第131話
リンシアを拾ってから5日が過ぎた深い森の中、巨大なクマの死体を前にコルトは怒鳴り声を上げていた。
「すぐに逃げろって言っただろ!!元々人間の身体は基本的に中型以上の動物に勝てるような作りをしてないんだよ!!」
「魔物に住処追われるような雑魚がそんな強ぇとは思わねぇだろ!?なんでそんな危ねぇもん作ってんだよ!?人が死ぬのはピーピー嫌がるくせに、殺人動物は野放しかよ!」
「強くないと人があっという間に絶滅させちゃうからに決まってるじゃないか!彼らは環境サイクルに組み込まれてるから、いなくなったら困るんだよ!」
「なら滅ぼさねぇように人に言っときゃいいだろ!?」
「そのくらいは自分たちで気付いて欲しかったんだよ!」
「まぁまぁまぁ二人共落ち着いて。リンシアさんが怯えています」
そう言われてリンシアを見ると、ハウリルの後ろに隠れて怯えながらこちらの様子を伺っていた。
視線が合うとビクッとなり引っ込んでしまう。
それを見てコルトは急激に頭が冷え、気まずくなって小さく謝った。
「とりあえず怪我をしたのがルーカスだけで良かったですが、あなたちょっとこちらに来てから負傷することが多くなってないですか?死なないのを良いことに好奇心だけで動かないでください」
「私らしかいないなら別にそれでもいいけどさ、今はリンシアもいるしあんまグロいとこ見せんなよ。ただでさえ仲間に死体とか見せられてたんだろ?」
「……すまん」
反省したのか自主的に正座の状態になり、2人から責められて小さくなっている。
どうしてこんな状態になったのかと言うと、こちらに来てから一番大きな気配を持つ何かが近づいている匂いを嗅ぎ取ったルーカスが好奇心のままにその方向に進んだ結果、立ち上がった時の顔の位置がルーカスの頭よりもかなり高い位置にある巨大なグリズリーと鉢合わせてしまったのだ。
コルトはすぐに逃げろと叫んだが、ルーカスは当然魔力の無いクマを舐め腐っていたし、クマはルーカスを見て興奮するしで、叫んだ5秒後にはクマの振りかぶった腕がルーカスの頭部を思いっきり弾き飛ばしていた。
すぐさまアンリが槍斧で反撃に出てクマの片腕を切断、さらに暴れ狂うのを回避すると、背後からその頭部に斧に振り下ろし、深く突き刺さるとクマはそのまま絶命した。
その間に己の頭部を拾って戻していたルーカスをコルトが怒鳴りつけたのが先程だ。
ちなみにリンシアは咄嗟にハウリルが視界を遮ったので、ギリギリ首が飛ぶところを見なくて済んだようだった。
「もう少し冷静に行動してください、軽率過ぎます。らしくないですよ」
「…すまん…そうだな……」
「クマなんて別に珍しくないだろ。同じ世界を参考にしてるんだから、そっちにだっているだろ」
「……原種はいねぇよ、全部改造されて魔物になってる。これが熊の原種かって面白かったんだよ」
呆れて物が言えなかった。
そんな事のために危険な野生動物に近づいて普通なら死んでるような怪我をしているなら世話が無い。
「アホみたいなのでこれ以上はとやかく言いませんが、それよりこの場を早く離れましょう。魔物の場合は血の匂いにつられて仲間や別種が集まってきたりしますので、原種もその可能性がありますよね」
「うーん、この種のクマは一応単独行動するタイプが多いですし警戒心も強いので同種がやられたなら警戒して近寄ってこないと思いますよ、断言は出来ませんけど」
魔物と違って魔力の大きさでこちらを向こうが避けるということはないが、こちらに来てからも頻繁に野宿をして今のところ野生動物に襲われたことはない。
今回のケースがどう考えても特殊過ぎる事態なだけで、コルトとしてはそこまで警戒する必要は無いと思っている。
「いつもみたいにルーカスが警戒してたら大丈夫じゃないですか?好奇心で近寄ったりしなければ」
「分かりました。ならいっそ今日はこのままここで夜を明かすのもありかもしれませんね。そろそろ一度長めの休憩を入れたほうが良いかと思っていたのです」
そう言ってまだ己の足にしがみついているリンシアをチラッと見た。
今のところ弱音を吐くこと無く頑張ってついてきているが、日に日に疲れが見える時間が早くなっている。
コルトもそれが心配で今夜辺りでそれを言い出そうかと悩んでいたところだった。
その表情で察したのか、アンリが決まりだなと言うと解体用のナイフを取り出してクマを捌き始める。
「そういうわけで今日はここで野営をしようと思いますので、ルーカス、あなたは付近の偵察を。くれぐれもまた油断しないように」
「2度もやらねぇよ」
そう言うと立ち上がって森の奥に消えていった。
残った4人はコルトはアンリを手伝い、ハウリルも野営の準備を始める。
リンシアもそのままハウリルの手伝いをするのかと思っていると、何故かクマを解体しているコルト達のところにトコトコとやってきた。
見て気分のいいものではないので、近寄らないようにと言うと。
「クマさん食べるの?」
少しだけ不安そうな顔でリンシアは腹を開かれたクマを見ている。
だが解体の様子には嫌悪はないらしい。
「食べたらヤバいのか?」
「クマ肉には何も問題ないはずだよ。クマは食べちゃダメって言われたの?」
前半はアンリに向けて、後半はリンシアに向けて問うと、リンシアは首を縦に
振った。
「クマさんはダアトを襲って食べる神聖な生き物だからって。あのね、クマを育てて森に還したりもしてるんだよ」
閉口してしまった。
なんて返すのが正解なのか、全く分からない。
だがアンリのほうはそれにバカじゃんと一言返すと、解体作業を再開した。
「私には関係無いな。つーかお前、止めて欲しいっていうのは、仲間が怖い顔してるのを止めて欲しいんであって、人殺しをやめて欲しいってわけじゃないんだな」
「あっ、あうぅ……。ちがくて、人を殺すのもやめてほしい…よ……」
「じゃあクマを一緒に食べような!」
「あうぅ」
「こらこらアンリさん。小さな子供をイジメてはいけませんよ」
場を整え終わったハウリルがニコニコしながらアンリを諌める。
それにムスッとした表情を返したアンリは、切り分けたクマ肉の塊をハウリルに投げ渡すと、内臓と肉と毛皮に綺麗に分け始めた。
肉を受け取ったハウリルはさらにそれを細かく切り分けていく。
「でも正直わたしもリンシアさんをどうしたらいいのか分からないんですよね」
とりあえずあの場は折れてリンシアを生かす事にはなったが、決まったのはそこまでだ。
そこから先をどうするかは全く決めていない。
自分たちの目的はあくまで装置の探索であって、リンシアの止めて欲しいという願いは完全に寄り道だ。
襲われたら対処をするだろうが、どこまで深く踏み込むかについては現時点ではその時の状況次第だろう。
恐らく3人は関わるのを嫌がるだろう。
ルーカスはともかく、他の2人は本気の殺し合いになったらいくら魔力持ちと言えども体はただの人間だ。
案の定ハウリルは難色を示した。
「面倒ごとに巻き込まれて目的を遂行できないのは困ります」
それを聞いてリンシアはしょんぼりとしている。
ハウリルはそんなリンシアを手招きして横に座らせると、コルトに視線を向けた。
「コルトさんどう思いますか?」
「えっ、僕ですか?」
ここで自分に振られるとは思わなかったコルトは、どう返答しようか迷ってしまう。
どう思うと聞かれても、コルトの答えなんて決まりきっている。
”何とかしてあげたい”
それしかない。
だがそれが目的に合わない事も理解している。
どちらを優先したらいいのかなんて、どっちも優先したいのがコルトで選べるわけがなかった。
「質問を変えましょうか。共族の殲滅を目的とする彼らのことをどう思いますか?」
「そんなことしないで欲しい」
ほぼ反射的に答えた。
「では彼らをどうしたらいいと思いますか?」
「どう…したら……」
「共族を殺すのをやめろと言ってやめるとは思いませんよ。会ったことはないですが、彼らはそれを最低でも数百年それが正義だと信じて実行してきたのです、そう簡単にやめるとは思いません。止めようとすれば必ず暴力沙汰になります、その時どうなるか分かりますよね?」
コルトは唇を噛んで、拳を固く握った。
「彼らの思想はあなたから逆算した共神の意向に合うとは思えませんが、だからと言って彼らの存在を消すことも共神の意向に合うとも思いません。彼らを完全に止められるのは共神でしょうが、その共神に否定された彼らがどうなるのかと言うと、あまり良い未来は浮かびませんね」
「……どう…なりますか?」
問いかけにハウリルはコルトをジッとみると、何故かリンシアに向き直った。
「…リンシアさんは、お父上やお母上が突然お前は全部間違っている、何もするなと言ってきたらどうしますか?」
「えっ…えぇと……そのっ…どうしよう」
コルトと会話をしていたはずなのに、急に自分に振られて、それでも頑張って何かを答えようと考えているがリンシアは”頑張る”以外に出てこない。
それにハウリルはあなたは強い子ですね、と返す。
「大人になるほどそれまでを否定されると、前を向く比率が下がります。反転して共神を恨みさらに凶暴になるか、逆に腑抜けになるか。一番の問題はそれを見て他の共族が何を思うか」
やはり敵だと殺し合いを継続するか、恨みを晴らす好機とみるか。
ハウリルは殺し合いが行われると思っているのだろう。
「リンシアさん。わたしたちは共神、共族という人を作った神に会うためにこちらに来ました。この世界を人の世界にするためにです」
「えっ?」
「あなたの目的はわたしたちと行動を共にすれば恐らく達成されます。ですが、それがあなたの意に沿ったものである可能性は低いです」
きっとリンシアの家族や仲間は殺される。
もう殺しはしませんと言ったところで、今までやってきた事がそれでチャラになるなんて事はない。
「なら共神に彼らを守るようにお願いするのはどうですか?それなら」
「悪手です、最悪です。間違っていたのに許され、さらに特別に守ってもらったなんて、そんなの間違いなく際限なく驕りますよ。そもそもそれ以外の懸命に生きてきた人達をなんだと思っているんです。わたしなら魔族に同調して神殺しを推進します」
「そんな……」
それならどうしたらいいのか。
全部を取りたいのに、全部を取ろうとすると必ず取りこぼしが出てしまう。
いっそのこと魔族のように作り直すか。
そんな危険な考えが頭をよぎった。
──ダメだ、それだけはダメだ。それをやったらお終いだ。
考えるなと全身に警告が走る。
──僕は……。
もうずっと悩んでいるような気がする。
──なんで共神は僕をこんな何にも出来ない存在として降ろしたんだ。
何をさせたいのかも分からないし、だからって何かできるわけでもない自分が、ただ苦しかった。




