第106話
昨晩のやり取りなど何も知らないコルトは、翌日アンリの鍛錬を見学し、それが終わると2人並んで遅めの昼食をとっていた。
アンリの腕はここの討伐員の人から見てもなかなかのものらしく、どんな鍛錬をしていたのかと聞かれ、ルーカスに稽古を付けてもらっていたと素直に答えると皆羨ましいと口を揃えていた。
こちらでも時々バスカロンが相手になる事もあったらしいが、人数も多い上になんだかんだ忙しいため、滅多に稽古をつけてもらえないらしかった。
それを数ヶ月、ほぼ毎日独占状態でバスカロンと同格の魔族に相手をしてもらっていたというのは、彼らからするとこの上なく羨ましい出来事らしい。
そして何とか自分たちも稽古をつけてくれるようお願いできないかと頼み込まれ、勢いに押されて了承すると、お礼として2人は昼食を奢ってもらったという訳だ。
一部魔族領から共族も食べられる農作物を持ち込んでいるらしく、魔力に耐性があるためか、久々にまともな味の野菜だった。
魔族領から持ち込まれたという一点だけが心底気に食わないが、隣でアンリが美味しそうにしているので、何とかギリギリ理性がもった。
そしてほぼ食べ終わった頃に、アンリが話を切り出した。
「なぁなぁ、あの2人なんかあったのか?」
「どの2人?」
「どのって、お前……。ルーカスとハウリルの2人に決まってるだろ」
そう言われるとそうだ。
なぜそれを疑問に思ったのか。
だがすぐに思考を切り替えて、アンリにどうしたのか聞いてみた。
すると、完全自由行動の状態だが一応同じ宿なので、今朝の2人がいつもと様子が違う事に気がついたらしい。
声を掛けたがどっちも表面を取り繕う事には長けているので、あっさりと躱されたようだ。
「昨日僕達が外に出たあとも残ってたし、方針か何かの違いで揉めたんじゃない?」
「うーん、そうなのか?」
「そうだよ。気になるの?」
「そりゃだってさ、大人の喧嘩とかクッソめんどくさいじゃん」
村でも何回かくだらない理由で大人同士が揉めた事があったらしく、アンリや他の年長組はその度にめんどくさい思いをしていたらしい。
子供なりにやめろと言っても、子供だから黙ってろと言われどうにも出来ず、さらに子供同士は何も問題ないのにアイツの子とは口を聞くなとも言われ、結局子供だけで何日か北の森へ家出したこともあったらしい。
突然村から子供が消えれば、さすがにどんなバカでも焦る。
喧嘩どころではない。
「死ぬほど怒られたけどな!」
「そりゃそうだよ!そんな危ないこと、絶対しないで」
アンリの村は魔物の被害がほとんどないとは言え、人手の入っていない森の中で子供だけで何日も過ごすなど、どう考えても危なすぎる。
下手をすれば死んでいてもおかしくない。
「さすがに今は同じ状況でもしないよ、つーか出来ないし…。そもそもあの2人、こっちの話を全く聞かないとかないだろ?」
「それはそうかもしれないけど」
魔物との戦闘で思った事があるが、アンリは思考よりも体が先に動くタイプだ。
直感で止める間もなく行動しかねないので、少し不安だった。
「とりあえず、お前も知らないって事が分かったからいいや。出発まで続くならぶっ飛ばせばいいだろ」
そう笑顔で言い切るアンリにさらに不安が募った。
出発直前で気が付いたらぶん殴ってさらに大喧嘩になってるなんて事がおきないといい。
ちょっと引きつつコルトがそう思っていると、背後から声をかけられた。
聞き慣れないが、どこかで聞いたことがあるようなその声に揃って振り返ると。
「あっ、お前!ファルゴ!!」
ルンデンダックで出会った討伐員のファルゴが、串焼きを両手にたくさん持って立っていた。
名前を呼ばれたファルゴは軽く片手をあげると手に持っていた串焼きを2人に1本ずつ差し出す。
食べ終わったばかりだと言うと、まだ成長するだろ、と無理やり押し付けられてしまった。
どうしようかと思っていると、アンリが片手を出してきたので無言で手渡した。
「お前なんでここにいるんだよ」
「そりゃ俺はこの街出身だからな」
「マジで!?」
「じゃあ、コルネウスさんが逃げる時の仲間ってファルゴさんだったんですか?」
そうだとファルゴは笑顔で頷いた。
さらに実は元々上級討伐員でもあるが、ヘンリンの上級討伐員がルンデンダックに来ることはほとんどないため、街に入るための理由として嘘をついていたようだ。
「ついでに、お前らの話を聞いてあの竜人が生きてるんじゃないかって報告したのも俺だ」
街中でアンリの師は誰かという話をしたとき、その特徴と2人が何かを隠している様子から、その師というのが死んだと思われていた竜人ではないかと思ったらしい。
それで一度報告に戻ったはいいものの、教会の警備が厳しく、コルネウスに会うことが出来ず、独立宣言が実行されてしまった。
そのため即座にルンデンダックから逃げなければならず、結局道中での報告となってしまったようだ。
「うわぁ、すれ違い凄いな。あの時すでにルーカス奴、街中には入ってたんだよ。人酔いして動けなくなってたんだ」
「マジか!それ聞くとますますへこむな。強引にでも手伝っておけば良かったか」
「それならコルトも誘拐されなかったかもしれないな」
「誘拐!?」
ファルゴが驚愕に目を見開き、あの教会が裏で手を引いてるやつかと聞いてきたので、一応肯定しておく。
さらに、助けてもらえたし今は気にしていない事も伝えると、精神が頑強だと褒められた。
「そうか、やっぱり一緒についていけば良かったな。それならお前も怖い思いしなかっただろうし、フラウネール枢機卿側から接触してもらえたら俺らも楽だったろうな」
そういうとファルゴはがっくりと項垂れて串焼きに齧りついた。
連携が取れていればヘンリン独立という強硬手段を取らずに済んだかもしれないのだ。
その他諸々の面倒毎もやらなくて良かったかもしれないと考えれば、こうなるのもむべなるかな。
ファルゴのその様子に、アンリもたったの1日でここまで変わったんだもんなぁと同情的だ。
場の空気が少々重くなってしまったので、コルトは話題を変えることにした。
「ファルゴさんはいつからあの魔族の事を知ってたんですか?」
「魔族だってはっきり教えられたのは、俺が中級に上がった時だな。呼ばれて見れば、親父とお袋が怖い顔しながら立っててよ。今思い出しても肝が冷えるぜ。それまでは”お館さん”って存在がいるってのは気付いたら知ってた感じだな、多分親父とお袋の会話を聞いて知ったんだとは思うんだが」
それをいつ知ったのかは改めて考えると分からんなとファルゴは腕を組みながら断言した。
ただファルゴはお館さんが何なのかはずっと口にしないままでいたようだ。
理由の1つに、ファルゴは文字が読めるが、それは両親が幼少期から熱心に彼にそれを教えていたからなのだが、その時、文字を読める事を誰にも悟られてはいけないと言われて育ったようだ。
”お館さん”の存在も、それと同じようなものだと思っていたらしい。
コルトはファルゴの両親も討伐員だったのかと聞くと、そうだと返された。
「ファルゴさんのご両親も知ってたなら、ここの討伐員の人達って大分前から色々準備してたって事だよね」
「そうだな。親父たちの世代は完全に俺達世代のための準備って割り切ってたみたいだしな……」
「自分達でやろうって思わなかったのか?」
「竜人の準備が自分たちの世代で終わるか分からないって話だったからな。それと…」
何かを言いかけたファルゴは周りの様子をチラッと見てから、2人に顔を寄せると小声で続きを言った。
曰く、神へ反逆することの恐怖、死ぬかもしれない事の恐怖、これらがルーカスの準備が整わないという”言い訳”もあって、それらを払拭出来なかったらしい。
準備だけなら今のこの生活を自分たちが死ぬまで続ける事が出来る。
「今もみんなそんな事口にはしないけど、やっぱり思ってる奴も少しはいる。どうして俺の代でってな」
誰しも死にたいものはいないのだ。
「でもそんなに周りの目を気にすることか?みんなそんなの分かってるんだろ」
「口にするのとしないのとでは差は大きいよ、はっきり形になっちゃうから」
「おっ、よく分かってるじゃないか」
形になってしまうとやはり士気に関わってくるだろう。
一度崩れてしまえば立て直すのは難しい。
「…ファルゴさんはどうなんですか?」
口にするということはそれを分かっているという事なのだろうが、ではファルゴはどう思っているのだろうか。
わざわざルンデンダックまで行ったのだから、やる気が無いという事はないと思うが。
純粋にどう思っているのか、コルトは興味があった。
死にたがりにはとても見えないが、死ぬかもしれない事を真面目に実行するのは、一体どういう考えの現れなのか。
それをコルトは知りたかった。
「そうだな。前はただ何となく今までそうやってきたからでやってたが、色々あって今は死にたくない、生きたいから戦ってる」
「……えっ?」
言われた事をコルトは理解できなかった。
戦えば死ぬ可能性があるのだ。
なら戦わない事を選ぶのが正解ではないだろうか。
それなのに、生きたいから戦うというのは矛盾していないだろうか。
「そうか?魔物に襲われた時に、立ち向かったら死ぬかもしれないって理由でそのまま見てるなんて事はないだろ?」
アンリがうんうんと頷いている。
「でもそれは魔族が魔物を連れてきたのが悪いからで……」
「うーん、じゃあ盗賊に襲われた時に死にたくないって荷や女を見捨てるのは違うだろ」
「それは…そうですね……」
「だろ。これなら生きるために戦うってのが理解できるだろ」
その理屈であればコルトにも理解はできた。
だがそれなら盗賊がいるのが悪い、なら盗賊になるような、人に害を与えようと考えるような人を”最初から”排除すればいいのではないだろうか。
そうすれば誰かを傷つける人がいない、誰も死なない平和な世界になるのではないだろうか。
──もしくは……。
「そうかもしれないけど、それは違うと思うぞ」
コルトが思考に沈もうとしたとき、アンリが否定を口にした。
だがどこか収まりの悪そうな顔をしている。
「なんつぅか、言葉には出来ないんだけど、それは違うと思う。いやっ、まぁそういう奴がいなくなればいいとは私も思うんだけど、でも何となくそれは違うと思うんだよ」
どうやら上手く言葉に出来ないせいで微妙な表情になっているようだ。
ファルゴもアンリと似たような考えのようだが、こちらも上手く言い表せないでいる。
それからしばらくそれが何なのかああでもない、こうでもないと話したが上手くまとまらなかった。
それにファルゴが3バカだなと冗談を飛ばし、コルトが心外な気持ちでいると、突然ファルゴを呼ぶ女性の声が飛んできた。
みんなで声のした方向に顔をむけると、討伐員と思われる女性が遠くから手を降ってファルゴを呼んでいる。
「おっ、悪いな、俺はもう行かなきゃだ。じゃあお前ら、また今度な」
「はい、また会えて嬉しかったです」
去っていくファルゴを見送ると、アンリがハウリルに会いに行こうと突然言い出した。
「なんで!?」
「だってこのままじゃなんかモヤモヤするじゃん」
「だからってなんでハウリルさん?」
「いやっ、なんかアイツなら上手く言葉にしてくれそうじゃん?」
「でも朝なんか調子悪かったんでしょ?」
「喧嘩した理由を聞かなきゃ大丈夫だろ、ほらっ行くぞ」
そういうとコルトの腕を掴み、引きずるように引っ張った。
──なんか昨日もこんな感じだったなぁ。
強引なアンリに困惑しながらも、不快感はなかった。




