第117話
さらに3日が過ぎた。
予定ではネフィリスが戻ってくる予定である。
あのあと魔石に術式を刻み、問題なく使える事も実証済みだ。
なので残りの時間、コルトはハウリルとともに例の資料を漁り、アンリとルーカスはひたすら戦闘訓練をしていた。
ヘンリンの討伐員も加わって規模が大きい訓練になってしまったようだが、アンリはかなり満足したようだ。
いつも一方的になるような力量差がある相手だったが、今回は実力の近い者同士でやり合うことが出来たため、色々と実になったと言っている。
そんなわけで短い時間でも出来る範囲で準備をした4人は、竜の声が聞こえたというルーカスについて、ヘンリンから南に進んだ海岸線まで来ていた。
この辺りは長年、上陸のための攻防が激しかったため、かつてはあっただろう岩浜も大分均されてほぼ平らな砂浜のような状態になってしまっている。
それが少し腹立たしかったが、アンリはぎりぎり磯と呼べるこの場所を、嬉しそうに裸足になって駆け回って遊んでいるので、いくらか溜飲が下がった。
「ねぇ、本当に聞こえた?」
「それは間違いねぇよ。ただ、あれは数百、数千キロ先からでも聞こえるから、まだもう少しかかる」
「どういう耳してるんだよ」
「耳の問題じゃねぇ、竜の喉が鳴らす特殊な音だ。竜種同士でしか聞こえねぇが、他の音と違って超長距離でも聞こえるんだよ」
「瀑布の対岸からでも聞こえるものでしょうか?」
「個体によるな。今日来る個体はまだ若ぇから、さすがにその距離はまだ無理だな」
「知ってる個体が来るのですか?」
「向こうで俺が一番仲良くしてた奴だよ」
「それはそれは、ぜひわたしたちも仲良くしていただきたいですね」
「お前みたいな性格が悪い奴は嫌いだよ」
「おやっ、それは残念です」
ちっとも残念そうではない声音で宣うハウリルに、ルーカスが口をへの字に曲げた。
それはともかくとして、コルト自身は少し竜という存在に興味があった。
模倣元では想像上の生き物として、実際には存在していなかったものだ。
共神はこちらの世界創造において存在しないものは作らなかった、必要性を感じなかったからだ。
だが魔神側はどうやら違うらしい。
おそらく、最強の生物を作るという目的のために、想像上の強い生き物というものをこちらで実際の生物として再創造したのだろう。
その中でも竜はだいたいの想像上においては上位に位置づけられている。
あらゆるものが人間よりも優れたものとされている事が多いため、そんな存在が人が最強種となるように作られた魔族領域においてどういう生態系を築いているのか、少し興味が湧いたのだ。
そして男3人浜辺で並んで立っていると、アンリが大きく手を振った。
何かを見つけたらしい。
「どうしたの?」
「見てこれ、凄くない!?色が凄くて気持ち悪いんだけど、こんな魔物もいるんだな!」
そういって指さしたのはウミウシだった。
確かに触覚が生えて原色カラーで色の境目がきっちり別れた姿は魔物に見えなくもないが、れっきとしてこちら側の在来生物だ。
断じて魔物ではない。
「違うよアンリ、これはウミウシで魔物じゃないよ。海に魔物がいないせいか、海中は在来の生態系が残ってるみたいだ」
「魔物じゃないの!?こんな変な見た目なのに?」
「陸上よりも海の中のほうが制限が少ないせいか、各々好き勝手に変わっていくんだよね」
「へぇ、面白いな」
そう言ってアンリがウミウシに手を伸ばしたので、コルトは慌てて止めようと手を伸ばす。
だがいかんせん運動神経その他諸々が貧弱なコルトである。
アンリもそのコルトの突然の行動に対応ができず、ヤバいと気付いたときには2人仲良く濡れた磯でバランスを崩し海に滑落した。
「何やってんだ、気を付けろ!」
だが寸前で2人とも襟首を掴まれ、海に落ちる事を免れた。
そのまま陸地のほうに連行され、乱雑に落とされる。
「コルト、いきなり何すんだよ、危ないだろ!」
乱雑に落とされてもきちんと受け身を取ってすぐさま起き上がったアンリが文句を言った。
コルトも顔を擦りながら起き上がるとすぐに反論する。
「ウミウシは体に毒を持ってるんだよ!触っちゃダメだ」
「……えっえっ、毒?」
「あぁいう色鮮やかな生物は大抵毒を持ってるんだよ、他の生物に食べられないようにするためにね。だから無闇に触っちゃダメだ」
「そっ、そうなのか……。…ごめん」
アンリはしょんぼりとして謝った。
内陸出身で海の知識を得られる環境になかったのは理解できる。
それでも一歩間違えれば死んでいたかもしれないのだ、少しキツイ言い方かもしれないが、これは譲れない。
「それで止めようとしたお前共々一緒に落ちてりゃ世話ねぇだろ」
「うっ、それは僕が悪かったよ。ごめんなさい、助けてくれてありがとう」
「…あぁ、分かったならいい。次は最初に警告を入れてからにしろよ。お前に謝られると調子狂うな……っと、来たみたいだ」
ルーカスは南西のほうを見るとそう呟いた。
つられてそちらを見るが、変わらない光景が広がっている。
「あと10分くらいだってよ、少し下がるぞ」
「別にここでもいいじゃん」
靴を履き直したアンリが、そう不満を漏らす。
「高速の巨体が低空で突っ込んでくんだぞ、水も風も吹き上がって吹っ飛ぶぞ」
「そんなもの耐えてみせるもんね」
「海水を被るのはやめたほうがいいと思う」
ハルバードを岩に引っ掛けたアンリが得意気に言い返しているが、コルトもやめたほうがいいと同調した。
普段のアンリなら濡れたくらいは気にしないだろうし、ハルバードの重さで吹き飛ぶのも耐えられるだろうが、問題は被る水が海水な事だ。
乾いたら塩がふいて面倒だし、武器もすぐに洗い流せて乾かせるとはいえ、出来れば海水に浸かって欲しくない。
だがそれを知らないのか、アンリは怪訝な顔をしている。
「なんで海水だとダメなんだよ」
「少し舐めてみるといいよ」
訝しげな顔をしながら海水を掬って飲むアンリ。
だが何も知らずに一気に口に含んだため、盛大に吹き出した。
「おえっ、ゲホッゲホッ、何だこれ、しょっぱ!?口ん中が酷いことになった!」
慌てて自分で水を生み出して何度も口をゆすいでいる。
ハウリルもそこまでとは思っていなかったらしく、そんなに酷いですか?と隣で驚いている。
それを見てルーカスがお前も飲んでみれば?とニヤニヤとしているが、断固拒否していた。
「海水って塩水なんだよ。だから乾いたら塩が浮き上がるし、金属の腐食も進行させたりで酷いんだ。というか、塩は必需品だよね」
「そりゃそうだけど、海に塩があるなんて知らないって。全部教会が管理してたし」
「塩の作成は秘匿していますからね。必需品を制限する事で、逆らえない環境をより強固にするのですよ」
「相変わらずクソみてぇな事やってんな」
「でも効率的だとは思いますよ」
「合理的ではねぇだろ。必要なもんを制限すると、鬱憤貯まるぞ」
「知っていますよ。わたしは鬱憤側なので」
やり方に理解は示しても、それに同意をするかは別問題という事らしい。
それはともかく、少し下がるという事にアンリの納得は得られた。
なので、なるべく海水が掛からない距離で、なおかつ竜が着陸できる広いところまで移動する。
「海から塩が取れるのは分かったけどさ、どうやって粉にするんだ?」
「簡単に言えば、大量に汲み上げて乾かすだけです」
「それだけでいいのか!?よくバレなかったな」
「それはアレですよ。東も西も、南部は魔物が多いですし、極東はラグゼルが、極西は逆に魔物が強すぎるため塩なんて作っていられる状況ではありません。そうすると、東と西の大陸の間でしか海水が取れないのです。そこまで地域が限定されれば、管理するのはどうとでもなります」
「確かに、海なんて気軽に近づけるのって中級以上でも腕のいい討伐員だけって、ずっと言われてるもんな。実際にこっち来たらあんまそんな感じしないけど」
「バスカロンがマーキングでもしてんだろ。あのレベルの魔族の縄張りに攻撃目的で入る魔物は弱ぇのしかいねぇよ」
「へぇ、お前も縄張りとか持ってんのか?」
「持ってねぇよ、必要ねぇからな」
その海に近づけて、あまつさえそこで遊べたせいか、アンリの機嫌が治っている。
寧ろ得意気だ。
「でも乾かすってなると、魔族はいいよな。大規模に魔力使えんだし」
「まぁ海に近い奴らはそうだろうな。俺がよく食ってた塩は岩塩だから、海のほうはよく知らねぇ」
「ガンエン?なんです、それは」
「知らねぇの?陸地で取れる塩の塊だよ」
「初めて聞きました。それが本当なら取れる地域周辺への塩の運搬の必要性がなくなるので、楽になりそうですね」
「つぅか、それを最初に見つけたらがっぽり儲けられるんじゃね?私、これが終わったらガンエン探してみようかなぁ」
そんな3人の会話を聞いて、コルトは心臓の鼓動が早鐘を打った。
アンリには大変申し訳無いが、共族圏の北半球地域で岩塩が取れる可能性はゼロだ。
何故ならこちらの陸地は作った当時のままのため、海底隆起などの地殻変動が起こったことは一度もない。
当然塩湖も存在しない。
つまり、内陸では外からの運搬以外に塩の入手手段が存在しない。
そんな状況でもなんだかんだで生き残って社会を継続している彼らが少し頼もしかった。
それはそれとして、それを知っている事を気取られないかととても不安にもなったが。
──でも、向こうで岩塩が取れるって事は、人の体を大分弄ったけど、環境は割りと再現してるのかな。
人の体をほぼそのまま再現している代わりに、大地や環境を徹底管理して全域でほぼ同じような気候風土で生活し易い共族圏。
人の体に他生物の要素を入れることで、人から外れた力と再生力を身に着けた代わりに、過酷な環境をそのまま適用させている魔族圏。
──いやっ、環境淘汰を考えたら敢えて過酷な環境を残してるのか、それかさらに過酷にパワーアップさせてるかもしれない。あぁでも、地形変動には時間が足りないから世代を消すごとに大幅に変えてる可能性も。
共族がそんな環境に耐えられるとは思えず、このまま交流を断絶させたほうがいいのではないかと考える。
「でもいつか魔族領行ってみたいよな。実際に岩塩採るとこ見てみたいし、こっちにいない魔物もいるんだろ?」
「アホか。こっちと比べ物になんねぇほど強ぇ魔物がいんだぞ、お前じゃすぐ死ぬだろ」
「そこは少しくらい守ってくれたっていいじゃん」
「そもそもどうやって向こうに行くつもりなんだよ」
「それはこれから考える!」
「はぁ!?」
「でもラグゼルであんなでっかい鉄の塊動かしてたんだぜ?空だってそのうち飛べんだろ。なぁコルト、そういうなんか作ってたりしないの?」
「えっはぁん、ぼっ、僕!?」
考え事をしているときに急に振られて、いつも通り変な声が出てしまった。
アンリの視線が痛い。
そんな事より、空を飛ぶ技術はすでにある、というよりあった。
今は失われてしまったが、また再び平和になって技術が再度進んでいけば、いつかまた飛べるだろう。
「そういう研究はしてるよ。小さな物を飛ばす事はできるみたいけど、人とかを安全に飛ばすにはまだまだ色々足りないかなぁ」
「その辺りも山を超えたらあるかもしれないですね。凄まじい技術力があったようですから」
「それもそっか」
「良いじゃねぇか、山越える楽しみが増えてよ。魔族領より先に自分たちのほうを把握しとけ」
「くぅ!魔族領も行ってみたいけど、こっちにもまだ知らないものがいっぱいありそうでワクワクしてきた!」
そういって両拳を握って飛び跳ねるアンリ。
その向こう側から徐々に大きくなってくる黒い点があるのが見えた。
 




