第120話
その日は旅立ちには最高の青空が広がっていた。
朝から黒竜に荷物固定用の器具を取り付けたり、改めて進入進路を確認したり、ただ見物に来ていたりと大勢が集まっている。
──できる事は十分にやったはずだ。
「山を越えたら先ずは元の教会の拠点のほうに行くんだよな」
「何かしら残ってるといいんだけど」
「そればかりは行ってみないと分かりませんからねぇ」
「焦ることはねぇよ。最低限向こうの大雑把な状況さえ分かりゃ、あとはもっと人増やせんだろ」
とりあえず、第1段階としての期限は半年という話になっている。
それが終わればどんな状況であろうと、一度必ず戻るという約束だ。
それまでに黒竜の声がルーカスの耳に入る距離まで戻っていないといけないが、その範囲はかなり広いし、実際の制約は思っているよりもかなり緩いはずだ。
そして、こちらに残る側もそれまでになんとかラグゼルとの合同探索隊を作れるだけの状態にまとめておくという話になっている。
──正直そっちのほうが大変だと思うんだよね。
東大陸は現在かなり情勢が不安定で荒れているようだし、教会がヘンリン制圧に向けてまだ動いているという情報も入っている。
ほぼ間違いなく一度は大規模な衝突があるのではないか、と昨日ハウリルが誰かに零しているのを立ち聞きしてしまった。
コルトは複雑な気持ちだった。
共族同士で争わないで欲しいという気持ちが消える事は絶対にないし、だからと言って人が自分たちで考えて決めた結果のできごとにケチをつけるのも、それはそれで違うだろう。
決めた結果の先に何人死のうと、それは彼らの選択の結果だ。
それは尊重したい。
でも死んでほしくもない。
ちなみに一応確認したところ、仮に教会と衝突してもネフィリスが戦場に立つことはないらしい。
共族同士の内輪もめに関わるつもりは一切ない、好きに死ねと吐き捨てていた。
バスカロンも魔族が戦場に出ると面倒という理由で静観を決めているとネフィリスがついでに教えてくれたので、魔族に蹂躙される心配はないだろう。
そのあとでハウリルがこっそりと言っていたが、恐らくラグゼルというもっと役に立ちそうな勢力が出てきたので、そちらに鞍替えを考えているのではないだろうかと言っていたが、それをルーカスは鼻で笑っていた。
曰く、魔族の天敵がいるのに顎で使えるわけがない。
「でも、新天地に旅立つって思ってこんなにワクワクするのは初めてだ!」
黒竜の背中に荷物を固定し終えたアンリはその背から飛び降りると、腰に手を当てて北のほうを向いた。
「村から出たら知らない土地ばっかだったけど、存在自体は私も知ってたとか、無理やり連れてかれた敵の住処とかだったし。…あれだ!案内役が必ずいた!」
「…敵の住処」
もう少し手心のある言い方をして欲しかった。
「これも一応目的はあるし、やらなきゃいけない仕事みたいなもんだけど、ここからは本当に誰も知らないところに行くんだぜ!?ワクワクするだろ」
「その分負担も大きいのですが、あなたは冒険心のほうが勝っているようですね」
「良いじゃねぇか。めんどくさがるよりやる気があるほうが良いに決まってんだろ、枯れた感想漏らしてんじゃねぇよ」
「でも未知の土地に行くのはやっぱり僕は怖いかな」
「お前はお前で肝の小さい事言ってんじゃねぇ」
そんな雑談をしていると4人を呼ぶ声がした。
振り返ると何やら荷物を持ったファルゴ達がこちらに向かって歩いていた。
「なんとか干し肉が間に合ったんだ、これも持ってけ」
「おやっ、ありがとうございます」
「気にすんな、向こうで食い物が簡単に手に入るか分からないだろ」
そういって渡された干し肉の入った袋を受け取ると、アンリが早速黒竜に詰め込んでいる、働き者だ。
「この竜は明日には戻ってくるんだよな?」
「一応そうするように言ってある、巨体で目立ち過ぎるからな。こっちに戻ってからは自由にしろって言ってあるから、まぁ巣に戻んじゃねぇか?」
「グルルッ」
「そうしてもらえると助かる。竜の世話なんて出来る気がしなかった」
「その辺の魔物じゃねぇんだから、世話なんていらねぇけどな」
「グルルルルゥ」
そしていよいよ出発となった。
4人が黒竜の背中に乗り込むと、ヘンリンの住民達が口々に歓声を上げた。
「気を付けて行ってこい!」
「向こうの話期待してるぜ!」
「こっちの事は任せて、安心して行って来い」
その見送りを背中に受けながら黒竜は翼を大きく広げると、一気に空へと舞い上がった。
鳥よりも高く高く飛び、どんどん地上が遠ざかっていく。
そして目標高度の半分程の高さまで来ると安定飛行に入った。
この高さでも地上から気付かれる事はほぼ無いだろう。
するとハウリルが丁度いいと口を開いた。
「この辺りでもう一度確認をしておきましょう。向こうにいるかもしれない共族の勢力についてです」
「必要か?」
「必要です。万が一出会った場合の対応が変わりますから」
「んじゃあえぇっと、ラグゼルの生き残りだろ。でっかいのは確かずっと神がいないのを隠してた奴らと、あとなんか神に見放されたからみんな殺すぜ!魔族は神の使い!って奴らだっけ」
「そうですね。ラグゼルというよりエルデ王国の生き残りですが、出来れば一番出会いたいのは彼らですね。あとの2つは敵対する可能性のほうが高いので接触すらしたくないですね。他にも小さな生き残りはあるかもしれません、彼らには会ってみないとどうなるか分からないのでその場の判断ですが、なるべく最初は友好的に行くのが良いでしょう。接近戦ならわたしたちに分があります」
「分かりました」
軽く確認を済ませ、それからはどんどんスピードが上がっていき、遠く離れた地上ですらガンガン後ろに流れていく。
この速度で飛べばかなりの負荷が体に掛かるはずだが、竜の背で守られているせいか、何も感じない。
その間アンリはずっと地上を見下ろしながら楽しそうに歓声を上げていた。
そして数時間もすると南北を隔てる北の山脈が見えてくる。
かなり高く飛んでいるはずなのに、それでも山の頂上は完全に雲の上で見えない。
「あれを越えるのか」
圧倒されたのか、あれだけ騒いでいたアンリが急に静かになってポツリと零した。
「ルーカス。竜にもっと高度を上げるように言ってもらえますか?この真下はもう教会の管理地域で一般には禁足地です。大丈夫だとは思いますが、万が一という事もありますので」
「だとよ。そろそろ山越えの準備に入るか」
「グルルゥ」
竜はそれに応えるように一鳴きすると、再度高度を上げ始める。
「ふふふ、いよいよですね」
「急にどうした、ハウリル。お前こういうのに興奮するタイプだったか?」
「失礼ですね、わたしにだって胸が踊るときくらいありますよ。それより前を見ていたほうがいいのでは?わたしにかまけて山越えの瞬間を見逃したら一生後悔するのでは?」
「お前ホントそういうとこ変わんないよな」
「こいつの調子が狂ってるほうがキモいわ。それより雲ん中入るぞ。山のほうが高ぇから、もしかしたら抜けたらすぐ目の前に向こう側が広がってるかもしれねぇぞ」
「マジ!?」
それを聞いて3人は今か今かと雲の中を通り抜けるのを待った。
そして雲を抜けたその先。
「うわぁああ!!すっげぇ!!」
晴天広がる空の下、広大な緑とそしてところどころに点在して広がる巨大な廃墟街が目の前に現れた。
一番手前にあるのが地図を考えると元教会拠点の街のはずだが、徹底的に破壊されたような跡があり、元の形が分かるものは1つも無かった。
これではあまり期待できないかもしれない。
代わりにそこからかなり遠くにあり、視界にギリギリ映る位置の北の廃墟街には上空から見ているだけでも分かるほどの巨大な摩天楼がいくつも立ち並び、緑に覆われ崩れて朽ち果ててはいるが、形が残っているものが多い。
「こっからでも見て分かるデカさってどんだけだよ」
「街の規模は縦横で数十キロあるって聞いたかな。建物は一番高くて300階、1キロメートルを軽く超えてたはずだよ」
「想像できないんだけど」
「デカけりゃいいってもんじゃねぇだろ、バカか。建物もそんなに高くして飛べねぇくせに何考えてんだ」
「ちゃんと上下移動するための設備くらいあるし、技術を高めるためだよ。実際に作ってみない事にはどこまでいっても机上の空論だし」
「地震がねぇから出来る芸当だな」
ルーカスの呆れ口調に、だからこそのこちらの徹底管理した環境だ、と声には出さないが心の中で思った。
最短で技術を身に着けさせるために、余計な障害は全て排除した。
「なぁなぁ、それより早く降りてみようぜ」
アンリが目をキラキラさせながら摩天楼を指さしている。
「アホ。あんな崩れたところに着陸してどうやって降りんだよ、俺が担ぐ以外に方法あるか?俺は嫌だぞ」
「あの状態になってから数百年はたっているはずですしね。いくら当時の技術が優れていたとはいえ、さすがに人の管理がされていないところに降りるのは危ないか……と…おやっ?」
4人でそうやって色々話していると、突然件の摩天楼が中腹から折れて崩れ始めた。
そしてゆっくりゆっくりと向こう側に倒れていき、周囲を埋め尽くすして見えなくなるほどの土煙を上げながら消えていった。
「えっ、嘘だろ…」
「何が起きたんだろう。たまたまタイミング悪く耐えきれなくて折れちゃったとか?」
見た目からしてそうとしか考えられなかったが、黒竜が何か唸っている。
そしてホバリング状態から動かなくなった。
すかさずルーカスが翻訳する。
「微かに爆発音が聞こえたらしい。そう聞こえただけで確証はねぇみてぇだが」
「爆発音?それってつまり……」
「人為的なものでしょうか?あの状態で爆発するとは思えませんし」
「えっ、何のために?」
「建物を崩すのが目的、とか?」
「それならこの数百年でいくらでも機会があったはずなのに、何故今やるのかという疑問もありますが」
「そもそも本当に人間がやったのかもこっからじゃ分かんねぇだろ、いるかも分かってねぇのに」
「そうですね。とりあえず余計なことに首を突っ込むのはやめて、当初の予定通り先ずは教会跡地の探索から始めましょう」
「あんま期待できそうにないけどな」
ほぼ瓦礫の山となっている教会跡地を見下ろして、アンリが懐疑の目を向けている。
とはいえ、瓦礫だって元の形があったものだ。
そこから大きく外れたものが生まれる事はない。
「先ずは降りてみようよ。何もなかったら改めて考えればいいし」
「それもそうだな」
「まとまったか?そんじゃ降りるぞ」
その一声と同時にホバリングをしていた竜は降下体勢に入ると、瓦礫街から少し離れた森に向かって飛び始めた。




