第一章 ~ バカみたい ~ (4)
風に身を任せそうになる。
風が体を包んでいく……。
4
目を閉じ、静かに風を吸い込む。
両手を広げて息を吐けば、風にそのまま溶けていきそうな浮遊感が体を覆っていた。
目蓋を開くと、黄色い光が体を包んでいく。
遠く見える景色が現実なんだと肩を叩く。
放課後の屋上に立っていた。
風がざわめきを運んでくる。今日は部活の声は届かず、車のエンジン音や、下校する生徒の小さな声が屋上まで届いていた。
屋上の淵まで進んで見下ろすと、数人の生徒が帰っていく姿が遠くに見える。
誰も屋上に目を向けていないだろう。
視線を動かすと、遠くの街並みが見えた。マンションや青い屋根の家が立ち並び、異様なモザイク画に見えてしまう。
そんなモザイクに針を刺したくなり、右手を上げて指先を街並みに向けた。
手にはルーズリーフで作った紙飛行機を握っている。
芽衣から話を聞いたのは昨日のこと。一晩経ってはいるけど、結局真意を聞くことは適わなかった。
意識をしていないわけではない。しかし、磁石のSとNみたいに噛み合うタイミングがなかった。
胸を締めつける痛みはずっと残っており、気持ち悪さに酔ってしまいそうである。
結局、昨日の紙飛行機は芽衣の机の上に置いて帰った。
ふと、手が動いたのはついさっきのことである。
最後のHRが終わり、浩介から「帰ろう」と誘われたのを、用事があるからと断って教室に残り、教室に誰もいなくなってから、思い立ったようにルーズリーフを一枚取り出し、紙飛行機を折ったのである。
久しぶりだった。
紙飛行機を折るなんて、小学校低学年ぐらい振りではないだろうか。
不意に折りたくなったのにどこか懐かしくもあった。
街に向けて紙飛行機の先端を向ける。肘を何度も曲げてタイミングを取ると、スッと飛ばした。
ふわり、ふわり。
そのまま風に乗り、遠くへ、遠くへと飛んでほしかった。風を裂いてくれれば胸に竦むしこりも消えてくれるだろう、と願いを込めて。
しばらく風に乗って空を遊ぶ紙飛行機に頬を緩ませていると、急に紙飛行機は先端を空に向けると、急降下して落ちてしまった。
考えたくはなかった。
けれど、それは人が屋上から身を投げるように感じ、背筋が凍ってしまう。
後を追えなかった。地面に落ちていく紙飛行機を見下ろせば、体が吸い込まれそうな恐怖が足元に這っていた。
何もできないまま立ち竦み、重い息を吐き捨てると、崩れるようにしてその場に寝そべった。
太陽が見下ろしている。
あの太陽を浴びていれば、気持ちは晴れてくれるだろうか。
きっと紙飛行機を飛ばせば気持ちも楽になってくれるんだと、どこかで信じていた。嫌な気持ちも遠くへ運んでくれると考えていたのかもしれない。
「長澤もそうだったのか?」
目を閉じると、芽衣のまっすぐな眼差しが甦り、声がこぼれた。
すぐさま口角を上げて嘲笑し、額を腕で隠した。
そんなことはない。気持ちは全然晴れてくれない。
眩しかった。沈みゆく気持ちを引き上げようとしてくれる日射しが眩しくて、辛くて目を覆った。
背中から伝わるコンクリートの冷たさの方が気持ちを表しているみたいで、どこか落ち着いてしまう。
だからこそ、眩しくて辛かった。
ずっと寝ていたわけではない。きっと五分も満たない間、ちょっとウトウトとしていた。
日射しに頬を撫でられているみたいな、心地よさに目が覚め、おもむろに立ち上がった。
大きく背伸びをしたあと、踵を返して校舎に戻った。
校舎内は所々生徒が残っていた。数人が教室に残っていたり、廊下で喋っていたり、と。
自分の教室の前を通ると、ここには誰もいなかった。
カバンもすでに持って屋上に行っていたので、素通りするつもりでいたけど、足が止まってしまう。
紙飛行機が置いてあった。
さっき教室を出ようとしていたときは何もなかったのに、自分の席に紙飛行機が置かれていた。
ちょっと気になり教室に入ると、席に小走りに向かってしまう。
拾い上げた紙飛行機に見覚えがあった。
それはつい数分前、屋上から飛ばしたのと同様に、ルーズリーフで作られていた。
さっきの物とは断言できないけれど、同じルーズリーフらしく、やはり飛ばした紙飛行機らしい。
思わず辺りを見渡してしまった。誰かが拾ったのだろうか、と。
だが教室に誰もいない。
誰かが屋上でその姿を見かけたのか、と奇妙な感覚に首を傾げてしまう。
見えない青に監視されているみたいな怖さに、ゴミ箱に捨てようとしていると、羽の部分の汚れに気がついた。
新しい状態で折っていたので、汚れなんてなかった。地面に落ちたことでの汚れともまた違う。
何か鉛筆やシャーペンで書かれているみたいな汚れ……。
気になってしまい、紙を広げた。
乱暴に心臓を強く握られた痛みが走る。スマホの画像を勝手に覗かれたような恥ずかしさに。
ーー 楽しい? ーー
辛辣な文字がルーズリーフの中心に書かれていた。
もちろん、こんなことを書いて飛ばした覚えはない。でも、屋上での行動を揶揄しているみたいで、息が詰まってしまう。
どこか乱暴な文字に手に力が入ってしまう。
「……長澤なのか?」
どうして、そこにあるのか?
誰が?
ふと、考えてしまう……。