第165話
ルンデンダックには1週間掛かった。
夜の上空からでは灯りから街がある事しか分からなかったが、ルーカスの魔力感知では以前よりも確実に人の数が減っているらしい。
それも魔力量が平均よりも少し多い層が中心。
それだけでヘンリンとの戦いでごっそり抜けてしまった事が察せられてしまい、陰鬱な気分だ。
「さて、必要なもんは持ったか?」
「持ったよ。はぁ……ここから飛び降りるとか最悪だ」
「しょうがねぇだろ、これが一番楽なんだ。んじゃ行くぞ」
コルトがしっかりと荷物の紐を握りしめると、ルーカスがコルトを背負い竜から飛び降りた。
まさかの自由落下である。
魔力で防壁を貼ることも、落下速度を調整することもなく、コルト達は重力の物理法則に従って落ちていった。
「ぎゃあああああああああああ、フリーーーフォーーーーール!!!」
「うるっせぇなぁ」
グングン近づいてくるルンデンダックの街の灯り。
近づくにつれて露わになる中心の大教会、とそれを構成する多くの高い塔。
コルトにはそれが剣山のように思われて、生きた心地がまるでしない。
悲鳴はいつの間にか枯れ、呼吸も忘れ迫ってくるそれに、コルトは己の境遇を呪った。
そんな死の自由落下の速度が急激に落ちたのは、塔の天辺との距離が200メートル前後になった時だ。
急に下から吹き上げてきた風がコルト達を受け止め、緩やかに落下しながら進路をフラウネールの屋敷のほうに変えていく。
そして暗い中、特に誰かに見つかる事無く屋敷の玄関前に静かに着地した。
「はああああうううう、なんで…お前は…いつもそうなんだ……はぁはぁ」
「いい加減慣れろよ。このほうが俺も楽なんだからよ」
「無理、絶対無理。人体はなぁ、飛ぶようには出来てないんだよぉ!!」
「リンシアは喜んでたぞ」
「人体の構造と感情は別問題だろバカ!!」
震える膝を手で支え二度とやるなと文句を言いながら屋敷の玄関まで歩くと、コルトはドアベルを鳴らした。
夜分なので寝ているかもしれないと少し不安だったが、ルーカスが扉の向こうで魔力の気配を感じるらしいので、誰かしらは起きているらしい。
しばらくすると扉が開いてシュルツが出てきた。
「コルトさまにルーカスさま!お久しぶりでございます。ハウリルさまとアンネリッタさまのお姿が見えませぬが、どうぞ中へお入りください」
「お久しぶりです、こんな遅くにすいません。ハウリルさんとアンリは色々あって今はちょっといないんです、でも2人とも元気ですよ」
「おぉ!それは良かった、ハウリルさまがいらっしゃらないのは残念ですが、お二人にお会いすればフラウネールさまも喜ばれましょう」
「そのフラウネールはいつ帰ってくる、屋敷にいねぇだろ」
「お二人の来訪をすぐにでもお知らせしますので、数日以内には戻られるかと思います」
「朝になってからで大丈夫ですよ!夜になっちゃったのはバレないように侵入するためだったので、本当に起こしちゃってすいません」
「いえいえ、お気になさらず!…と言いたいところですが、最近治安の悪化が著しく、男でも夜に1人で出歩くのは危険すぎるんです。お言葉に甘えて明日、明るくなってから使いを出したいと思います。代わりと言ってはなんですが、温かいお茶とお部屋をご用意いたしますので、お二人もお休みください」
「ありがとうございます!」
「俺はいいって言いたいが、こんな時間に仕事させて断るのもアレだからな。たまには休むか」
そして2人は客間に案内され、ずっと竜の背中に乗っていた移動とはいえそれでも疲れが溜まっていたらしく、コルトが起きた時、すでに昼を大分過ぎていた。
慌てて飛び起きて部屋を出ると、たまたま廊下を掃除していた使用人の女性がちょうど部屋の前にいた。
向こうも突然開いた扉に驚いている。
「すっ、すいません!あのっ、僕昨夜ここに来まして、それですいません寝過ぎました!えぇっと、それで僕はどうすれば」
「コルトさまですね、お話は聞いております。居間にご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
女性について居間に入ると、ソファに座って足を広げてくつろいでいるルーカスと、その対面にシュルツが座ってお茶をしながらなにやら色々と話していた。
2人がコルトに気がつくと、シュルツはコルト用のお茶を入れるために席を立ち、ルーカスが空いているソファを指さして座れと言っている。
「よぉ寝坊助、ルンデンダックの状況を代わりに聞いててやったぞ」
「なんで起こしてくれなかったんだよ」
「起こしたぞ、起きなかったのはお前だ」
「嘘だろ!?」
だがシュルツにも起きなかったと言われてしまってはどうしようもない。
「ルーカスさまが起きられましたので、朝食をご一緒にどうするか伺おうとしたのです。お疲れのようですね。慣れない地での長旅であれば、仕方がないとは思いますが」
「うっ、すいません。まさか朝食無駄になっていませんよね?」
「いえっ、断られてしまいましたので…」
「俺一人分作らせんのもアレだろ?食べてるかしつこく気にするリンシアもいねぇし、魔力があるから3日くらい食わなくても問題ねぇし」
どうやら本人なりに気を使っていたらしい。
「それよりも…だ。あんまここに長居はできねぇぞ」
「どういうこと?」
もたれていた背をおこして眉間に皺を寄せ、真剣な表情を見せている。
ふざけた様子を見せないので、ちゃんと真面目な理由があるらしい。
なんだと思っていると、お茶を入れてきたシュルツがちょうど戻ってきた。
2人が微妙に真剣な雰囲気なのでお邪魔だったかと退出しようとするが、ルーカスがここの様子を説明しようとしていたというので、シュルツも引き返してコルトの前にお茶を置くと先程の場所に座り直す。
「このお屋敷はフラウネールさまの居住という事でまだ何もされていませんが、教会内部は暴徒による打ち壊しなどが発生しており、いくつかの枢機卿の屋敷は廃墟となっております」
「えぇ!?」
「正直ここもいつ襲われるかとフラウネールさまは避難を進めてくださいましたが、主が残るというのに私共が去るわけには参りません」
「そんな……」
夜中だったため街の状況が見えなかったのもあるが、現在のルンデンダックはかなり荒んでおり、以前のような綺麗な街並みはすっかり汚れてしまったとシュルツは嘆いた。
そんな状況なのでルーカスも面倒事に巻き込まれたくないと、さっさと用事をすませて発ちたいようだ。
なのでフラウネールの帰還を待つよりも、こちらから出向きたいとまで言っている。
「俺は屋敷でフラウネールの奴に色々ぐちゃぐちゃ喋ったところで、思ったように事が運ばねぇと思うんだよ」
「思ったようにって何が」
「そりゃお前、ラグゼル、ヘンリンに並ぶモノとしてちゃんとここがまとまるかって話だろ。オーティスの奴はその3つで話し合いが必要だって言った、コルネウスの奴もそのつもりだ。つまりそいつらはここも自分たちと同等になる事を望んでる。でもどうもフラウネールだけじゃここをまとめられねぇようじゃねぇか」
「うっ、確かに…」
このままでは無秩序なおに人の数だけは多い教会だけが取り残されてしまう。
そんな事になったら魔族との戦争どころの話ではない。
貧困に喘ぐ力を持った無秩序な集団が裕福な地域を見たらどう思い、何をするか。
「他の奴らがいるところで現実叩きつけて、お前らこのままだと内臓抜き取られるぞって分からせるしかねぇだろ」
「強引すぎる」
「じゃあどうすんだよ、このままフラウネールに全部任せんのか?」
「ぐぅ…分かったよ、フラウネールさんのところに行こう」
「おうよ。つぅわけで、奴はどこだ」
「本日は南門で食料備蓄に関する指揮をとっておられます」
「分かった。よしっ、飯食ったら行くぞ」
というわけで南門までやってきた2人だったが、道中の有様はコルトの胸を締め付けた。
以前は多くの店が開かれ、人も多かった場所は今や物乞いや物盗りが溢れ時々悲鳴が聞こえる状態だ。
だが人々はそれを気にするものはなく、視線を寄越すことすらしない。
外に出ている者の多くは虚ろな目で座り込んだり空を見上げたりしており、反応する気力すらないのだろう。
中には倒れた人から何かを盗むような者も見かけたりした。
家の中にいるものも、部屋が暗くて様子が分からなかったり、窓から外を覗いていても顔に生気がなかったり。
以前のような活気は見る影もなく、全てが失われているような状態だった。
「ほんの数ヶ月前の事が嘘みたいだ…」
「だが前からハウリルはそろそろ限界的な事言ってただろ。それこそ教会の腐敗がどうしようもないとか」
「それでも落ち方が異常だよ、どうにかできないかな」
「……今俺達に出来るのは避けられねぇ未来を告げる事だけだ」
そんな当たり前の事は分かっているが、人の身の自分に今できることが何もない事が悔しかった。
だがいくら悔んでも現実をすぐには変えられない。
コルトは南門到着後も迷いなく歩くルーカスの後ろを黙ってついていく。
すると、自分たちの名前を呼ぶ声がどこからか聞こえ、声の方向に顔を向けるとやや疲れた顔のフラウネールがこちらに手を上げていた。
「君達から出向いてくれるとは思わなった、ハウリルがいないのは残念だけどね、元気ならそれでいい」
「あいつは今はお前に倣って子守中だ。それより大変そうじゃねぇか」
「ハウリルが子守り?冗談じゃないか?それはともかく、どこもかしこも大変なんてものじゃない、哀れに思うなら働いてもらうぞ」
「それは構わねぇが、俺らの話はどうすんだよ」
「コルトくんがいるじゃないか」
それにルーカスは舌打ちをした。
「あちらに討伐員を待機させてる彼らと共に魔物狩りに行って欲しい」
「ちっ、仕方ねぇ。だが俺は1人で行くぞ、そのほうが効率がいい」
魔物狩りには了承したが集団行動を拒否するルーカス。
確かに効率を考えるなら魔力感知で索敵の必要すらないどころか、魔物くらい1人でいくらでも倒せるので集団にいれるほうが勿体ないと言えば勿体ないのだが、フラウネールはダメだと言った。
そして内緒話をするように顔を寄せ小声で告げる。
「詳細は今は伏せるが君の正体がバレるほうが色々と面倒なんだよ。頼む、ここは俺の知り合いの流れの共族の討伐員って事にしてくれ」
”共族”の部分を少し強調するフラウネールに、ルーカスは再度舌打ちを返す。
「分かったよ、大人しく剣で戦ってりゃいいんだろ」
仕方ないとばかりに抜いた剣を肩に担ぎさっさと燃やして終わらせると背を向けたが、コルトは燃やすという言葉にあっと声を上げて呼び止めた。
「バカ、お前今髪色青いから、使える魔法は水属性だけだぞ」
ここしばらく考える必要が無かったのですっかり忘れていたが、共族はやはり本家の魔族と違い魔力適正が低いため扱える属性は火水風雷の中から1つだけだ。
現時点で複数属性を使える共族は髪も瞳も白く発光するフラウネールただ1人しかいない。
なのにここで暗い青い髪であるにも関わらず火属性を扱う存在がいたらどうなるか。
ルーカスもそれを思い出したらしく、片手で顔を覆って天を見上げた。
火力面で劣る水属性な上に、髪色から使える魔力量も魔族比で極小になるのでそりゃまぁ嘆きたくもなるだろう。
「くそっ、忘れてた。今から変えても遅いか!?」
「どう見ても遅いだろ」
普通に遮るものの無い道の途中な上に、フラウネールがいることで少し注目を集めている。
隠れて変えられたとしても、姿を見られているので無理だろう。
ルーカスは唸り声を上げると、めんどくせぇと吠えた。
「やってやろうじゃねぇかよ、たかが雑魚の1匹や2匹。武器だけで戦ってやるのはちょうどいいハンデだぜ」
「うっかり殴り殺さないように気を付けろよ、普通の共族は魔物を拳で殺せないからな」
「分かってるわ、俺を舐めるなよ!帰ってくる頃には食べ切れねぇ量の魔物を斬り殺してやるわ!」
それはそれでやり過ぎではないかと思うが、そう思った頃にはルーカスはさっさと集まっている討伐員の輪の中に混ざっていた。




