第107話
ハウリルは今日も城で何かを話し合っていると聞いた二人は早速城まで足を運ぶと、丁度休憩に入ったらしいハウリル達が2階にある部屋から出てくるところだった。
1階の応接間とは別に上階には専用に会議室が設けられているらしい。
階下からアンリが呼びかけると、その場の全員がこちらを見た。
その時、何人かがコルトを見て訝しげな表情を見せたが、なんだろうと思った頃にはそれは引っ込められていた。
コルトはそれを気のせいだったと振り払うと、階段を上がるアンリについていった。
「おやっ、お二人揃ってどうしましたか?」
「大した用じゃないんだけど、ちょっとさっき色々あってモヤモヤしてたんだよ。それでハウリルならなんか上手く言えるんじゃないかと思ってさ」
「それはそれは、わたしでお役に立てるか分かりませんが、とりあえずご要件を伺いましょう」
まだ他にもみなさん残っていらっしゃいますしね、とハウリルは顔を横に向けると、コルネウス達が少々不機嫌そうな顔だが、まあいいと先を促してきた。
なのでアンリは先程ファルゴと話していた事をハウリルに説明する。
するとハウリルは難しい顔をしながら周囲をみて、それからゆっくりと言葉を選ぶように語った。
「アンリさんはおそらく自分の事を少なからず悪だと思っているのではないでしょうか?」
「えっ!?なんでアンリがそんな事を!?何も悪いことしてないじゃないですか」
なんでそんな事をアンリが思うのか分からない。
アンリは何も悪いことなんてしていない、それなのに自分を悪だと思っているなんてどういう事なのか。
ハウリルが勝手な事を言っていると思ったほうがまだ理解できた。
だから否定して欲しくてアンリに同意を求めて顔を向ける。
だが、その表情は求めていたものではなく、ハウリルの言っていることに同意するような、納得したような顔だった。
その意味が分からなかった。
そして許容できなかった。
何の罪も無いものが、何故そんな事で悩まなければいけないのか。
だが続いたハウリルの言葉に、コルトははっきりと否定の言葉を返すことができなかった。
「アンリさんはあなたを助けるためとはいえ、以前人を殺しました。人を殺すという行為はあなたにとって悪ではないですか?だからあなたの基準では消える側だと直感したのではないかと思います」
無様にも誘拐された自分を助けたアンリは悪か否か。
人を殺した、という点だけで見れば悪だ。
だが、人を助けたというのも事実であり、それは善だ。
──どっちだ。この場合はどっちなんだ。でも、僕はアンリを悪だなんて思いたくない。
心臓が強く鼓動を打った。
背中を指先でなぞられるように汗が伝い、全身が冷えた。
逃げたい、どうしたらいいか分からない。
決められない、決めたくなかった。
そうやって息苦しくなってきたときだ。
「わたしが言うのもなんですか、完全な善人というものはあり得ないと思うんですよ」
思いがけない言葉に顔をあげる。
「良いか悪いかなんて、その時の状況や常識でいくらでも変わります。その場のノリだけで悪を排除する事を繰り返していけば、いずれは人はいなくなるのではないかと思うのです、絶対的な善の基準でもない限り」
「絶対的な善の…」
今は無いその基準。
なら誰かが作ればいい。
その誰かは誰なのか。
思い浮かんだのは
──神。
神ならば絶対的な基準を作れる。
そしてそこからさらに思考が進もうとした時だった。
会議室の扉が開き、あからさまに邪魔だという表情を浮かべたネフィリスが出てきた。
「いつまで扉の前でたむろしておる、お主らそんなに暇なのかえ?」
それにハウリルが謝るとついで事情を説明する。
すると、それを聞いたネフィリスはバカバカしいと言わんばかりに短く鼻を鳴らした。
「絶対的な善?そんなものを決めてどうするつもりよ。それで喜ぶのは己が絶対的な善だと信じて疑わぬ愚者だけよ。他者の断罪ほど楽しい娯楽はないからの」
「それでも、良い人であろうとする人にとっては基準があるのは良いことだろ」
「ならそれを誰が決めるよ。人か?ならそれは誰だ。一個人か?それを誰が決める。それとも公平と言って全員で決めるのか?バカめ、出来るわけがなかろう。なら神か?それこそ最も愚かな選択よ」
「……なんだと」
コルトとネフィリスの間に不穏な空気が流れ始め、それに合わせてその場の者もざわつき始めた。
「ネフィリス、どういうつもりだ。それ以上の発言は約束が違うぞ!」
「傲慢な話をお主らが不穏な方向に進めるのが悪かろう。この世界の絶対など神以外になかろう。それが何を表すか分かっておるのか?まともに人を知らぬような奴に、思い込みのみで消されるのだぞ。こんなの黙っていられるのものか」
それがネフィリスには我慢ならなかったようだ。
どうやらこの魔族は扉の中からこちらの会話を聞いていたらしい。
だが、人を作った神が人を思い込みのみで消すというのもまた変な話だと思う。
人を作った神がなんで人を知らないと断言できるのか。
そんな事を思いながらネフィリスを睨みつけていると、こちらを見透かしたようにネフィリスも見返してきた。
「小僧。世間知らずな貴様に良いことを教えてやろう。我らが神のかつての失敗よ」
「!?」
「我らの何代か前の世代の失敗作の話よ。神は個ではなく群れを個として最強を作る事にした。肉体、思考、性別すらも同一にすることで、個体が知覚できる範囲を物理的に増やそうとしたのよ」
だがそれは失敗してしまった。
肉体面をいくら同一にしようと、魂まで同一にできる訳では無い。
そもそも人がベースの時点で無理な話だった。
人は確かに群れを作る生物だが、それは己の足りないところをみんなで少しずつ補うためだ。
全員が己であることを前提にしていない。
それが原因なのか、はたまた魂がやはり個体毎に違ったことが原因なのか、精神が壊れ始める個体が出た。
己を個と認識する個体が出始めたのだ。
細胞分裂のように己から己が生まれ、だがどれだけ己を個と認識しても、肉体、能力、その他全てが他と同一。
おかしくならない訳がなかった。
そして1部が壊れ始めると群れを個体としていた彼らには致命的だった。
「精神崩壊の波は瞬く間に広まり、完全に人としても生物としても機能しなくなった。そして神は失敗だったと彼らを消したのよ」
それはもう、何万年も前の遠い出来事ではあったが、たしかにあった事だった。
遠い遠い誰かの記憶で、諦めとともに吐かれたため息を、だから無駄だと嘲笑った。
「神すら失敗したそれを、人が決めるのか?愚かしい、全くもって愚かしく傲慢な話よ」
こんなものは詭弁だ。
神に善悪を決められていても、個々の違いと自由意志は存在する。
でも…。
──効率的じゃない。
何故だかそう思った。
「だがある程度の決まりは必要だろ。無秩序でまともに社会やってけるほど、俺らにまとまりはねぇだろ」
口を挟んできたのはルーカスだ。
いつの間に部屋から出てきたのか、扉に斜めに寄りかかって立っている。
ついでにここでは魔族であることを隠す必要がないせいか、本来の魔族の姿に戻っている。
するとその姿を認めたネフィリスは、大業に手を広げるとこれまた盛大に溜息をついた。
「これだからクソガキは嫌なのよ。程度の話なんて前提条件に決まっておろう。揚げ足でも取ったつもりか?愚を指摘しているつもりで、己の愚を曝け出すほど滑稽なものはなかろうよ。そんな事も分からずに会話に混ざるでないわ、構ってほしいなら犬にでも頼むがよい」
そう言うだけ言うとネフィリスは馬鹿が移ると言いながらどこかに行ってしまった。
相変わらず自分勝手な御仁だ。
そしてその場に取り残された面々は急に白けたような空気になってしまった。
それをハウリルは咳払いで壊した。
「えぇっとっ、とりあえず、アンリさんは自分が消される側かもしれないということで賛同できないんだと思いますよ」
やや無理やりまとめたことに自覚があるのか、ハウリルの顔はやや引きつり気味だ。
コルトも納得できたようなできないような微妙な気分だが、これ以上はここにいたくなかった。
ハウリル以外の人の視線がずっと痛かったからだ。
理由は分からないが、なんとなく歓迎されていないのが分かる。
それでなんとか離脱の言い訳を考えていると、
「お二人はお食事は済みましたか?まだでしたらこの後ご一緒しませんか?」
昼ごはんに誘われてしまった。
と言っても、二人とも先程昼食は終わったばかりである。
「さっき訓練あとに食べた。そっちはまだ食ってないのか?」
「えぇ、会議が思いの外長引いてしまったので」
「そっか。なんか悪いな」
「アンリさんも参加いただいてもいいんでっ」
「ハウリル、貴様どういうつもりだ、こんなガキ共が参加しても邪魔なだけだ」
突然コルネウスはハウリルの胸倉を掴んで分かっているのかと怒り出した。
眼の前ではっきり邪魔と言われかなり不愉快である。
アンリも腕を組んでイライラしているようだが。
「おっさん、そんな心配しなくても会議なんか頼まれてもでねぇっつの」
ジト目でコルネウスを睨みつけた。
「私は自分が4人の中で一番バカなのは分かってんだよ。出ても座ってるだけの会議なんて出るわけないだろ。そんな事も見て分かんねぇのかよ、見る目ねぇな」
「小娘が」
「…アンリ……」
「アンリさん、どういう心境の変化です?以前はココさんの生存を隠されてあんなに怒っていたのに」
「はぁ!?ココの事は隠されたらキレるに決まってんだろ?一緒にすんなよ。それに今は隠されてたのもまぁ理解はするからな、ムカつくけど。会議のほうも本当に私はいたってしょうがないって思ってんだよ、大体いつも理解できないこと多いし。それよりは体鍛えてたほうが役に立つだろ、多分もう私のほうがハウリルよりも強いしな!」
それにはハウリルは苦笑いで返した。
「そういう事だから、頼まれても会議なんてでねぇよ。おっさん同士で乳繰り合ってろ」
「アンリ!?」
まさかの下品な暴言に開いた口が塞がらなかった。
コルネウスなんかは口をパクパクとさせ、わなわなと震えている。
「じゃっ、用も済んだし行くわ」
踵を返して階段を降りていくアンリ。
だが最後の2、3段のところで、ふと何かを思い出したのか、そうだと言って立ち止まると振り返った。
「ルーカス。ここの奴らが手合わせして欲しいってさ」
「はぁ?」
「ハウリルとの喧嘩の気晴らしに良いんじゃないか?」
「…してねぇよ!?」
「おうじゃあ、私の勘違いか。良かった良かった、大人の喧嘩ほどクソめんどくせぇものなんてないしな!」
そう言って笑いだすと、今度こそアンリは音を立てて城から出ていった。
その音に我に返ったコルトも慌ててその後を追いかける。
そして残されたのは、それまで割りと大人しくしていた年少の態度に呆気に取られた大人達だ。
コルトも出ていったところでやっと我に返り、アンリの暴言に見る見るうちに顔を沸騰させていく。
「なんなんだあの阿婆擦れは!」
それにハウリルもルーカスも答えなかった。
それよりも、昨晩の事で何となくお互いに空気が悪かったのをアンリに悟られ、諭されたことのほうが衝撃だった。
コルネウスの文句を背景にルーカスはハウリルを見ると、それとなく視線を反らされる。
それにため息を吐き、通り過ぎざまに頭に一撃を入れると、今日の昼飯をどうするか考え始めた。




