第170話
暗い雰囲気の中に取り残されたコルトは、すっかり覇気を失ってしまった2人にどう声を掛けるか考えて、とりあえず亜人について黙っていたことを詫びることにした。
フラウネールの負担を考えて黙っていたが、信頼を考えるならやっぱり正直に話したほうが良かったのだろう。
それに”共族のために動いてくれる人”と思われていたのに、それを裏切ってしまったというのが心に刺さった。
「亜人について黙っててすいません。言い訳になっちゃいますが、フラウネールさんが疲れているようだったので、負担は掛けられないって口車に乗せられてしまって」
コルトが謝罪をすると、フラウネールは気にするなと苦笑いをした。
「俺が初動を間違えたんだ。あのときは全部一人でできると思った、自惚れたんだ。最初にすべきだったのは…」
そこで言葉を止めると、フラウネールは先程懐にしまったコアを取り出し、ファンガッテンの元まで歩いた。
そしてコアを差し出すと深々と頭を下げた。
「虫がいい上に今更な事は分かっている。ファンガッテン枢機卿、貴方の命を危険に晒すことを承知でお願いしたい。ルンデンダックや教会、そこに住む人々を助けるためにお力添えをいただけないだろうか」
突然綺麗に腰から頭を下げて懇願し始めたフラウネールに度肝を抜かれ、思考が停止してしまった。
この間他の枢機卿を利用するような事を言っていたのを聞いているだけに、余計に混乱してしまう。
それはファンガッテンも同じだったらしく、口をパクパクさせながら、差し出されたコアとフラウネールを交互に見ていた。
いつの間にか開放されていたらしい見張りの男達も、見てはいけないものを見てしまったかのように、慌てて背中を向けながらも明らかに背後を気にしているようだ。
「返事は今すぐでなくてもいい。だが、不甲斐ないが指摘されたように俺の魔力は平均以下にまで落ちている。あまり保たないかもしれないことは心に留めておいて欲しい」
それはもうほぼほぼ今すぐ返事をしろという脅しではないかと思ったが、この状況でそれを口に出せるほど空気が読めないことはない。
だが完全に部外者なので、この場から早く脱したいのも確かだった。
なので早く終わって欲しいとオロオロしていると、ファンガッテンが口を開いた。
「頭を上げろフラウネール。次期教皇と言われている者が簡単に他者に頭を下げるな」
そう指摘されるが、頼む立場だからを下げ続けるフラウネールに業を煮やしたファンがってんがコアを取り上げ、その後無理やり顔を上げさせた。
「貴様は確かにあの混乱を収める力は無かったが、それを招いたのは吾輩達だ、それまでの教会の体制だ。貴様一人の責任ではない」
何かを噛み締めるように、悔しさを顔に滲ませて自分たちは今までの先達の栄光の上に胡座をかいて、それを食い潰していたのだと口にした。
戦争が失敗して、怒り狂った民衆に襲われて、何人かの仲間を失い、自分自身も命の危険に晒されて、こんなことはあり得ない、自分は何も悪くない、失敗した奴らが悪いと見たくない現実から目を逸らし、虚勢を張り続けた。
フラウネールが一人で踏ん張っているのも、馬鹿の尻拭いだと思い、目に見えて悪くなっていくルンデンダックもフラウネールの能力不足を馬鹿にした。
外に出れば殺される自分の立場を忘れるために、他人を馬鹿にし続けた。
「怖かったのだ、間違いを認める事が」
英雄の家の出で、生まれた時から何をしても褒められて、失敗した事など無かった。
成功するのが当然だった。
だから戦争に失敗してルンデンダックが根幹から崩れていくのが怖かった。
当たり前がなくなった事が怖かった。
「吾輩は、吾輩は友を失って怖かった。それまで媚を売ってきた者たちが急に殺意を向けてきたのが怖かった。貴様を恨むことで、貴様に責任があると思うことで少しでも恐怖から遠ざかりたかった」
後半は嗚咽を漏らし、膝をついていた。
いい年した大人の涙ながらの独白に、コルトは少し引いてしまったが、だが言っている事は深く共感できた。
コルトも失敗した。
失敗して魔族がきっかけで世界が壊れた。
その原因が自分のやり方だったと認めるのが怖くて、魔族が全部悪いと思うことにした。
「ファンガッテンさん。貴方は確かに間違えて失敗したけど、でもまだやり直せます。だって教会にはまだ人が残っているし、貴方の力を借りたいって言ってくれる人もいる。貴方が誰かのために立ち上がれるなら大丈夫、教会は立て直せます」
ファンガッテンもフラウネールを必要としてくれる人がいて、支えてくれる人もいる。
まだまだ全然ダメじゃない。
──僕にはいなかったからなあ。
2人が羨ましい。
こんな状況になっても、支えてくれる誰かがいるのが羨ましい。
間違いを認められる強さがあるのが羨ましい。
コルトは無理だった。
頭では理解していても、どうしても魔族が悪いという考えを捨てられない。
──僕は結局人にはなれない、この強さを僕は持てない。
悲しくていつの間にか拳を強く握り込んでいた。
それを自覚して深呼吸すると、力を抜いてゆっくりと手を開く。
そしてファンガッテンの肩に手を置いた。
「貴方達は共神の失敗から立ち上がった人達だ。大丈夫、今度もきっと上手くいきます」
突然10代の若造にこんな事を言われても、何を言っているんだと思われるかもしれないが、それでいいと思った。
ファンガッテンの反応を待たず、今度はフラウネールに顔を向ける。
こちらも膝をついて泣くファンガッテンにまだ困惑しているようだ。
「亜人の件ですが、奴らの排除に関してだけは魔族は信頼できます。彼らの存在の根幹に関わるので。恐らく仮に今湧いた場合、ヘンリンに滞在してる魔族も排除に出張ってくるはずです」
「本当か?」
「間違いなく。亜人は何世代か前の失敗作の魔族の使い回しです。失敗作に負けるようなモノが成功品とはとても言えない、今の魔族の否定になる」
亜人が何か知識として知らなかった頃のルーカスですら、理性を飛ばす勢いで亜人を敵視していた。
あれはもう自分たちではどうにもできない衝動だろう。
だからこそその部分だけは信頼できる。
「半年だけ耐えてください。その後は僕が何とかします」
コルトが何とかするというところにフラウネールは疑問を呈したが、コルトはそれに応えない。
それだけ先なら恐らく自分が管理者の力を取り戻している可能性が高い。
仮に管理権限で排除できなくても、どうせその後の魔族との戦争で兵器を量産する予定なのだ。
それさえあれば亜人などどうにでもなるだろう。
「立て直し、任せますよ」
崩壊した社会を新天地で立て直した人達の子孫だ。
必ず出来ると信じてコルトはフラウネール達を置いてその場を離れた。
翌日。
勢いでなんか偉そうな事を言ってしまったなと、屋敷の寝台の上で悶ながら就寝したコルトは、昨日の羞恥を引きずりながら朝食を頂いていた。
小さな肉と、野菜というよりその辺の草では?と言いたくなるような食事に、配膳係が申し訳無さそうな顔をしていた、コルトまで申し訳なくなってくる。
──僕がいるだけで一人分余計に食事が必要なんだもんなぁ、ルーカス云々は置いといても早く出たほうが彼らのためかも。
そうして食事が終わった頃、シュルツが食堂にやってきた。
雰囲気が少し嬉しそうだった。
「フラウネール様より、ズモウの手配を仰せつかりまして、1匹明日にはご用意できそうです」
「本当ですか!」
それなら明日にはここを発てそうである。
なら今日のうちに荷物をまとめようと思っていると、ついでシュルツがお礼を言ってきた。
コルトには心当たりがない。
「フラウネールさまが明日から3日ほどお休みをお取りになるそうです」
言っても全く休みを取る気配が無かった主が、漸く休む気になったと喜んでいる。
そのきっかけがコルト達だと聞いて、お礼を言いたかったようだ。
大したことをした訳ではないが、シュルツが本当に嬉しそうなので素直にお礼を受け取る。
あとはルンデンダックが少しでも良い方向に向かうように祈っておけばいいだろう。
コルトが祈る先など無いのだが、こういうのは気持ちの問題だ。
そしてここの問題が解決すれば残るのは。
「僕もフラウネールさん達が喜べる結果になるように頑張ります」
残るはラグゼルだけだが、コルトはあまり心配していない。
あそこはなんだかんだしぶとく強かなので、まぁ何とかなるだろう。
本番は北に戻ってからだ。
──なるべく人が欲しいけど、どこまで出してくれるかな…。正直交渉とかよく分からないし…。
うーんと考えつつ相変わらずこういう事は何も思い浮かばない。
思い浮かばないものは今は考えてもしょうがない。
コルトは諦めると荷造りに戻った。




