こうも細かいとそんなことも言っていられない。
しかも一滴が地面を穿つような威力なのだ。
通常装備のただの共族がとても対応できるようなものではなかった。
打つ手が無いと一同が頭を欠けると、機械人形が名乗りを上げた。
【弊機でも使えるものなら弊機が狙撃を請け負おう。弊機であれば生身の人間よりは頑丈で、多少の損傷でも問題なく動ける】
遠征部隊がハウリルを見た。
何故自分を見るのかという顔をしたが、ハウリルも仕方がないと頷く。
「レヴン、貸してやれ」
1つ頷いたレヴンが狙撃銃を機械人形に渡すと、受け取った機械人形は洞窟から出ようと立ち上がった。
だがその瞬間、洞窟のすぐ目の前に何かが墜落してきた。
凄まじい轟音と衝撃。
戦闘要員はそれに自力で耐え、無魔のリンシアとランシャも遠征部隊が庇っていたが、そのどちらでもないコルトは吹き飛ばされて後ろに転がった。
「コルト!」
アンリが慌てて助け起こしてくれたが、1人だけ転がってしまい何とも無様だ。
「大丈夫か!?」
「うっ、大丈夫。」
幸い転がっただけで、体の嫌な場所を打ち付けたりなどはない。
アンリに支えてもらいながらも立ち上がって再度みんなの元に行くと、洞窟の入り口から見知らぬ魔族が墜落現場の前に立っているのが見えた。
その場の全員が硬直した。
「本来の貴方ならもっと強いはずですが、後ろを気にし過ぎですね」
柔らかい男の声だが、どこかトゲがある。
頭頂部から真上に生える獣の長い耳を持ち、臀部から毛に覆われた短い尻尾が生えたその魔族は、毛で覆われた手を土煙の中に伸ばすと、ルーカスの首を掴んで引き上げた。
持ち上げられたルーカスは背中側の服の隙間から脊柱が突き出していたが、みるみるうちに自身の肉に埋もれて修復されていく。
「何しに来やがったクソうさぎ」
口から血を拭き零しながらもルーカスがそう問うと、兎の魔人はルーカスから手を離し、そして隠れ家を振り返る。
歳はルーカスと同じくらいだろうか。
顔は優男風だが、コルト達を見る目は蔑みが籠もっていた。
「共神に会いに来ました。シャルアリンゼ様が会いたいとおっしゃられましたので」
全員の体が固まるが、気にせず兎の魔族は喋り続ける。
「シャルアリンゼ様は大層お喜びです。今まで全く反応の無かった共神が、やっと現れたのです。ルイカルドの成長も喜んでおられます。本来純血は能力の表出範囲が狭くなるため、シャルアリンゼ様の好みから外れてしまうのですが、転変を乗り越え、6世代を殺し、さらにはシャルアリンゼ様の支配にも抵抗してみせた。ここまでできた魔族は、第1世代から数えてもルイカルドが始めてです」
鷹揚な声だが侮蔑が含まれたその声。
寧ろ威圧すら感じるその声に、コルト達は動けない。
「ちっ、つまりそのシャルアリンゼってのが俺に隠されてた魔神様って訳か。んで、そいつはどこにいんだよ」
「共神はどこです?」
「質問してんのはこっちだろうが。そもそも何を根拠に共神がいるって言ってんだ」
「貴方に流れた力の一端に共神の力を感じたそうです」
直近でそんなタイミングなど1つしかない。
王宮でルーカスが暴走し、コルトが魔術を刻んだときだ。
体はただの共族なのだから、共神の力など無いと思っていたがそうでは無かった。
魔神が感じたのなら誤魔化せない。
仮に逃げても手勢を差し向けてきたくらいだ。
この兎魔人を排除しても、その後も続く可能性がある。
コルトは意を決すると、自ら名乗り出た。
「僕が共神だよ。それで、アレはどこ」
喧嘩を売るような口調と態度でそう言うと、兎の魔人は眉根を僅かに動かした。
だが瞬時にそれを引っ込めると、確認するように口を開いた。
「今の魔族の世代は分かりますか?」
「8か9くらいだろ。6世代までは雌雄同体だったけど、結局ダメで次から分離してたよね。かと思ったら、今度は可変式で結局諦めてないんだね」
魔人の質問に間髪入れずにコルトが無感情に答えると、周囲でざわざわと風が吹き楽しそうな笑い声が響き渡った。
知らない声だが、よく知っている笑い方。
兎の魔人はゆっくりとその場に片膝をつく。
その間にも風はさらに強くなっていき、落ちた葉がコルトと魔人の間で渦を巻くと、その中心に半透明の人が現れる。
それはよくできた人形のようだが、あらゆるところがチグハグでアンバランスな少女だった。
白い肌は陶磁器のように滑らかなのに、着てる服が布一枚で適当に作られた簡素過ぎるワンピース。
さらに肌と同じく髪と眉、睫毛まで白いのに、開いた瞳は真っ黒。
10代前半の見た目をしているのに、その顔に浮かぶ表情は年を重ねた女の顔で、口角を限界まで上げて笑っている。
一言で言えば不気味な少女だった。




